生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

薔薇は私の幸福の原型

2005年12月31日 | 第2章:心理療法の基本
今日は大晦日、今年も色々ありました。まして台湾で生まれて今日までは戦争あり、疎開かり、喧嘩あり、初恋(片想い)、飛行機事故、海外での暴動に遭遇、その他、諸々、ありました。さて人の大脳は約140億の脳細胞がありますが友人の大脳学者に言わせるとその数パーセントしか使ってないそうです。現代の宗教心理学でも、記憶は魂(臨終と共に身体から離脱していく知的生命体)の作用か、生物体としての大脳の作用か、学説の別れるところですが、人それぞれの生育史で記憶された幸福の思い出が、これからの生き甲斐探索を左右しているのをご存じでしょうか?人の意識の世界には確実に潜在意識と顕在意識が存在していますが、生き甲斐探索で見逃してはならない意識がこの潜在意識です。つまり子供の頃の美しく、楽しく、幸せな思い出が生涯を支配していて、無意識のうちに、子供の頃の幸福を掴もう、掴めるはずがない領域の幸福まで、人は深層心理の中で追求しています。その思い出を意識しているか、意識していないかに、かかわらず、これからの自分の人生での幸せ、自己実現、生き甲斐探求のあり方を左右しています。子供の頃の幸福な思い出を言葉にしようとしてもそれは難しく、幼い頃の幸福全般を何か、小さな象徴にすり替えて意識しると、とても便利な<心の整理をする際のツール>となります。いちいち言語化すると誤解や独断的な偏見になり、せっかくの独創性にブレーキをかける場合も出てきます。そこで私は長年の心理療法生活で薔薇を私の幸福の原型と位置づけました。散歩の途中、小さな小さな一輪の薔薇を見かけると、瞬間にして、私の心は幸福に満ちあふれ、大きな大きな感動を覚えます。現実の生活で、人の優しい、暖かい愛情に触れると、その薔薇は益々大きくなり、何とも言えない幸福感を私に与えてくれます。是非、皆様も幸福の原型をお好きな花に象徴して、日々の厳しい生活の瞬間を5分でもいいので、幸福な瞬間に変身させて下さいね。その5分の幸福感が人の心に大きな余裕を与えます。ではまた明日お会いいたしましょう。良い年をお迎え下さい。
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爽やかな五感と体感は人生の宝

2005年12月30日 | 第2章:心理療法の基本
身体症状(食欲が無い、やる気がない等)を五感・体感として感じる日々は、何となく暗い気分です。これはこれで重要な生き甲斐探索のシグナルです。しかし極端な例ですが、末期癌の患者さんの中に、無理をして明るいのではなく、自然体ではあっても、実に爽やかな明るい患者さんが居るのも事実です。人の心は本来、自由な領域で、誰にも侵入されない世界です。遺伝、持病、急な病気、急な辛い事件から、とかく暗い気分になっても、それに支配されるのも馬鹿馬鹿しい場合もあります。心は自由な世界ですから、同じ人生の時を送り同じ努力をする必要があるのならば、せめて心の中でのイメージは爽やかな五感と体感で支配させましょう。森の中を散歩し可愛い小鳥や野の花を見たりする時の体感・五感、大好きな人と楽しい愛の会話をする時の五感と体感を想い出しましょう。5分でも10分でも、爽やかな五感と体感を回想する時間を持ちましょう。その爽やかな五感は人を健康にしていきます。イメージと言うものは身体を健康にするホルモンをどんどん分泌させていきます。暗い、暗い気分とかイメージがありますと、身体を害するホルモンがどんどん分泌されてきます。イメージはホルモンを操作します。そこが大脳の良い点でもあり、恐ろしい点でもあります。大脳は真実に支配されるばかりでなく、独断と偏見の知識にも支配されますし、私たちが勝手に空想するイメージからもホルモンは支配されていきます。ですから、せめて心の中だけは、いつも明るく、爽やかにさせていきましょうね。爽やかな五感と体感は人生の宝です。ではまた明日お会いしましょう。いよいよ明日は大晦日、感慨深いです。
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身体症状は生き甲斐探求の方向を示唆する宝物

