生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年05月31日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
日本の大学を卒業する前、3年生の頃は今から想うに少々変でした。1年生の頃は専門の法律の他に、人生は何の為にいきるのか、それを学ぶのが大学である、などと盛んに息まいていました。自分の才能がどこにあるのか、試してみたい、という気持ちもあり、司法試験、外交官試験、航空自衛隊のパイロットへの道への試験など、もうあちこちに手を出して生活していたので、下宿屋の友達は呆れていたようです。とうとう神父にもなりたい、と言いだした頃は青春とは申せ混乱の極に達していたようです。今、思うに、自分の能力を模索する事は大事ですが、私のような散漫な方法は問題ありで、本気で好きになれる道、何がやりたいか、を模索すべきであった、と思います。卒業後一年間は、実に人々に迷惑をかけました。一年間、親や先輩、知人、恩人に迷惑をかけながら、現在の心理療法の道と出会うわけですが、この自分の能力が、どこにあるのか、を測定するのは本当に難しいものです。人生の終末にあたり初めて分かる問題かもしれません。好きこそ物の上手なり、この考え方が今、何となく納得出来ます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年05月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
殆どの人が、今、無視している<自分の青春時代に求めた職業>を、もう一度、今、考えてみましょう。面白い事に気付きます。今の職業はなるべくしてなった尊い神様からのプレゼントだ、という事に気付きます。今の自分の職業に対して不満だらけの人が、もしいたとしたら、それはあまりにも傲慢というか、己を知らない愚かな思索だからです。不満だらけの今の職業がもしなければ、どうなつているでしょう?私は23歳の頃、思わぬ事件から大変な迷惑をあちこちにばらまきつつシカゴの大学研究室にたどり着きました。その時感じた事は、もう二度と自分の本音を偽る事だけはやめよう、もし、再び、本音の選択をしないような自分を見つけたら、その時は、と考えた事が今の道を一本に絞り込んだ人生へと導いてくれました。悔いのない人生です。その折々の挫折は神様の愛の試練だと気付いたからです。挫折に遭遇しても自分の好きな道を選べる心の余裕だけは保持したいものです。神様は本人が耐えられない試練は決して与えないそうです。耐えられないと感じた時は相当無理をしているので、逃避するか、新しい道を探すのも知恵かもしれません。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年05月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
若い頃、恩師に口を酸っぱくして言われた事があります。その研究室には世界から色々の人種が集合していましたので、恩師は君たちがそれぞれの母国に戻り、その文化の中で心理療法をするわけだが、他者分析(当時は患者への治療のこと)をする場合でも、自己分析(自分をより健全な方向へ向かわせること)をする場合でも、自分は何の為に生きているのか、生き甲斐は何か、自分は自分の魂、成育史、身体を大事にしているか、この3つを考えながら、それぞれの病的な現象への対処療法に専念しないと、とんでもない大きな過ちをするからね、と親切に何度も警告してくれていました。時代は激変するし、生活環境も激変しますので、対処療法も当然、人により原理原則を大事にしながら、応用術を巧にしつつ、それぞれの人々が元気に明るく生き抜く方法を患者さんと共に模索するのが私たち心理療法家の仕事です。その為の分析なのですが、小さなノイローゼの原因に固執するよりは、まずは生き甲斐とは何かを真剣に求めていただきたいものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年05月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
心理療法の勉強の場合に欧米の大学では必ず基礎神学を勉強します。神の摂理の問題です。人生での願望とその実現を巡る現実は厳しいものがあり、誰ひとり思い通りの職業につけるわけがありません。たとえ実現してもその任に耐えられず酷い挫折感とともに悲劇的人生を歩み出す人は沢山います。そのあたりの人生哲学を専門的にキチンと勉強していない心理療法は役にたちません。カウンセラーと称する人々はそれなりに一生懸命努力されていて敬意を表しますがこの神の摂理と言う領域を無視すると必ず心理療法は成功するとは言えません。願望とその成果について挫折感と結び付ける解釈は非常に危険だ、という事だけを意識しておきましょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年05月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
