生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年06月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
現代社会をどう観ているのか、友達の意見が楽しくてなりません。良い、悪いのコメントは生きていく上でとても大切ですが、ここでは社会批判はしたくありまぜんが、臨終でも永遠の生命を信じて明るく天国に行く人も大勢観てきました。そんな人生観、死生観を持ちたいものです。そういえば昔、冷戦時代のロシアで私たちを色々と苦しめた人が大阪万博に仕事で来ていた人を、この時とばかり、反撃しようと思ったことがありますが、かれも仕事で、そうしているのを再認識し、親切にご馳走した経過がありました。その時、友情が生まれ、いま、そのお孫さんと仲良くお付き合いしています。友情、愛情、友情は人生の宝物。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年06月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
恐れずに<愛とは何か?)を語り続けようと思います。気障な男、と言われようがやはり心理療法では一番重要な課題だからです。愛があればどんな困難でも生き抜けます。或シスターにいただいた写真立ての中にマザーテレサの言葉が22ほど書いてありました。素敵な言葉が沢山書いてあります。例えば<最もすばらしい日は今日です><絶対に不可欠なのは帰る家です><最も早い道は正しい歩みです><最も快い感覚は心の中の平和です><最も効果的な防衛はほほえみです>、その他沢山ありましたがその素敵な沢山の文章の最後の一番大切な部分に<全ての中で最もすばらしいものは愛です>と書いてありました。あのマザーテレサさんが一番大事にしたのがこの言葉でした。理想通り実行出来ませんが私もこの言葉をこれからも大事にしていきたいと思いました。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年06月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
健全な自己愛の一つに自分の魂を大事にしているか、という問答があります。宗教心理学の中の問答集ですが、どういう意味でしょうか?人は一人で生まれてきて、また、一人で死んでいきます。一人で死ぬのがこわくて部下を道連れにした古代の王さまは沢山いますが、部下が可哀そう。死にたくないのに生贄にされたり、豊作を祈願するときに若い娘を生贄にする歴史も沢山あります。人類誕生以来、死んだらどうなるか、という自問自答は世界各地にあります。神の存在を証明するのも、存在しないのを証明するのも科学はいまのところ出来ていません。その自問自答に答えるべく今でも地球上に沢山の宗教が存在しています。若い時代に健康な信仰を手にした人は本当に強いところがあります。自分の魂は必ず天国にいけると安心して地球で生きている人々は沢山います。カトリツクは<魂は永遠不変のもの、病むこともなく、老いることもない、愛そのものであって臨終と共に身体から離脱する知的生命体である>と定義しています。信仰生活を選ぶ場合に魂とは何、天国とはどんなところ?、色々と疑問がありますから納得出来る宗教を選び、この世で安心して生きていきたいものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年06月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
ここに掲載されているのは富士山の写真ですが、美術館でも本の上でも、何と美しい絵だろう、と感動します。難しい言葉ですが、真善美、という概念があります。ここで言う美の典型が宇宙の美しさ、大自然の美しさですが、世界の名画と言われるものの中にもこの大自然や宇宙を見て感じる崇高な絵画も沢山あります。視覚から感じるこの素晴らしい絵画は生きる勇気を与え困難を乗り越えさせる力も私達に与え続けています。この絵画を見るといつも元気になる!ややこしい言葉は不要で、ひたすら私をうっとりさせ元気づけてくれます。あなたの選ぶその絵はどれ?