2005年12月29日 | 第2章:心理療法の基本
<身体症状:眠れない、食欲が無い、お色気が無くなり>潤いの無い人間になってしまった、と大勢の人々が哀しがっています。身体に医学的な原因があれば信頼出来るお医者さんから治療してもらえるのですが、心因性の悩みの場合は薬では治りません。本人自身がきちんと心を整理しながら、その原因を探索しない限り、生涯、いきいきとした自分の人生は確立出来ないでしょう。日常生活での<不安感>を未処理のままにして生きていくと、それが<怒り>の領域に変質していき、原因不明のいらいらを日々感じるようになり、それを未処理のままにしていると<身体症状>が散見してきます。その方の深層心理の中にある生育史上の<理想:こうありたい、こうあらねばならない>と現実のギャップが不安感、怒り、身体症状の原因です。理想と現実のギャップをノートに書き出して、何が、理想か、何が、現実か、を思索すると、悔いのない人生(生き甲斐)の方向がしっかりと見えてきます。身体症状は悔いのない人生の方向を教えてくれる貴重なシグナルである事をしっかりと意識してみて下さい。ではまた明日お会いしましょう。
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怒りの感情、そして愛の感情

2005年12月28日 | 第2章:心理療法の基本
怒りの感情の、すぐその裏側に、深い深い友好的な感情が潜在しています。親の敵、犬猿の仲ならいざ知らず、日常生活での健康な人々、まともな人々の<怒りの感情>はとても大切な人であればこそ、感じるものです。<あ、また怒ってしまった、ああ、嫌だ嫌だ>と自己嫌悪に陥る心優しい人にこの文章は捧げられています。たまたま、<わたしとあなた>の関係にある<あなた>が<わたし>に怒りをぶつけてきた場合、次の事を冷静に、瞬間に、間をおいて、考えてから、反応をしめさないと、私たちは<大きな愛、大きな友情>を失ってしまいます。私が素直に怒りを受け止めた方が良い場合の条件は、<あなた>の関係にある人が<自己肯定、他者肯定>の人の場合のみです。<自己肯定、他者否定>の哲学の持ち主の怒りは、単なる、欲求不満のはけ口で、あたを怒っている場合が多いのです。相手の哲学が常に<自己肯定、他者肯定>の人(愛情の深い人)なのか、<自己肯定、他者否定>の人(傲慢な人)なのか、十分注意しながら生活しましょうね。
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怒りの感情

2005年12月27日 | 第2章:心理療法の基本
美しい自問自答は人を幸せにしていきますが、怒りの感情の処理に失敗すると、人をどんどん不幸にしていきます。怒りの感情での自問自答は政治家、最高の国家権力者なら、歴史を変えていく要素があります。今日はその怒りの感情について考えてみましょう。他者(あいて)に向ける感情処理はここでは考えません。自分に向けた怒りの感情処理を上手にする方法を考えてみましょう。<あ、また、怒ってしまつた。ああ、嫌だ、嫌だ>という自分の感情処理の対策です。怒りの感情が無くなると、そこに必然的に発生する感情が<友好的感情>である現象を案外、人々は知りません。<怒り>と<友好的感情>は深層心理学では兄弟なのです。怒りっぽい人は人に嫌われますが、不思議な事にそんな人程、深い情を持っている人が多いにです。愛に殉ずる聖人には非常に怒りっぽい人(例えば私の霊名の聖人パウロ)が多いのです。自己嫌悪が一番怖いのですが、この自己嫌悪に陥る前に、もし、怒りの感情が激しく湧き上がってきたら、逆に、この激しい感情の裏側には、人に愛される友好的な感情、人への深い感情へと激変するキツカケなんだ、と思ってみてください。怒りの感情はほぼその人を不利な立場に追い込んでいきます。怒りが激しい程、その裏には、激しい愛が潜在している事を冷静に回想してみて下さい。上手なセルフコントロールが出来るようになります。明日、もう少し詳しく解説していきます。ではまたお会いしましょう。
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不安感は神様からのプレゼント?

