生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

私が信じた神様は?

2009年07月31日 | 第7章:自分を知る方法
平素はだらだらしていますが、神様を信頼した私はここ一番という困難に遭遇すると本当に明るくなり元気に生き抜いていけるようになりました。上手くいかない時もありますが。しかしこの心境になるまで相当勉強し努力し修行する必要もあるようです。現代の悲劇は努力しないで良いものを手に入れたがる人々が増えたことでしよう。甘えの構造が蔓延してしまいました。楽して手に入るものはろくなものがありません。さてこの神様を信頼するという営みも案外難しいのです。洗礼を受けた時は、あれこれと無茶なお願いを多方面にわたり神様に要求していました。祈っても聞き遂げられないので、あなたは変な神様、となじったものですが、数年経過して、もしあの祈りが聞き遂げられたら、私の今の幸せはなかったなあ、無視して下さり感謝です、という事例があまりにも多すぎたのを恥ずかしく思います。私が信じた神様は、私が真剣に努力し、もうだめか、と諦めた時、すんなりと実現させる常道手段を駆使する神様のようです。不思議な愛の神様を私は信じてしまいました。:<自分を信じてくれる人:259-5>:

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<信じる勇気>と<疑う勇気>

2009年07月30日 | 第7章:自分を知る方法
何事もバランス感覚を修行しないと駄目なようです。心から愛している恋人でも或環境、状況では勇気をもって信じたり、疑ったりする必要があります。この場合は裏表のない意思表示が条件で、沈黙していては失敗します。意思表示を上手に出来ていないのに、相手のせいにして、気付きが遅いとか、気配りが足りない、などと言うのは話になりません。どうでもよい相手なら、こんな配慮は不要ですが大事な関係にある相手ならば勇気を奮い起して、この選択はまずいとか、あの考え方はひどいよ、とか言う必要があり、思考と感情と行動を相手に明確に伝達して、信頼と疑惑のはざまを表現しあわないと破たんしていきます。微妙な思考と感情と行動ほど、勇気を奮い起して自己の伝達をする必要があります。
:<自分を信じてくれる人:259-4>:

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自分を信じてくれる人と暮らせる幸福度

2009年07月29日 | 第7章:自分を知る方法
自分を信じてくれる人々とNPOの仕事が出来たり、太極拳のような趣味の分野ではありますが、心豊かな友達がいたり、志を同じくする勉強仲間と2泊3日のワークショップで食事をともにしながら生活出来る私は本当に幸せです。ここに至るまで相当努力しましたが自己実現への道を共に出来る学友に巡り合えたのが最大の幸せです。しかも全国に同志が散在していますのでそれぞれの郷土の楽しい情報もブログやMIXIで教えてもらえます。若いころは自分の自由意思ではどうにもならない職場環境もあり、生存競争の中で、厳しい状況にも追い込まれていきました。患者さんの自殺による遺族との裁判、恩師が事件に巻き込まれて法廷で証言する厳しさ、そんな人生体験の後に、神様は平穏な日々を私に与えて下さいました。神様に感謝です。:<自分を信じてくれる人:259-3>:

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裏切られても心豊かな人もいる!

2009年07月28日 | 第7章:自分を知る方法
人物の器が大きくなると子分に裏切られても平然としてまた暖かい愛情を注いでくれた人を私は経験してきました。その体験のおかげで人間の器も修行すれば大きくなることを信じています。器の大きな人の現実吟味力、心の防衛機制、アイデンティティーの統合、思考、感情、行動、いずれをとっても器が大きいのです。このような先輩をもった私は本当に幸せでした。そのような先輩とお話していると人生に希望が持てます。それに比べちょっと裏切られた、と嘆き悲しみ二度と人間を信じないという人も知っています。人の幸福はこの器の大小が関係しているようです。
:<自分を信じてくれる人:259-2>:

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自分を信じてくれる人

2009年07月27日 | 第7章:自分を知る方法
疑い深い人と会話するほど嫌なことはありません。段々と自分がみじめになります。それに反して心から自分を信じてくれる人と会話していると人生が明るく希望に満ちてきて大きな喜びを感じます。どうせ会話をするならば互いにこのような愛と信頼の雰囲気を保持したいものです。さてこちらが相手を信じても相手が疑い深い人の場合はどうしたらいいのでしょうか?しばらくこの問題の対処方法について思索していきます。<自己肯定、他者肯定の関係>が理想的ですが、人生には<自己肯定、他者否定:傲慢><自己否定、他者肯定:劣等感><自己否定、他者否定:破壊的>がありますので複雑です。<自己肯定、他者肯定>という愛と許しの関係を追及してみます。:<自分を信じてくれる人:259-1>:

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魂からの<囁き>と<投影>を大切にしよう!

