生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年07月11日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
初対面でA子さんにお会いした時は、あまりの美しさに目を見張ります。しかし数分、会話していくと、棘のある言葉の連発でぎょっとして、また、御顔を見直しますが、この時は美しい魔女に見えています。A子さんは実にはつらつと仕事をこなしその職場では既に5年、経過していますが、周囲はどんどん落ち込んでいきます。雑誌の記者ですが、その文章は過激ですが、読者は楽しんで読み、その雑誌の花形記事です。職場の上司と数名の人だけはA子さんの、その性格を個性の美、と解釈していますが、大半の人々は人格障害、変人扱いにしています。心理療法ではこのA子さんをどう分析しているのでしょうか?明日、書いてみます。
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2020年07月10日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
どの時代でも人は苦しみながら生きています。苦しみ、と言う言葉を専門用語に変えると<ストレス曲線>という言葉になります。ストレス曲線とは5つの重要感情をさします。最初に発生する第一感情が不安感、その不安感を処理せず放置しておくと怒りの感情となり、そのうち身体症状が発症し、鬱となり、錯乱していきます。このストレスのありようは、それぞれの家系、環境、日々の状態の組み合わせで発病していきます。どんな環境でも考え方の整合性に病的な揺らめきがなければ発病しません。ですから整合性とは何かを勉強すると健康になつていきます。アイデンテイテイーの統合が正常ならば心は安定します。これから数回にわけて、この考え方の整合性について、分かりやすく説明していきます。狂う原因を明らかに意識した上で、どんな環境、病気になつても、それでも<幸福感>を感じる方法がありますので、その方法も同時に思索を進めます.
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2020年07月09日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
心理療法の学会のワインパーテイの話題で恐縮ですが、人類が安心して眠られるようになったのは1万数千年前、犬が人間に飼われるようになったからだろう、という話です。世界中で売れた話題の数冊の本にも類似談話が掲載されていましたが、敵から熟睡中に襲われ命を失う恐怖は相当のものです。犬の一番の特色は知らない人や怪しげなものが近付くと吠える習性ですが、この警戒音のお陰で人類は安心感を知りました。自分のねぐらで安心して寝ていられる、この貴重なひと時を大事にしたいものです。ねぐらを明日のエネルギーの源泉と意識出来た人と、意識出来ない人との身体医学上の違いは歴然としています。
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2020年07月08日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
大学生のころ恋人もなく下宿屋で日々学問に専念していました。愛読書の一つにシェークスピアのロミオとジュリエットがありました。芝居、映画では名場面になっているひとこま、ロミオが早とちりして先に死んでいる姿をジュリエットが先祖代代の墓場で見ます。ロミオの毒盃には一滴も残っていないのを哀しみながら、毒が唇にまだ残っているのを期待しつつ恋の最後のくちづけをしますが、死に切れません。しかし、ロミオの手に残っていた短剣に気付き歓喜してその剣を取り自殺していくジュリエットの愛に感動したことがあります。その頃の私の青春時代の心の安定剤の一つは、この場面を想うことでした。美しいと思う場面を回想するだけで十分人間の心の安定剤になりえた経験はその後の心理療法に大きな影響を与えています。
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2020年07月07日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
一日が終わり我が家に帰りつきます。家がほーつとするねぐらの人は幸せですが、苦労の一日が終わり、家についても居心地の悪い人は沢山います。その場合でも解釈次第では大きな安心のねぐらを持つことができます。家は地獄だ、と思う人は解釈に工夫が必要です。まして就寝する瞬間は死ぬ瞬間と同様で、人生で一番大切な瞬間の一つと言われています。熟睡する為の知恵を真剣に考えない人は早死にするそうです。ホツとする心のねぐらを信仰に求める人、自分を愛してくれている人を感謝と共に思い出し寝る人、深く大きな愛はなくても自分を大切にしてくれている人を一人でもいれば、その人を思い出し感謝すること。寝ぎわを良くすることが、死にぎわを良くする訓練だとも言われています.
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2020年07月06日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
現代人は五感と体感を忘れかけ、色々の病気を起こしています。太古、森や砂漠を生き抜いて蓄積した<優れたインスピレーション>を失いつつあります。理性優先、知性優先にした為に、恐ろしい現代病を併発しています。特に人の心の病は、その人の成育史上での意識、無意識に育てられた<理想と現実のギャップ>から生まれます。直観を必要とする危機管理の欠落も、現実吟味力の不足からうまれます。人間の直観力の病理がその人の危機管理を大きく左右しています。その欠落を補う貴重な場所が寝床なのですが、寝床でも、またそこで思索しようとする人がいます。寝床に入ったら、のんびりと五感と体感のレベルで爆睡すべき場所なのです。自然に身体を横たえると心地よい五感が湧き出します。数分でもその快感を大切にして感謝と満足で寝る世界が自分の寝床の世界です。寝床を上手に利用すると健康的な知恵がどんどん湧いてでます。
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2020年07月05日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
一日が終わり、ほっとしていつもの自分の寝床に入ります。心理療法での会話で一番重要な質問の一つがこの寝床に入った時の気分を確かめることですが、夜、寝た時<今日は良く生きたなあ>と言う体感です。この良く生きたなあ、という想いはアイデンテイテイーの統合が無いと生まれない感覚だからです。あれも、これもと支離滅裂な生き方をしていると、この感覚は寝床では生まれてきません。寝床は明日を生き抜くエネルギー創造の場所なので、いつも清潔で美しく保持し天国のようにしておくと人生のエネルギーを湧き出させる温泉となります。これから数回にわたり寝床の世界について心理療法の立場から語ります。
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2020年07月04日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人相、身体、いろいろの家系がありますが、それもこれも祖先様からの遺伝の結果です。しかし不思議なのは心の世界で或条件がそろうと、何故か周囲かから見ると、美しく輝いて見えるのです。その理由を研究していくと人間の表情の美は心の統合性にあるようです。統合がなく、乱れていれば、それなりのお顔になりますが、好きなことを探し出し、それに命をかけだすと人は段々と美しくなります。何故でしょう?黄金律という数式があるように、心の世界にも黄金律があるのです。心が平安で、友好的な感情を持ち、持病があっても解釈いかんで健康感を持てますから解釈後の健康感で心を満たし保持し、日々の幸福感を意識し、しかもひとつの目標に向かい楽しく生きていくと、人は全て美しく見えてきます.