2005年12月26日 | 第2章:心理療法の基本
人類から<不安感>を削除したら学問・科学の発達はあり得ません。さて、日々の生活で感じる不安感をバネに、逞しく、自分の望む道を生き抜いて、成功している人、逆にその不安感に支配されて心を病んでしまう人、この分かれ道はどこからくるのでしょうか?専門用語に<セルフ・コントロール>と言う言葉があります。生き甲斐探索の世界ではこのセルフコントロールを次のようにして使います。不安感の実態はその方の<理想:こうありたい、こうあらねばならない>と現実とのギャップを私たちは不安感と呼んでいます。日々感ずる不安感を10個、探して下さい。その10個の理想と現実のギャップをノートにしっかりと書き出して下さいね。この手法を<エゴ・ダイナミックス・ノート>と言って世界的に使われている生き甲斐探索の手法です。この書き出した理想と現実のギャップを冷静に観察すると今後、どう生きたら生き甲斐が見つかるか、そのアイデンテイテイーの統合の方向が見えて来ます。そのノートの中で、同時に成立しえない理想が見つかった場合は、どちらか一つをそぎ落として下さいね。二兎を追う者は一兎も得ず、です。このように不安感は本来、人を平安感に導く為の神様からのプレゼントなのかもしれません。不安感と平安感は兄弟ですので、不安を感じたら、心の安らぎ、平安感は、ほとんどもう手に入れたと考えて下さい。不安を解消した後の感情を心理学では平安感と呼んでいます。自分の心のどこに、つながりをつけたら美しい自問自答が出来るか、そのつなげる相手は自分の心の不安感に対して、なのです。これからの人生で、不安を感じたら、これはひょっとして神様が自分を平安感に導く為のプレゼントかもしれない、と考えて下さいね。ではまた明日お会いしましょうね。
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宗教心理学学習のコツ

2005年12月25日 | 第2章:心理療法の基本
日本の医学系大学院でもあまり興味がないようですが、キリスト教国、特にイギリス、フランスの中世期から現代に存続している大学では未だに宗教心理学に基づいた心理療法の研究は盛んなようです。特にウイーン辺りのセラピストのクライエントは現代でも一神教の信徒の精神病は多神教よりも多いと言われています。一概には断言できませんが一神教の患者さんの方が精神作用として<all or nothing>的な傾向があります。厳しい倫理・道徳から自分を裁く深い悩みと身体症状が散見されます。光と影が強いのはそれだけに真理性が高いのかもしれません。さて私の長年の心理療法上の信念は聖パウロの言葉<人の身体は神の神殿>です。つまりどんな患者さんの場合でも、病理論の話ですが、その医学的、心理的な治療目標上の回答は医者やセラピストの側に存在しているのではなく、必ず患者さん(クライエント)の深層心理、身体、魂の中に存在している、という確信です。ですからセラピストは患者(クライエント)との共同作業としてのセラピーをする事が重要だ、という考え方で仕事をしてきました。この手法を用いながら生き甲斐とは何か、その答えを生き甲斐探索をしている人の深層心理から発見しよう、という方針でこの講座を展開しています。答えは私の方にはありません。生き甲斐を探索している人の心の奥深い中から、現代心理療法の理論を応用しつつ、共同作業をしながら、答えを見つけましょう、という方針がこの講座の特色です。
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美しきかな、クリスマスイブのミサ