青春時代、と言いましてもここでは中高時代及び大学時代を含めて思索してみます。50代、60代の心理療法での患者さんの中に思わぬ挫折感を吐露する方がおられます。自分は生涯、駄目な人間でした、と語りだすのですが、遠い原因がこの青春時代に追求した理想の職業に何らかの理由でつけなかった事が原因となり生涯、自分は駄目人間だと考えているのです。信じられない現象ですが、この種の患者さんは沢山います。暫くこ領域の深層心理について分析していきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年05月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
<私は誰?>という自問自答をすることが人生で一番、重要だ、と古来から言われていますが、この自問自答を笑うような相手の相談者の場合は、あまり相談する価値のない相手だと考えたほうが賢明でしょう。それほど、この思索課題は古代ギリシャからこの質問は神聖なものと言われています。答えがみつからない難問ですがこの質問には3つの不思議が隠されています。1:人は何の為に生きているのか。2:生き甲斐は何か。3:自分は自分の魂、心、身体を大事にしているか。この3つです。この3つの自問自答を生涯して楽しんで生きていると、何となく答えが見えてくるそうです。マンネリズムが人を駄目にしていきますが、時々、この自問自答をすると何故か、天の神様がその自問自答を楽しむ人に聖霊を送り、知的な刺激を与えてくれ、生き甲斐を感じる人にしてくれるそうです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年05月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
社会生活のスタートで色々の人生模様が急激にあり、数カ月の間に人生進路が激変し、フライトはファーストクラス、この食事は東京の下宿屋で頂いた事のない豪華絢爛なメニューでした。この世にこんなおいしいものがあるんだなあ、と感動します。某会社の恩人の社長さんが私の門出の為に、特別に配慮してくださったのです。シカゴ大学の研究室に入り、ミシガン湖の夕日を最初に見た時は、挫折感と成功感、希望と失望が複雑に混合していました。今から想うにこれは神様の恩寵のような気がします。数日して恩師に初めてお会いした時、その優しさに感動しました。この複雑な心境を見事に感じ取っていてくださった心理療法の教授は、今から想うと、さすがです。以来、迷うことなくひたすら心理療法の勉強でした。後戻りできない人生の快感と苦悩を経験しますが、退路を断つ、という決意は最高の喜びでした。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年05月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
大学を卒業した年の6月に皇居前広場で安保条約反対闘争事件がありました。これが私の社会生活開始の年でした。流行歌は<誰よりも君を愛す><ダンチョネ節>が街を流れ、風俗は<だっこちゃん人形>が大流行していたようです。私は色々の事情があり日本を離れていました。のんびりした大学生生活から社会生活に移行したわけですがアルバイトもせずにひたすら勉強していたので社会を知らず、その激変は相当のショックを青年の私に与えていたようです。世間を知らない事が案外、恐れをしらない人生を歩みださせたようです。青年が何も知らない事が青年らしい蛮勇を与えていくようです。戦争と戦場を知らなくとも人生は戦争のようでした。知らないがゆえの勇気は貴重なようです。知れば知るほど恐怖が生まれてくるようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年05月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
中学時代は演劇部で楽しい芝居を堪能しましたがセリフの練習などしながら夜遅くまで担当の先生と時を過ごしていました。あるとき、かくれんぼうをしていて大きな箱の中に隠れていると先輩の男女二人がこの箱の上に座り、われわれが居る事も知らずに恋の会話をしだしたのです。私は中学一年生、その先輩は三年生でしたが、会話の意味が良く分からないのですが恋の会話だくらいは判断できました。平素、真面目な二人なので本当の恋の会話とは演出しているロミオとジュリエットとは違い、なかなか迫力があるものだ、と興奮して聴いていました。その後、大学を卒業して数年経過し、その二人は結婚したようですが、早稲田大学の教授になったようです。生涯、演劇の理論を研究しそれなりの成果を上げたようです。あの箱の中で聞いた先輩の会話は今から思うと、とても美しく良い模範を後輩に与えてくれ異性を尊敬する基本を覚えさせてくれたようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年05月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
