こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

気にしなくて、いいの

2017年04月23日 | 自己実現
どうして、こんなこと言うのかな?
わからないまま応答していました。

年長、同性の一言にどんよりした気分になって。
この感じ、前にもあった、、、
ふいに遠い昔の記憶が呼び覚まされます。

小学一年生の集団登校時、一学年上の女子の一言で、
なんとなく気分が沈んだときと、この感じは同質であるなと。。。

私の自己否定感の原型の一つはここにあるようです。

これまでも無意識に同質の感情体験を
何度となく繰り返してきたのでしょう。
繰り返している内に、どんよりは習い性となり、
自己の一部として安定を見出していたとしたら、、、あなおそろしです。

“あの女子の発言は気にしなくていいの。
彼女は彼女の感想を素直に言っただけだから、
あなたはあなたの個性を生きればいいのよ”と、
自己否定の原型になった現場に舞いもどって、
是非とも小学一年の私に伝えたい。

それと同時に。年長、同性の一言にどんよりした、
今の私に向かっても言います。

“気にしなくていいの。自己否定に落込む必要はないわ”

子供の頃と大人の今と。
自身との関係が良好であればあるほど、
どんより気分は居心地がわるくなるようです。
〔24〕-2
人気ブログランキングへ
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

感情の意味

2017年04月21日 | 自己実現
暗い感情の意味するものは?
今ここで、意識できた暗い感情をずんずん辿っていくならば、
嫌いor怖いに行きつくことでしょう。

同様に、明るい感情の意味するところは?
これも意識した感情をどんどん辿っていけば、
最後は、好きor怖くないに行きつくようです。

なーんだ、それだけのことか。
そう、それだけのことですが、
暗い感情を意識したときに、
防衛機制が複雑に絡まっている場合は、
嫌いとか怖いでは収まりがわるいことがあります。

本当は好きなんだけど、それを認めたくないだけかも。

本当は好きなんだ。これを認めてしまえば、
なんだか気分はすっきり、和らいで。
認めたくない理由云々をあれこれ考える必要もなく、
考えたところで脳はいろいろと記憶違いをしているかもしれず、
大事なのは、今ここに生きている私の感情であり、
本当は好きなんだとわかれば、それで十分です。

ある対象に明るい感情を意識したとしても、
感情を心奥にずんずん辿っていったときに、
好きでは収まりがわるく、本当は嫌いなんだと気付いたとして。
どうして、こんなへんな知覚になっていたのだろう?と、
考えたり自己分析するのは止めにして、
本当は嫌いなんだと気付けば、それで十分です。

好き・嫌いの理由を考えるのはナンセンス。
だって脳は記憶違いをするものらしいし。。。

今ここに生きている私が、好きか嫌いか。怖いか怖くないか。
正直、素直に認識できているか。それが重要なんですね。

感情には意味があるということが、頭の理解だけでなく、
体験的に心身に沁みて理解できてきたときに、私は
感情との関係が格段に好くなったと感じます。
以前に比べて、とても友好的に感情と接していますから。

今ここで、私はどう感じているのか。
好きか嫌いか。怖いか怖くないのか。これが大事なんですね。〔24〕
眠いニャン
人気ブログランキングへ
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

流れに、耳を澄ます

2017年04月08日 | 自己実現
流れにさからわず、流れにゆだねて。。。
この感じが大事ねと思う今日この頃ですが、
さからわずといっても、ただ流されればよいというのではなく。
濁流には、きっちり抵抗しないといけません。

濁流とは心に侵入してくる雑音のことですが、こころは、
しょっちゅうしょっちゅう雑音にさらされているので、
清流を聞き分けて、濁流に気を散らさず進みたいものです。

濁流がワルイということはなく、
真正な流れを聞き取るためには必要、です。

本当に身近な、今ここでの対話で、
なんとなく打つ相槌や習い性になっているような反応が消えて、
その代わりに、穏やかな沈黙が生まれたとしたら、
清流を大事にしたから。そう思う瞬間がありました。

清流とは、魂の声…といってよいかもしれません。

不穏なニュースが流れてくるときにも、
無自覚に濁流に呑まれてしまうのか。
それとも清流に耳を澄ますのか。私は選ぶことができます。

今ここで、どこに私は意識を向けるのか。焦点を合わせるのか。
こころが外界に投影されるものであるとすれば、
私の責任は、思う以上に大きなものがあると感じます。
〔23〕-4
人気ブログランキングへ
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

由無し事、ですが・・・

2017年03月17日 | 自己実現
生育環境の、祖父や父、祖母や母からの感化を、
素直に受け入れ、思想、信条もそのまま引き継いで。

よってアイデンティティの統合は、揺らぎがありません。
防衛機制は生育史で吸収したそのままで、
ファミリーに依拠しない個性的な在り様は開花せず、
ついに埋もれたまま人生が進んでゆくとしたら。

