生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年08月31日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
今の時点で自分で答えを探したい気持ちが少々ありましても、全てに自信もなくやる気もない人の場合、どうしたらいいのでしょう?この場合は少々危険なので、もうこの問題は考えない事です。もともと自然な人間は赤ちゃんのようにニコニコ、バタバタして微笑むように出来ているのですが、長い人生の過程の中でストレス曲線が蓄積して身体症状が出ていると意欲が全く出てこないのが自然です。焦ることなく何がストレスか、どんな身体症状かを医者でなく、変な薬に頼らずに、自分で冷静に、分析していくのです。生育史の理想と現実のギャップがストレスですので、この分析をのんびりとしていくと必ず、その理想と現実とギャップの現実が見えてきます。これを解決するには人により相当の努力と時間が必要ですが、人の身体は神の神殿ですので、祈りつつ、答えを待ちましょう。ストレスの蓄積は人の意欲を麻痺させている、という法則を信じて、その厳しい現実を受け止めつつ、まずはストレスの解消方法を見つけましょう。ストレスから解放されると必ずそれなりの、その時点での答えが見えてきます。色々の選択肢を時間をかけて、あれこれトライしてみるのが人生です。何がなくても、トライする楽しみ、という心の余裕だけは努力して持ちましょう。心の余裕はその人の責任です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年08月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
さて自分の生育史の中から「自分は何の為に生きているのだろう?」という方法について思索します。致命的な「曇り」が全部、他者(親、友人、社会等など)、つまり自分が悪い、自分に責任がある、と思わない所に全ての原因があります。自分は何の為にいきていくのか、その答えは当然ですが、今から自分で見つける必用があります。30歳を超えていて、自分が働いていきていれば、その答えは必ず自分の中にあります。親に食べさせて頂いている人間の場合は、その答えは案外難しいと思われます。選択肢が実に沢山ありますので迷いは大きいでしょう。親に食べさせて頂いている人の場合はまず自分でどうして食べていけるか、その道を探し、まずは貧しくても自分の力で食べていける道を探さないと、非常に抽象的で観念的な道しかみつかりません。どうして食べていくか、この道が当面の哲学でしょう。財産家と貧しい人の場合は選択肢のありようも違います。これは当然のことです。どうして食べていくか?この厳しい食べていける道が先決で、生き残りをかけた人生の大冒険がここから始まります。食べていける人、食べていけない人、この厳しい現実をノイローゼ的にではなく、腹をすえて毅然として現実に立ち向かう人でないと、答えは永遠に見つからないでしょう。今は少々度胸もなく勇気がなくても、このタイプの人はまた別な道もあります。さてどんな道でしょう?恥ずかしい事ではないので、次回思索していきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年08月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「答え」はこれです、と他人からは言われたくありません。しかし「生き甲斐の心理学」を勉強しないと「答えの探し方」に無駄が出るかもしれません。自分が納得する「答え」は自分の生育史の中に必ず存在はしているのですが、これが「答え」だ、と確信する為の条件がないと大脳はご主人様にこれが「答え」ですよ、と言いたいのですが、ご主人さまがふらふらしているので、中々答えを明示出来ずに困っています。何故、ご主人さまはふらふらしているのだろう、と大脳は悩んでいます。この問題について暫く思索していきます。ふらふらの第一要因が「自分は何の為に生きているのか?」です。これが明確になれば大脳はきちんと答えを明示します。焦る必要はありません。今からじっくりと自分は何の為に生きているのかを楽しみながら思索して下さい。答えが意識化されないのは全て自分のせいです。だからと言いまして悪い事ではなく、これは自然な成り行きですし、生涯の大問題ですので、臨終まで分からずじまいでも、「それはそれ」の人生であって、お馬鹿ちゃんとか、だらしが無いとか、そんな問題ではなく、一人の人間の生涯をかけた問題なのです。私の生きる目的は「神の愛とは何だろう?」です。この神の愛とは何だろう、と言う自問自答は実に楽しく、歴史書を読む時、現代の政治や国際関係を見るとき、この大テーマで思索していると、実に楽しく宇宙の壮大さ、神の愛の神秘性等など、毎日が刺激の連続です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年08月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
