生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年04月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
有名な出雲の神様「アボノオオカミ:阿菩大神」の神話はとても楽しいお話です。大和三山の神話ですが男の神様である天香久山が女性である畝傍山に想いを寄せているのですが畝傍山は男性である耳成山に心を寄せています。ややこしい三角関係のお話ですが、その争いを出雲の神様「アボノオオカミ」が心配して仲裁に旅立つのですが、途中で解決したのでプリプリして出雲に帰ってしまいます。この嫉妬する自分が怖いと感じる事があります。嫉妬は人生を破壊していくことが多く人生体験から、嫉妬する自分を恐れる事例が案外多いようです。消そうとしてもこの嫉妬心は意識、無意識の世界に現れては消える感情で取り扱い注意の代表的感情です。嫉妬心について考えてみます。






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2018年04月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
大和三山の一つ、畝傍山、この神聖な山は橿原神宮を経て神武天皇御陵に向かう参道から登山道になりますが、その登山道の入り口に不思議な神社があります。東大谷日女命神社です。この神社に祭られている女性はかの有名な大国主命のお孫さんで、かつ、神武天皇のお妃様でもあります。この神社は私には何故か神秘的というよりは不気味な雰囲気を感じさせていましたが、その森で何故か太極拳が舞いたくなりました。早朝、太陽が木の間から差し込む辺り、落葉土で足が少し埋まる感じの土地で、いかにも古代の香りがする場所です。一人で演舞する内に何故か、気持ちが重くなり、もうやめようかなあ、と感じました。舞おうとするとその意思を妨げる嫌な気分になるのです。ここで止めるのも人生の敗北になるような気分も片一方に湧き出す不思議な土地でした。演舞を続けさせてのは木の間からさす太陽の光りでした。太陽の光を心に感じると意欲が湧きだすのです。24の型を演舞をしていると落葉土なので足が沈みます、或時は、大きなミミズが私の足を打ち、或時は子供のころ慣れ親しんでいる蛇が悠々と流れるように演舞の足元を横断します。15センチはある大きなミミズ、枝に見える大きな虫、そして蛇、この大自然の中の太極拳は今回は勇気のいる演舞でした。海外でも海辺、砂漠、森の中、と色々楽しんできましたが、この畝傍山の早朝の太極拳は不思議な流れでした。大きなミミズは気味が悪く、1メートルくらいの蛇をまたぐ時は怖い感じでした。しかし逃げ出す気は何故か全く無く、むしろ私の生育史の汚れと禊の貴重な賜物のような気分がその時、私を支配していたのです。珍しい人生体験でしがた、これは畝傍山という環境が生んだ珍しい風景なのでしょう。怖い、気味が悪い、という感情にも汚れと禊、つまり魂の領域の精神作用もあるようです。舞い終わった時は木の間からさす太陽の光に思わず手をあわせてしまいました。これほど太陽の光が私を勇気づけてくれたのは初めてで古代やまとの聖なる山で太極拳を演舞出来た我が人生に感謝です。










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2018年04月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
一時期、怖いという感情は男らしくない、という事で、折角、湧き出した「恐怖感」を否定したために、死にそうになったことがあります。1970年代のアルゼンチンでの事件でした。身体が恐怖感を感じてくれているのに、男らしくない、勇気がない証拠だ、と解釈した私は、別の道に暴動を避けて逃げた事があります。案の定、その逃げた道は怪しげな集団が待ち構えていましたので、また、元の道へと走り出し、結局、暴動の真ん中の群衆の中へと突入し、事件に巻き来られていきます。最初から自分の直感に素直に従ったならば、もっと安全だったかもしれません。無駄なエネルギーを避けられたように思います。その後、暴動ですから、色々変化していくのですが、それはまた、いつか書いてみます。このように五感と体感で感じる直感の中の「怖い」という貴重な感情について暫く思索します。