2005年12月25日 | 第2章:心理療法の基本
<困った時の神頼み>で昨夜は久しぶりで夜のクリスマスイブのミサにあずかりました。アフリカ等をオートバイで走り回った知人が病で倒れたり、若い少年の交通事故から立ち直った両親が洗礼を受ける今夜のミサを、神様と自問自答したくなったからでしょう。台湾生まれの私は寒い夜は苦手ですが、神様と自問自答したい情熱の方が強かったに違いありません。人間の悲劇、哀しみを、直接神様に文句を思い切り、言いました。一夜、あけた今、昨夜の自問自答を振り返り、咀嚼すると、その神様との自問自答は実に美しく甘く切ない楽の音に合わせたようなミサ祭典でした。私の不安感も、最後は全知全能の神様に委ねざるを得ない自分を知りました。人間の力では、どうにもならない事が地上には多すぎます。私の不安、怒り、憂鬱な事、これら全てのストレスを誰かに一度安心して委ねてしまいたい想いがありましたが、何か、逃避してしまうようで、嫌でしたが、クリスマスイブのミサの中でなら、いいか、神様になら、いいか、思い切って一度委ねてしまえ、と委ねてしまいました。結果として、楽になって、またやるぞ、と勇気がわいてきた自分を知り、卑怯にも神様に全てを委ねた自分を褒めてあげる事にしました。問題から逃避する、という事ではなく、1時間のミサの間だだけでも、全てを誰かに委ねたこの安心感、平安感、幸福感の明るい感情は、自分の力では得られないものだなあ、としみじみ感謝しながら寒い寒い苦手の夜のミサに感謝しました。どんなに努力しても得られない感情がクリスマスイブのミサで得られました。これぞ、神に感謝です。自分の心を神様につなげて生き抜く知恵はどこから生まれるのかなあーーー。
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天使か、悪魔か

2005年12月24日 | 第2章:心理療法の基本
<あなたは私の太陽だわ、君は私の薔薇の花>が数年後<あなたは悪魔だわ、君の実態は魔女だ>と錯乱して泣き騒ぐ二人、そして<有難う、有難う>と感謝しつつ、天使のように優しい看護婦さんの手を握りながら息を引き取る元何とかの老人。これも人生の一こまです。さて<私は天使かなあ、悪魔かなあ>と悩む人は美しい自問自答をなさっている人々です。この自問自答こそ、自分の心につながりを持とうとしている美しい人々だと、かねがね、私は思います。夫婦、親子、職場、逃げ出したくても逃げ出せない<わたしとあなた>の人間関係が天使のように美しい関係はそのままで良いのですが、辛い針のムシロの日々、心のつながりを持ちたくても持てない関係を楽にさせる方法がこの自分の心につながりを持とう、とする知恵です。自問自答を美しくすればする程、周囲が悪魔の世界でも、誰からも侵害されない自分の心の中で、美しい自問自答をすれば、心は穏やかな天使の世界を保持出来ます。その方法を明日、また一緒に考えていきましょうね。
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心のつながりは愛のきざはし

2005年12月23日 | 第2章:心理療法の基本
心理療法の仕事をしながら、いつも考えさせられる事があります。生き甲斐喪失をしやすいパターンが、だいたい教科書通りなのです。何が教科書通りかと言いますと<心のつながり>という言葉を意識しているか、していないかが、人々の幸福の分かれ道だからです。<心のつながりは愛のきざはし<階段の事>を意識しながら生きている人は、何故か明るく、自然にのびのびと楽しく生きているタイプが多いのです。心のつながりを意識すると、何となく、さりげない日常会話が楽しくなります。生き甲斐の心理学では<私とあなた>の関係を重視しつつ色々思索しますが<あなた>の立場の人が<こころのつながり>を重視しないタイプの人ですと<私>の努力は無駄になる傾向があります。こちらが<心のつながり>を重視しても、相手が図に乗って<我侭に振る舞いだすようなタイプ>は、多分幸福な人間関係を創造できないタイプなので、残念ですが、幸福な関係は創造できないでしょう。心のつながりを重視する人と幸福な関係を築き上げていって下さい。今、大切な関係にある人が心のつながりを重視していない場合は悲劇ですので明日から当分、どうしたら良いか、その方法を考えてみましょう。そのコツは自分の奥深い深層心理の中の自分、つまり自分と自分の心のつながりを思索していけば解決出来る場合が結構沢山あります。
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優しさはいつも手の中にある

