専門用語で<アイデンティティーの統合に病的な揺らぎがある><現実吟味力に病的な揺らぎがある>とカルテに書かれた場合に、さて素人はどう識別したらいいのでしょうか?難しい領域ですが次の二つのポイントが参考になります。(1)感情面で相手に同情したり感情移入が出来る事例は神経症でしょう。(2)自分の問題なのか他人の問題なのか分からない事例とか理想と現実の混濁が甚だしい事例は、どちらかというと精神病(統合失調症)の現象かもしれません。このポイントを意識しておくと便利です。しかし、どんな事例でも生き甲斐とは何かを日々意識すると回復機能が向上してきます。生命があるかぎり、どんな人でも何のためにいきているのか、を考えてみましょう。人間である限り、どんな場合でも存在の意味があるからです。
素人なのに医者泣かせの患者がいます。悪いとは言いませんが、無駄なエネルギーを消耗し回復力を妨げています。素人は次の原因を考えるだけで十分です。心の病も身体の病も6つの組み合わせで発病します。遺伝、環境、老化、自律神経、免疫、分泌の6つです。何故、そうなったか、どのようにして、この6つもファクターが組み合わされたかは学者でも分かりません。DNAの組み合わせなので、あとは専門家にお任せし、心の環境を自分で整理していきましょう。心の世界の整理は自分でするのが一番です。明るく爽やかに、それでも何かに希望を持ちながら(あの世の希望を含め)生きている時の生き甲斐を探し出し、その楽しみに時間を使う知恵が最良です。病気の原因を探り出す<生き甲斐>はあまり効果がありません。笑う毎日は最高のようです。笑うと分泌と免疫が強まり、自律神経が緊張からほぐされ、ホルモンの分泌が良くなるそうです。
専門知識は大切ですが、そうかといって医者を盲信するのも間違いのもとでもあります。不思議な事なのですが、どんな病気になっても素人なりに心の世界で治療する最良の方法があります。渦中になると難しいのですが、苦しいなりに、それでも、生き甲斐を意識すると不安の回復速度が速まります。どんな困難に突入しても、その状態での生き甲斐を探すのです。医学的なリハビリは大切ですが、自分で出来る心のリハビリは自分にしか出来ません。心の世界は自由なのでその気になれば出来ます。神様は耐えられない苦しみは絶対に与えないと言われていますので、それを信じて心の世界で或事をするのです。そのあることとは、その状態での<生き甲斐>を探し出す事です。必ずあります。私が昔、モスクワで飛行機事故に遭遇し滑走路に突入する時はロザリオを手にして祈りつつ死ぬ覚悟をしました。覚悟をしたら実に冷静になり、あと数分で天国にいる自分をイメージしていました。この天国にいる自分のイメージが生き甲斐でした。どんな場合でも環境でも、それなりの希望、生き甲斐はその気になれば見つかります。
心を病む事は不幸には違いありませんが、もし人類社会に心の病が無いとすると今日の人類の発展はなかった事でしょう。何が病か、は文化により相当違います。数千年前のギルガメッシュ叙事詩を読むと当時の心の病の話が沢山出てきます。当時、病だと断言している事例は今から見てもその大半はやはり病の範疇に入っています。ただ解決の手法に呪詛や神がかりがあり違和感を感じますが、それでも暗示療法の効果は十分発露されていて面白い。人類は災いを転じて福となす知恵がありますので<悪、不幸な事件、意味不明の流行病>なども人類の諸先輩は見事に乗り越えています。本人は確かに不幸ですが、その本人とて解釈を明るくしながら生き抜いていく人、あきらめて手段に気づかずに早々自殺していく人、さまざまです。心の病は不幸ですが一概に結論を急ぐべきではありません。森羅万象をどう解釈すべきか永遠の課題です。
今日から第9章<人は何故、心を病むのか>に入ります。225回にわたり分かりやすく話していきますので気楽に思索してみましょう。数冊の本で説明すべき事を10行くらいで思索していただこうとしているので非常に無理がありますが、ここは大学ではないので本にはない書きぶりで努力したいと思います。さて心の病は今、世界では4つに分類しています。正常、神経症、精神病、人格障害(精神病質)の4つです。ここではいちいち分類せず臨床心理学の立場のさらに簡単な原理で思索していただけるよう工夫しています。その方の成育史からくる理想像と現実の解釈とのギャップがストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)と言われる感情ですが、この感情をどう処理するか、そのギャップが<遺伝、環境、老化、自律神経、免疫、分泌の6つの背景)から、どんな病理が表出されてくるかが決まります。このような難しい話をのんびりと思索できるように努力していきますので愛読下さい。この記事が人々の生き甲斐に貢献出来ますように神様に祈りつつ。