運動会での短距離優勝、水泳大会でのクロール一位、柔道大会での第一次試合での勝利、人それぞれに成功体験を持っています。中でも一番愉快な思い出は喧嘩です。現在の生き残っている親友は当時の喧嘩相手です。それぞれの人生体験を終えて年金で生活するようになると青春時代の思い出は良くても悪くても宝物となつていますが、喧嘩での勝利は今でも自信をもたらします。戦犯の息子と憎悪の対象となつていた少年時代、逃げ歩いた小学生時代と中学前半、その虐めの相手を高校時代に柔道を習い復讐開始、片っぱしから喧嘩を売り、復讐を遂げていく快感は生涯の思い出です。戦争中、軍事教練の体育の先生が戦後、冬の氷がはるプールに投げ込まれた風景を覚えています。まだこんな風景は社会問題にならない戦後の風景でした。喧嘩に勝利しても心は空しく、だんだんと人生が空しくなり、どうしようもない自分に嫌悪感を感じてローマンカトリツクの教会を訪ねドイツの神父さんから教理の勉強をして洗礼を受けた後、私の人生はどんどん変化していきました。貧しい大学時代でしたが心は晴れ晴れと輝き青春を享受します。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年05月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
ある人はいつも挫折感に苦しみ、ある人は感じない。その理由は万とありますが、ここではどうしたら挫折感をより少なく出来るかを思索してみたいと思います。日常のこまごました挫折感を感じない為にも(1)自分は何の為に生きていくのか(2)自分の生き甲斐は何(3)自分は自分の魂、心(成育史)、身体を大事にしているか、この3つを真剣に、かつ楽しみながら思索していくと、つまらない挫折感は半減します。この3つの人生課題を思索していくと挫折感の意味も変化していきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年05月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
長年、心理療法をしていると人間の心の中には神様が住んでいるなあ、と実感する事が多いのです。医学や臨床心理学では解決しえない領域の問題が患者さんが素直に<祈る>事で瞬間に何かに気付き元気になり退院していく現実に茫然となります。本人が大自然の前に膝まづき一言、ああ、神様、助けて下さい、と叫ぶ、その一瞬に、十年間も入院していた患者さんが急に元気になり退院していきました。何故、突然に回復したのか、その理由は当時、日本でも有名なお医者さんでしたが、首をかしげていました。しかし現実に回復したわけですから不思議な事でした。こんな奇跡的な回復を数回も立て続けに経験すると<人の身体は神の神殿>という本が書きたくなり1988年12月に発売しましたが、この地味な本が今2022年でも発売されています。
東京四谷のサンパウロという書店が発売元ですが、宜しくお願いいたします。皆様に感謝いたします。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年05月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
身近に高校時代、英語が苦手だったのに外交官をしていたり同時通訳をしている人もいます。私もそうでしたが20代から50代まで英語が武器でした。人生は面白いもので、その時々苦手だ、と思っても、必要に迫られると何でもこなしていく能力があるようです。心理療法という仕事を通して人間を観察すると、その時々の感情や想いは大事ではありますが、どんどん変化していくのが人間なので、挫折感も生涯背負う挫折感なんて一つもありません。挫折したという記憶は生涯消せませんが、それに捕らわれるのは馬鹿馬鹿しいので、好きか嫌いか、という貴重な感覚を大事にしつつ、現在、興味があれば楽しんで突き進んでいる内に外交官になったり英語で仕事をしている自分に驚くようです。一番大きな障害は<なになにが苦手だ>と思う事のようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年05月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
健康な挫折感と病的な挫折感があります。挫折感をこれからの人生に活かそうと考えられる人が健康な人、挫折感を生涯背負い負け犬のように思う<as if person>タイプが問題のタイプです。as if person,という専門用語ですが<あたかも、なになにかのように>と思いこむ事を意味しています。現実吟味力があれば、あたかも、なになにかのように、とは思いません。現実を受け入れ事実を認め理想と現実を識別していれば、この病理現象に陥ることはありません。人間だれでもこの傾向があるので厳しい人生を生き抜いていかれます。私も時々この病理に気づきますが、この傾向は神様からのプレゼントでもあるようですので、この傾向が人間には存在しているんだ、と意識化していればよいようです。意識化していれば、そんなに大きな過ちには走りません。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年05月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
他者からみれば挫折ではない、と見えても、本人が挫折だ、と思えばその通りの人生体験です。その人を他者が愛しても、愛だと解釈してもらえなければ、愛ではないようです。ここが心理療法家の腕の見せ所のようです。挫折と愛の関係で悩む患者さんは沢山います。愛する人に裏切られたと人生に挫折感を覚え不幸な自分を嘆きながら生きている人々を見ると、あーあ、残念だなあ、と悔しい想いがします。何が挫折、何が成功、このあたりの微妙な領域を思索していきます。
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