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年06月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
好きな音楽は人の心を幸せにしてくれます。だが待てよ、と心理療法家は手放しで勧めません。好きな音楽を聴きながら自殺された苦い経験を沢山持つからです。音楽全てが<癒し>ではありません。世界各地で音楽療法が大流行ですがその音楽療法をしている人できちんと心理療法の学問を総体的に習得している人があまりいないところが問題です。音楽には人の心を満足はさせますが死においやる危険もあり、また元気に生き抜こうと思わせるものもあることを意識し知覚しておく必要があります。どの音楽が自分を自殺させたがるものか、どの音楽が困難を克服して生き抜く決意をさせるかはその人の成育史が決めていくので原理はありません。五感の中の聴覚を意識し、どの音楽が、音色が自分を明るく元気に爽やかにするか、一度、その傾向を確かめて下さい。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年06月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
独身時代、しかも恋人も居ない寂しさは何とも言えません。そんな寂しさを慰めてくれたのがハイネ、バイロン、ゲーテや石川啄木等の詩や小説でした。シェークスピアのロミオとジュリエットなどで熱い想いをしたものです。置き換えなどという精神作用がある、防衛機制という心の仕組みがある、そんな知識もない中学、高校時代はもんもんとして自分を持て余しました。青春は非常に危険な時代で今から思うとぞーっとしますが、自然の摂理で何とか生き延びていたようです。満たされない想いを小説が満たしてくれました。世界の小説家に今更ながら感謝しています。小説を大事に活用したいものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年06月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人間の総合的な悩みは3つの分野から生まれてきます。一つは自分が所有する魂から、二つ目は成育史から生まれてくるもの、最後は身体からのもの、この3つを無視すると、どうしても矛盾が出てきてバランスを失い、生き甲斐の心理学から見て正しい統合、健全な統合、明るい統合を樹立できません。<自分が死んだらどうなるか>から<お腹がすいた>まで、総合的な安定が人生には必要です。信仰生活は大事ですが死んだら恐ろしい地獄にゆくような宗教を信じるべきではありません。どんな人生を送っても天国に行けるような宗教を選んで下さい。この3つの統合を健やかで明るいものにする為には健全な神様を信じる以外ありえません。

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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年06月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
遺伝や身体的医学的な理由で心の病になったとしても生き甲斐の心理学は毅然として対応の努力を怠りません。諦めたら人生は終わりです。重い難病でも心をのびのびとさせる努力をしたり、なるべく明るく笑う種を探して必死で生き抜こうとすると免疫力がついてきて、驚く事、喜ばしい事が起き出します。ホルモン等の分泌もストレス曲線よりも幸福曲線(平安感、友好的な感情、健康感、幸福感、統御感の5つ)を意識していると免疫と分泌の関係も段々と良くなりだします。一番効果が高いのが自分は何の為に生きているのかを明確に出来た瞬間から人はいきいきとしだします。答えがすぐ分からなくてもこの人生で一番大事な自問自答<自分は何の為に生きているのか>を明るく爽やかに思索すると答えが出なくても何となく生きる価値を感じだすのが不思議です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年06月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
どんなに健康な人でも夢かうつつか、というような何となく恐ろしい体験を持っています。一番多いのが寝ている時、あ、これは夢だ、と思うことがあります。その時も夢だから、もう悩まないで目覚めようと意識しその夢の中の恐怖から離脱します。出先での電車の中で眩暈の初体験があり、以来、その恐怖が自分を支配しています。あの恐ろしい体験がまた起きたらどうしよう、と心配します。この錯乱、心配、心の乱れを解決出来たのがやはり居直りです。人生いつどこで死んでもいいや、という居直りでした。不安感、鬱、錯乱は理想と体験のギャップから生まれます。考え方、体験の解釈を変える以外、方法はありません。どんな居直りが自分を落ち着かせるか、どんな考え方なら変更出来るか、どんな解釈なら安心してゆけるかは全てその人の問題なので本人が納めどころを決めないと解決しません。神経症だろうと精神病だろうとそれなりに居直りをすること、腹をくくること、つまり専門用語でいう<アイデンティティーの統合を健全にする>手法が一番重要な治療です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年06月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
