生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人の社会は色々の成り立ちがありますが、その中の一つ「私とあなた」の関係性の中で自分を上手に伝えられない照れ屋さんが居ます。時間をかければ互いに理解は出来ますが、何となく忙しく、ばたばたした感じの現代生活では忍耐して待つ、しかも変な無口な相手を理解する為の時間をとつてくださる人はあまりいません。ですから口下手な青年は「発達障害」などと陰口をたかかれつつ生きていかねばなりません。わたしなどは多分、高校生徒時代は今でいう「発達障害的な青年」だったと思います。自己の伝達が実に下手でした。自分を伝える必要が人間社会では要求されますが、どの程度の「自己の伝達」が必要なのかは、その人の所属社会で違います。永田町の政治家秘書のなりたての青年と学校の新人教師、養護施設での新人、その他の文化地帯では自己の伝達方法は、それなりの経験を経て身につけていく以外、方法はありませんが、人生での答えを早く無駄なく得る為に「自己の伝達」の重要性を意識化しておきたいものです。必要性を意識化すると、その人なりの方法が案外、早く気付いていくものです。意識しないと答えは見えてきません。意識化すると答えが見えてくるようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「建前」だけで生きていると自然に自分が分からなくなります。「べき論者」は退屈で面白くありませんし、良書の本のほうが遥かに役立ちます。矛盾だらけだけれども他者肯定のタイプの人間は世の中を明るくし勇気を周囲に与えますが「べき論者」の他者否定のタイプは人々を暗くしていくようです。東日本災害地に行くと「べき論者」は居場所があまりないようです。現実の苦労を、どう処理していくか、人間の一番大事な姿を垣間見せてくれます。ソ連が解体し東シべりアの某地に行った時、少数民族の哀しい姿に触れました。東アジアの某地での地雷地区の悲劇でもアイルランドの闘争やアルゼンチンやチリでの政治による悲劇の現実にも私は何度、この世界に絶望したことでしょう。そんな中で、本音と建前の建前に生きたばかりに刑務所に入る人も見ましたが明るい悔いのない人生に誇りを感じて高い壁の中に入っていく人々も見ました。大げさなようですが、日々の生活での「心の不一致」が健康な内はいいのですが自分を病的に追い込む「本音と建前」の区別だけは経験的に意識化しておきましょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
日々の激しい感情に出会った時、平然と冷静に対応出来る感情と、慌てる感情があります。湧きだす感情はどれもこれも真実であって、かつ、現実問題です。湧きだす感情を見て、自分には信じられない酷く汚いものの場合、見ないふりをするのが普通の人間です。朝から夜まで嫌な感情に振り回されて、その嫌な感情の大河の流れに支配されるのが普通の人間の毎日です。しかし赤ちゃん時代も終わり、幼稚園、小学生時代になると自分の思い通りにならない世間を知ってきて段々人間が練れてきます。大人になっても感情の大河に振り回されている大人を見ると、世間は遠慮して口には出しませんが、あれは大人になりきれていない愚かな人間だ、と内心そう思っています。しかし、勉強していく内に、その感情の大河を現実問題として平然と一旦、自分を受け入れ、その上で周囲の常識と比較しつつ感情を処理しだします。身体症状を出すことなく感情の大河を上手に処理するノウハウを人はその文化に合わせて生きていけるようになります。感情に流されっつぱなしですと、答えが見えにくくなるようです。ポンと湧きだす感情と朝から夜寝るまでの感情の大河を二つに分けて処理していけるようになると、自分に必要な答えが見えてくるそうです。暗い感情の傾向な人、楽天的で明るく生きようとする人、様々ですが、暗いと不平を言う習慣よりは、明るく生きようとする人の方が答えが見えてくるようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
生育史の関係で理性優先、感情蔑視で育った人に多い事例ですが、自分が愛しているのか憎んでいるのかすら分からない人々が沢山います。明治生まれの職業軍人であった私の父親の話を色々と思いだすのですが、軍人の中にも怖いと素直に自分の恐怖心を感じられる作戦家は成功しているようですが怖いのに怖くないと思う人は部下を沢山殺していたようです。湧きだす感情を倫理道徳で否定してしまう人にも、この軍人のような事例を垣間見ます。どんな感情が湧き出しても、言葉に出す必要がないので、一旦、軽やかに受け止め、その意味を思索する習慣をつけると人生が楽しくなるし、知恵が湧きだすそうです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人間関係も豊か(軽やかに明るく振る舞うので)、お金も十分、それでも私と二人きりになると人生に文句だらけの友人がいますが、その友達は何故か「感謝」をしりません。学生の頃から明るく振る舞いますが、何か、どーんとした正中線にかけています。本音は出さず、二人になると私に心を拓いてくれるのは嬉しいのですが、心から有難う、と言わない人です。どんなに幸福な条件を所持していても、感情で心底、有難う、と感謝出来ない人のことを「幸福病」と呼んでいますが、自己愛パースナリテイ障害患者でもなく、単なる考え方が生育史上、形成されていないのでしょう。何でも有難屋、でも困りますが、我がままに生きてこれた彼の生育史上の事はやはり「三つ子の魂百までも」ではありませんが、案外、難しいものです。せめて息を引き取る時には周囲の人々に有難う、といって死んで欲しい友人です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
