生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

汚れてしまった!

2008年04月30日 | 第3章:心を健全にする目のつけどころ
心理療法の過程で<汚れてしまった!>と嘆く若い女性や自殺していく男女を診てきました。その度に自分の無能力を悩みました。さて欧米の古い修道院や教会の壁画に7つの汚れを持ったと言われているマグダラのマリアが描かれています。この聖人はダヴィンチコードでも有名になりましたが実に心の美しい奇麗な女性です。人間の肉体が汚れる、と言うことはありません。心と身体は病気にはなりますが、まして人間の魂はどんな人生でも汚れることはありません。汚れたと感じるのはその人の心だけですから<汚れた>と解釈する考え方に問題があります。明日もうすこし詳細に説明していきます。:<不幸を幸せに:133-3>:
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愛のエネルギー

2008年04月29日 | 第3章:心を健全にする目のつけどころ
幼児時代に親を喪失した大人の心理療法を色々体験しました。青春時代の愛、大人に成長した場合の愛、職場での人間関係、友人関係、色々の人間関係において、独特の愛の姿が見られます。幼い頃はたっぷりと親の愛を飲み干す必要が人間にはありますが、それが満たされていない場合、色々問題は出てきます。しかし、普通の人にない素晴らしいエネルギーを発揮します。寂しがり屋だけに愛を求めるエネルギーは人一倍大きいのです。人を愛する力もまた物凄いエネルギーを発揮します。それだけに他の人を幸せにする力を持っていますし、自分も爽やかで美しく温かい愛に生き抜く力を人一倍持っています。:<不幸を幸せに:133-2>:
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不幸な思い出を幸福感に変える方法はあるか?

2008年04月28日 | 第3章:心を健全にする目のつけどころ
過去の或ことを思い出しただけで、嫌な気分になる事柄は、なるべく早く解決しておく必要があります。忙しいので解決せずに放置しておくと<陰の気>がどんどん深層心理に蓄積されていきます。思い通りにいかないと、人はだいたい嫌な印象を持つように出来ています。嫌な親、嫌な先生、嫌な知人、嫌な上司、それぞれ理由があります。心がけが悪いとすべて世の中が嫌に見えてきます。森羅万象の解釈を明るい方向、愛を探す方向、感謝する方向へ解釈する基礎訓練をするうちに、必ず生きる喜びを感じだします。愛と感謝心を深める訓練をすると必ず幸福感を感じだします。:<不幸を幸福へ:133-1>:
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この世の天国

2008年04月27日 | 第3章:心を健全にする目のつけどころ
この世を生き抜いていく過程の中で<幸福感>が一番大切です。この幸福感が日々ないと、人は生き甲斐を感じません。若い頃は仕事でおいまくられるので、それどころではありませんが、ふと気づくと、心許せる相手が居ない寂しさに何とも言えない虚しさを感じます。どんな人生でも日々<不安、怒り、身体症状、鬱>があります。そんな中で人の愛と信頼が最大のオアシスです。この親しい人々との心の交流がこの世の天国です。愛の世界以外にこの世の天国を求めるといつも裏切りしかありません。愛以外に焦点を合わせると何となく目つきまで虚しくなってきます。愛の世界に生きている人は目が輝いています。:<親密性:132-5>:
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初恋の人に会ったばっかりに!惨めだなあ。

2008年04月26日 | 第3章:心を健全にする目のつけどころ
よく聞く話ですが苦労してチャンスを作り初恋の人に晩年会ったばかりに、美しい思い出が消えたばかりでなく、かえって惨めで哀しい気分になってしまった、と言う話です。会うべきか、会うべきでないか、の問題ではなく、結果論として惨めになってしまった場合は、たぶんその人は類似ケースでも、すべて惨めな解釈をしてしまうでしょう。会う前から予想出来たケースです。森羅万象の解釈を全て生きる希望のある解釈をしてこなかったからですし、解釈を明るく元気に爽やかにする訓練が欠落しているからでしょう。人が持つ魂は<老いることなく、病むこともなく、永遠不変なもので、愛そのもの、臨終と共に身体から離脱する知的生命体>であるという定義を思索しながら晩年の初恋の人に会ったら、二人の老人は涙、涙の再会になった事でしょう。:<親密性:132-4>:
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心の自由と親密性の関係