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2020年07月03日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
我が友A君は、一見すると、だらだらした感じで真剣勝負をしかけたり努力している感じもなく、のんきに生きているように見えます。しかし感心するのは、決して不満を言わず、堂々と生きているのです。のびのびしています。お金があろうと無かろうと鼻歌を歌いながら生きている感じなのです。人前ではこんな感じをいつも周囲に与えながら生きています。色々観察するとひとつの考え方、腹をくくった考え方(統御感)を持っていました。それは人生はケ・セラ・セラという歌のようなものでした。照れ屋で自分の意見を何故か言わないのですが、いつも明るく元気な知人です。小学校の先生ですが、生涯、ひらの先生で定年を迎えました。あのようにわが身を天にゆだねて定年を迎えたA君は今、自給自足の生活をしています。これも統御感のある人生です.
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2020年07月02日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
信頼の出来るカトリツクの修道女から聞いた話ですが、某神父さんが臨終間際に、しばらく会っていない友達が電話をしてきた際、電話機をとり、今、自分は臨終間際なので、と話し会話して数時間後に亡くなられたそうです。本当の話だそうですが大往生とはこのことだなあ、と思いました。また私が直接体験した大学病院では、臨終間際に、さあ行くぞー、と天国への壮大な旅を本気で楽しみにして息を引き取った実業家がいました。このお二人に共通したところは、いずれも死後の世界を信じ、さあ、いくぞーと明るく元気に死んでいった姿です。人生様々です。
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2020年07月01日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
不安定な子供を観察していると、両親の思想、考え方に整合性がなく、何となく混乱気味の両親の影が散見しています。これは親が悪い、という問題ではありません。親も必死に、よかれ、と思って、かつ、深い愛情をこめて子供を育てています。昔は米屋さんらしい子供、下駄屋さんらしい子供、学校の先生の子供、医者の子供等、それぞれの家庭なりのプライドがあり、職人の子、政治家の子、医者の子、つまり良い、悪いの問題でなく、個性が明確でプライドもありました。しかし何故か今は、個性がありません。そこにアイデンテイテイの混乱からくる不安定な子供たちが育っています。AはA、BはB、で生き抜いていくと、美しく個性が輝きだしますし心の病も半減します。個性の美なのか、心の病なのかを識別出来る見識を持ちましょう。
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2020年06月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
日本の国立大学病院は現在でも常に論文を発表している新進気鋭の学者が尊敬されています。昔は今より更にその雰囲気は強く、心理療法でも診断基準は常に会議で激論を戦わせます。さて簡単な心の健全度の測定方法として私は経験から下記のものを推奨してきました。それは朝、目が覚めた時、さあーやるぞー、という意識です。この集中したひとつの意識が大切で<あれもこれもも>もないより良いのですが、さあ、やるぞー、という一つの集中目標があるか、ないかは、とても深い理由があるのです。この領域の問題を数回にわけて思索していきます。幸福曲線と言われているものは5つの感情(平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感の5つ)で構成されていて、その5つの幸福感を測定する上での最後の重要指標が今回の統御感です。
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2020年06月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
朝のトースト、コーヒーの香りから幸せをしみじみ感じます。昔<神の香り>と言う詩を読んだことがあります。大家族で色々の事件が起きますが、それでも助け合い、愛し合って生き抜いていくイギリス貴族の話でした。イギリスとフランスの宗教戦争の時代でしたが、家族愛に結ばれているいにもかかわらず立場の違いから敵、味方に別れて戦う悲劇も描いています。人類に対する神の摂理とは、何だろう、と考えさせられた詩でした。愛の香り、幸福の香り、五感と体感を幸せにする香りの世界の神秘、バラの香りが生む不思議な愛の世界を描いた詩でした。理性から生まれる幸福感は大切ですが、香りから生まれてくる幸福感を大切にしないと、人は本当の幸福感は得られません。
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2020年06月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人間とは何か、と言う問いかけに対して、古代からの知恵者は色々と考えた上、しかるべく答えています。科学が進んだ現代では、魂という言葉を無視する人がいますが、無視する人の知識と学識は大変低いものです。勉強すればするほど、人は科学では答えられない魂を無言ですが心から尊重するようになります。さてその人間とは、ですが、人間は<魂と心と身体>から構成されています。魂の領域は宗教学が、心の世界は優れた心理学が、身体は現代医学が担当しています。病院を訪問する患者さんを私は3つに分類していました。魂の領域で苦しむ人、心理学の領域で苦しむ人、身体の領域で苦しむ人の3種類です。このように分類すると、問題が明確になり、きちんと対応できます。病院ばかりでなく、暮らしの中のカウンセラーである私達も、この3つの分野をきちんと識別しながら、対応していきます。さて結論ですが、魂の領域(愛の世界、信仰の世界、死後の世界)を無視すると殆どの人は、心を病んでいきます。比較宗教学を勉強すると人類のこのあたりの苦悩が見えてきますし、解決する方向も見えてきます。
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2020年06月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
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