理論ばかりで恐縮ですが理論を知らないで悔いを残すより、あるいは、同じ失敗でも大きな致命的な失敗は避けられますから、やはり理論は大事です。80億の人類には赤ちゃんから高齢者まで、あるいは地球各地の文化でも、その一人一人の自分の不安感を、どう処理するかの答えはアフリカの少年兵からニューヨークの富豪まで、その答えのありようは違います。しかし理論は同じです。例えばストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱)が蓄積していると、その人の心は自由ではありません。心が自由でないと知恵の泉(答え)はまず浮かばないでしょうし、浮かんできても、その答えは数日か数週間か数カ月で、変だなあと気付くでしょう。心が抑圧状態、感情の転移、合理化、反動形成などのねじれた状態の時は、どうも知恵が湧いてこないようです。湧きだす感情を抑圧しないで放出させつつ、心の自由を獲得するには、この原理(14の防衛機制を解放させる自分流の知恵)を修行する必要があります。ストレス曲線を抑圧しないで心を自由に出来るノウハウを身につけると蓋が取れて綺麗な泉が湧きだします。私は太極拳と信仰の力(愛である神様を信じています)が私のストレスを解放させる最大の手法です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
厳しい人生をどう生き抜いたらいいのだろう、その答えは自分の中にある、と言われています。さてさて、この「答え」の意味はどう解釈したらいいのでしょう?今、抱えているストレスをどう処理したらいいのか、その答えも自分の中にありますし、この感謝をどう表現したらいいのか、自分は今、まともなのか変なのか、この経済危機をどう乗り越えたらいいのか、いつも我慢している上司と、どうつきあったらいいのか、さて生き甲斐の心理学は、どうこたえていくのでしょう?この問題について思索していきます。他人からの示唆も大きいですが、これがあなたの答えです、と他人からは言われたくありません。最終的に自分でこれが答えだ、と断言しないと人生に悔いをのこします。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
或所で「必然と偶然」の話がでました。なるほどなあと感動しましたが色々の事例を思い出しています。中小企業の倒産により経営者が自殺、その家族を治療している時とか、大津波で流された遺族へ、この哀しい現実を「必然」とは言えません。言う人がいるとすると、その人は冷酷な人間と呼ばれるでしょう。哲学。神学、信仰の世界での言葉と解釈、そして現実の心理療法の世界での言葉と解釈は違いますが、世間はそんな事は区別しません。「必然と偶然」が人類誕生以来の「難問」なので、これからも思索の対象にしたいけれども、この言葉の使い方には十分注意が必要なようです。さて、どんな解釈を皆さまはなさいますか?うかつに相応しくない現場で使用し、人々から生涯、恨まれないように注意する必要もあります。出来れば心と生活に余裕がある時に、身辺の出来ごとには偶然は無く、全て必然だ、と解釈出来る日が来れば、その人はこの厳しい現実を悠然と生き抜く事が出来そうです。信仰の世界は理論の世界を乗り越えさせますが、これもあれも冷静な知性の後の物語かもしれません。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
クラスで一番とかいう体験は誰でも所持していますが私の場合は何といいましても高校時代の成績です。その惨めな劣等感は人生を支配していますがあのにがにがしい思い出が嫌で相当勉強しました。ですから何が大きなエネルギーになるかは人により相当違います。嫌な思い出はほどほどに活用し、むしろ玉虫色で取り扱わないと人を駄目にしてしまうようです。病的な劣等感は人格を破壊していきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
某所での勉強会でのお話ですが、長年、自宅を私の勉強会に開放してくださり、継続してくださったkさんと参加者の皆さまに心から感謝いたします。その勉強会では非常に感動するお話がされていました。大きな病気や家庭での厳しい環境を見事に乗り越えていく人間の逞しさと美しさを私は感じたのですが当のご本人は淡々とお話をなさっていました。どんな厳しい現実があっても人間はその気になれば実に見事に逞しく乗り越えていけるものだなあ、と感動した次第です。この逞しい生命力は何処から生まれてくるのか不思議でしたが希望を失わない人間は、こうして自分で答えを悟り明るく元気に生きていく力がある事を確信した次第です。その人の努力もさることながら、人間は何と凄い力をもっているのだろうと驚きました。諦めたら最後です。どんな場合でも希望を失わないで生き抜く方法はないものでしょうか?多分、宗教、信仰心、希望する心があれば、悔いのない人生が送れそうです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