2009年07月26日 | 第7章:自分を知る方法
DNAの研究成果は素晴らしいものがあります。更に驚くことは、その仕組みを誰が考えているのか、という疑問です。学者たちは、その創造者を神という言葉を使うといかにも科学者らしくない、と言いうことで<サムシンググレート>を言う言葉で説明していきます。さて病理論という分野がありますが、この身体症状は何が原因か、と究明していきます。医学的な理由は多少分かりますが、ではその症状を何故、誰が、何の為に症状を表出させるのか、という理由になると、どうしても魂が必要になります。生きている生物体と死んだ生物体の違いは<生命:魂があるかないかの違い>ですが、物質としては、生きていても死んでいても同じなので、魂があるか、ないかの説明で理路整然としてきます。<病気の症状は魂があえて投影させているという病理論>は思索、研究の価値がありそうです。<魂は心と身体にいつも健康に保持させる為に、あえて、その病理を誰にでも分かるように、その病状を投影させている>という仮設を意識し知覚できる人は幸せです。
:<答えとは何?:258-5>:

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自分の生きている意味!

2009年07月25日 | 第7章:自分を知る方法
世の中で一番残酷な質問が<自分は何の為に生きているのか?>だと思います。信仰生活ができればこの問題は解決しますが、信仰を獲得するまではまさに地獄の苦しみを体験します。何故、生きねばならないのか、この世は本当に面白くない、つまらない、生きていても価値がない、これが普通でしょう。好んで生まれてきたわけではなく、親が勝手に生みやがって!、と怒り心頭に達している人々に私はしばしばお会いします。答えは普通の心理療法では無理です。心の悩みは心理療法の対応で何とかできますが、この何の為に生きるのか、という主訴は宗教の領域です。伝統ある信頼出来る宗教と信頼できる宗教家との出会いをまつほか良い方法はありません。心理療法の場合は比較宗教学をきちんと勉強し、神の愛の世界を勉強した人々なら対応出来ます。カウンセリングに宗教を持ち込んでいる、と激怒するカウンセラーが多い日本ではカウンセラーの選択に余程注意しないと説教されるだけでしょう。:<答えとは何?:258-4>:

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アイデンティティーの統合

2009年07月24日 | 第7章:自分を知る方法
心理療法を終結するときに、患者さんと談笑しながら3つの事を<はなむけ>に語りますと、患者さんが、何故、その事を最初に言わないのですか?と寂しそうに、かつ、残念がって話す方もいます。原則としては心理療法では患者さんの五感と体感と人生観、人間観を何よりも大切にし、退院されるときに、質問されれば敢えて答える、という範囲の内容なのです。しかし、何故、今、退院するときに、と残念がる事例の場合、あーあ、私は駄目だなあ、と反省しています。その3つの話とは
これから社会に戻り幸せに生きていくためには、どう考えて生きたらいいのでしょう?という質問に対して(1)自分の生きている意味を明確に理解していること(2)自分の生き甲斐は何かを意識していること(3)自分の魂、成育史(心)、身体を肯定的に愛していること。この3つの指針を与えることです。中には余計なお世話だ、と怒る人もいるので警戒するのですが、この3つを明確にしないと人は決してしあわせになれないのです。:<答えとは何?:258-4>:

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赤ちゃんの中の答え

2009年07月23日 | 第7章:自分を知る方法
赤ちゃんの中の答えをどうして探すか、また、誰でもそうですが思春期はホルモンの関係で大人から見れば錯乱気味ですし、記憶喪失した高齢者の場合も答えを探すのは難しものです。赤ちゃんの心の問題は五感と体感に刺激をあたえつつ、その泣き方で判断していきます。精神病者の場合も五感と体感に絵画、音楽、言語で刺激を与えつつ、その心の状態を判断していきます。どの場合も答えは必ず患者さんの中に存在しています。さて自分の場合も、どんな厳しい人生の場面に立たされてもこの答は自分の中に存在している、と信じることが出来ると、案外、簡単に生き抜いていくノウハウが見えてきます。信じると見えてくるものが必ずあります。あとはこの知識を経験で裏付けてみましょう。:<答えとは?:258-2>:

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<答えは自分の中にある>を信じると、どうなるか?

2009年07月22日 | 第7章:自分を知る方法
大学病院で感じたことですが、名医は答えを常に患者の中から探し出していました。若い高慢な医師は学問を積んだ自分の知識の中から探し出そうとしていました。心理療法でもそうでした。答えは常に患者さんの深層心理の中にありましたし、治療目標の方針も患者さんの身体の中に存在していました。学問は大切ですが、心と身体の病理は必ず患者さん、または問題意識を持った人間の中にあります。答えは当面は分からなくてもその答えは患者さんの中に必ず存在している、という信念は真理だと思いますので、しばらくこの問題を思索していきます。
:<答えとは何?:258-1>:

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あの人は何故、元気で明るく爽やかなんだろう?

