生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年04月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
勤勉性にも健全な勤勉意識と病的な意識があります。本人は勤勉でない自分に嫌悪感を抱いているのですが良く聞いていくと何とも素晴らしい努力家なのです。意識と現実のギャップに相当の乖離があり、その人の<勤勉性についての理想>が病的なのです。解釈にも病的なものがありました。その人の子供時代での環境がその人に病的な意識を与えているのです。再点検する事が必要なのですが不幸にして心理療法の原理に適う方法で指導してくれる人との出会いが無かったようです。勤勉性についての理想と現実の解釈には健全な現実吟味力が前提となります。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年04月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
勤勉性にも健全な勤勉意識と病的な意識があります。本人は勤勉でない自分に嫌悪感を抱いているのですが良く聞いていくと何とも素晴らしい努力家なのです。意識と現実のギャップに相当の乖離があり、その人の<勤勉性についての理想>が病的なのです。解釈にも病的なものがありました。その人の子供時代での環境がその人に病的な意識を与えているのです。再点検する事が必要なのですが不幸にして心理療法の原理に適う方法で指導してくれる人との出会いが無かったようです。勤勉性についての理想と現実の解釈には健全な現実吟味力が前提となります。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年04月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
心底好きな道を歩んでいる人の表情は何と美しいことか!貧しくとも何とか食べていけるならばこれほど幸せない人生はありません。そのような人は明るく爽やかで逞しい人が多いようです。好きな道を見つけ出す事自体が困難ですが、しかし好きな道に気づいても案外、腹をくくり迷わずにその道を突き進む勇気をもつまでには時間が必要なようです。義務感から厭な選択をして暗い顔をしてストレスを蓄積して生きている人の周囲にはいつも希望がありません。悔いのない人生だ、と感謝しつつ息を引き取る人のお話は、いづれも思う存分、好きな道を歩いた人のようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年04月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自信がないと逞しく生きていけませんし、そうかといって余りにも傲慢な自信でも何となく社会からうとまれて自分も周囲も幸せになれません。悔いのない人生を送る為にも時々立ち止まり過去の成育史を知的に眺めるノウハウを理論的に把握しておく必要もあります。エリクソンはその点、とても苦労して良い理論を創造してくれました。成育史の時代背景はとても重要ですが8歳から12歳までの自分の成育史を分析する場合、時代背景を意識しないと、とんでもない劣等感にさいなまれますので、しばらくそのあたりの専門的な自己分析を思索していきます。心理療法の相談者の中に自分の技能やそれを追求する勤勉さ、その勤勉さを阻害する自分は何も出来ないといいう劣等感から、折角の個性の美、潜在能力を無駄にしている人を見ると切なくなります。自分は自分、という自己実現への道を自分の中から探究していきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年04月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人はそれぞれの過去をもっています。社会に出て色々の体験をする内に、私は私で良いんだ、と素直に思えなくなるようです。人は何の為に生まれてきたのか、比較宗教学では、ほぼ共通して<永遠の生命を得る為に>と結論を出してはいますが、どんな罪深い人生を送った人に対しても<あなたはあなたで良いんだ>と言ってくれる宗教と出会うまで人は安心出来ません。納得のいく言葉で<あなたはあなたでいいんだ>と言われ、納得すると<私は私でいいんだ>となります。ここに至るまでが実は大変な勉強と修行が必要なようです。<自己肯定、他者肯定:愛の関係>と言う人間関係論を得るには、それまで<自己肯定、他者否定:傲慢><自己否定、他者否定:破壊的><自己否定、他者肯定:劣等感>という人生体験を経ていかないと本物の<自己肯定、他者肯定>には到達しないようです。永遠の生命を得る為にも、まあ、のんびりと人生修行を楽しみましょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年04月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