生育史とは本当に素晴らしい宝を持っています。自分の人生での経験を大事にする思想を持てた人は自信が出てきます。人生での難問も、自分を信じると、瞬時に解決する醍醐味が人生にはある事に気付きます。人の身体は神の神殿とは良く言われる言葉ですが、この神殿は実に多くの神秘を所持していて学問では計り知れない領域でもあります。私は天の恩寵だ、と素直に解釈しています。大学を卒業し悶々として30年間、思索に思索を重ねた哲学者が富士山を仰ぎみて瞬時に何かを悟りました。鎌倉や京都の社寺を訪問し写経しているうちに瞬時に気付いた人等、実に沢山いますが、共通している点は諦めずに「祈るような心境」を案内大事にしていた点でした。祈る心境は恵みに通じるようです。生き甲斐の心理学では A=B(X+Y)と言う方程式をとても大事にしています。Aは現在の自分、 Bは人間が持つ魂(宗教の領域)、 Xは生育史(臨床心理学の領域)、 Yは身体(基礎医学の領域) この方程式を学問として意識化していくのです。とても大事な方程式ですので、これをもとに先ずは楽しみながら思索してみて下さい。この意識の上で、祈りの生活習慣を重ねると、思わぬ人生の恩寵に出会う事があります。人生は冒険ですが、奇跡と恩寵は更に深い人生を味わわせてくれます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年08月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
大脳は問題意識を持てば自然と、その答えをその人なりに示唆するように作られていますが、その示唆を疑う人が沢山います。疑い深い人は不幸です。或程度の素直さが無いと、どんなにチャンスがきても、そのチャンスを逃してしまいます。「生き甲斐の心理学」の難しい所は、五感と体感で予感的に感じた「答え」を信じる力、その感じた答えを意識化し、言語化していく、そのプロセスでしょう。昔、或人が私の質問に涙した事があり、その涙の努力を乗り越えて実に正確に意識化し言語化する力をつけていきました。私の恩師も暖かい愛情の力のもと、私達研究生にいつもこの意識化と言語化の訓練をして下さいました。五感と体感を正確に感じ取り、それを楽しみながら言葉にしていく内に、人間には、特に自分の心には何と多くの気づきが潜在しているのか、驚く体験をすることがあります。そうすると益々自分を信じるようになり、答えを案外簡単に自分の中から探し出すコツのような知恵が身に付いてきます。自分を信じる喜びに目覚めた人は本当に幸せです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年08月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
古来から答えは本人の中にある、と言われていますが、その答えが分からない理由が段々と学問により見えてきています。その一つの理由が、その人の生育史の何らかの理由で、その人のストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱)から心の防衛機制(心の自由を妨げる何らかの抑圧、感情転移、昇華等が強烈に働いている精神現象のこと)が作動していて心の自由が無い為に、心の知恵の泉に蓋がされ湧きだす泉(知恵)が出ない、その答えが見えない、と言われています。その場合は、その人のストレス曲線の現状と処理の仕方を「生き甲斐の心理学」は徹底して解明していく必要に迫られます。この方法は相当、この勉強をしていかないと無理です。ここでは何故、見えないか、その理由を理解していただくだけで充分です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年08月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「生き甲斐の心理学」で大事にしている目の付けどころについて解説していきます。自分の心の中に人への暖かい心が無ければ心理療法の仕事は無理ですが、人にはそれぞれ個性の美がありますから、暖かい心の在り様も人により相当違います。生き甲斐の心理学を勉強する人々は全員暖かい心があると私は信じています。と言いますのは「生き甲斐の心理学」に少しでも関心を示すという現象には「自己実現への道:何の為に自分は生きているのか、生き甲斐は何か、自分を大事にしているか」の世界に足を踏み込んだからです。この課題は死ぬまで続く大テーマですが、ギリシャ哲学や陰陽思想を持ちだすまでもなく、この課題をちょっとでも考えた人には面白い現象が生まれてきます。プラトンやアリストテレスは、この現象に目をつけました。何故、答えが見つからなくても、人はこの課題を意識化しただけで生き生きとしてくるのだろう、その原因は何だろう、と考えだしたのです。現代人もこの課題を意識化しただけで、或人は瞬時に自分の道を見つけました。問題意識を持つと大脳は答えをあぶり出してくれます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年08月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
