生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年04月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分の姿、現実に気づかずに相手を自分の理想で裁く人がいます。理想と現実を識別する現実吟味力が欠落しているからです。自分と相手の混濁(例:母性愛の一部)も色々の悲劇を生みます。子供を道連れに自殺を図る事例の中に時々散見出来ます。このように理想と現実の混濁、自分と相手の混濁、この傾向は精神病になりやすいタイプです。人間誰しもこの傾向がありますから、神経質になる必要はありませんがこの意識化は大事です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年04月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
とても心が優しくて相手の気持ち、感情をある程度、正確に読み取れる人、感じ取れる人は精神病にはならないでしょう。人間関係の中で相手が気になり不安感を感じてしまい、その不安感の処理をドライに割りきれないで苦しむタイプの人は不安神経症になりやすいかもしれません。どの程度、その不安感におののくと身体症状が出るか観察する必要があります。眠れない、食欲が無い、なんとなく生きる意欲が無い、というのが身体症状と呼ばれている症状です。この症状が出る程、真面目に考えてはいけません。不安感を処理しないと、いらいらしてきますが、この五感と体感を意識化する修行をしていくとセルフコントロールが上手になります。生活設計の中に生き甲斐をどんどんと取り入れていくことが一番重要です。固執障害が一番自分をダメにしていきますので、楽しみと遊びを適当に取り入れ熟睡を大切にしたいものです。:
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年04月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
一概には言えませんが生育史が違いますので下記の理論が読んで下さる皆様に相応しいかどうか分かりません。遺伝、環境、老化、自律神経、免疫、分泌の6つの組み合わせで発症の姿が違ってもきます。さてそれでは、どう考えたらいいのでしょうか?一番重要な事は五感と体感で今、自分のストレスはどの程度で、どんなストレスなのかを分別出来る知識が必要のようです。この分別の方法について思索します。神経症に発展していくのか、精神病に発展していくのか、人格障害か、はたまた少々変でも正常なのか?この分別について思索します。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年04月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分を脅かすもの、脅威を感じるものに対しては人間は身を固くしガードします。この人間の基本原理をなじる人がいたとしますと、その人は人間の本質を知らないと言えるでしょう。独断と偏見だろうが、ガードする生身の人間を愛と許しで暖かく見守る修行をしていくと人は何故か幸福の機会を掴むようです。ひたすらガードばかりしていると幸せは何故か、逃げていくようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年04月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
サムシンググレートの愛を信じると日常のストレス曲線が苦痛でなくなる現象が信仰の力です。ストレスは嫌なものではなく幸福への試練と解釈するのが信仰の力。ですから信じる者は強いわけです。さらに驚く現象があります。自分の死は一時の通過儀礼であって、そのあとは二度と死ぬ必要のない世界で永遠に幸福に生きていける、というのが信仰の世界ですから、この世で、どんな試練があっても平然と明るく爽やかに生き抜けます。この世に生きている時から既に自分は永遠につながっているんだ、と思えたら怖いものなしです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年04月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
DNAの勉強を進めていくと、そこに必ず宇宙創造の話題とともに遺伝子の複雑な設計者は誰か、というテーマが出てきます。神と定義する事が嫌いな人はサムシンググレートと仮称して哲学を進めないと先にいけません。そのサムシンググレートを宇宙の遥か遠い所に住んでいると思わないで人の身体に住んでいる三位一体の聖霊と考える神学者もいます。その聖霊と心の中で自由に語りあう習慣をつけると面白い現象が生まれてきます。つまり神との対話と呼ばれるものです。偉大な哲学者もこの対話をしながらイメージを拡げたりそのイメージを言語化したり、さらには具体的な行動や実験や調査に踏み切りながら成果を出し始めます。この手法を3Vの法則と呼んでいます。ひとつのことをイメージする、言語化する、行動する、この3つです。この法則は心理療法ではしばしば治療に使用し成功します。この手法を毎日使用しているとチャンスに気づき、成功の恵みが増え、イキイキといきている自分に驚きます。重要な知恵です
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年04月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
基本的な信頼感の無い人はいつまでも疑い深い人生、つまりいつも周囲をキョロキョロみながら生活するような人になってしまいます。基本的な信頼感を持てる人には友達が増えてくるし明るい気分になれます。そのようにこれと思う人や神仏を一度信頼してみると思わぬものが見えてきます。比較宗教学を勉強していくと、どんな宗教でも信じると見えてくるものがあるのが分かります。信じると愛が見えてくるのです。神様の愛、仏様の慈悲、色々の表現がありますが、要は人間サイトが信じることで平安感が心を満たす経験をするのです。この信じて感じる平安感の醍醐味が忘れられず、自然な形で信仰の力が芽生えてくると益々安心立命が図れるようになります。これが信じて見えてくるものの美しさです。大きな生きる喜びの一つです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年04月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