よくある事例ですが、親子四人家族、或時まで本当に幸せな家庭でしたが下の娘が大学を卒業した頃から何となく破壊していきます。父親はリストラ、末娘は神経症、母も乱れ乱れた感じ、大企業に就職した長女だけが明るく元気に生き抜いていました。数年このような暗い日々が過ぎていたのですが、大黒柱だった長女は何を思ったか修道院に入り終生誓願の厳しい道を選びました。大黒柱を失った家族は数カ月ののち、父親は居直り、母も居直り、末娘も居直り、今は全員で元気になりました。心理療法の原理では<アイデンティティーの統合に成功した事例>と言います。考え方を変えて成功した事例ですが、人間、退路を断ち自殺する人、居直って逞しくなる人さまざまです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年06月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
若い男女で当然社会生活をする年齢になっても未だ親の経済力に頼らないと生きていけない人間が増えました。昔なら野垂れ死にしていますが現代社会だからこそ生きていられます。当然死んでいるはずの状況なのですが現代日本社会だからこそ食べていけます。この若者をどうしたらいいのでしょうか?<べき論>は山ほどありますが、本人がその気にならないかぎり手のうちようがありません。周囲はその家庭に対して何もいえませんが、両親が死んで初めてそのありようが決まるのでしょう。しかし入院患者の中には錯乱から統合へと無事、治療も終わり逞しく生き抜いている人々も沢山います。何故、成功したのか、他者分析をしてみます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年06月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
親友を獲得するのは案外努力が必要です。相性が左右しますが、観察したり観察されたり試し試されたりしながら段々と友情、愛情が深まります。長い期間をかけて蓄積された信用、信頼性は簡単に崩れる場合もありますが生涯のダイヤモンドともなります。困った時にさりげなく陰で支援してくれているようです。自然体ではあるが近すぎず遠すぎず案外礼儀正しい関係ですが、ここ一番という時に命がけで私を助けてくれたことがあります。そうすると益々生涯の友となります。親友が沢山いると胸を張る人を私はあまり信用しません。お金、職場の地位、健康、思想、色々のつながりは大事ですが、何といつても全知全能の神様が一番の親友となった人は幸せです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年06月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
どんなに逞しい人でも生身の人間であれば寂しさを何かに置き換えようとします。無意識に置き換えるのは当然の営みですので心配はいりませんが、ただ次のような場合は問題です。職場での不安、怒りを家庭に持ち帰り家族に八つ当たりする父親は沢山いますので、その子供たちや妻は大変です。感情の転移、投影、色々のケースがありますが、お父さんがこの自分の心の防衛機制の実情を認知した場合と、そうでない場合は家庭の幸せが大いに左右されてきます。お父さんがこの心の働きの仕組みを知らないと悲劇が起きます。認識すれば妻と子供たちは助かります。お父さんは職場の不安、怒りを赤ちょうちんで解消してから家に帰るか、別なものに置き換えて帰るかして下さい。私の場合は色々の思い出のあるロザリオを入れた袋を胸に、カバンに、入れて安心しています。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年06月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
中学生の頃、何故か国語の先生が私を大事にしてくれ、その好意に感謝しているうちに国語の勉強を熱心にしていました。成績もあがり友達も増えだします。この場合の<置き換え>について考えてみます。昭和20年8月に終戦、神奈川県逗子の葉山から父の郷里新潟県栃尾市の山奥へ疎開、
小学時代も終わり、中学の時、少し都会の長岡に引っ越しましたが、同級生は生まれたときからの友達なので、疎開してきた私は友達がなかなか生まれず、寂しい毎日でした。そんな時代の出来ごとです。孤独感というストレスを国語の先生のお陰で救われました。孤独を勉強に置き換えることでストレスが解消された次第です。心の防衛機制という精神作用がある事を、当時、誰かが教えてくれたら、子供なりに上手に感情生活は豊かになったことでしょう。子供だから難しいだろう、と大人が考えるのはいかがなものでしょう?子供にもきちんと解説していくと子供なりに自分の感情を上手にコントロールするものです。幼稚園の子供に理解出来るように説明していた場面を見ていたく感動したことがあります。あの幼稚園の先生は偉いなあ、どうしておられるやら。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年06月16日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
心理療法をしていると、どの時代でも国民は政治から沢山の不安感、怒り、憂鬱なことを貰っています。政治から影響された不安感を上手に昇華させて仕事へのエネルギーに置き換えているひともいます。毎日の新聞テレビから影響されてくる嫌な感情について人々はきちんと意識しておかないと家族や周囲の人々に迷惑をかけます。政治への不満をどんどん政治家、特に自分の選挙区の政治家にメールでぶつけていきましょう。自分の選挙区の政治家以外に郵送した苦情書はすぐゴミ箱に捨てられている実情を私はしばしば目にしました。資金問題,そのほかの問題があれば、国民は大いに怒るべきで、その不満のぶつける先は自分の選挙地区の政治家にぶつけるのが一番良い方法です。政治への不満感は地元の政治家にぶつけないと、日本政治はよくなりません。

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