出自を離れた個として、私はどうありたいのか?
個として思考と感情に向き合う機会をもたなかった。
自身と向き合う機会を逸したのは、私が選択しなかったから。

一方で、

出自を片時も離れられない境遇に生まれても、
自分は何のために生きているのか?
何を大切に生きたいのか?
個として誠実に向き合ってきた人生では、
否が応でも思考と感情と行動として答えが現れるもの。

暖かくて、しなやかなこころ。
自分を大切にするように他者を大切にできる。
人々に影響を与える立場であれば、否が応でも、
その行動と発言の端々から和解と平和の波動が伝わってきます。

現実吟味力のあるなし。
現実吟味力の在り様。
どこをみているのか。どこへ向かおうとしているのか。
地球として、国として、個人としても。。。

生育史から飛び出して個として、
何のために生きているのか。
何を大切にしたいのか。
私はこの自問と向き合うまでは、人生が始まらなかった気がします。

成るようになるのだからよいのだけど、、、
連日の報道に接し、登場する人々のあり様を見ながら、
なんとなく思い巡らした、よしなしごとでした。
〔23〕-3
人気ブログランキングへ
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

呼吸の、ふしぎ

2017年03月14日 | 自己実現
ここ3,4年、体調の変化で
ストレス曲線と幸福曲線を行ったり来たりしながら、
自分のからだと向合い、多くの時を費やしつつ
こころと体は一つであることを実感、
自覚を深めてきたように思います。

見える体と見えないこころ。
その密接に直面して、驚きを覚えるのは、
なんといっても呼吸のふしぎに感じ入る時ですが、

吸って、吐いて。。。

呼吸の強弱や長短を意識してみることで、
持ちこたえることができる、痛みが緩和する。
キツイと感じるとき、呼吸を意識することで、
心身が楽になるのを実感することは、
私にとって本当に大きな、ありがたい現実です。

こころの中で呼吸に言葉を乗せるとき、
言葉によって、呼気では違和感があるけれど、
吸気で発言すると心地よい、その逆もあるということ。
そんな違いも発見しました。

自律神経の交感神経と副交感神経との関連を考えれば、
吸う息と吐く息で、体に作用する働きの違いは、
言葉によって体感に違いをもたらすのも当然かもしれません。

すべては呼吸から始まる。
誰のものでもない私の呼吸、見える体と見えないこころ。
今更ながら、あらためて。
呼吸には“私が生きること”の基本がつまっているなと、思います。
〔23〕-2
人気ブログランキングへ
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

こころの環境

2017年03月03日 | 自己実現
どうしても忘れられない出来事。
悔しさと怒りに彩られたようなネガティヴな感情が、
何かの折に、ふと顔を出します。
庭にしゃがみこんで草引きしているときだったり、
台所に立って夕餉の準備をしているときであったり、
前触れなく、ふと感情に襲われることがあります。

もう整理はついているはずなのにね、、、

一方、美しい映画音楽に浸りながら(今気に入っているのは2cellos…)、
試しに折々に顔を出してくる出来事を意識しようとしても、
暗い感情に浸ることは、まず出来ません。
美しい旋律に魅了されている状況では、
忘れられないはずだった出来事は忘却の彼方、
居座って離れなかった感情も消えてしまいます。

どうしても忘れられないなんてこと、ないじゃん、、、
ということは。

重苦しい感情に襲われるとき、打ち消そうとしたり、
理屈で押さえ込もうとするのは下手なやり方で、
その場しのぎで、また同じことが繰り返されるのがおちかもしれません。
美しい音楽に浸る心の環境において、
ネガティヴな感情の生息が難しいのであれば、
理屈で押さえ込むよりも、心の環境を変えることに
意識を注ぐことの方がきっと大事で、
根本的な解消に繋がるような気がします。

重苦しい感情を溶かしてしまうような心の環境づくりは、
自分にしかできない、やりがいのある大仕事と感じます。
過去の出来事や暗い感情に執着しているようにみえる他人が気になったとしても、
自分にしかできないことを、まず私から始めることですね。
〔23〕
人気ブログランキングへ
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

大切な人を思うこと

2017年02月18日 | 自己実現
大切な人。。。
同じ屋根の下にいるかもしれないし、
車を2,30分走らせれば会える距離に住んでいたり、
年に一度も会えなくともときどきメールが行き交ったり、
折々に電話で語り合う、遠く離れた場所の友人や知人、
この世を旅立ってしまった人も、すべて含めて大切な存在。