小学校の三年生の頃、葉山小学校での出来事ですが、先生がちょっと席を外した折に<屁こき大会>を悪ガキでしていたのですが、勢い誤って失敗してしまいました。級長をしていたのですが副級長のあつこちゃんが臭い私の手をとつて家まで~授業中でしたが~私を連れていってくれました。洋服を交換して学校に戻ったのですが、敵国アメリカの艦載機の空襲もあり、早々、授業は中止、誰もいませんでした。その夏に終戦となり私は父の郷里、新潟県栃尾市に疎開しましたが、あっちゃんが懐かしく何度も手紙を出すのですが返事もきません。戦後のどさくさで少年の手紙は無視されたのでしょう。これ以来、異性に対しては自発性に欠落したようです。ふざけたような話と思われるかもしれませんが、私の心の中では生涯、忘れられない出来ごとなのです。あの子は生きているかなあ。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年04月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
1997年頃<記憶は嘘をつく:ジョン・コートル著:講談社>という面白い本が出ましたが、その中に大脳での記憶の話が書かれていました。私も色々仕事をしていて患者さんの記憶が相当いいかげんで、そのいい加減さが良い人生へと展開することもあれば、逆に悲劇の遠因となる事例も沢山見てきました。ここでの結論は自分の記憶が今の自分を不幸にしている場合に限り、その記憶の解釈をしなおす必要がある、という事です。過去の思い出が今の自分を不幸にしているなあ、と感じたら、勇気を奮い起して解釈をかえてみましょう。今更大脳の記憶力について医学的に勉強しても始まりません。可愛い自分の大脳を虐めないで解釈を変えていくと、明るい世界になります。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年04月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
<君たち男児はお国の為に自発的に軍人の道を選び国民の幸せの為に人生を送りなさい、戦場の恐怖に逃亡するような男は駄目>と言われた小学生時代、この小学生初期は私の人生に大きな影響を与えています。何のために生きるのか、人に言われて人生を選ぶのではなく自分から選択する、このように明確に爽やかに人生を歩めれば心は明るく堂々たるものですが、人生は中々、そうはいきません。大学病院にも良心の呵責、家庭教育、学校教育の影響から罪悪感が原因で神経症になり入院してくる患者さんは後を絶ちません。病的な罪悪感が意外に多いのです。宗教的な理由もありますが、この罪悪感の治療は案外、簡単に治療出来ますが、その人の成育史での倫理道徳観、こうあらねばならない、こうありたい、という理想のセルフイメージが問題を含んでいます。人間は弱く、誘惑にはすぐまけるものですし、不安感が人間の本質ですので、その人間の実体から勉強してもらいます。理想と現実のギャップを、どう取り扱うか、という教育を殆どの人は受けていません。病的な罪悪感と健全な罪悪感の識別を学びましょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年04月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
私が小学校に入学した昭和18年の出来ごとです。そのほか、アッツ島の日本軍全滅、ガダルカナル島撤退、東京神宮外苑競技場での学徒出陣壮行会、この頃の社会は暗く切ない時代です。過去の記録を再読して、改めて私の小学校入学の時代は辛い時代だったんだなあ、と思います。その影響が私の人格に影響していない訳がありません。5-7歳の時代に原型論から言わせれば<目的志向性、自発性、罪悪感の原型が形成される時期>と言われています。君たち、男の子は、近い将来には、軍人になりお国の為に死んでいくのが男児の本懐だ、と先生に言われた記憶があります。この点、目的志向性、自発性は叩きこまれたようですし、御国の為に死なない男児は駄目、と罪悪感も社会から叩きこまれた思い出があります。それぞれの時代の小学生時代ですが、暫く、現代に生きる人間の目的志向性、自発性、罪悪感について思索していきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年04月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
時々ボーイスカウトや文化教室の子供たちの中に惚れ惚れするような意思力のある子供と出会います。余程両親が上手に育てておられるのでしょう。気取っているわけでもなく、無理しているわけでもない、自然体なのです。何になりたいの?と聞くと、電車の運転手、首相、宇宙飛行士等、その時々で違いますが、いつも夢をもっているようです。同じ幼稚園児でも、どうしてあのように違いが出てくるのでしょう?遺伝、環境でその子供の自律神経、免疫、分泌も相当違ってきますが、何といつてもこの世への希望力は大人の指導いかんですが、本人の心構えで相当違います。この前会った時は手に<宇宙のなぞ>という漫画を持っていました。学者になりたいのかなあ?
