生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年01月31日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
誰もが幸せを希望しています。その幸せを求めて生きていく時、注意しておく必要があります。それは努力していく段階で<幸福の条件>と<幸福感>を混濁してはならない、という鉄則です。幸福の条件とは、外交官の男を夫にしたい、財閥のお嬢様を妻に迎えたい、結婚は親族と同居するのは嫌、などなとの条件のことです。幸福感とは、五感と体感でしみじみ幸せだ、と感じる感情の領域のことです。この幸福感は自分が重い病気になっても解釈を変えたり、考え方を変えると<幸福感>を感じる事ができます。無理に解釈すると偽善的になったり、自分を偽ってしまう事がありますので平素、五感と体感を正直に感じ取る訓練をする必要があります。心底正直に<自分は何と幸福なんだろう>と感じないと意味がありません。私は幸せになりたい、という人間としての基本的な願望を追及する時、この2種類の幸福を意識して追求していく必要があります。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年01月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
勉強するなら自分の魂は死んだらどうかるか、の勉強を優先すると人生が楽しくなります。最古の文明であるシュメールの叙事詩、古代エジプトやギリシャ、その後、いろいろと発生してくる各種宗教、どれもこれも全て自分が死んだら、自分の魂はどうかるか?という問題ばかりです。この自分の魂がどうなるか、を真剣に研究しているのが比較宗教学です。その中でも、魂の存在を科学的に立証しよう、とする分野は今のところ不可知論ですが、信じて見えてくるもの、信じてみえなくなるもの、という視点からの比較宗教学は大変役立ちます。魂が存在するかどうかは学者にお任せして、信じて見えてくるもの、という学問あることを意識していくと、大変面白い真理に気づきます。その中の学説の一つ<人間の意識はすでに魂が見ている世界>だという学説です。A=B(X+Y):という方程式は私が作りましたが、この考え方そのものはイギリスで恩師から学んだ考え方です。
Aはあなたそのもの、Bは臨終と共に離脱していく知的生命体(魂)のこと、Xは生育史上考え方、感じ方、価値観などのこと、Yは生物学的な身体のこと。以上の式を念頭に置いて身辺に起きる森羅万象を観察すると、自分の魂がひょっとして存在しているかもしれない、と思うようになります。生涯をかけて比較宗教学として学習していきましょう。オカルトは駄目です。きちんとした学問として学習する必要があります。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年01月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
夢や理想も人一倍高く、かつ厳しい現実を素直に受け入れている人は幸せです。癌を宣告されていても夢と希望を捨てずに元気に生きているうちに何故か良い方向に向かった人はたくさんいます。治癒しなくても最後まで希望を持ち、息を引き取る時は天国で会いましょう、と明るく死んでいった人もいます。この考え方は本人次第で持つことが出来る考え方です。現実を解釈するとき、暗く解釈するか、明るく解釈するかは、本人次第です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年01月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
数年前のお話ですが、知人に紹介され村上さんの長編小説<1Q84>を読みました。主人公の一人<青豆>さんが何故、あのような生き方をするのか、大切な恋人が道を踏み外していく哀しさを感じ、とても切ない心境になりました。本来は自分の人生に対して誠実に正直に生き抜こうとしている素敵な若い女性ですが、人間の愛と許し、永遠の魂のありかた、どんな罪深いことでも許される哲学、宗教もある事に気づかずに生きざるを得ない人生を歩むところが何とも哀れな感じです。小説とはいえ青豆さんの幸せと魂の安寧を祈りたくなります。抑圧の原型を上手に発散し、どんな厳しい人生でもいつも希望と情熱、愛と許しの哲学、宗教があることを事前に知らしめておきたい人でした。小説とはもうせ私たちの生き甲斐の心理学を青豆さんにだけは個人的にきちんと勉強しておいていただきたい、としみじみ思いました。愛とは何、生きる目的は何、生き甲斐は何、自分の魂、心、身体を大事にするとはどんなこと、難しい人生ですが、いつも希望と情熱をもつて生き抜きたいものです。小説の中の人物にこのような希望を託すると世間から笑われそうですが青豆さんの幸せとは何だろうと考えさせられました。今の新型コロナ禍で不安感におびえることはやむを得ないことですが、この小説を久し振りで開いた私の所感です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年01月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人生の夢と希望に輝いていきている人もいれば、その夢と希望が実現出来ない、と不満をもらしながら神経症になる人もいます。セルフコントロールの問題ですが、そう言う私も20代の頃はその夢と希望と現実があまりにもかけ離れていて、イライラしていたものです。年代とその頃の生理現象でイライラ度は違いますが、年齢に共通して言えるセルフコントロールの仕方は自分のストレス曲線の扱い方の修練で解決します。不安感、怒り、鬱になる人は健康な証拠、人間らしい証拠なのですが、何故か、不健全なものと勘違いしているようです。その不安感、怒りが幸福になるために、いかに重要なものかを、いったん知れば、意外と速く、その負のエネルギー(不安、怒り、鬱)を幸福曲線(平安感、友好的な感情、幸福感、統御感)に変換するコツが分かります。