生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年05月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
あちこち日本国内を旅しますと古い神社に必ずそこに祭られている神々の名前が厳かに書かれています。その文章の中に「高天原」という言葉が出てきますと、人によっては、フン、と侮蔑的に解読する人がいるようですが、この高天原、という意味はイギリスでは「日本における権力の中枢を高天原」という、と教えられました。古代史でいう「高天原」を権力の中枢機関ととらえると案外楽しく勉強出来るのです。権力の中枢から、その地へ派遣された人、と解釈すると面白いのです。各地に現存している古い神社の社伝は正確な歴史学を気にする人々にとって笑いの対象となったりしていますが、ギリシャ神話にしてもエジプトの神話にしても、その深い意味、特に精神性を理解しないと目を疲労させるだけの書物となります。これから高天原という言葉、概念に触れた時、是非、権力の中枢を意味していると解釈するとアマテラスを持統天皇とした話も益々楽しく解釈出来るようになります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年05月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
1995年、ロンドンでのイギリスの大学関連学会での話ですが「もしエリアーデの世界宗教辞典という本が出なかったら、この学問の世界で思索しようとする学徒は相当、混乱していったろうなあ」と学会後の親睦ワインパーティーでの話です。それほどエリアーデは世界の人々に愛され尊敬されています。例えば彼が書いた日本の「神道」の頁を見た読者は非常に驚きます。その造詣の深さ、説明の正確さ、整理された文章は驚きです。古事記、日本書紀の説明はとても簡潔で美しいのです。私の心と人生を豊かにして下さったエリアーデを想いつつ、今から日本文化に潜在する世界共通の魂論からの話を京都の旅や奈良の旅を念頭にしつつ気楽に書いていきたいと思います。

追記:比較宗教学がイギリスで発達した理由の一つは大英帝国イギリスの政治性とキリスト教を視点の中心に置いて、世界各地の宗教を冷静に学問的に把握しようとした努力が背景にあります。つまり三位一体の愛そのものである全知全能の神の概念を比較の正中線においてありますので、その視点を忘れないようにして下さい。どれが正しい、という批判はありません。しかし、その正中線はあります。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年05月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
3Vの法則という面白い原理があります。visualize, verbalize, vitalizeのvを言います。ヴィジョンを描く、言葉にしてみる、行動する、の意味ですが、長い人生の間に棚から牡丹餅、という珍しい幸運もありますが、それとても、平素、心の底で、そうありたいという願いを祈りのように唱えているから実現するのです。私は海外で色々の事故や事件に巻き込まれて人生を生き抜いてきましたが、心の底で人生最後の海外旅行は、こんな人々と楽しい旅をしたいなあ、と思っていましたが、そんな虫の良い旅はまずは無いだろうなあ、とも考えて生きてきました。どんな条件かと言いますと、同じ信仰を持った人、家族、魂を刺激しうっとりさせるフランスかイギリスの古い土地をのんびりと数名で旅行をしたい、そんな夢を持ち続けていました。大震災の年の後でしたら、多分、チャンスがありましても、私の性格上、こんな夢は断念したことでしょうが、夢がかない日本に戻りましたのが2011年1月3日でした。親しい家族とフランスでしたが、マドレーヌ寺院でレクイエムを聴き、ノートルダムで新年のミサにあずかり、魂のモンサンミッシェルに泊まり天を仰いで感動する、素晴らしい10日間の旅でした。美しい思い出は人生の宝物。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年05月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
どんなに厳しい環境と現実を迎えても人類にはそこを生き抜いていく知恵が必ず備わっています。但し錯乱すると、その現場を生き延びる事は難しくなります。恐怖感、憎悪、嫉妬等沢山の激しい感情が湧き出しますと、その人の心の自由を保持しようと大脳が働きだし、その激しい感情を防衛し、自由な心を保持しようと防衛機制という精神作用が働くのですが、それを知らないで、ひたすら感情に振りまわされますと現実吟味力を喪失して破滅していきます。飛行機事故で胴体着陸した体験は強烈ですが、自分を謙遜にしたようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年05月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