2008年04月25日 | 第3章:心を健全にする目のつけどころ
片思い、失恋の傷、その他の固執障害を日々の生活でどう取り扱うかで、人生の幸福感が左右されます。人間の一番有難い特性は自由な心、何者にも支配されない自由意思を所有している事です。心はのびのびと宇宙を飛び跳ねる特性を持っているのですが、何故か大半の人が何かにとらわれています。健康な逞しい人は開放的で何者にもとらわれずに自由にのびのびと生きています。親密性も大事ですが、親密性に固執するのも病的です。本物の愛の世界は自由でのびやかなもの。:<親密性:132-3>:
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失恋の思い出を楽しく回想出来るか?

2008年04月24日 | 第3章:心を健全にする目のつけどころ
失恋した直後、その恋を回想するのはいささか危険ですが、歳月が流れ回想するのが楽しくなる頃には、その思い出は長生きの素となります。あまりにも多い失恋の思い出は少々考えものですが、程々の回想数は健康のエネルギーでもあります。特に高齢者福祉施設での思い出話は元気の素です。その施設での回想にも、何故、あの時、親密性を恐れたのか反省しきりの方々が多いのです。親密性を恐れる傾向は幸福を妨げます。何が危険なのか、具体的に思索する必要があります。本物の愛は親密性が前提だからです。特に神仏との健全な信仰生活ではこの人間関係での親密性が神様との関係の親密性に正比例で反映しています。:<親密性:132-2>:
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親密な関係は危険か?

2008年04月23日 | 第3章:心を健全にする目のつけどころ
親密な関係は人を幸福にしますが何故かそれを避けたがる人がいます。健全な親密さと不健康な親密さを識別する問題ではなく、健全な親密さを避けたがる人の話です。世界的に有名なプロセススケールと言う7つの視点から人間の健全さを識別する表がありますが、その最後の7つ目の視点がこの<親密性>です。数回に分けて説明していきます。一番怖いのが本当の幸福に近づいた時、何故かその幸福から逃げ出す人のケースです。健全な親密性は危険なものではなく幸福をもたらす重要な要素です。:<親密性:132-1>:
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心の傷って、何?

2008年04月22日 | 第3章:心を健全にする目のつけどころ
心を傷つける人は後を絶ちません。沢山の人々が楽しんでいたチューリップを無残に切り取り、捨て去る人、このニュースに沢山の人々が哀しみました。幼児時代から大人時代になるまで、人は心は傷つけられながら生きてきました。しかし、心の傷が生まれても、神経症、精神病になるまで悩むのは馬鹿馬鹿しい事です。優しい心は必要ですが逞しく生き抜いていかないと、人は心を病む傾向があります。心の傷は解釈を変えると癒されます。解釈を変えると世界が変わります。愛と平和と許しと逞しい世界へ自分を追い込むように解釈して生き抜きたいものです。:<幼児時代の心の傷:131-5>:
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兄弟喧嘩から温かい愛が誕生

2008年04月21日 | 第3章:心を健全にする目のつけどころ
兄弟喧嘩は人間の成長に必要な神様からのプレゼントです。大人になり冠婚葬祭に、しばしば参列する年齢になると子供の頃の大喧嘩が温かく懐かしい思い出話として会話され、晩年の兄弟の絆を深めてくれます。人によっては子供時代の喧嘩が尾を引いていて、大人になった今でも犬猿の仲、と言う話を聞くと、解釈を変えれば世界が変わるのに、残念な事だ、と思います。子供時代の心の傷は必ず<体験の解釈>を明るくし直す必要があります。アルツハイマー、まだらぼけ、記憶喪失等の老化現象が出る前に、この子供時代の心の傷をきちんと治療しておくと心が益々健康になります。:<幼児時代の心の傷:131-4>:
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冷たさを教えてくれた先生たち

2008年04月20日 | 第3章:心を健全にする目のつけどころ
小学生低学年の頃、初めて人の冷たさを理解したようです。その頃は<冷たい>と言う言葉は知りませんでした。何か変だなあ、と慌てた記憶があります。大人になった今、あれを人間の冷たさ、と言うんだ、とわかりますが、あの頃は<何故、先生は自分にお母さんのようにしてくれないのか、変だなあ>と思っていたようです。<先生の気持ちを聞きに行く>知恵はありません。さて、人間の冷たさをこのようにして学習していく子供たち、自分を虐めることなく、自分をひがんだ人間にすることなく成長するのは難しいので、今、思い出す幼い頃の<冷たい思い出>を良い方向(自分を大人にしてくれた刺激材)に解釈していく努力をしたいものです。:<幼児時代の心の傷:131-3>:
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今、幸せを感じると、逃げだす人々

2008年04月19日 | 第3章:心を健全にする目のつけどころ
大人になり幸せを手に入れると何故か、その幸せな日々から逃げ出す人がいます。無意識の問題です。幸せの後にくる恐怖が怖くて逃げだすのですが、意識しないで逃げ出す心の病気です。無意識のうちに、この幸せの後に意味不明の突然の不幸がある、と本能的に感じる為に、今の幸せから逃げ出す病気なのです。案外この種の大人は沢山います。幼児時代、両親から可愛がられていたのに突然の両親の交通事故で、そのあと、あちこちをタライ回しされた幼児の場合に、この種の心の病気が生まれます。親密さは人を幸福にする条件の一つなので本来、親密から逃げてはいけませんん。この問題をしばらく思索します。:<幼児時代の心の傷:131-2>:
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幼児時代の心の傷

2008年04月18日 | 第3章:心を健全にする目のつけどころ
60代、70代まで生き抜いてきても、いまだ解決していない幼児時代の心の傷を解決して、豊かで楽し晩年を迎えたいものです。この傷は晩年の思わぬ瞬間に発露してきて意味不明の鬱などの不幸な心の病気を生みます。この幼児時代の心の傷は既に意識の上にはなく、深層心理の奥深い部分に残っているものなので、処理が難しい領域の問題です。今年の奈良東大寺のお水とりの松明を見て、私も或傷が癒され心が晴れ晴れとしました。幼児時代の心の傷は良い意味でも悪い意味でもとても大切なものなので、楽しくこの分析を進めていきます。:<幼児時代の心の傷:131-1>:
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最大の裏切りとは!

2008年04月17日 | 第3章:心を健全にする目のつけどころ
長い歴史を持つ宗教は沢山がありますが、或る伝統ある宗教は<神様の愛を信じない事>が一番神様を哀しませることだ、と述べています。愛する恋人同士で、小さな諍いがあつた時に、自分の愛を相手が信じてくれなければ、かどんなにか哀しいことでしょう。人は好んで自分から親を選んで生まれてきたわけではありません。いくら自由意思が与えられているからといっても誕生の環境から抜く出す事は殆ど不可能です。厳しい人生、突然の事故と病気、次から次へと難問が襲ってきます。それを切り抜けるとき、その宗教は神様の愛を信じて逞しく安心して生き抜いていきなさい、と激励しているわけです。この世でもあの世でも、いつも愛の中で生きられるように誘導してくれるものが自分が持つ自分の魂からの暗示であることを信じて安心して生き抜きたいものです。:<危機管理:130-5>:
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自分の死と遭遇した時

2008年04月16日 | 第3章:心を健全にする目のつけどころ
仕事の関係もありましたが海外はよく出かけました。それだけに危険は多く、モスクワでの飛行機事故、アルゼンチンでの政治暴動、文化大革命の折の暴徒からの逃避行等で私は九死に一生を得ています。飛行機事故は胴体着陸でした。6名が死亡、しかも私の右側の方は頚椎損傷で即死でした。このような自分の死に遭遇すると人は相当乱れます。私はこの時、見苦しい人々を沢山見てしまいました。あのような見苦しい死に方だけはしたくありません。私も混乱しましたがロザリオをにぎりしめ静かに祈りながら突入していきました。我が命を神様に委ねきったあの安心感は不思議な喜びでした。あの不思議な喜びを私は生涯忘れる事が出来ません!.〈危機管理:130ー4〉:
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