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2018年04月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
80億の人類の生育史は全部違います。しかしストレス曲線の対処の方法は同じです。はてな?と思うでしょうが、本当に対処の原理は同じなのです。しかし対処の仕方は80億通りあるのです。ですから下記の事例は、その80億の一つです。A君は官僚の息子、新潟県の某市で高校生活を送り、東京の大学に入学、しかし自分にどんな隠された才能があるのか把握出来ていませんのでこれからどんな人生を送るべきか非常に悩んでいます。大学の専門は法学部です。将来どうしたら自分の天命がわかるのか?「生き甲斐の心理学」では、この段階のA君について、どの領域に焦点をあてるべきか、思索します。人生は実際、自分の選択した道を生きてみないと、本物かどうか分かりません。青春のこの時期、確信をもって選択しても、その道を歩み出して、どうなるかは本当にわかりません。日々、選択肢に迫られるのが人生です。さてここで「生き甲斐の心理学」はA君の「思考・感情・行動」の日常生活での在り様を点検していきます。職業選択の領域ですが、A君の日常生活での防衛機制、現実吟味力、アイデンティティの統合に病的なゆらめきがないかを分析していきます。そしてそのA君の傾向と渇望を洞察し、把握していきます。食事の好き嫌い、恋人の選択方法、部屋がかたづいているかどうか、時間を守る男か、金銭の使い方はどうか、そしてほぼ健全だと判断すれば、次はプロセススケールをテキストを見せながら、湧き出す感情をいつもどう解釈する傾向があるかどうか点検します。後は自分が選択した全ての事がらへの自信度を調べていきます。自信がない傾向の場合、生きる意味について語り合います。自分は何の為に生きていこうとしているのか、この段階になりますと、もはや、答えを自分で見つけているものです。腹を据え、えいやあ、とその道に挑戦していきます。失敗しても悔いなし、との決断が生まれますと、人は火の中にでも飛び込んでいくものです。これが出来ない人は死ぬまで、だらだらと生きることになり、何に対しても文句を言いながら死んでいきます。或時期、この勢いで元気よく、しかし、或時期はだらだらと、しかし一生、年がら年中、だらだら人生だけは嫌ですね!







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2018年04月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
心理療法は非常に難しいようですが、心の傷の解消方法は原理としては、どんな場合も同じなのです。ただ難しい点は生育史が違い、人生での出来事の解釈が人により全部違う点です。心の傷をストレス曲線として理解出来れば、あとは、先輩が苦労して創り上げた学問を応用するのみなのです。人間は愛である神様が創造されました。赤ちゃんから高齢者まで全部が全部、この「生き甲斐の心理学」を学習するわけにはいきません。しかし、原理さえ理解出来れば、簡単にストレス曲線に対処する知恵は身についてくるものです。明日、具体的に応用してみましょう。










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2018年04月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
親しい人に去られた時、残された方の心の哀しみ、傷をどう処理したほうがいいのか、「生き甲斐の心理学」ではどう処理するように勧めているのでしょうか?生育史が違いますので一概には該当しないかもしれませんが、キリスト教を背景にした心理療法では下記の事を勧めています。残された方の人の哀しみは当然なものであるので、まずは数日か、数カ月化、数年か、人によりその残像は時間的にどんなに対応しても無理なので、その間、ひたすらに心理療法家は傾聴に徹します。憎悪、挫折感、身体症状等、人により現象が違いますが、倫理道徳の視点は一切持たずに、五感と体感のレヴェルでの感情を、そのまま傾聴していきます。湧き出す感情には意味があり、その解釈も生育史により違ってきます。答えの内容は本人にしか分かりません。答えを心理療法家が教えたら、もう、それでその面談は失敗です。学問の理論(ストレス曲線:不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)を応用しつつ、そのストレス(この場合、離別された方の人の心の傷)をどう幸福曲線(平安感、友好的な感情、健康感、幸福感、統御感の5つ)に変化させるか、それが心理療法家の実力です。答えは赤ちゃんから高齢者まで、心の健全な人から精神病患者まで、その答えは本人の中にしか存在していません。これが答えだ、と本人は「感じる」まで、これが答えだと本人が「考える」まで努力していきます。ストレス曲線が燃え尽きると、心の泉の蓋がとれていきますと、その答えは本人に見えてきます。これを自然治癒力とかホメオスターシスと言います。人の身体は神の神殿と言われ、愛そのものである全知全能の神様は人を見捨てることは絶対になさらないというキリスト教の哲学がオックスフォード大学にもケンブリッジにもソルボンヌにもシカゴ大学、ウイーン大学にも精神文化の底流に流れています。その理論を駆使しつつ「生き甲斐の心理学」の基本哲学、人間論が形成されていて、その人間観から、上記の解決方向の確信があるのです。答えを本人が意識化する手法のベストはストレス曲線をいかに解放させ心の泉をこんこんと湧きださせるか、その実力が心理療法家の修行の方向ですので、心の傷を持つ全ての人はどんな悩みであれ、この解決の方向性さえ意識化しておくと、これからの難しい人生問題を恐れる事がなくなります。








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2018年04月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
親子、夫婦、友達、恋人、親友、いずれも場合でも今まで好意を保持していた関係性が崩壊した時、どんな強靭な性格の人間でも哀しく憂鬱な気分になるのが健全な人間なのですが、何故でしょう?分析が必要な場合と無視したほうが良い場合がありますが、それもその人の自由です。親しい人間関係を持ちたいと願いつつ持てない場合とか、何故、自分は今までの親友が或日、突然理由もわからないまま去っていくのかなあ、と問題意識を持った時、この文章をお読みください。「生き甲斐の心理学」ではその理由をテキストで色々と解説していますが、今日は一つだけ書いておきます。それは「自分が否定」されたと感じた人が自分からさっていくのです。自分が否定された、と感じる理由も万とありますが、去られた方が、その事に気付く場合と気付かない場合があります。去る方も去られる方も生育史が違いますので否定の解釈も万とあります。とにかく去る方は自分が否定された場合、耐えがたい場合に去っていきます。独断と偏見、教養がある無い、僻み根性、疑惑心の強弱、色々ですが、そんな事をここで言いましても意味がありません。去る方は嫌なものは嫌なので、ここではまずは去られた方の心の傷をいかに解消するかを考えてみます。
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2018年04月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
食べ物、職業、趣味を除外して、まずは好きになる人間について考えてみましょう。好きになる対象・人間が自分の人生を決める、という考え方を納得されたでしょうか?変な相手を選択した為に、自分の人生がどんどん狂っていく、切ない体験をすると人はどうなっていくのでしょう?変な親に育てられるとその子供は無意識の内に変な人間に成長していきます。何が変なのかは、ここでは難しく、定義は困難を極めます。ここからが人間の偉大な所ですが、自分を省みて、何か変だなあ、と自分で気付くと、人はどんどん変化していきます。変な自分が変ではなく、親が変だった、と気付く50代の大人は沢山います。変な内容は万とありますが、ここで一番大事な哲学が「自己肯定他者肯定」か「自己肯定他者否定」か「自己否定他者肯定」か「自己否定他者否定」か、この4つの人間関係論から変かどうか自己分析してみて下さい。自分も幸福、相手も幸福、という考え方、共存共栄が基本です。もっとも暴力を使う人間、暴言を吐く人間とは、こんな優しい哲学を共有する必要もなく、案外、戦いが必要かもしれませんが、まともな人間同志ならば、この共存共栄の努力をする価値があると思います。好きになる対象の人間を再度、この4つの分析をしてみたらいかがでしょうか?











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2018年04月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
好きになる対象のお話です。何が好きになるかで人生が決まるのは間違いありません。さて、皆様はなにが好きですか?生き甲斐の心理学では好きになる対象を3つに分類しています。魂の領域(信仰の世界、宗教学の世界等精神文化的な領域のこと)、成育史(自分の誕生から現在までの色々の出来ごと、固執障害、夢や理想等の、どちらかというと臨床心理学的な領域を意味します)、身体(五感、体感、病気、本能、その他生物学的、基礎医学的な領域)を意味します。この好きになる対象を心理学の立場から考察する場合、人間とは何か、という哲学的領域が明確な世界観を背景にした比較文化、比較宗教学の常識がないと、その話は次元の低い学問となります。好きになる対象は必然的にその人の人生を決定していきます。恋人を選ぶ場合もこの3点から、意識して選んで下さい。学問は事の表現を難しく表現する悪いくせがありますが、それは概念で戦争を起こさない為、喧嘩をさせない為、会話を混乱させない為です。赤ちゃんから高齢者まで、地球のどんな文化圏に属する人のつぶやく言葉でも、この範疇に属する会話をしています。赤ちゃんが泣くのもこの3種類です。母の愛情を求めて泣いているようでも色々の姿があり、更にはお腹がすいてなくのはこの身体の領域、とう風に、現象をこの分類で思索する人は錯乱がありません。暫く、このテーマで楽しく思索していきます。好きになる対象で自分の人生がきまるのです。人間が錯乱しないで生き抜く為には、自分なりの基準を所持していないと、周囲に巻き込まれていきますので、これを契機に是非、自分の思索基準を持ちましょう。柔軟に比較基準と言われているのがこの考え方です。お互いに頑固者と言われないようにしつつ、明るく元気に生き抜いていきましょう。








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2018年04月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
20代と40代の「好き」と言う感情の取り扱いの違いについて、もうひとつ意識化しておきたいことがあります。40代での夢の実現の方法について知らないと晩年の人生が相当違ってきます。40代は人生を左右する年代です。それは何かと言いますと、生き甲斐の心理学で言うところの「3Vの法則」と呼ばれている知恵があるか、ないかでしょう。自分の夢を人が何と言おうと、下記の3つの事を楽しむ習慣が生活にあるかどうかが分かれ道のようです。自分の夢をイメージ、ヴィジョン、シュミレーション、といった手法で楽しむのです。更にはそのイメージをより正確な言語でノートに書きだす習慣をつけること、そして最後に、出来るかどうかを考えずに知人に電話してみるとか、行動してみるとかしつつ、実現に向けて行動してみること、この3つは普通、英語でvisualize,verbalize,vitalizeと言いまして、その頭文字のVを3つそろえて「3Vの法則」言います。この習慣をつけていくと大脳は日常生活で、その夢の実現のチャンスを、インスピレーションとして示唆してくれますので自己実現への道が容易となるようです。


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2018年04月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
20代と40代の「好きという感情」を、どう識別するか、言葉に出来るか、思索してみましょう。20代の「好き」という感情が自分の人生を狂わせるかどうか、あまり気にすると碌な事にならないでしょう。その20年代の「好き」という感情を40代でつらつら反省気味に思い出せば、当然、はらはらしますが、はらはらしながら、何とか40代まで生き延びたわけで、それぞれの年代で人はそれぞれ勝手に生き、そして早死にする人、長命に生きる人と、それぞれが天に向かって唾を吐きながら生きているわけです。さてこの激動の20代と、少し人生を知って多少落ち着いてくる40代の違いを「生き甲斐の心理学」はどう説明しているのでしょうか?一番の違いは「体験の解釈」だと思います。湧き出す感情の解釈が違ってきています。その理由は体験の蓄積からでしょう。何の為に生きているのか、自分の生き甲斐は何か、自分は自分の生育史を大事にしているか、という体験を蓄積していく内に、湧き出す感情の一つ一つに甘さと恐ろしさを苦々しく感じる人生体験を積んだからです。自己実現への道に40代に入ってからも意識化出来ていないと、湧き出す「好き」という魔物に振り回される危険が、その年代でも存在していると思われます。好きという感情は天国への道であると同時に地獄への道でもある体験を40代では多少理解出来ています。40代はそろそろ奈良京都の古い神社仏閣を訪問し自分の魂について思索開始したほうが良いようです。祈りこまれた古い神社仏閣には、それなりの霊性があります。









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2018年04月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
好きという感情は人生を幸せにするか?というお話。好きと言う感情は、その場での人の心地を良くはさせてくれますが、果してその後の人生を幸せにしてくれる情動かといえば何とも言えない複雑な感情です。皆様は20代での「好きという感情」と40代での「好きという感情」の内容が、どこがどう違うか、意識化し言語化出来ますか?このあたりの識別について考えてみましょう。好きという感情を健康なもの、病的なもの、この違いを意識化出来るとこれからの貴重な人生を益々悔いの無いものとする事が出来ます。嫌いという感情に固執すると、これまた問題が出てきますので、今回から好き、という感情に焦点を当ててみます。








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2018年04月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分の人生を狂わせる「嫌な感情」と成功させる「嫌な感情」について思索します。高校生徒の頃、恩人の一人のドイツの某神父さんが喧嘩ばかりしている私に、あまりにも倫理道徳感を植え付けたので、大学を卒業する前後の私は日常生活で湧き出す色々の感情を抑圧する習慣がありました。銀座を歩いて美しい女性を見れば、あ、いけない、とそのドイツの神父さんの言葉を思い出し、せっかくの「神様の創造した美しい女性」を鑑賞するチャンスを沢山逃しました。20代の後半になり私の防衛機制が異常に強すぎた事にハタと気付きます。体感と五感で感じた感情の泉を素直に自分の意識に挙げる領域が正常でないと知ったからです。湧き出す感情と意識に相当の違いが存在すると正直な自分なのか不正直な自分なのか、識別が難しくなります。素直な発育に障害が生まれます。現代でいう「発達障害」の一種です。嫌いな感情なのに信仰の領域では「人を愛しなさい」と強く言われていると、嫌いなのに愛しています、などと意識する場合が非常に増えているわけです。偽善的なものになったり、批判的な人間になったり、置き換え、八つ当たり等、ピンとの外れた感情生活が形成されていきます。こうして嫌いなのか、好きなのか、分からなくなります。異性を選択する場合、直ぐ離婚するのも、その原因の一つの防衛機制の問題があるのは、このせいです。人生で成功する、失敗する、という問題では、正直な感情生活、健康な防衛機制の上での対処で生き抜けば、多分、悔いはないと思います。意に反した生き方が人を狂わせますが、自分に正直な生き方、感情生活は悔いをのこさない、人生と言えるでしょう。







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2018年04月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「嫌いな感情」の取り扱いで人生を破壊したり、逆に成功させる事例をのべよ、という試験問題がしばしば出題されます。イギリスの某研究室でも、しばしば出題されました。いつの時代でも同じだと思いますので、皆様も自分のこれからの人生で必要な答えを自分で考えてみて下さい。私の人生では「嫌な感情」に流されて、自分の人生を狂わせたものの一つに、上司への嫌悪感がありました。私の上司:A:に対する嫌悪感が人事面で、私に非常に不利に働いていったのです。上司ににらまれたお陰で自分の人生予定がどんどん破壊されていきました。これは何でしょうね?逆に或事件で参考人として、好きな上司:B:の為に、断る事も出来たのに、わざわざ裁判所に出かけます。その時、恐ろしい検事に向かい私の上司が如何に正義感に満ちた人物であるかを堂々と述べました。この上司:B:が裁判で負ければ私の人生も不利になることは明確でしたが、カトリツクの私の信仰にかけて、堂々と神様の前でかたるように弁論しました。裁判で勝ちましたら、私は思わぬ幸運にめぐまれます。これは大好きな上司:B:との関わりからくる人事面での事でした。生き甲斐の心理学で、この光と陰の事をどのように学問として表現していると思いますか?答えは「現実吟味力にゆらめきがあるか、ないか」の領域で自己分析、他者分析がなされていきます。現実は70億の人類、全部が違います。現実吟味力があるか、ないかは、生き延びていく為の現実吟味力をまず第一に分析の対象にしていきます。信仰の分野での犠牲心、殉教の場合でも、心の病がある事例、健康な事例があるように、生き延びる考え方をまずは検討していきます。現実吟味力は、その人が何の為にいきているのか、生き甲斐は何か、自分を大事にするとは、どういう事かが、或程度、意識化しておかないと、変な現実吟味力が働いてしまいます。生き抜く方向が定まると戦いが開始されます。方向の為の覚悟なないと意味がありません。いつも祈りながら正しい判断が出来るよう生活したいものです。
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2018年04月16日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
好き嫌いは人間の本能で、どう取り扱うかはその人の自由です。しかし現代の法治国家、特に日本のように、どちらかと言うと世界では信じられないような安全の国では、あまりにも自由すぎて人々は今後の生き方に自信がないようにも見えます。電車の中で、人前で堂々とするお化粧の女性がもし、ロンドンでしたら、多分、紳士淑女が堂々と説教するでしょう。「あなた、このような場所でお化粧するものではありませんよ」と。若い人でも注意すると思います。日本では自由でも世界に共通しる意識を持たないと国は滅びます。戦争に突入していく第二次世界大戦前の日本政治家だけが悪いのではなくこうした日常の礼儀作法が政治に深い影響を与えます。さて嫌な感情として日本社会で自分を滅ぼすもの、それは何でしょう?暫く思索してみます。
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