生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

プロセススケールを学ぼう!

2011年05月31日 | 第10章:どうして心を癒すか
大事なものは血の出るような努力をしないと手に入りません。これは人類の鉄則です。楽をして貴重なものを手に入れたいという人間の願望が科学を発達させましたが私達庶民は努力、努力、また努力の人生なのです。このプロセススケールの知識を身につけるのは大変ですが人生の苦労に比べれば楽な範疇に入ります。生き甲斐の心理学第3章を見て下さいとここで申し上げても皆様何故か勉強してくださらないので簡単に書いてみます。7つの視点があります。(1)自分の湧いてくる諸々の感情を倫理道徳も大事ですが、ここではそれを無視して何故この感情が湧いてきがのか、その意味を暖かく見守りつつ自己否定しないで解釈すること(2)一日の心の流れを静かに見守りどんな流れをしているのか冷静に見ていくこと(3)心の奥底の感情、思考と意識の世界と発していく言葉が一致しているかどうかを観察し、あまりにも不一致の場合は要注意(4)自分の感情、思考を上手に伝達出来ているかどうか(5)身辺に生起する森羅万象の解釈が健全かどうか(6)身辺に生起する諸問題を正面から真面目に取り組んでいるか、逃避していないか(7)人間関係の中で愛する人を大事にしているか、本物の愛をもてあそんでいないか、以上点ですが、この7つの視点を上手に応用するには勉強会で臨床学的に訓練する必要があります。<心理療法家の過ち:393-4>:

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病名を欲しがる人々の悲劇

2011年05月30日 | 第10章:どうして心を癒すか
日本は法治国家ですので医療の世界でも各種の法に基づき病名をつけ点数計算がなされ支払いがなされていきます。病名をつけるべきでない事例でも必ず病名をつけねばなりません。こんな微妙な事例でつけられた病名をある種の人々は不安神経症的にその病名で苦しみます。ここから暮らしの中のカウンセラーの出番が始まります。担当医師の名誉を傷つけることなく患者さんにきちんと臨床的な説明を開始していきます。器質障害の場合は医師と協力しつつ心理療法を展開しますが、医師がこれは器質障害ではなく心因性病理だと診断した所から心理療法家の出番です。微妙な領域の部分で仮に病気だとしても心構えで病気が完治する事例は山ほどあります。持病があっても心の世界は自由ですので明るく爽やかに心を維持するノウハウを覚えると身体の免疫力は倍加していくものです。自律神経も分泌も免疫も心構えで力が倍加されるのです。暗い気分は免疫力を低下させますので病名にこだわらず生き甲斐の探索を楽しみ残された人生の意味を探し、どうすることが自分の魂、生育史(心)、身体を大事にすることかを楽しみながら思索して生きていきたいものです。:
<心理療法家の過ち:393-3>:

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「私以外は全て変人」と思うのは案外真理かも。

2011年05月29日 | 第10章:どうして心を癒すか
「私以外は全て変人」と内心考えていたほうが案外正常かもしれません。他者の批判をする会話をいたるところで聞きますが、あまり良い感じがしません。70億の人類が互いに個性の美を認め合えば案外争いは激減するでしょう。相手を美化したり相手を勝手に理想化する所から恋や愛の領域で事件が起こります。勝手に理想化される人も迷惑でしょうし思い込むほうもエネルギーの無駄をしてしまいます。自分以外は全て変人、と思うと案外、平和が訪れてきます。しかし条件が必要で(1)相手を侮蔑してはいけない(2)自己肯定、他者肯定の思想が必要。この2点さえ心得ているとこの思想「自分以外は全て変人」は自分と他者をおおらかに安心して平和共存が出来ます。相手を馬鹿呼ばわりしたり奇人変人と侮蔑したり病人扱いしたりする悲劇はこの思想を持つとどんどん半減していきます。個性の美を大事にしていきたいものです。::<心理療法家の過ち:393-2>:

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心理療法家の大きな過ちとは?