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年04月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
子供は普通、とても素直ですが時々、非常に疑い深い子供に出会います。赤ちゃん時代は明るく素直で元気ですが、エリクソンの言う2-4歳時代が、猜疑心を育てます。純粋なだけに周囲の大人が厭な事ばかりをしていると、その子供は哀しくなり段々と大人を信用しなくなります。表情も明らかに猜疑心にみちみちたものとなるのは、子供がそれだけ、まだ素直だからでしょう。40-50代でも、なんであんなに簡単に人から騙されるのだろう、と驚く事例も沢山見ますが現実吟味力の欠落から悲劇が始まります。疑い深い子供は、今、そうしていないと生き抜いていけないのでしょう。健康な猜疑心、病的な猜疑心をキチンと指導していきたいものです。政治の世界、財界、宗教界、教育の世界で、それぞれ猜疑心の基準は違いますので教育は難しいようです。疑い深い子供の良さを認識し疑い深い性格に向く職業選択が出来るよう周囲の大人がかかわりたいものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年04月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
日本の歴史は<恥の歴史>ともいわれています。欧米の社会は<愛>が基準とも言われています。それぞれの国、文化でも、何となく無意識に基準化された国民の意識があるようです。比較の程度は比較文化論の中で面白い論文のテーマですが、ここでは日常生活での恥の意識について思索していきます。時代は違いますが、私の世代でも<お前は何と恥知らずの子供だ>と世間のおじさん、おばさんから悪さをした時、怒られました。お天道様が見ているよ、とも言われました。何となく懐かしい時代ですが、今でも、恥知らず、という言葉は若い男女の間、子供たちの間にも叫ばれている日本語です。恥の文化は案外、大事な精神文化です。幸せに生きていく為に大事な基準でもあります。

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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年04月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
何故、人は心と身体の病気になるのか、その原因を探るのが病理論ですが病理論は多すぎて困ります。その中でも面白いのが人とは何か、という哲学がありますが人とは<魂と身体の二つで構成される>という理論が真理に近いと思います。難しい病理論は本に書いてありますが、その色々の病理独特の症状が何故出てくるか、という領域になると多少、哲学的になります。神経症、精神病、癌、風邪、胃腸の痛みなどの症状がもし出ないと医学は成立しません。症状を出すエネルギーが魂だ、という理論があるのです。魂という言葉が嫌いな人は<生命体>と置き換えると理解出来ます。症状を出すエネルギーが無いと色々の病気を把握出来ません。症状を出すのは何か、という領域ではまだまだNDA以外学問として納得出来る理論は今のところ魂論が一番正しい理論かもしれません。

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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年04月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
最近は何故か、親のお陰で食べている30代の男女が増えてきました。色々の事情があるようですが親が死んだら、どうして食べていくのでしょう?何故、自分で食べて生きていけないのでしょうか?明確な理由として食べていけない若い男女は<意思力、自律性が欠落していること、案外、恥辱感が強く、疑い深い>のが特徴です。暫くこの意思力、自律性、恥辱、疑惑の4つの関連性について思索していきます。

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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年04月16日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
少年少女時代の美しい思い出は普通、その人を豊かな人生にしますが、心理療法をして出会う事例の中には、その思い出ゆえに、その人を不幸にしているケースもあるようです。多少、自己愛パースナリテイ障害がからんでいますが、無意識の中で、少年少女時代のあの素晴らしい幸福感だけを求めてしまうと、その幸福感はなかなか得られません。子供時代は大切にされ甘やかされています。大人になり、そんな甘えの構造は通用しません。三つ子の魂、百までも、という格言のように、人は無意識に生活しているので、もし現在、何らかの欲求不満がある場合、子供時代を回想し、この少年少女時代の幸福感と現在の求めている幸福感を比較考察すると案外、大人になりきっていない自分を発見出来ます。思い出は大切ですが過去の愛の原型、美しい思い出の原型、憎しみの原型、怒りの原型、その原型を意識化する事で、現在の不満を簡単に解消出来ます。

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