私の人生において内的成長をもたらしたり、きっかけを与えてくれた人々。

大切な人のことを、あたたかく、やわらかく、微笑をもって思うこと、
積極的に思うことの価値を再発見しているところなのですが、
先ずはあたたかく、やわらかなものを受けとっているところから始めます。
言ってしまえば“愛”を、感じることから始めます。
それは“愛されている”とは少しニュアンスが違いますが、
ただあたたかなものを受けとっているのを感じていると、
その内に、個人を超えた大きな愛に包まれるのを覚えます。
そうなれば、それが全てで、今の私の大切な人を思うことです。

私が大きな愛に包まれるときは、あなたも大きな愛に包まれていると想像して、
私があなたの愛を感じているときは即ち、
あなたに愛が届いていることなのだと信じているのです。

大切な人を思うことは祈りに通ずると、感じています。
〔22〕-2
人気ブログランキングへ
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

がまんがならない!

2017年02月10日 | 自己実現
どうにもがまんがならないっ!
もう少し大人表現するなら、
どうしてもゆずれない!…そんな感情が湧いてくる。

そんな感情を持つことに、
罪悪感のようなものがチラッと頭の中を掠めだしたとき、
ここで罪悪感に陥るのは、いつものパターンを繰り返すことではないか?
そんな自問がおりてきました。

罪悪感に囚われて補償的な行動に出るパターンです。

それでとりあえず、罪悪感は放置して、
がまんならない感情に留まっていると、
全く同じような体験があったっけと、
四半世紀前の感情体験がよみがえりました。
がまんならない感情の強度が同質であること以外、
当時と今の出来事には何の共通も関連もないのですが。

当時、どうしてあのような感情の流れがあったのか?
理由は器が小さかったから。その一言に尽きるのです。
あれがガマンならなかったなんてね、、、今では、
懐かしいような愛おしくさえあるような思い出に変わっています。

今、がまんならない感情の理由も多分同じだなと、思いました。
器を大きくするために起こっている、それが今の状況であり、
感情体験の理由だと解釈すると、すっきりした体感があります。

自分という器を大きくするため。
大きく大きく、最終的には宇宙の果てまで拡がる。。。
生きている内は無理にしても、方向としてはこれだと確信します。

どうにもがまんならない!
やっぱり感情には意味があります。
スケールの大きい意味があるのですね。
〔22〕
人気ブログランキングへ
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

伝わらなかったけれど・・・

2017年02月08日 | 自己実現
伝え方を失敗したときのことを思い出しながら、
相手の発した一言が引っかかって、あんな言葉を発する心境って?
その人の心の世界を推測しようと試みますが、考えれば考えるほど
迷路に入り込み混乱が増すので考えるのは止めにして。

今もって大きな違和感を覚える言葉ですが、
その一言で冷静を失って私は子供じみた応答をした…と、
そこまで思い出したときに、その一言に反応した私の発言は、
地雷を踏んじゃったのと同じだったかもと浮かびました。
そして次の瞬間浮かんできたのが源氏物語の六条の御息所でした。

深い抑圧と完全性をキーワードとして連想されたのでしょう。

自分を上手く伝えることのできなかった相手を御息所に重ねて、
葵祭りときの御息所の心情に思いを馳せると、
付き合いきれない!という怒りの感情が影を潜めて、
なぜか気持ちが和らいでくるのですね。

はじめに御息所の要素の認識があれば、下手な伝え方をして、
不愉快になることも相手を不愉快にさせることもなかったとことでしょう。
でもこれから。御息所に想像を重ねることで、
出来る限りの最善・ほどよい距離でお付き合いできればいいなと、
明るいイメージが湧いてきています。
〔21〕-2
人気ブログランキングへ
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

自分を、伝える

2017年02月03日 | 自己実現
“年甲斐もなく”という言葉は、
この際、私の辞書から消すことにして。
格好悪さ全開でいい、ありのままの自分を伝えよう。

そう思い切って気持ちを伝えながら、不覚にも涙が、、、
ずいぶん子供じみていましたが、
昨日はそれでよかったのです。
結果、相手も私も安堵に包まれたのですから。

一方、別の人に格好悪さ全開、子供じみた態度で接して、
相手も自分も不愉快極まりなかったことも思い出します。

正直に伝えることが友好を深めることになるか、
それとも、その逆を進むことになるのか。
それは相手に対する思考と感情がどの程度自覚できているか。
現実吟味ができているかどうか。そこが分かれ道のようです。

友好感と理解を深める方向に進むのであれば、
年甲斐なく格好わるくても、正直に伝えよう。
そんなことをあらためて思った朝でした。
〔21〕
人気ブログランキングへ
コメント
この記事をはてなブックマークに追加