不安感を感じたら、その不安感は、どこから生まれてきたかをチェックするのです。不安感は理想と現実のギャップから生まれるものです。まず、その理想とは何か、現実とは何かを自己分析し、ノートに書きだしていきましょう。この手法をエゴダイナミックノートといいます。倫理道徳にとらわれずに正直に書いていくのがコツですが、数日後に再読すると、どうしたらいいか、気付きます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年01月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人は過去の自分について不安を感じたり、将来の自分はどうなるんだろう、と不安を感じたりしながら生きています。今回は将来の自分への不安について思索していきます。結論からいえば、明日の自分がどうなっていくか、は誰もしりません。しかし毎日目が覚め、そして寝ている現実の流れがあるので、普通の人はあまりそんな事を考えるいとまもなく、日々のお勤めに励んでいます。昨今、新型コロナで人々は苦しんだり不安感におびえていますが、学校に行ったはものの、新形コロナで死んだ同級生の机に花束が乗っているのをみて、初めて人生の空しさ、哀しさを感じて、人は成長していきます。しばらく将来の不安感への対処方法について考えていきます。将来の不安を感じるのは健康な証ですがその不安感を生きる希望に変換する方法を知らないと、ひたすら神経症的な人生を送ってしまいます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年01月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
信仰を持つ人の最大の強みは、自分の疎ましい過去を神様にゆだね、安心して希望に生きる事が出来る点でしょう。色々の競争に打ち勝ちながら今日の幸せをつかんだ人にも、思い出したくない領域が沢山あります。過去は消せませし、無理に消そうとすると心が波立ちます。そんな時は神仏にゆだね、許しをこい、深く反省したり、運命を呪うようなことだけはしないほうが良いようです。何故か、恨み呪う精神作用は人をどんどん不幸にしていくようです。過去の想いでについては解釈を変えることで平安感、幸福感、整合性のある考え方に統御したほうが幸せな日々を送れるようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年01月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
難しい政治理論よりも政治心理学から見た政治家の表情のほうが真実の姿が把握できるようです。Aさんの記者会見を見ると、実になげやりで誠意にかけていますが、Hさんの表情は希望に輝いています。政治家の真実を見抜く一番の手法は目と表情を動物のような視点で洞察すると面白いようにその人の自信度、平安度、希望度が手にとるように分かります。信念と自信のない政治家は信用出来ません。何の為に生きているのか、何をしようとしているのか、その生き甲斐が本物かどうか、そういった心が二人の表情に歴然と表出しています。水鳥あとをにごさず、Aさんには綺麗な表情をしてHさんに政権移譲をして欲しいし立派な野党に成長してもらいたいと思います。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年01月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
政治家のイメージ、しかも国民が本能的に感じ取る政治家のイメージは実に正確です。特に女性の本能は実に正確に見抜きます。例えばB政治家のイメージが不安感を人々に与えているとしますと、その政治家は間違いなく、そのうち、何かをしでかしています。女性の勘は天の賜物かもしれません。母性と女性性の統合は心理学では非常に面白く大切な研究分野です。神秘的な領域が重なっていて大切にしたい領域です。信頼のおける女性に某政治家のイメージをきちんと聞いておき、その後のその政治家を観察してみて下さい。私は女性秘書の直感的なアドヴァイスや論理性のない勘のおかげでずいぶんと救われました。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年01月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
以前、自民党が敗北し民主党が圧倒的な勝利を得たことがありました。新聞には鳩山さんの閣僚人事ニュースが飛び交っていました。長い自民党政治の体制とその影響下のシステムがこれからどんどんと崩壊していきますが、その姿を国民は冷静に受容出来るか心配でした。マスコミの過剰反応ともいえる取材合戦が気になります。取材にあたる記者、それをまとめるデスク、その人々は果たしてどれほどの人物なのでしょうか・気になるところです。自民党の過去、その積み重ねの利権階級が今後、どのような姿でひたひたと国民の目にあぶり出されてくるか、その報道は健全な記者の報告いかんで世論は姿を変えていきます。生き甲斐の心理学は政治心理学でもあります。国民は政治に対して殆どイメージで反応していきますから、そのイメージを形成するのがマスコミ情報なだけに恐ろしいものがあります。国民のストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱)を現政権が敏感に感じ取り、いち早く幸福曲線(平安感、友好的な感情、健康感、幸福感、統御感)に押しやらないと、せっかちな日本国民は落ち着かないようです。今も新しい首相が誕生していますが、私たち国民は勇気を出して自分の信じることを堂々と言いあいましょう。こうしないと、この新型コロナの不安な時代をいきぬくことは不可能。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年01月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分にとって美しく懐かしい思い出もあれば、思い出すのも嫌な過去もあります。