2009年07月21日 | 第7章:自分を知る方法
いつお会いしても暗い知人、いつお会いしても明るく元気で爽やかな知人、この違いはどこから生まれてくるのでしょう?観察していると、その生命観にあります。死後の世界については色々の思想がありますが、人間に与えられている自由意思で、どの思想を採用するかで日々の幸福感が激変します。死んで無になると信じていれば、その人は生き甲斐を喪失しますし、死後の世界を信じれば、希望が生まれます。人の身体は神の神殿とも言われていますが、どんな人にも愛そのものである神様の聖霊が豊かに注がれている真理を信じたいものです。人生は本当に厳しく自分や人々の愛だけでは生き抜けません。この真理を忘れると人それぞれが所有している魂が哀しがり、その人の心を疼かせます。心の疼きを無視すると必ず身体症状が発症するものです。魂の疼き、身体の疼き、心の疼きを感じたら、素直に魂に祈るような心境で語りかけると必ず、なんらかの答えを暗示してくれます。
:<2種類の幸福:257-5>:

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信じて見えてくるもの、見えなくなるもの!

2009年07月20日 | 第7章:自分を知る方法
心の奥底で寂しいなあと思うのは健康な証拠で、どんなに良い友人や恋人に恵まれていても寂しいとおもうのには理由があります。その理由は自分にも魂がある、という真理を忘れているからです。人間は魂と成育史上の心(精神)と身体から構成されています。どんなに愛しあった相手がいても互いの魂を信じあう相手でないと、どこか虚しいものです。魂の定義は思想史上、色々ありますが<魂とは愛そのもの、永遠普遍のもの、病むこともなく老いることもない、臨終とともに身体から離脱する知的生命体である>という定義を信じて相手を見ると、相手の心の奥底まで見えてきます。一度、試してみてください。信じて見えてくるもの、見えなくなるものが世の中に沢山あります。心と身体だけで愛すると寂しさが残りますが、そこに魂を認めた上で愛し合うと充実感が湧き出してきます。:<2種類の幸福:257-4>:

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おくりびと

2009年07月19日 | 第7章:自分を知る方法
勉強仲間との会話から遅ればせながら映画<おくりびと>を急に見たくなりDVDで見ました。若いチェロの演奏家とその新妻は世界各地での演奏を夢見ていたのに人生のいたづらで納棺師となり、色々のことがありますが、この職業を大きな喜びと自信を持って生き抜こうとします。臨終とその死をめぐる人生模様も様々ですが、あらゆる人々の心の底にある魂のうづき、永遠の生命、生き抜く感動、人間の美しさ哀しさを見事に謳い上げた作品でした。古代大和の時代から死に対しては汚れの思想がある日本文化ですが、主人公はそれを意識しつつ自信をもって生き抜こうとする姿に神仏の心を感じ、いたく感動した時間でした。
<2種類の幸福:257-3>:

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臨終で垣間見る二種類の姿

2009年07月18日 | 第7章:自分を知る方法
映画等の影響もあり、人間の死について少々きちんと思索する必要がありようです。或人は死後の世界を暗く解釈しています。これは死後の世界を日本神話の黄泉の国のように解釈するからかもしれません。また同じ日本人でもキリスト教徒の場合は贖罪と復活の喜びを信じているので臨終のときでも希望をもって息を引き取る事例もあります。何を信じ、何を見ながら死んでいくか、という問題です。信じる力とは何でしょう?同じ臨終でも、どうしてこんなにも違うのでしょうか?不思議でなりません。同じ死を迎える人間が希望をもつて息を引き取る人、絶望しながら死んでいく人、さまざまです。信じる力は死を乗り越えさせてくれます。厳しい現実でも信仰は人を強く明るく元気にしてくれます。希望に満ちて結婚したからには最後まで明るく元気に魂を信じて美しい最後を迎えたいものです。
;<2種類の幸福:257-2>:

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二種類の幸福

2009年07月17日 | 第7章:自分を知る方法
Aさんは幸福とは大きな家に住むこと、相当の貯金があり美しい妻を得ることが最低の条件です。Bさんはほどほどの経済力さえあれば、あとは感情面での幸せ感を優先しています。AさんもBさんも悪いということではなく、問題は自分の理想条件が整わないと不幸だ、と感じていることでしょう。理想通りの人生はあり得ません。さて心理療法では不幸だと悩む人を初期の段階でどう対処しているのでしょうか?まず患者さんの意識を二つの領域で明確にさせます。幸福の条件と幸福感の二つを明確化させます。そうすると不幸感は半減します。<幸福の条件>とはお金はいくら欲しい、地位、職業は、こうあってほしい、その条件が満たされないから不幸です、というもの、<幸福感>は何がなくても今、生命があり自由だ、という感情的なもの。この二つの意識化だけで人は不幸感が幸福感に変化することがあります。考え方を変えると世界が変わります。:<2種類の幸福:257-1>:

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