生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

劣等感に苦しむ友を支援する方法

2007年04月30日 | 第1章:愛の領域
いつも誠実に生きているのに、何故か自信が無く、暗く、元気がない。いつも人々に誠実な人でもあります。劣等感の原因は色々ありますが、深層心理での深く大きな原因は<自己愛不足>にあります。自己愛パースナリテイ障害を今まで勉強してきましたが、逆に自己愛不足の人々も非常に多いのです。自分を愛する事を知らない人。愛の孤独にうなされ、自分の個性の美に気づかない人々。その人々には最初はさりげなく自己愛を思索させ、自分を愛する方法を教えていきましょう。正しい自己愛は人生をいきいきさせていきます。堂々と生きるし、自然体だし、明るくなり、人々を想う余裕も生まれます。その思索への契機が、その人を賛同するのではなく、共感する所から始まります:<NPD8:共感と賛同の違い:60-3>:

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<共感>を楽しむと、どうなる?

2007年04月29日 | 第1章:愛の領域
<この人は馬鹿な事をしているなあ>と内心、思っても、何故、そんな事をしなければならなかったんだろう、と努力と忍耐をしつつ、観察・推察している内に、はた、と気づき、成る程、成る程、と涙を流した事があります。自分の五感と体感が、相手の気持ちを、或程度、共感出来た瞬間です。そのような繰り返しをしている内に、小説より面白い人間の生き様を私は楽しむようになり、私を含め独断と偏見にみちみちて、逞しく生き抜いていく人類を尊敬の念で観るようになりました。実に面白いのです。<生き抜く為の嘘、行動、愛>この作用の裏側に、大自然の摂理があるのです。一人の人間の知識、知恵、行動力の範囲などは、たかが知れています。しかし、共感を楽しみ出すと、小さな人間の中に素晴らしい広い世界、宇宙、神様の愛が見えてきます。:<NPD8:共感と賛同の違い:60-2>:

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共感と賛同の違いを意識しよう!

2007年04月28日 | 第1章:愛の領域
言葉の解釈が運命を変えていきます。特に、65億の人間が地上に存在しているとすると、その個性の美を病理と勘違いしない為にも、きちんと個性とは何かを思索する必要があります。深層心理学では、自分以外は全て驚きの対象と言われています。自分が世界最大の奇人変人だとしても、その人には相手が奇人変人に見えているかもしれません。病的な劣等感を持つ人、自分を信じられない人は、You are ok,I am not ok,となってしまいます。65億の人類は個性が全部違うわけですから、相手の個性に共感する努力が平和構築の秘訣でしょう。共感する、という意味は、相手の個性の美を認める、相手を認める、その代わり、自分も認めて貰う、という極めて大切な営みです。:<NPO8:共感と賛同の違い:60-1>:

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光と陰という心のバランスが素敵!

2007年04月27日 | 第1章:愛の領域
どんな世界でも<自然のバランス>がとれていれば、それを病理とは言わず<個性の美>と言います。人間の心もそれと同じです。自然のバランスがとれていれば、病理と言わず<心の美>と言います、そこには自虐も無ければ異常、という事もありません。犬、猫、虎、キリン等という動物が地球に存在しているように、人間の心の世界にも、それぞれの個性があると言う事です。それを相互に尊重するかどうかの問題です。さて<ストレス曲線>を光り、と呼ぶ人もいれば、陰と呼ぶ人もいます。<幸福曲線>を光り、と呼ぶ人もいれば、陰と呼ぶ人もいます。<自分の心の風景>を<光>と解釈するか<陰>と解釈するか、それは人の心の自由の問題です。明日から5回にわたり第1章の最後の5つを説明する時がきました。今日の学説を賛同すべきか、否定すべきか、その基準を考えてみましょう。:<NPD8:自虐論:59-5>:

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<幸福曲線>を生き甲斐にしよう!

2007年04月26日 | 第1章:愛の領域
患者さんに<幸福曲線>を説明すると、そんな感情は知りません、と断言します。しかし十分に傾聴していくと、素晴らしい<幸福曲線>の体験を山ほど、持っておられます。人間は、何故、このような矛盾があるのでしょうか?その原因は日常生活の中で、その<幸福曲線>を意識し、知覚していないからです。<今日>と言う日が人生で一番重要ですが、もっと重要な事が<幸福曲線>を意識し知覚しないと、宝のもちぐされになります。幸福曲線とは<平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感>の5つを言います。:<NPD8:自虐論:59-4>:

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健全な自虐と不健康な自虐!