欧米で生活していて、もし憧れの女性に「あなたはゼウスのような方ですわ」と言われたら普通の健康な男性は天にも登るような気持ちになる自分を素直にうけいれるほうが良いでしょう。ここで変に見栄をはったり恥じたら人生を暗くしますし、幸福への道を自ら閉ざしてしまいます。このようにギリシャ神話の日常生活での会話で、「あなたは、ヘラ、ポセイドン、アポロン、エロス、ヘルメス、アテナ、ニケ、デメテル」と言われたら、どんな意味かを理解していないと、日々の生活が楽しくありません。このくらいの神様を知らないと人生が拓けません。もし、この神様をご存じない場合は、是非、どんな神様か、調べてみて下さい。このギリシャ神話をお楽しみいただけると思わぬ知恵がさずかります。

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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月16日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人間の精神的な臨床場面(日常生活での色々の人の精神現象)から現代の心理学が誕生してくるのですが、大河ドラマに登場する歴史上の人物の運命とギリシャ神話に出てくる色々の神様の運命が似ている事に気づきます。ギリシャ神話に登場する愛の神、嫉妬の神、裏切りの神、海や月や星、薔薇の精等が登場してきます。そしてそれぞれの神様の末路、栄華盛衰が物語として展開します。嫉妬深い神様はそれなりの往生を遂げていきますがその成り行きは大河ドラマで見る歴史上の人物の成り行きと重なる部分もあります。私自身の生育史での成り行きも、人を恨んでいた或時代はいくら自分で正義感を唱えていても暗く陰惨な感情生活をしていますし、理屈を超えた大きな受容的な人間関係を保ち愛を大事にしている時は平安感が日々を支えています。一度、ギリシャ神話を中高生向きの気楽な内容の本を選定して読んでみて下さい。ギリシャ神話は説教調ではなく楽しい物語風に書かれた本で愛読していくと人間の幸福を得る為にはどうしたらいいかを古代人の知恵として示唆してくれています。変な哲学書よりもギリシャ神話を読んだほうが遥かに大きな知恵に恵まれるのは何故でしょう?数千年の試練を経て生き残ったギリシャ神話は現代人に大きな示唆を与えてくれます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月15日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
由良弥生さんという方が書いた「新島八重と幕末:副題 会津に咲いた八重の桜」を読んでいますが、なかなか面白く、かつ、胸の裂けるような切ない歴史を感じます。会津若松城(鶴ヶ城)の悲劇や白虎隊の話は途中で読書を止めたくなりますが、それでも読み進む内に八重の兄が明治政府にとりたてられていく経過も知り、大変驚いています。「生き甲斐の心理学」はやはり生き延びていく人々に焦点を当てながら、それでも厳しい現実を明るく元気に生き抜いていく知恵を大事にしたい、としみじみ思いました。殉教や殉ずる思想も大事にしたいとは思いますが、明るく元気に爽やかに生き抜く知恵を探りたいと思いました。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月14日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
宗教心理学に限らず人間が生きていく上で知っておくと生きやすくなる哲学があります。生身の人間の世界には赤ちゃんから高齢者まで意識しようがしまいが、信じて見えてくる世界があること、信じた為に見えなくなる世界がある、という心の世界があることを意識しておくと、とても便利なのです。難しい書物を読む前に、自分は何かを信じた為に見えてきたもの、知ったこと、分かった事、理解したことがあるかどうか、一度、ゆっくりと楽しみながら思索しておくと、はた、と大発見したような気付きが生まれます。この基本訓練をしておかないと、どんな本を読んでも気づきません。例えば親や親友、恋人の愛を信じると、嫌な言葉の裏側に深い愛に気付きます。親の愛を信じないと、親の言葉は不愉快で嫌味なものです。人を疑いだしたらきりなく不安感だらけの日々となります。宇宙の基本原理、光りの速度、音の速度を信じますと、その到着日時が見えてきます。この世の中に「信じてみえてくるもの」がある、と信じただけで愛である神様が見えてくると厳しい現実・試練の後ろに意味がある事が見えるかもしれません。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月13日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
大河ドラマを見ながら東日本大震災をいつも考えています。自分だけが何故、生き残ったのかという自問自答を拝聴すると、本当に切なくなります。災害地の方に限らず、甘える時は大いに甘えるのが必要なのですが、この心理療法は非常に難しく、病的な甘えと健全な甘えの違いを学習するには相当の時間が必要です。更には日本人の精神構造の中に「甘えの構造」と「汚れと禊」の思想がありますが、この二つが病的に結びつくと自死を選んだりします。それは間違いです。自分一人が何故、生きたのか、そこに罪悪感を感じる事例はこの汚れと禊の思想が悪い方向に展開した場合です。一人生き残った人は死んでいった人の分まで幸福になる役割を感じて欲しいものです。戊辰戦争で生き残った逞しい会津の人々の生き方を是非、再考して欲しいものです。
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