2005年12月22日 | 第2章:心理療法の基本
悔いのない人生、自己実現への道を今、自分は歩んでいるかどうかを、いつも楽しく模索する事自体が、素晴らしく楽しい生き方です。20代の喜び、30代の人生、40代のちょっと哀しみを伴い出す日々、50代の居直り、60代の諦めと猪突猛進、70代の明るい悟り、そのような折々の人生、四季折々の日々の人生に感じる喜怒哀楽を、心から楽しめる余裕がな無いと、悔いのない人生とは、何だろうと明確な答えが見えてきません。日常生活に、どんな事が起きても、これが生命を持つ身の証(あかし)なんだと、自分の命そのものを楽しむ余裕を持ちましょうね。さて、五感の中の<触覚>は愛の世界では一番重要と言われています。恋人が手で確認しながら愛を確かめ合うように、赤ちゃんもお母さんの乳房を手でしっかりと掴みながら美味しいお乳を頂き、成長していきます。祈る人も両手をしっかりと合わせて、手の温もりに神仏の愛を体感し安心しつつ霊操を深めます。この手の温もりは心臓と呼吸がある命ある生物の証、手の温もりは命、神仏の賜、恋人の替わりに、手の温もりから神仏の愛情を感じ取れる人は幸い。手を合わせると心臓の鼓動、脈の鼓動、呼吸の神秘的な営みを感じ取れます。このような触覚をいつも味わいながら安心して生きていきましょう。欧米での心理療法の話ですが、キリスト教国といっても、時々、愛とは何でしょう、という患者が現れます。その時、セラピストは旧約聖書の<雅歌>を読ませ、愛とは何でしょう、と愛のイメージについて語り合います。その雅歌の中の愛の世界を中心に治療を進めると案外、愛の孤独感から救われていきます。その雅歌では<愛のイメージ>が生身の弱い人間をしっかりと意識した上で、正確に描写されています。この人間くさい、生々しい雅歌を、これから生きていく上で一番重要な<愛のイメージ>として活用してみて下さい。愛のイメージが悪いと悔いのない人生を歩んでしまいます。人間らしい綺麗な愛のイメージを努力して創り上げておいてください。人は考えた通りの人間になる。これは真実です。しかも綺麗な触覚を伴う愛のイメージが私たちの悔いのない人生の方向を示唆してくれます。ではまた明日お会いしましょうね。良い日をお送りくださいね。
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視覚の喜びは神聖な領域

2005年12月21日 | 第2章:心理療法の基本
生き甲斐追求、悔いのない人生、自己実現への道を思索する際、自分の五感の喜びと感動を伴わない道を選択すると、数年後、色々と心理的な障害が起きる場合があります。人間の身体は遺伝(DNA)という生物学上の原理原則を、自然の摂理の一つとして、良い意味でも悪い意味でも支配されてはいますが、有り難い事に人間には<自由意志>が神様から与えられているので<自分の心の領域>は誰からも支配されない神聖な領域です。神様ですら人間の自由意志の世界には土足で踏み込まない、と言われています。その自分の自由な領域の世界でも、五感の中の<視覚>は、昔から(百聞は一見にしかず)の諺通り、目で見た喜び(宇宙、森の綺麗なお花、可愛い小鳥、恋人)は生涯、忘れられない美し思い出となり、人々を幸福にします。自分の視覚に汚い世界だけは見せないように注意しましょうね。汚いものにも人は惹かれる傾向がありますが、汚いものは所詮汚いもの、しかし、見てしまったなら、意識して、更に美しいものを見れば、汚いものは、自然消滅していきます。美しいものは本当に人を幸せにします。世界の美術館には数千年間も人の心を惹きつけた名画が沢山あります。まずは綺麗な名画を楽しみましょうね。さらに身近な草花、身近な小鳥(雀、良寛和尚様が大好きな雀)のかわいさ、美しさを洞察する習性をつければ、人は自己実現の方向を自然体の中で気づいていくものです。今日は皆様の日常生活での視覚を意識するか、しないかで、人生が大きく変化する事を共に思索しました。ではまた明日お会いするのを楽しみに。
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自然の聴覚は自己実現への道