古代の治水がうまく出来ない時代は、川が勝手に流れ民を苦しめました。京都の鴨川、揚子江、アマゾン、インダス等、そのように私達人間もセルフコントロールをうまくしないと、川の流れのように最終的に何処に流れていくのか分からないまま漫然と生きていくこととなります。せめてどこに流れていきたいか、その行く先だけはイメージしたいものです。例えば信仰の場合は天国に直行したいなあ、という激しい願いを私は持っています。どこに流れて生きたいか、幸せな国に流れつきたいと思えば人間はそうなるようです。そんな話を以前テレビでお話しましたら意外の大きな反応がありました。自分は無宗教派だと名乗りながらもホモサピエンスの歴史は「あの世」がきになるものです。そんなときは祖先のお墓詣りを時々してみると思わぬ気づきに恵まれるようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年05月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
イギリスの大学の研究室には世界各国から集まった青年達がいました。プロフェッショナルサイコセラピストという学位を取る為です。しかし自信を持つ青年は一人もいません。教授は「自分は草原の小さな儚い草の一本」に過ぎないと思っていた青年達に元気を与える為にドーヴァー海峡の軍事要塞だったトンネル(第二次世界大戦の時、チャーチルがここでドイツのロケット爆弾を避けつつ指揮にあたった場所。手術室の隣が食堂だったり、戦死者を一時的に置く広い霊柩室があったり、人によっては亡霊を見る場所。暗い惨めな印象がありました)に案内した後、君達は草原の中の大木だ、というお話をしてくれました、そうして青年達が持つ個性の美を草原の中の大木に例えながら自信を持たせようと努力して下さいました。私は草原の中の柳だ、というイメージをその時以来、持ち続けています。どんな厳しい嵐、雪、災害が襲ってきて柳の葉が落とされたり大木の皮が腐食してはげ落ちても私は今まで立ち続ける事が出来たのはその恩師のお陰でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年05月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人は何かを考え、湧いてくる感情を処理しながら目的に向かって行動しています。今、人類は80億くらいいますが、それぞれの環境の中で、それぞれに相応しい思考と感情と行動のバランスを保持しないと人は破壊していきます。アフリカの少年兵のバランスの仕方とニューヨークのビジネスマンのバランス、精神病棟でのバランスは環境により全部違います。明るく元気に逞しく生き抜くバランスは80億通り存在しています。皆様のバランスとは?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年05月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人前で堂々と振る舞える行動と、こそこそと人前では見せられない行動をとるのが生身の人間の常なのですが、案外、この裏の行動には貴重な意味が潜在しています。世間の常識を気にする人間ですので、自分もこの行動は裏の行動だなあ、と自信がなく、こそこそした感じとなります。しかしこの裏の行動を意識すると、その行動はその人の個性の美を天が暗示している貴重なシグナルである場合があるのです。例えば一人になりたくて、そーっと隠れるように部屋に姿を隠す子供を親はしばしば変な子、と非難します。しかし、その子は将来、有名な詩人になりました。目立ちがりやの変な子が有名な俳優さんになりました。変だと言われても変だ、と思わないで、一度、それは職業選択でも、生き甲斐の選択でも、何らかの意味がある行動なので、自己肯定しつつ変な自分の中に天命を見つける努力を楽しんで下さい.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年05月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
嫉妬心は生身の人間が死ぬまで持ち続ける感情ですが、この嫉妬心を抑圧すると人は心の状態も生活も変になっていきます。消そうとしたり抑圧して見ないように努力するのも人間の美しい営みの一つではありますが、人間の心の仕組みを知っておくと無駄な努力をせず、無駄なストレスを感じないで爽やかに明るく元気に生き抜いていけます。湧き出す嫉妬心のエネルギーは強烈なので、そのエネルギーを転用して別な方向に向けるのです。例えば人に言えない嫉妬心がむくむくと湧きだしたらこれは変な嫉妬心(病的な嫉妬心)だから仕事で発散しようと決意し、かつ、その嫉妬心の理由、つまり理想と現実のギャップが嫉妬心なので、キチンとその理想(こうあってほしい、こうあるべきだ、という成育史上の想い)と現実を比較考察しつつ、その嫉妬心の原因を理性的に一応意識化しておくことが大事だ、と言われています。健全な嫉妬心と病的な嫉妬心がありますので、きちんと把握しておく必要はあるようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年05月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
