生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自

2019年05月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
心の不安定な人の原因は愛の孤独感が遠因ですが、この問題は人類全般の問題でもありますから、あまり深刻に考えないほうがいいようです。私達の思考、感情の在り方は生育史で作り上げられてきますので、そうやすやすとは<考え方を変える>事は出来ません。解決の方向としては、日常生活の中で、あえて美しいもの、善いもの、心地よいもの、感謝すべきものを、真剣に探し出すほうが安定した愛にたどりつけます。

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2019年05月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
親子、夫婦、恋人、友人、その関係性において、だいぶ、様子が違いますが、結論から言えば愛し合える可能性があります。<愛し合いたい>と願う人も居れば、もううんざり、と言う人もいるでしょう。愛し合いたいと願う人はその心地よい経験があるからですが、経験がないと、そんな願いは生まれません。愛し合う幸福感があれば、あとは人間観で勝負が決まります。人間とは<魂と心と身体>で構成されていて、心と身体は飽きがきますが、魂は永遠の存在で愛そのものである、と言う哲学を信じて、魂を中心に解釈していけば、心と身体を含めて永遠の幸せが保証されます。この意味を解釈するのが正統派比較宗教学で、信じて見えてくるもの、見えなくなるもの、という領域の話です。

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2019年05月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
告白癖のある男女は危険、というお話です。何でも正直に告白する事は良いことではありません。特に誠実に愛し合う中高年の男女の場合はかえって深い人生の味や愛情を汚すもととなります。厳しい人生を生き抜く事は大事業だからです。<愛と許し>を知らない中高年は最初から愛してはいけません。子供のように、虚しい言葉に傷つく中高年は修行が足りません。ただし、身体症状がいつまでも発症するような内容については、愛情深く教養豊かな友達か、心理療法家から処理してもらい、その上で、棺桶まで秘密にすべきか、告白して身体症状を消すか、賢明な判断が要求される領域です。
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2019年05月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
理由は分からないけれど、何故か、胸の辺りがもやもやして不快感がある。親友が的確な言葉で、こんな理由では?と複雑な感情を整理し明確化してくれると、悩みは自然に消滅していった体験を人々は持っています。人の感情は誕生から今日までの生育史で育まれた理想(こうありたい、こうあらねばならないと言う想い)と現実のギャップから生まれてきますが、感情の分析は専門教育を受けないと簡単には出来ません。<感情の明確化>をする事で病状が悪化したり完治したりするので、どこまで取り組むべきかを数回に分けて思索していきます。


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2019年05月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
不気味な人とは<何を考え,感じ、行動しているのか>が見えない人の事を言います。さて、親しい人は、そう沢山居ないのが普通です、居たとすると案外、八方美人めいた人で、いざというときは頼りがいのない人のようです。自分の不安、喜び、考え方をこれと言う人には、意識して自己伝達していると、類は類を呼ぶ、の例えのように、居心地の良い信頼を置きあえる親友が出来てきます。思考、感情、行動を正直に伝達しあうことは、心理療法の基本です。

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2019年05月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
色々の患者さんの中には、どうしても薬を飲まないと治らない事例もありますが、心がけひとつで完治する事例も山ほどあります。政治家、金持ち、家庭の主婦、あらゆる立場の人で、この心がけひとつで治せるひとつに、食べていける事への<感謝心>を再確認する手法が一番有効です。食べていける日々が当たり前、と言う奢りから病気が出ている事に気づいていないようです。数万年前の祖父母たちは食べる為にマンモスを追い回して生き抜いてきました。食べていける日々を心から感謝すると<不満分子>は消えていきます。不安神経症にだけはならないように。

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2019年05月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
小さな動物は恐怖を感じると頭を穴につっこんで哀れな尻尾を外に出したままにしている姿を時々みかけます。男性Aさんは女性Bさんを愛していました。Bさんが男性Cさんに優しい声をかけている情景に嫉妬したAさんは、その嫉妬心を<男らしく>隠して平然としていた為に、Bさん(Aさんを愛していまいた)はAさんをあきらめCさんと結婚してしまいました。BさんはAさんを試したようですが、Aさんはあの時、堂々と自分の嫉妬心をBさんに伝えたらめでたく結婚出来たでしょう。嫉妬心は悪いものではありません、五感と体感に正直に生きないと大切なものをどんどんと失います。幸福はつかみ取るものです。

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2019年05月16日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分が死んだ時、肉体が腐敗するだけなのか、或は自分の魂が天国に昇るのか、そのあたりの恐怖心は深刻です。高齢者施設での元気の良い人々の心理療法はもっぱら魂の領域ですが、子供のころから、日本人はその問題を避けて生きてきた形跡があります。比較宗教学ではきちんと勉強しますが、普通の人は民話、個人的な趣味の範囲でしか追及していません。私の人生での結論は<魂は病むこともなく、老いることもなく、愛そのもので永遠不変なもの、臨終とともに生物体としての肉体から離脱していく知的生命体>と結論しています。比較宗教学では魂の存在は科学者にまかせ、上記の<魂の定義>を信じて、見えてくるもの、見えなくなるもの、という視点から論を進めていきます。


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2019年05月15日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
<幸せは自分でつかみ取るもの>、これは真理です。その本物の幸せは真実の裏付けが条件ですが、人生は複雑で戦争等の歴史に翻弄もされるものなので、愛する人には秘密にして棺桶まで保持する必要もあります。<隠ぺいが愛を破壊する>と確信したら恐怖心を克服して、明日の幸せを掴み取る為にも、砂上の楼閣を築かない為にも<その真実を愛する人に伝達する必要>もあるでしょう、その識別はその人の現実吟味力に関わっています。それだけに日常生活での人間としての厳しい修行が必要ですが自然体で爽やかに明るくこの識別力を養いたいものです。

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2019年05月14日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
<朱に交われば赤くなる>、この諺は上手に人間の心の仕組を表現しています。また逆に友人が人格者であれば、その影響を、どんどん受けて成長もします。まして愛の関連に於いては、愛する人との相互関係での影響が人生をどんどん変化させていきます。さて自然体と言う言葉がありますが、本当の幸福は自然体でないと偽善的になり大きな幸福感は得られません。嫌われないために自分を隠す必要は確かにありますが、自然体で堂々と自己表現をしつつ生きていかないと本当の幸せは手に入りません。

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2019年05月13日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
視覚、聴覚などの五感は見たいもの、聞きたいものを求めます。ほとんど無意識に求める習性があり、これがまた、生き抜く逞しさに通じています。この習性を非難してはならず、尊重したいのですが、この習性を意識し利用していかないと、かえってストレス曲線(不安、怒り、身体症状、鬱、錯乱)を歩んでしまいます。三つ子の魂、百までも、の諺はこんな体験から生まれた言葉でしょう。見たいのも、聞きたいものの内容を平素、修行しつつ<真善美>にかなう内容にしておくと、人は簡単に平安曲線(平安、友好的感情、健康感、幸福感、統御感)を歩き出します。

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2019年05月12日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
日々亡霊、幻聴、幻覚に悩まされる人々は案外、沢山います。心理療法の基本は、これら全ての現象を大脳の生理現象としてとらえます。本当に見た人、思い込み、理由はどうでもいいのです。幽霊がいるか、神がいるか、お化けがいるか、はすべてその道の専門家にゆだねます。とにかく患者さんが言うことを100パーセント信じることが完治につながります。しかし全て大脳の生理現象として治療目標を定めストレス曲線を把握し、幸福曲線に導入していきます。<お化けさん、こんにちは>と余裕をもって挨拶する患者さんが退院していきます。

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2019年05月11日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
相手が自分の権利を侵害してきたり、財産の横領をたくらんだり、嫌なことを迫ってきた時は、人は堂々と戦う必要があります。その前に、色々の怪しげなシグナルが迫つてきますが、誤解を避けるためにも、最初は<言葉>で戦いましょう。目で嫌悪感や邪眼をを表現してしまうと、人との間は最終戦争になりますので、致命傷を相手に与える前に、優しい言葉で嫌悪感を軽くぶつけるのが賢明なようです。

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2019年05月10日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
深層心理学の勉強は微妙なので極端な事例を使用しますのでお許し下さい。さて親の敵と出会い<見つめあったら>時代劇のチャンバラが始まりますし、心から愛し合う二人が見つめ合ったら、それなりの展開となるでしょう。このように見つめ合うことは深層心理いかんで、激しい展開を生む可能性が高いのです。古代エジプトでも司祭による催眠祭儀が横行していました。相手の目を見つめる事は重要ですが、人間の目には注意したいものです。

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2019年05月09日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人間の目は不思議な存在です。相手の目をしっかりと見れば真実を見抜けたのに、見なかったばかりに随分と無駄な人生を送る羽目にもなります。目の表情と顔の表情は違います。それだけ人間の心は複雑なのです。犬も猫もカラスも、必ず人間の目を、あわれなくらいじーっと見つめます。散歩で時々出会うカラスは私のまなざしいかんで、飛び去るか、安心してそこにとどまるかを決めているようです。そうおもう私が正しいか、相手のからずがずうずうしいのかを判断するのも私です。5回にわたり人間の目の神秘を語ります。


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