暗い日曜日が恐ろしいと嘆いている若者がいます。何だかシャンソンの主題のようですが暗い日曜日は困りもので何か憂鬱な気がかりがあるのでしょう。素敵な恋人とデートをしたいのですが、中々そのような友達が居ないので日曜日が怖いそうです。憂鬱の反対が幸福感なのですがこの心理療法上の関係式を知ると人は元気になります。一番困るのが憂鬱な自分を認めない人。欝もその人の生育史上構築された理想と現実のギャップから生まれますが現実に感じている欝を解消する為には、その理想の実現しかありません。現実吟味力を発揮してその理想を点検したり現実の解釈を変えたりして対処しても、それでも解消されない場合、無理をしてでも身辺に感謝すべき沢山の事柄を探す事が欝の解消に繋がります。もう一つは幸福の条件と幸福感は違いますので、その違いを考えるのです。幸福の条件とは何かといいますとお金、社会的地位、良い仕事等をいいます。幸福感は極端な例ですが臨終の場合でも幸福感を心底感じて死んでいく人がいるくらい、感情の面からの幸福をいいます。何故暗いと感じるのか、何故、明るいと感じるのか、その違いは案外簡単な心の有り様で激変していきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年04月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
私の青春時代は混乱の極みでした。私ばかりでなく青春時代は自律神経とかホルモンの関係でどの文化圏の、いつの時代も大変難しい時期です。大人になり当時の日記を読みかえしその混乱感、錯乱に近い自分を回想するのも嫌で燃やした記憶があるくらいです。しかし臨床心理学者に感謝したいのは、この錯乱感・混乱感と統御感が相関関係にある心の仕組みを発見してくれた事です。混乱感と統御感は表と裏の関係にあるのです。荒海のような青春を乗り越えて自分の人生の使命、役割を意識させた仕事との出会いから私の人生は実に明るく爽やかに統合されていきました。役割感と使命感を人間が持つと生き甲斐を感じます。:
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年04月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
しばしば政治の世界で「三位一体」という言葉が使用されていますが、この思想はローマン・カトリツクで重要な神の概念として使用されている言葉です。宇宙の創造者である父、その子であるイエズス・キリスト、その二つのものの愛からほとばしりでる聖霊、この三位一体を言います。この聖霊はどんな人々にも注がれている愛そのものの息吹ですが、私はこの聖霊を信じていないと生きていけない人間です。飛行機事故の時も、海外での色々の暴動や危険な事件に遭遇した時も、この聖霊の働きを信じて生き抜いてきたので本当に有難い存在です。この聖霊の働きについてはきちんと神学を学んでみて下さい。とても勇気の出る思想です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年04月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
気がかりな事柄をノートに書き出す習慣があると人生が安定します。今の自分は幾つぐらいの気がかりを所持しているのだろうか?この疑問をノートに書き出すのです。それだけでもモヤモヤ感は半減していきます。患者さんの不安を聞き出していくと、そのすぐ裏側に平安感が存在しているのが分かります。例えばあの人は本当に自分を愛しているのだろうか?と悩んでいる時、その不安感をノートに書き出します。不安感は理想と現実のギャップですので、どうありたいのか、現実はどうなのかを書き出すと理想の領域に身勝手な想いが存在しているのに気づいたり、解釈に嫉妬や期待過剰があるのが分かったりすることもあります。この不安感と平安感は人生で一番大事な感情なのできちんと誠実に対応して生きていきましょう。人が幸福になるのも不幸になるのも、先ずはこの不安感と平安感が基準となり人生がスタートしています。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年04月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年04月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
豊かな感情は芸術家に必要ですし人類の宝物でもありますがその扱い方を誤りますと変人・奇人扱いにされ生きていくのが辛くなります。子供の頃は漫画や好きな本で夢の中をさ迷ってもあまり支障がありませんが大人になると豊かな五感ゆえに生きにくくなります。忙しい時、うっとりするような小説、冒険小説を読むと仕事に手がつかなくなるように多忙な仕事の時は精神を集中して事に当たらないと上手く遂行出来ないことを経験で知るにつけ、その折々の豊かな感情を敢えて見ないようにする知恵が身についてくるからです。ウイークデイは仕事人間でも休日の折などは好きな音楽や小説、絵画を楽しみ豊かな感情や想像力を枯渇させないようにしたいものです。人生では次から次へと困難に遭遇しますが、その折の解決へのシュミレーション、答えの探し方はこの平素の豊かな感情が枯渇していなければ答えが見えやすくなります。:
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年04月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
セルフコントロールで厄介なのが「感情」ですが、この感情がなくなると生き抜いていくエネルギーが激減していきます。感情がなくなることはありえませんが入院患者さんの表情は殆ど変化しません。人間の表情はその折々の感情を正直に表しますがこの感情を上手に取り扱うと実にイキイキと楽しく元気に生きて行く事ができます。その取り扱いを思索する前提条件は「感情には意味がある」という学説を大事にする必要があります。この学説はフロイドを源にしたものですがカールロジャースはほぼ真理として取り扱っています。学説をみるまでもなく古来からこの人間の感情には実に深い意味が隠されている事実を意識した小説、音楽、絵画、哲学が沢山存在していますが、自分の日常生活で生起する色々の感情を抑圧することなく、その湧き出した自分の感情の意味を暫く思索していきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年04月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
どんな年齢でも生きていく「希望」は必要でこの希望を或人は何故持てないのでしょうか?その理由は人を信用出来ない生育史が遠因だと言われています。信じる範囲や程度は勉強しないと知性の欠落したような信じ方をしてしまいます。神様を信じるような信じ方で人を信頼すると、だいたい失望していきます。盲信と知性的な信頼力は全く違います。エリクソンはそのような臨床現象を観察しながら原型論を確立し0才から2才のころの体験を重視しています。お腹がすくと気配りのある母親なら適時、お乳を飲ませてくれ、かつ、おしめが汚れれば交換してくれ快適な環境を赤ちゃんに与えていきます。そんな優しいお母さんを赤ちゃんは信頼していきます。このような環境に赤ちゃん時代恵まれていないとしても、この原理に気づくと成長した大人でも希望の力を何かを信じることで確立していく事は可能です。信頼と希望は連結しています。
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