生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

我が人生に絶望:「私は誰?」シリーズ

2013年11月08日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「人生に絶望した」と言う言葉に触れた人は瞬間、わーっと感じて逃げ出したくなると思います。相手が若くても高齢者でも「絶望という感情」を吐露された人は、とても切なくなるものです。しかし、こちらの悩みを聴いていただく時の相手は、この絶望感を克服した人でないと、話しがいがありません。こちら側の悩みを相談して、相手から威圧感を感じたり、劣等感を感じさせられたり、逃げ出したくなるような相手でしたら、勇気を出して早々と引き上げたほうがいいのです。偉そうで、指導者振り、堂々としていて、一段と上の立場で威圧してくるような、そんな相手とは語してはいけないのです。エリクソンという学者は61才から死まで、人はこの絶望感と自我統合性と知恵の3つの領域を思索する必要があると主張しています。さて、この年齢での絶望感は実に深刻で自殺に繋がります。絶望感を感じたら、そこを乗り越えた自分の生育史での成功体験を思い出しつつ、知恵を探り出す必要があるようです。私とは何者か、私は私で良い、私らしく、分相応にこの絶望感を処理してみよう、と気付けば、大成功です。自分という柱をどこかに探し出し正中線を見出さないかぎり、この人生での絶望感は解決出来ません。どんな柱でもいいので、1本、柱を建てたいものです。それでも柱が建てられない私に向かって、かつての研究室の教授はこういいました。とりあえず君は草原の中の草と思うな、草原の中の大木だと思いなさい、と言って下さいました。そして時間をかけて、どんな大木かを決めなさいと。私は色々考えて草原の中の「柳の大木」だと言い聞かせました。風に吹かれて枝がゆらゆらしているが、こんな私でも1本の大木だ、とイメージの中で自分に言い聞かせましたら、何となく絶望感が消えていき、安定感が産まれた青春の頃を思い出しています。私は「草原の中の柳の大木」、恩師は私の「個性の美」を大木と言いたかったようです。しかし、若い私には、その当時、自分の個性の美が意識出来なかったようです。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:92>


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その第1章「愛の領域」から11章(カリタス カウンセラーの基本とは)を見ながら思索すると楽しみながら勉強することが出来ます。

(3)この記事は2005年12月10日から2012年4月6日までの約6年間にわたり私が全力投球して系統的に理論を分かりやすく解説した2275回分の記事です。第1章から11章までを日常の言葉を使用ながら書いたものです。貴重な資料ですので是非大事に読んで下さると有難いです。

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