2007年04月25日 | 第1章:愛の領域
患者さんのお話を聞いていると自虐ではない事例が非常に多いし、実業界で成功している人の話から驚くべき病的な自虐者が居ます。これはどういう事なのでしょう?言葉は難しいので、健全な自虐と病的な自虐と区分しました。心理療法で言う自虐とは<自分を身体症状が出るくらい迄、追い込んでいく事例>を言います。眠れない、食欲がない、性欲がない、と言う状態にまで<ストレス曲線>に追い込んでいく場合、それを自虐と言います。ですから<ストレス曲線>を五感と体感で敏感に感受出来ないと、いつのまにか、知らず知らずに自分を自虐している羽目になります。ストレス曲線とは<不安から、怒りへ、そして身体症状へ、もっと悪くなると鬱状態へ、最後に錯乱>、こんな気分の流れをストレス曲線と言います。明日また少し深めます:<NPD8:自虐論:59-3>:

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不安感は人生の重要指針!

2007年04月24日 | 第1章:愛の領域
もし自分の人生から不安感を削除したら、その人は羅針盤を喪失した船のようになります。不安感は極めて重要な人生のシグナルである事を殆どの人は知りません。もともと人生そのものが不安定であり、人生の本質は不安なのですが、人は何故か、人生は安定していると錯覚しています。不安の中の<安定>は、恵み。不安感は、その人の理想(こうありたい、あらねばならないと思う領域)と現実のギャップから不安感は生まれます。元気な人は不安感を生きるバネにしていて、その不安感を埋める為に、努力し、達成感を生き甲斐にしていますが、不安定な人はその不安感に日々おののきながら生きています。<自虐>とは日々生きていく喜びを感じないように自分を追い込む事です。何が、自分を追い込むか、次に考えてみましょう。:<NPD8:自虐論:59-2>:

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知らずに自分をいじめるのは何故?

2007年04月23日 | 第1章:愛の領域
自分をいじめる大きな姿が自殺、後は色々あります。自嘲もそうですし、自信喪失もそうです。<自分を虐める>事はあつてはならない事です。自分の生命は天からのさずかりもの。自分を虐める権利はありません。この大切な自分の生命を美しく花開かせる方法について、自虐論という視点から5回に分けて思索していきます。自己愛パースナリテイ障害の一つである自虐が何故起きるか、一概には言えませんが、アイデンテイテイーの統合に病的なゆらめきがあるからです。この意味を分かりやすく解説していきます。ちなみに今日の写真はケシの花です。:<NPD8:自虐論:59-1>:

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自分を中心に世界を観察すべし!

2007年04月22日 | 第1章:愛の領域
さて、今日のテーマをご覧になり、どう思われましたか?カールロジャースという心理学者は彼の<パースナリテイ理論命題1>で<個人はすべて、自分が中心であるところの、絶え間なく変化している経験の世界に存在する>と定義しています。私なりに解釈してみますと、人が死んでしまえば、森羅万象全てが見えなくなる、生きている時は、すべて自分の目、心を通して物事をみているから、キチンと自分を大切にして生きていきましょう。と、まあ、こんな意味です。せっかく、神様から与えられた自分の命を責任をもって最後の最後まで、長生きしていきましょう。自殺したり、自分を追い込んで神経症にしたりする事は自然の摂理に反します。長命に生きる条件は平安感をいつも意識し、自分の平安感をどうしたら確保出来るか、どう世界を見たら、自分が平安に幸せに生きていけるか、そのノウハウを観察して生きていきましょう。:<NPD8:話したがり病:58-5>:

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信じたものが悪かった!

2007年04月21日 | 第1章:愛の領域
ここ一番、という人生の場面で、初めて自分が信じているものが登場します。日常生活で、えへら、えへら、と過ごしている時は、問題ないのですが、馬鹿に寂しい時、迷いの時、不安な時、そんな時に平素深層心理の世界で信じているものの程度がその真価を現します。信じているものが悪いと人生をめちゃ、めちゃにしていきます。信じたものが、良いものの場合は、選択肢をせまられている時に、実に良い方向へと人生を歩ませます。ここで何が良いか悪いかは、本人が選択すべきものですが、その領域の思索をスタートする基点は<自分の魂がどうなるか>と言う哲学的な領域です。長い人生が終わり、いよいよ臨終を迎える時、自分の魂がどうなるか、その信念が、今の日常生活での色々の問題、選択肢を、より幸福に、豊かにする基点である事は間違いありません。:<NPD8:話したがり病:58-4>:

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小説より楽しい人間観察!