世の中には面白い本があるもので2005年4月の発売されていらい地味なようですが愛読されているようです。自分が生まれた年の世界の事件、日本の事件が色々と書いてあります。この本をみながらしみじみ思います。自分の性格形成に重要な影響を与えているのが手に取るようにわかります。<自分の人間が出来てないいから><努力が足りなかったから>こんな自分が出来たのだろう、と自己否定的な解釈をしていたものがこの本から時代背景を知るにつけ自分が歴史に翻弄されていた事に気付きます。自己肯定、他者肯定の思想を持たぬ限り人は幸せにはなれません。この本は何となく安心感を与えてくれる本です。どの国に生まれたのか、どんな時代に生まれたのか、この歴史環境を考えずして幸福は語れません。
マーフィーの法則(例えば、買いたての絹の絨毯の上に、朝食の時、厚厚とぬったジャムが落ちないといいが、と思っていたら、見事にジャムの面がその絨毯の上に落ちてしまった、という例があります)がどこまで正しいかは、それぞれの人生体験から考えればいいことで、どの学問もそうですが盲信はいけません。ただ自分の運命は将来、どう考えても悪くなるだろうなあ、と信じていると、そうなるようです。逆に、必ず神様は自分を不幸にするわけがないと信じている人は、幸せになるようです。色々観察していると、将来は必ず良くなると信じる根拠は哲学よりも、宗教の信仰心が一番強いようです。将来、自分が幸福になるかどうか、という基本的な信頼を人間よりも神仏に置いたほうが良さそうです。何故将来が良くなるかという根拠がないと迫力がありません。私たちがどの世界観を採用するかで運命が決まります。
職場、家庭、どんな人間関係においても、のびのびと明るく自由に生きている人がいます。しかも爽やかなのです。学歴、職歴、成育史に関係なく、のびのびと生きています。この人は本当の心の自由な世界を大事にしているのでしょう。仕事でへまをして暫くは落ち込みますが、すぐ回復します。自分の心が何かに束縛されるのを嫌っていますし、人の心に厭な思いをさせる事も嫌っていますので、いつも静かに自分の仕事に専念しています。自分の権利を主張するよりは義務を喜んで遂行しているようなところがあるようです。自分の夢を追求してはいますが、成果にこだわりません。何かの信念があるようです。どんな考え方をすると、このように生きていけるのでしょう?心が安定している人は本当に羨ましいです。その人はいつも胸に何かお守りのようなものを入れているようで、時々厭な事とか、哀しい場面に合うと、そっと胸に手を入れていますが、心の安定を図る為に、安心できる何かを心の不安の補償剤として胸に入れているのでしょう。
私から見ると、あの人はバランスがとれているなあ、と感心しますが、或人はとんでもない、と批判します。その人が所属する業界で違うのでしょう。宗教界でバランスが良い人と言われた人が運命のいたずらで実業界に入り失墜していく、教育界でバランスが良いと言われた人が政治の世界に入り失笑をかう言動をする、難しい領域です。食事のバランスは共通ですが、それぞれの業界での<思考、感情、行動>のバランスは微妙に変化していきます。その世界に属した後の識別は本人の五感と体感から感じとれるストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)をどう上手に処理出来るかの問題でしょう。自分の五感と体感に感じるストレス曲線を意識し知覚しないとバランスはとれません。思考、感情、行動のバランスを保持するといいましても感情の抑圧だけは危険ですので、感情の安定化だけは大事にしましょう。
人は陰口を叩かれながら生きていかねばなりません。あいつはお馬鹿ちゃん、私も長い人生の中で言われ続けました。さて約80億の人間が現在地球には存在しているそうですが、価値観が違い、成育史が違うので、自分以外は全部、驚きの対象です。もっといえば自分以外は全部変人だ、と深層心理学は教えています。精神病患者さんからも治療の最中に<あんたのようなお馬鹿ちゃんに会った事がない>と言われてきました。つまりその人の心には私はお馬鹿ちゃんに見られていたわけです。これで良いと私は思います。その患者さんは本当に私が馬鹿に見えたのですから今更否定してもはじまりません。私は相手が患者さんでも、どんな人でも二人きりでの会話の場合に、それでは何処がお馬鹿ちゃんなのですか、と冷静に静かに聞く事にしています。瞬間、相手は驚き、私の目をじーっと見ますが、私が本当に誠実に聞いているのが分かると照れながら色々と教えてくれます。なるほどなあ、と感心する事があります。こうして私は少しましになります。