来談者の中には、この思い出すのも嫌な思い出を消し去ろうとするけれども、消せないで神経症になる人もいますが、一度体験した生育史は消去できません。<消去出来る>という思い込みが人を発病させます。ではどうしたらいいのでしょうか?一例ですが、心理療法の原理を学ぶ事が生き甲斐だ、と目的が明確な場合に、ここで初めて自分の生育史が役立ちます。美しい過去も、嫌な過去もここではダイヤモンドに変わります。自分の体験と理論がぴつたり結び付き、それが患者さんへの対応に役立ちます。嫌な思い出があるお陰で悩める友達を支援する場合に役立ってきます。また心理療法の勉強をしなくても、これからどう生きていくか、自分の生き甲斐は何かを考える時に、初めて美しい思い出も嫌な思い出も知恵袋として役立ち始めます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年01月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分を嫌っている人の前に出ると心が不自由ですが自分を愛してくれている人の前にでると心が自由になります。その理由は簡単で、自分を不安にするものがあると人はストレスを感じ、自分を平安にするものがあると、人は幸福を感じるように出来ているからです。この原理を知らないと、自分は修行が出来ていない、人間が出来ていないと自己否定的になります。赤ちゃんは理屈抜きに自分を愛する人を見抜きますが何故か、大人になると素直に愛を受け入れなくなり、理屈をこねだします。結論はでませんが或種の自問自答をすると、何となく心が自由になります。自分は何のためにいきているのか、自分の生き甲斐は何か、自分は自分の魂、心、身体を大事にしているだろうか?この3つの自問自答を楽しんでいると、心の自由が何となく生まれてきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年01月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
昔の話で恐縮ですが、治療をしていて不思議に思うのは、患者さんは意外と罪の意識が高い、むしろ高すぎるという印象です。宗教家は信徒が良心の呵責で苦しむと案外喜んでいる人が多いのですが、それは教えに忠実であつて欲しいという人間的な想いがそうさせるのでしょう。古代から現代まで宗教家は信徒から沢山のお金、物、土地をただで手に入れています。良い、悪いは一概に言えない領域もありますが、現代人は霊感療法の恐ろしさを知っていますので嫌っています。大学病院にも色々の宗教家、あるいは信徒が入院してきましたが、治療で90パーセント以上は治ります。良心の呵責は神聖な領域なので慎重な扱いが必要です。神仏からの直接の神秘現象も時々散見出来ますので私は良心の呵責が原因の患者さんに対して非常に配慮していますが、現代心理療法の理論を適応していくと自然と治癒し退院されていきました。思い込みの考え方からくる心の病気、良心の呵責が多いのできちんと心理療法の理論を学習する必要があります。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年01月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
赤ちゃんとしてこの世に誕生し今を生きているわけですが、同じ自由意思を持ちながら過去に固執して生きている人もいれば、綺麗さっぱり嫌な思い出と決別し、厳しい現在をあるがままに受け入れ、そして希望に輝いて生きている人もいます。この違いはどこからくるのでしょう?人は考えた通りの人間になる、と古代から言われていますし自分の希望をああしよう、こうしようとあれこれ現実化しようと色々の方法をイメージして楽しみ、言葉にし、人から笑われながら電話をかけたり行動したりして、チャンスを掴もうと、のんびりと、動いている人もいます。過去に固執すると将来が暗くなります。固執した精神状態を自由にする最大の方法はそれ以上に強い将来への夢へ切り替えることしかありません。固執障害的性格は改造が難しい。しかしその特徴を活用すると夢を養成する力は人一倍あります。自分を幸福曲線(平安感、友好的な感情、健康感、幸福感、統御感)に押しやる夢を苦労して作り上げていく必要があります。そのうえで3Vの法則(イメージで成功を楽しむ、言葉にしてみる、小さな行動にふみきる)を楽しみながら日々を過ごす訓練をすると心が自由になりだし過去の不安から解放されます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年01月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
どんなに厳しい運命に突入しても私たち人間は運命に支配されない<自由意思>を持っています。心の世界だけは神様さえも遠慮して侵入しないように創られているようです。万物は神様の創造物ですが、何故か神様は人間に対してはこの自由意思を与えたようです。その理由についてカトリツク神学書を読むとすぐ分かります。神の摂理と人間の自由意思の領域は神学書の基本でもあります。さて自由意思を私たちが持っている、という事実を知らない人々が沢山いますし、自由意思という言葉を知っていても日々の生活の中で、その特権をどう使いこなしていくか、という知恵に気づいている人も少ないようです。身体が病気になれば心もそれに従い辛くなりますが、ふと気付いて心を改め心の世界だけでも明るく爽やかに元気にしようと決意すると案外、そのようにセルフコントロール出来る自分に驚くことがあります。生活習慣が積み重なり、いつのまにか心が固くなり頑固になり、のびのびしていない自分に気づくこともあります。心は自由なはずなのに何故、自由でなくなっているのか、この領域について考えていきます。心は必ず自由になれます。
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