2007年04月20日 | 第1章:愛の領域
<人の悪口は言わない、孫の自慢はしない、病気の話はしない>これが私の親友会の鉄則。本当に楽しいです。政治、経済、文化、最近は特に、古代日本史が話題の中心。昨日の太極拳後の話題は古代シュメールの楔形文字に書かれたもろもろの話でした。さて、ここでの人物像の共通項は(1)好奇心旺盛、(2)友情尊重、(3)見栄無し、(4)過去の栄光を語らず、(5)生きている限り世のために働こう、というおじ様ばかりです。この会での人間観察は小説以上の人生が垣間見られます。さらに共通している事は若い頃から人の話を見栄をすててじっくり傾聴し、その中から生き抜く知恵を必死で探し求めていた点が共通でした。:<NPD8:話したがり病:58-3>:

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善人で憎めない、しかしうっとうしい人

2007年04月19日 | 第1章:愛の領域
この人は何と人がいいんだろう、憎めない、と感じつつ、しかし何故か、うっとおしいので、避けて通りたい人がいます。そう感じてしまう自分を駄目だ、人間が出来ていない、と勘違いしてはいけません。確かに相手は、人がよく善人なのですが、深層心理の世界で気の毒な病理を持つ事例が結構沢山あるのです。こちらがうんざりしているのに、何故か相手は、あなたに話してあげないと可哀想、寂しそうと勘違いしているのです。これも共感能力の欠如、他者がどのように感じているのかを心でくみ取る事の出来ない事例の一つです。:<NPD8:話したがり病:58-2>:

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話続ける人の、どこがおかしいか?

2007年04月18日 | 第1章:愛の領域
とにかく、ひたすら話し続ける人が居ます。更に悪い事には、別れ際に、今日は大変、良いお話を聞かせていただき、有難うございます、等と言われると、何とお返事をしていいか、わからなくなります。何故、このように話したがるのでしょうか?色々原因はありますが、今回は<共感能力の欠如><他者がどのように感じているかを心でくみ取る事の出来ない人>の二つをあげます。この2点は自己愛パースナリテイ障害の大きな特色です。この事例の大半は、深層心理に潜む深い<愛の孤独感>が原因です。:<NPD8:話したがり病:58-1>:

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愛のマンネリズムの恐怖

2007年04月17日 | 第1章:愛の領域
毎日刺激的な日々を送れば、人は案外、早死にしてしまうかもしれません。その為にマンネリズムという現象も必要なのでしょう。毎日、毎日、同じリズムで、多忙であっても退屈だ、と言う人もいます。マンネリズムのどこが怖いかと言いますと、自律神経がゆるんでくることで、生き甲斐を無くし、深い感動と喜びが激減するからです。とくに大切な愛の関係にある二人(神仏との愛を含め)は、時々立ち止まり、愛のマンネリズムを検証する必要があります。最低月に一度は真剣に。<光と陰、表と裏、好き、嫌い>と言う現象が人生では、とても大切な現象である事を意識し、知覚する作業が生き甲斐探索の旅では重要です。:<NPD8:愛の差別論:57-5>:

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65億の愛の世界

2007年04月16日 | 第1章:愛の領域
現在の世界人口が65億人とすると、愛の世界は65億通り存在しています。さて愛の世界が65億通りあると言う事は、どんなに仲が良い二人でも、愛し方、愛され方を思索する必要がある、と言う事です。さて、私が相手をどんなに愛しても、相手が迷惑ならば諦める必要があります。諦めどころの目安はどこにおくべきでしょうか?相手から愛されていて、どんどん迫られた場合に、どう対処すべきでしょうか?答えは<自己実現への道>。自分が悔いのない人生を歩んでいくその方向への同志ならば、とことん愛し合う価値がありますが、自己実現への道が違う場合は友達の範囲内に置くべきでしょう。<二人の愛の世界は同じであるべきだ>と勘違いすると悲劇がはじまります。どんなに愛し合つている二人でも、愛し、愛される方法が違う事を意識した方が確実に幸せになれます。時々、立ち止まり愛し愛される内容を二人で再確認しつつ生きていきたいものです。神仏との愛の世界も同じ事で、時々神様との愛を確認すべきでしょう:<NPD8:愛の差別論:57-4>:

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