2005年12月20日 | 第2章:心理療法の基本
久しぶりに大自然の波の音を深夜、聴きました。ドドドー、ザザザー、と繰り返し繰り返し、恐ろしい感じで私に迫ってきました。太平洋の波の音です。現世人類(ホモサピエンス・サピエンス)が地球上に現れたのが学者の諸説を総合すると33,000年前から40,000年前です。地球に生命体が出現したのがほぼ36億年前。多分、海から地上に生命体が一部移行したらしいのですが、DNAの勉強をすると、私が感じた海の音を恐ろしいと感じると同時に、何とも言えない愛情を感じたのは理由があるのでしょう。悔いのない人生、自己実現への道を模索、探索する場合<五感の聴覚の心地良さ>、その居心地の良いものを、選択肢の余地に入れておいて下さい。つまり本能、五感、体感を無視した選択肢は、その場では、理性的な自己満足を感じますが、3年、5年経過する内に、多分、消滅していく可能性が高いのです。知情意、理性優先、科学万能、という偏見よりも、生身の人間の直感、五感、体感は、非常に神秘的な、哲学的な領域である事をお忘れなく。今日は聴覚の重要性を皆様と考えました。ではまた明日、お会いしましょうね。クリスマスが近づいてきました。心を自然の摂理、美し夜空、散りゆく美しく切ない枯れ葉、冬の渡り鳥の必死に互いを労りながら南の国に飛んでいく時の、互いを思いやる愛の叫びに似た鳴き声を意識しながら、美しく良いクリスマスをむかえましょうね。
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美しい香りは生き甲斐探索の条件

2005年12月19日 | 第2章:心理療法の基本
私のプロフィールに美しい薔薇の花が気障ですが掲載されています。この薔薇の香りは私の日々での大切な美しいものの一つです。この尊敬に値する薔薇は古来から人類に愛され、白い薔薇は聖母マリア様にたとえられる存在でもあります。古代インドでも中近東でもエジプトでも、美しい香りを求めて賢人達、王様は長い旅に出て行きました。それくらい美しい香りは人々を<幸福感>に誘います。その<五感と体感>が自分の人生、悔いのない人生を選択していく重要な選択肢選定基準となると、その人らしい選択が出来、充実した日々を送る知恵も生まれてきます。日々の自分の五感と体感から、遠く離れた偽善的な生活をしたり、人生での色々の選択肢をする際の<選択をする>際の基準感覚を正直に意識して選択しないと、後で、悔いだらけの人生を送ってしまいます。嘘、偽善、自分に不正直、この習慣の空しさを打破してくれる修行の一つでもあるこの薔薇の香り(自分にとっての、気品ある優雅な香り、である事が重要)、<美しい嗅覚>の重要性を改めて認識しましょうね。では今日はこれでお終いです。またお会いしましょうね。良いクリスマスをお送り下さい。
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身体の生き甲斐を見つける方法

2005年12月18日 | 第2章:心理療法の基本
生き甲斐を見つける方法で無視してはならないのは、意識の上で、自分の魂の生き甲斐、心の生き甲斐、身体の生き甲斐、と気楽に思索する事です。今日は身体の生き甲斐を探索する上で、重要な<意識>を考えてみましょう。笑わないでくださいね、それは美味な食べ物。以前、バベットの晩餐会、という映画がありました。フランス革命の頃、パリの有名な女性のシェフが、田舎の漁村に亡命し、そこで美味な料理を提供すると、心のすさんで惨めな生活をしている人々が明るい、幸福な感情に満たされ幸せな日を送るノウハウに気づく映画でした。そのように、医学的な健康は当然配慮しなくてはなりませんが、五感の中の味覚を忘れると、自己実現の道を探索する事が不可能になります。是非、五感の中の味覚を深く、深く、哲学的に味わって下さいね。今日はこれまで。ではまた明日お会いしましょうね。
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