生き甲斐の心理学では時々、慈眼と邪眼、という言葉を使います。少々、どきっとする言葉なのですが、人々が幸せに生きる為には、どうしても通過しなければならない概念なのです。皆様の周囲に良い人なのに何故か基本的な部分で人を信用していない人がいませんか?にこにこしていても最終的に人を信じていない人の疑い深い眼差しを邪眼といいます。この邪眼があるとその目つきで見られるとぎょっとして理由の分からない不安感と不快感に襲われ、何か自分が相手に失礼な事をしてしまったのかなあ、と自信喪失状態になります。この自分の邪眼に気付いた人が勇気を奮い起して相手を信じる努力を開始した人がいました。眼差しは正直です。犬や猫、その他の動物は必ず人間の目を見つめて判断しているように、目は正直に物を語りますので、その人は修行する内に段々と眼差しが澄んできて、穏やかな瞳に変化していきました。そうすると周囲の人々も態度が優しくなってくるのです。邪眼をしている内は人間は本当の幸せは掴めません。一度、自分の眼差しが慈眼か邪眼か検討してみましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年05月16日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
幼い時、幸せな雰囲気が突然、哀しい雰囲気や環境に激変すると、幸せな時間を避ける傾向が生まれます。誰もが、そうなる訳ではありませんが、両親が交通事故で亡くなると残された子供は幸福であればあるほど、幼いながらに、その突然の幸福状態崩壊を無意識の内に感じ取っているので、何となく幸福感から意識的に逃れる変な習慣を身につけてしまいます。私の幼少時代、幸せな家族団欒の後、父親が軍艦に帰っていく寂しさを体験したことが、しばしばあり、この変な習慣を意識化した後、初めてどう対処したらいいか気付いた話をテレビ第16回目で語りました。いわゆる幸福病、と呼ばれる話です。新しい愛、新しい幸せを自分から逃す人々は案外沢山いるのです。この世の天国も地獄も解釈一つでそうとう変わります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年05月15日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
日々の生活の中で本音を語ると周囲とぎくしゃくする事があります。しかし深層心理の中では案外ストレスは蓄積しません。逆に社交を大事にして相当本音から離れた会話をしますと、表面は穏やかですが、深層にはストレスが相当、蓄積して、悔いだらけの人生を送る羽目になります。その方の環境により、この有り様は違ってきますが、長い人生の視点では偽りの自分、本物の自分というスタンスは幸福、不幸を歴然と形成していきますので、一度、偽りの自分、本物の自分という視点から自分の人生を反省してみましょう。きっと新たな生き甲斐が見つかるとおもいます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年05月14日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自然に湧きだしてくる自分の感情を恐れて、見ないように抑圧してしまうケースがあります。本来、湧き出してくる感情は生命の源のようなエネルギーがありますから、そんな勿体ない事はしないで、湧き出してきた感情を正しく解釈するとが必要です。湧き出してきた感情を否定することなく、その意味を考える習慣をつけていくと、湧き出す感情は天の恩寵かもしれないと、気付く事があります。その湧き出してきた貴重な感情の意味を考えていくと、人生が大きく拓け、豊かな感情生活、楽しい人生を送る事が出来ます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年05月13日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
天来の個性も、本人や周囲がその処し方を知らないと、変わり者扱いされて悩むこととなります。本人の個性の美なのか、病理なのか、その判断は大変難しく心理療法の分野では時々プロセススケールを使用します。この種の専門の勉強をしませんと識別は難しいのですが、それだけに折角の個性の美を本人も周囲も駄目にしていきます。人は悪いところを平然と気楽に口にしますが、良い所、美しい個性を誠実に見出し、それを育てる親も先生も、周囲の人も、案外いないのです。ここで注意したい点は、周囲が自分を否定してきても、まてよ、これは案外、天来の個性の美なのかもしれない、と疑う事が必要なようです。自分は変な人間だと簡単に思わず、明るく元気に生きるために、変だと言われても、ひょうっとして、それは個性の美なのかもしれない、と考えてみて下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年05月12日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人間は凄惨な場面に遭遇し、辛い事を自分の五感で体験すると、それを癒すのはやはり自分の五感でしかありません。南米で政治暴動にまきこまれ目の前で身近な人が目の前で亡くなるという体験もしました。その折の硝煙の香り(嗅覚)、凄惨な場面(目からの視覚からくるもの)、人の死の叫び(聴覚からくる心の傷)等を癒すには、やはり同じ五感で感じる美しいもの、心地よい香り、暖かい触角で癒さないと人は立ち上がれません。信仰の神様の愛すらも疑うともはや切ない状態に陥ります。この時、チリの友人の山荘での親切さを生涯、忘れません。感謝、感謝でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする