生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年12月31日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
一人になるのを恐れる人がいますが、これは生育史の関係でやむをえない現象です。しかし一人になるのは幸福感の前提条件なので修行して何とか一人が怖い、という現象を減らしていきましょう。森の中の散歩は友人と歩くのも楽しいのですが、ときどき一人で歩くと別な豊かさが湧いてきます。平安感、友好的な感情、健康感、幸福感、生き甲斐を感じる孤独感はまずは健康な内向と言えます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年12月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
公式の柔道の大会で勝ったり、大学試験に合格したりした場合の勝利の快感は生涯の思い出ですが、喧嘩で勝利した快感はあまり楽しくなく、むしろ何となくじめじめした暗い感じです。この何となく暗い感情になる理由は<愛>の領域ではないからです。愛とは何かを思索する楽しみは人類永遠の課題ですので是非、皆様も考えてみてください。愛とは何か、人を大切にする、大事にする、愛するとは何かは答えが出ません。しかし深い研究課題です。勝利の快感は人類愛を離れたものからは絶対に感じられないものです。暗い快感は人をどんどんだめにしていきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年12月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人間関係の中で何故、あんなにも過剰に内向してしまい自分を苦しめてしまったのか、過去の生育史を想うと沢山あります。周囲の全員が敵に見えてきたり、自分を愛している人が誰もいないように思えてきたり、色々です。人は何故、そのような精神状態になるのでしょうか?一番の原因は孤独感ですが、その孤独感に自分を追い込んでいく原因は大きく分けると二つあります。ひとつは挫折した場合、もう一つは自分の良心に何か恥ずべき事がある場合です。いくら友人が激励してくれても立ち直れません。この孤独感の原因はすべて自分にあります。自分の孤独感を癒してくれる確実なものは祈りの心境かもしれません。神仏に一人静かに祈りもとめる習慣は人生の宝物です。次は一人静かに心の中で<ありがとうございます>をすべてのものに向けてつぶやくこと、最後の最後に周囲の人を<期待しないで信じてみる>ことのようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年12月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
どんな場合でも相手を無意識に攻撃してしまうタイプもあれば、とかく病的にまで内向してしまうタイプもあります。ここでは良い、悪いの問題としてではなく、そうしないと心の平安が得られない人間のありようについて思索していきます。20歳を過ぎると<三つ子の魂、百までも>の諺ではありませんが、自分の性格を無理に修正する無駄な努力はやめたいものです。むしろその傾向を活かして自分と人の幸せを考えたいもの。攻撃的なタイプはそのエネルギーをどこに向けるか、自分で考えていく必要がありますが注意点はただ一つ<自己肯定、他者肯定>の攻撃をする事しかありません。例えば職場で、好きな人を虐める他者を一緒に反撃してあげるとか、好きな人が過剰に内向している場合は、寄り添って考えてあげるとか、いろいろあります。避けるべきは<自己肯定、他者否定>の攻撃と内向で、そのありようは自分と相手を不幸にしていきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年12月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
楽しい友人との出会いの場はまさに天国です。その場が天国だ、と言われても不満はありません。人は案外、<今、ここで>だけを見た場合、ここが天国だ、と解釈しても何の不満も無い世界だと断言するのを恐れているのかもしれません。この世は地獄だ、という場面も多いのですが平凡で普通の生活だと思っていた場面でも、解釈いかんでは天国と思える場面が沢山あります。解釈いかんでは天国に思える場面を先入観念からあえて無理に地獄だと解釈しているとすると実にもったいない気がします。素敵な友人と楽しんでいる時間をどう解釈するかは人間の自由なのですが森羅万象をどう解釈するかでこの世が天国ともなり地獄ともなるのは何故でしょう?考え方と解釈を変えると世界が変わります。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年12月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
<自分の良心への呵責>から人は神経をすり減らしていく傾向があります。私もあまり人の事は言えませんが人生のある時期、とても自分の良心に対して過剰に反応した為に生きるのが辛い時期がありました。人はこうして段々と器が大きくなるのはわかりますが辛いものは辛いのです。罪悪感は人類の大きな課題ですがこの解決は哲学では無理なようです。哲学は役には立ちますが私の場合は自分の死後の魂に深く関係している為にどうしても信仰を求めていかざるを得ません。この世とあの世の問題となると宗教の領域に入ります。自分の罪や良心の呵責、自分の足りない部分からの苦しみを解決する思想は万とありましたが単純明快な思想は<十字架の贖罪と復活の思想>でした。さらには<信じて見えてくるもの、見えなくなうもの>という比較宗教学との出会いが無ければ私は病院に入っていたことでしょう。贖罪の思想は宝くじのようなありがたい思想でした。それも息を引き取るとき一言<神様許して下さい、私を天国に入れて下さい>でいいのです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年12月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
会った途端に恋をしていく男女は成育史の関係で人に言えない色々の事情を抱えていますので非難できません。人は誰でも愛の孤独感にさいなまれています。しかも人間の本質は<不安>なので少しでも苦しいことに遭遇すると共に助け合って生きていける異性を求めるようにできています。心と身体は永遠に何かを求め続けます。自分の持つ魂が神様の愛に触れるまでそうさせるようです。この傾向は人類の歴史を見るとすぐわかります。魂は完全な愛を求めているとカトリツク神学は主張していますが、それも人々がこの世でも幸せに生きていける為のノウハウでしょう。今度こそ間違いのない愛との出会いだと判断する前に心の中の不安感を恐れずに見つめてみましょう。すぐ愛してしまう自分の傾向には根の深い孤独感がありますが、その孤独感は非常に大事なもので、どうなればこの孤独感が消滅するか、愛の問題ではなく生きがいの問題かもしれません。自分の人生は何のためか、生き甲斐は何だろうか、自分は自分の魂、生育史、身体を大事にしているだろうか、この3つを静かに考えているとすぐ惚れあう癖は消滅していきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年12月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
会った途端に恋をしていく男女は成育史の関係で人に言えない色々の事情を抱えていますので非難できません。人は誰でも愛の孤独感にさいなまれています。しかも人間の本質は<不安>なので少しでも苦しいことに遭遇すると共に助け合って生きていける異性を求めるようにできています。心と身体は永遠に何かを求め続けます。自分の持つ魂が神様の愛に触れるまでそうさせるようです。この傾向は人類の歴史を見るとすぐわかります。魂は完全な愛を求めているとカトリツク神学は主張していますが、それも人々がこの世でも幸せに生きていける為のノウハウでしょう。今度こそ間違いのない愛との出会いだと判断する前に心の中の不安感を恐れずに見つめてみましょう。すぐ愛してしまう自分の傾向には根の深い孤独感がありますが、その孤独感は非常に大事なもので、どうなればこの孤独感が消滅するか、愛の問題ではなく生きがいの問題かもしれません。自分の人生は何のためか、生き甲斐は何だろうか、自分は自分の魂、生育史、身体を大事にしているだろうか、この3つを静かに考えているとすぐ惚れあう癖は消滅していきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年12月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人間業の一番辛いところですが蓄積したストレス(不安、怒り、鬱)に気づいていないと思わぬところで大爆発が起きてしまい悔いを残す失敗をしでかします。ですからストレスが貯まってきたなあ、と理性レベルでも必要ですが、特に五感と体感で感じる訓練をする必要があります。五感と体感で分かる、と簡単に書きましたが感受性訓練を生涯してきても未だに掴めない事例があるのです。特に理想や夢に燃えている時とか、片思いの恋人が出来たとか、何かの慾に心が向いている時は、冷静な五感と体感が働かないのです。このところ、猛暑の連続、気付いた時は意識喪失、では遅すぎます。しばらく過剰反応について思索していきますが過剰反応をすると間違いなく人生が変な方向に流れますので、どうしたら事前に防げるか、自分の成育史を中心に考えていきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年12月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人は非常に気が弱い動物で一見逞しそうでも内心は案外びくびくしています。人は魂を所持していてその魂は欧米の比較宗教学の定義を借りれば魂は愛そのものと言われています。戦争をしている国があっても心と身体は戦争をしているのですが魂は愛しあっているという定義があります。ですから戦争中はその関連国の人々は大きなストレスが蓄積しています、つまり魂は愛し合いたいのに心と身体が憎悪に渦巻いているので身体症状が重症化されていきます。<魂>と<心と身体>の戦いは人を破壊させていきます。愛し合う世界以外に人の心の平安感はあり得ません。もし反撃すべきものがあるとするとそれは正しい自己分析をしてみて魂と心と身体が分離していないかどうか検証しもし心と身体が人を攻撃してばかりいる傾向の自分に気づいたら自分の心と身体に反撃開始をして愛である魂をより大事にし優先する考えを養う事が自分を幸福にする近道のようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年12月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
神様の愛を信じている人は不思議な事に全知全能の神様に始終怒りをぶつけ爆発しているようです。つまり日常生活の文句を周囲の人に言わないで直接神様にぶつぶつ文句をいっているのです。その信仰者のイメージは自分の文句をにこやかにほほ笑んで聴いている神様のイメージがあるので何でも言えるようです。その代わり時々膝まづいて己の至らなさを胸を叩きながらお詫びしているようです。ですから案外、心にはストレスが貯まりません。下手に心の狭い恋人に文句を言って恐ろしい反撃にあうよりは、大好きな神様に安心してぶつぶつ言う習慣がついたのでしょう。そうすると平素、文句タラららの恋人が時に優しいまなざしや言葉を自分にかけてくれると涙が出るほど感動して大喜びします。信仰者の心は想像以上に平安感に満たされているようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年12月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
本当に深く愛し愛されていた男女が驚くべき憎しみに変身し悲劇が起きる事件は日常茶飯事です。愛と憎しみは紙一重ですので要注意の問題ですが、これとても不安感を賢く語り合い大爆発する前に愛の確認をしあいながら生きていく必要があります。他民族の欧米で毎日のように<愛している>と確認しあうのは日本人には信じがたい光景ですがこれが人間の本質をついた賢い習慣と言えるでしょう。人間の本質は不安だという真理を人は案外知りませんので日本人と言えども愛しているという意思確認は必要です。特に若い人々はこの愛の確認を毎日していく必要があるようです。あーめんどくさい、と言う人は、相手の心には大爆発が迫っているかもしれません。相手に気味悪いなんて言われない程度に愛の表示は上手になさいませ。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年12月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
平素嫌な人だなあと感じていた、まさにその人から人前で馬鹿にされたり明らかに辱めを受けたり嫌みをされた場合、平素、にこにこして平然と対応していたのに、その時ばかりは周囲を考えずに反撃した事があります。しかも徹底的にたたきのめした経験があります。人生に一つか二つですが私自身も信用を失い相手も再起不能でした。この苦々しい体験の後は、過剰反撃はしないことにしました。我慢に我慢の忍の一字の生活をしていると大爆発するのが人間です。蒸気を出す小さな穴がやかんにあいていますが、蒸気は少なく出し続けたほうが安全で平穏なようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年12月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
平素嫌な人だなあと感じていた、まさにその人から人前で馬鹿にされたり明らかに辱めを受けたり嫌みをされた場合、平素、にこにこして平然と対応していたのに、その時ばかりは周囲を考えずに反撃した事があります。しかも徹底的にたたきのめした経験があります。人生に一つか二つですが私自身も信用を失い相手も再起不能でした。この苦々しい体験の後は、過剰反撃はしないことにしました。我慢に我慢の忍の一字の生活をしていると大爆発するのが人間です。蒸気を出す小さな穴がやかんにあいていますが、蒸気は少なく出し続けたほうが安全で平穏なようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年12月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
フロイドやユングが14の防衛機制を発表してから沢山の神学者はこのテーマを考えました。約80億の人類が持つ劣等感の原因は全て違いますので、対応の方法もそれぞれ違います。劣等感は悪いものではなく必要なものですから解釈さえ間違えなければ人をより幸せにしてくれる大きなエネルギーとなります。この劣等感を解消する為には人さえ殺してしまう事例も沢山あるくらいです。さて自分に応用する秘訣は(1)自分は何の為に生きているのか(2)自分の生き甲斐は何か(3)自分は自分の魂、成育史(心)、身体を大事にしているか、この3つに関係する劣等感なら真剣に模索し、これ以外の劣等感は低次元のものなので無視しましょう。

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