2011年05月28日 | 第10章:どうして心を癒すか
日本にはカウンセラーの国家試験がありません。国家認定のカウンセラーと自称するような人がいましたら告発して下さい。イギリスやアメリカは総合的なカリキュラムに基づいた厳しい国家試験があり難関です。さて日本ではそれぞれの学派で良心的に長年の教育を経て資格認定をしている団体もあれば数箇月で認定するいい加減な団体もあります。私達は最低三年の教育カリキュラムを要求しており最初の試験が三級、5年以上のカリキュラムで二級、10年の勉強と臨床体験で本免許となります。さてここではどんな学派であれ、心理療法家、精神科医、色々のカウンセラーの大きな過ちについて思索していきます。一番大きな過ちは「病理」と「個性の美」を識別出来ない人々がいることです。非常に難しいのですが、個性なのか、病理なのか、を理論的にも臨床的にも言語化出来ない人々がいるのです。しばらくこの領域を思索していきます。:<心理療法家の過ち:393-1>:

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地球を粗末にする政治家

2011年05月27日 | 第10章:どうして心を癒すか
政治家の仕事は本来神聖で愛にみちた仕事なのですが、なぜか、地球を汚す政治家が多いようです。この遠因は政治家にも責任がありますが、もともと人間が持つ<業:ごう><悪><愛の欠落>に原因があり地球上の至るところでの人間のぶつかり合いが素地となり国際政治での争いとなるのは、この為です。ローマンカトリツクではこの人類誕生以来の哀しい出来事を<人間の罪深さ、どうしようもない人間の非道な性格>を<贖罪と復活の思想>で解決しようとしてきました。仏教では<業>と呼び仏の慈悲にすがる祈りをしてきました。世界中に色々の宗教があり人間の救いを、それなりの文化の中で、なんとか解決しようと、あれこれ時代に応じて努力してきたわけです。金儲けの宗教が時々出現するものですから、心ある人々は宗教を毛嫌いしますが、美しい宗教、まともな宗教は本来、人間に必要な領域なのです。正しい信仰は厳しい現実に大きな勇気と希望を与えてくれます。死んでいく人間を暖かく幸福に導く信仰と出会えますように。:<独断と偏見:392-5>:

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心の世界

2011年05月26日 | 第10章:どうして心を癒すか
心の世界は何と面白いことか!森羅万象の面白さ~宇宙、地球、植物の世界、人間の身体の不思議さ、全ては自分の心の目を通して、身体を通して、この私の五感と体感が感じ、大脳で意識化されています。感動したり悩んだりするのも、所詮は私自身の心の世界の出来事です。死んでしまえば、この感動はありません。さて、<独断と偏見>という視点は大切な反省のポイントですが、最近はあまりこの視点から人々は騒がなくなりました。多分、言語という狭い世界では表現出来ない事を、DNAの世界や量子力学の研究もあり、あまり言語で非難しあう愚かさに気づきだしたせいでしょう。相手を独断と偏見だ、と非難する人を色々調べると、その本人のほうが、案外、平然と独断談義をしていたり、偏見だらけな人である現実をインターネット化した現実から無意識に反省しているせいかもしれません。心の世界は本来、自由な世界で、なにものにも拘束されない平安な世界のはづですが、人は案外、何かに固執していて、その自由を謳歌していないようです。心は本来、明るく爽やかで元気な世界です。全てのものを捨て去る力も有しています。心の中で全てのものを捨てる作業は簡単ですので、遊びとして、一度、5分でもいいので、全てを捨てて自由の雰囲気を楽しんでみましょう。この全てを捨て去る精神的なゲームは知恵と勇気を与えれくれます。<独断と偏見:392-4>:

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独断と偏見のどこが悪いのか?

2011年05月25日 | 第10章:どうして心を癒すか
独断と偏見のどこが悪いか、といいますと心理療法の世界では<自己肯定、他者否定>の傾向にあり、かつまた発信者の個性が強すぎて傾聴に回る人が不快感を感じ幸福感を喪失させられるからです。聞かされるほうは恐怖、嫌悪感を感じていますし社会に暗い影を与えていきます。さて、独断と偏見の傾向があっても<自己肯定、他者肯定>の傾向があり自然体で明るく爽やかない人もいて、そんな人の周囲には人が集まります。政治家、組織の長の<独断と偏見>は人を不幸にしますが、それでは庶民である私たち一人一人はこの問題にどう修行していけばいいのでしょうか?孤島に一人で住むならば問題はないのですが、法治国家で生きる必要のある私たちですが、萎縮することなく、これからも堂々と自分の意見をなんと言われようと言い続けましょう。<真理を含む独断と偏見>も沢山ありますので、庶民の生活では、、堂々と意見を言う習性を身につけたいものです。自分の信じる道を突き進むのもこれまた人生です。独断と偏見と言われようとです。<独断と偏見:392-3>:

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退屈な人

2011年05月24日 | 第10章:どうして心を癒すか
相性というものもありますが自分の意見を持たない人と時をすごすとあくびがでます。失礼なのであくびは我慢しますが、何となく時間が無駄なような気がします。またあまり勉強もしていないのに、酷い意見を堂々と言う人もまたつまりませんし何となく恥ずかしくなり席をはずしたくなります。自分は何の為にいきているのか、を常に思索している人からは非常に面白い意見が出てくるものです。私の知人に最近、動物園にパスを購入して色々の動物を観察し、面白いブログを書いている人がいますが、この前はカールロジャースの人格形成論からチンパンジーを分析していました。この臨床事例をもし上手に書いたならば案外修士論文になるかもしれません。この方と会話すると数時間は続くでしょう。自分は何の為に生きているのか、自分の生き甲斐は何か、自分は自分の魂、成育史、身体を大事にしているか、を思索していると品格のある友人がどんどんうまれてきますが、このテーマ以外ですとつまらない人が周囲に集まるかも。これもまた独断と偏見の意見かもしれませんが、個性の美を互いに楽しみたいものです。:<独断と偏見:392-2>:

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<独断と偏見>を見守ろう、そして楽しもう!

2011年05月23日 | 第10章:どうして心を癒すか
<独断と偏見>に満ちた論文と言われた人が後日ノーベル賞をいただいたりします。ですから同じ事を言われても不安感に苛まれたり劣等感に悩まされたりしないようにしましょう。<私は私>として堂々と生きていこうとすると、とかく独断と偏見だ、と虐められる事例が多いようです。この独断と偏見について暫く思索していきます。さあ、腹を決めて自分の信じる意見を何と言われようと、まずは堂々と言いながら生きていく決心をしましょう。本当に人への愛に反する<独断と偏見>の場合は、世間が束になつて自分に襲いかかってきますから、その時は現実吟味力を発揮して対応していく必要があります。泣き寝入りしたり委縮していたら、いつまでも自分の成長はありえません。堂々と意見を言う人ほど、鍛えられ短期間に成長していくものです。:<独断と偏見:392-1>:

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<私は私>と居直って元気に爽やかに生きていこう!

2011年05月22日 | 第10章:どうして心を癒すか
人は案外気弱で優しいところがあり、周囲の評価を気にしながら生きています。褒められれば安心するし気分もいいものです。反省の傾向、劣等感、良心の呵責等などの要因から、人はとかく<私は私>という意識が欠落しがちです。小学生から高齢者まで、どんな人生の段階でも、私は私でしかなく、それ以上でもそれ以下でもない自分として生きていこう、と中々気付きません。私は私、と言いながら勉強し、努力していくと、実に悔いのない人生が送れます。良い意味での居直りは自分を育ててくれます。<依存症:391-5>:

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金銭依存症

2011年05月21日 | 第10章:どうして心を癒すか
お金があれば人生、安心ですが、お金、お金、お金が全て、という人に時々お会いすると何となく人生が空しくなります。何故空しくなるのか、昔からその理由を哲学者は思索します。人間は魂と心と身体の3つで構成されていますが、魂が警告するようです。この魂とは何か、というと<魂は永遠不変のもの、病むこともなく、老いることもなっく、愛そのもの、臨終とともに身体から離脱していく知的生命体である>と定義しています。諸説ありますが、この定義が一番、心理療法に役立ちます。心と身体は時々病気になりますが、神様が創造した魂は病むものであるはずがありません。何かに異常に依存すると良心の呵責、という形で心のどこかに警鐘が流されますので安心して生きていたほうがよさそうです。環境は激変していきますので、人は適応して生きていかねばなりません。あまり気遣わなくても大脳がその都度、囁いてくれますから安心しましょう。その代わり、気楽に自然に、時々立ち止まり一人静かに座り心を見つめる訓練は必要なようです。<依存症:391-4>:

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<自己愛パースナリテイ障害>を意識すると健全、という意味が分かる!

2011年05月20日 | 第10章:どうして心を癒すか
心理療法の世界で一番恐れるのが<自己愛パースナリテイ障害>と呼ばれる精神現象ですが、この現象は人類発生いらい存在しています。しかし現代では6つ以上の精神現象が同時に併発していないとこの病名はつけない約束になつています。下記の精神現象を6つ同時に併発している事例はあまりありませんが、この現象は人間ですと全員がもつているものですので、参考にしておいて下さい。テキスト<生き甲斐の心理学>の132ページを転載させていただいています。

自己愛パースナリティ障害(Narcissistic Personality Disorders)DSM-3の診断基準によれば、以下の(1)から(4)までが必須症状、(5)のうち2つが必要な症状とされる。
    (1)自己の重要性、ユニークさに関する誇大感
    (2)限りない成功、権力、知性、美、あるいは理想の愛といった空想への没入
    (3)絶え間なく注視と賞賛を希求する自己顕示的態度
    (4)他人からの批判、無関心、あるいは自己の挫折に対して、冷酷な無関心、激しい怒り、劣等感、屈辱感、虚無感などの感情で反応する。
    (5)対人関係の障害
(a)権利の主張;他者からの特別な好意を当然のこととして期待し、それに対するお返しは考えない。意のままにならなかった時の驚きと怒り。
(b)対人関係における搾取性;自己の欲望、出世、支配権のために他者を利用すること。他者の尊厳や権利をないがしろにする。
(c)対人関係が過度の理想化と蔑視の両極端の間で激しく揺れ動く。
(d)共感能力の欠如;他者がどのように感じているかを心で汲み取ることが出来ない。

<依存症:391-3>:

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健全な依存症、病的な依存症、どこが違うか?

2011年05月19日 | 第10章:どうして心を癒すか
人という字は、一本の棒が寄り添っているように、いつの時代も男女は仲良く寄り添って生きています。依存しあう事は美しいことですが、時々、病的な依存関係が問題になります。人は一人で生まれてきて一人で死んでいきます。生まれてくる時には母親の世話になり、死んでいく時も誰かに世話になりながら死んでいきます。その長い人生の流れで異性と健康に依存しあいながら生きていかないと人間の心は異常をきたします。修道者も健全な異性関係がないと心がゆがみますので、何が健全なのか意識化しておく必要があります。肉の関係になくても異性の愛、友情、暖かい心は成立するものですが、このバランスの関係成立のノウハウを知らないと病的な関係になつてしまいます。神父の道を選んだ男は肉を絶っていますが往生際の悪い神父は時々話題に登場してきます。爽やかに女性を大事にする神父が普通ですが、そのような爽やかな神父を見ていると周囲は非常に幸福になりますが、爽やかでない神父を見ていると周囲は不幸になります。お坊さんにはいつのころからか奥さんがいるので周囲も平気ですが、カトリツクの神父は独身なので、やはり世間は清らかな神父、というイメージがあるので問題を起こした神父は軽蔑されていきます。世間の男女は健全な依存をバランス良く保ちながら<自己愛パースナリテイ障害>にならぬように依存しあいながら生き抜いていきたいものです。この領域は難しいので数回に分けて思索します:<依存症:391-2>:

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易経をユングは何故、大事にしたのだろう?

2011年05月18日 | 第10章:どうして心を癒すか
<占い>にも健全な占いと病的な占いがあります。人類はもともと占いが大好きで、どの時代にも時の権力者は大なり小なり占いの有名人とお付き合いがあるようです。問題は人間の自由意思までも占いに支配され人権を無視したり自由意思を尊重せず冷静さを喪失した場合、人はどんどん不幸になっていきます。占いの結果を盲従するのが病的と言われる事例です。楽しみ半分に自由に占いをして自分を否定したり他者を否定することなくあくまでも選択肢に迷いを生じたような場合、参考に占いをして、自分の中の無意識の世界を意識の上にあぶり出し、そして、自分の自由意思で決断し責任を持ち間違っていたらすぐさま修正しつつ生き抜いていくならば、案外、変なカウンセラーと相談するよりもはるかに良い知恵が生まれます。問題意識を感じ、その答えがどんどん豊かに湧き出すシュミレーション能力を所持している人は、わざわざ占いをせずとも色々の選択肢を生みだす力のあるひとです。あまりにも多くの気づきがあり、そのどれを選ぶべきか占うのも良いでしょう。ユングは易経を大いに利用していましたのでユング心理学の易経を私たちのグループでは勉強の一環として使用しています。人生上の答えは必ずその本人の中にあり、その答えを易経を利用して意識の上にあげてきたユングは東洋の知恵をとても大事にしていたようです。:<依存症:391-1>:

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<理想をすてる><現実を受け入れる>、さてどちらを選択するのが良いか?

2011年05月17日 | 第10章:どうして心を癒すか
こればかりは神の領域か、とおもいきや、どっこい、これほどの賭けの面白さは他にはないでしょう。選択の面白さ、賭けの面白さ、まさにこの選択は人生の醍醐味です。また、中間の納め所、で勝負をかけるのも楽しいと思います。こうした人生の醍醐味が生き甲斐なのです。皆様も是非、この勝負を楽しみながら段々と知恵を養成し、度胸を増加させ、人生の喜怒哀楽に泣き、豊かな悔いのない人生を歩みましょう。その為には、自分は何の為に生きているのか、生き甲斐は何か、自分を大事にしているか(魂、成育史、身体の3つを大事に)を意識しながら生きていると、突然、物凄い光明があるようです。:<悩みの解決方法:390-5>:

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