今日、かかりつけのお医者さんに依頼されて某氏の心の相談に急遽お手伝いしたのですが、その患者さんは或所で臨床系のカウンセラーにこれこれ、ととんでもない病名を言われて驚き悲しんだ事例を深刻に相談されて、私もまだ、そんなカウンセラーが存在しているのに大変、驚きました。さて日本にはご存じだと思いますが、素敵な法律、つまり医師法があります。医師法第2章の医師資格所有者以外のものが安易に病名を用いて公式の場で平然と会話していると処罰される場合があります。医師以外の臨床心理学の従事者はどんな場合でも悩める人々の病理に対しては臨床心理学の視点で語る必要があるのですが、どうも日本の社会ではこの領域を意識している人が極めて低いのは大きな問題を起こしていくでしょう。私が「暮らしの中のカウンセラーとしての教育事業」に徹したのも、この医師法での大きな問題があるからです。「生き甲斐の心理学」として数十年、教育事業として働いているのは、この病名、という神聖な範囲に踏み込まない為の戦いかもしれません。私達「生き甲斐の心理学の学徒」はこの医師法に基づく病名を使用しないで、生き甲斐の心理学上の概念、例えば、ストレス曲線、幸福曲線、プロセススケール、自己実現への障害問題、思考と感情と行動の概念を駆使しつつ周囲の人々への生き甲斐支援に徹していき、医師法の領域に至れば専門家にリーファーしていく礼儀を所持する必要があります。医師でない者が軽率に病名を口にする事だけは公式の場で避けないと、社会的な犯罪に至る危険もあります。分をわきまえ病名だけは口にしないようにしつつ、人々の生き甲斐に貢献していきたいと思います
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年08月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
大部、前の話ですが、千駄ヶ谷国立能楽堂で社中の大会がありました。素晴らしい場面を沢山拝見出来て感謝しています。そのあと、師匠が宴を開いて下さり、そこで某氏(女性)のお話を拝聴する機会がありました。私からみれば、もう雲の上のかたです。その方が美しい容を舞台で追求する努力の中で、大自然での美しいものを見ると、そこに芸に通じる呼吸みたいなものがあり、ふと、それを心の中で再現出来た時に、自分の芸が少し進んだ気を感じますと非常に謙遜に述べておられました。太極拳の試合でも、柔道、合気道の昇段試験でも、それなりの呼吸があるようです。心理療法のイギリスでの論文に合格する過程でも、自分が企業を辞めて、独立に或程度成功する過程でも、人間関係を美しく保持する過程でも、いづれも共通した成功のタイミングと呼吸は何か共通しています。美しい姿、美しいもの、そこに存在する原型みたいなものを、それなりに追求する過程が人生、そのものかもしれませんし、その追求の過程が生き甲斐になつているようです。真善美の追求に真理がある、とはよく表現された古代人の思想で古代ギリシャでもギルガメッシュの叙事詩でも神話、民話、伝説にも、この美しいかたちから沢山の知恵をいただいています。美しいもの、それを益々大事にしたいなあ、とおもった国立能楽堂での思い出は生涯、大切にしたいと思いました。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年08月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
幸福感の内でも臨終の時に聞く死にゆく人のつぶやきです。昔、ロンドンでの某病院で死んでいったaさんの言葉は私の生涯に大きな影響を与えました。苦労してイギリスに渡り40代で死を迎えた人でしたが信仰の力の物凄さを感じました。本人は相当悪いことをした人生だとひと時は悩んだようですがカトリツクの信仰では復活と贖罪の思想があり「愛と許し」は絶対なので、aさんは安心して自分を愛である全知全能の神様に委ね天国に直接行くと信じて息を引き取りました。お医者さん、看護師さん、それに私は、aさんの神様を信頼している姿を見て驚きました。苦しい息の下からも安心して天国に昇る喜びに満ち満ちているのです。周囲のほうが幸福感に満たされたのを今でもしっかりと覚えています。自分が所持している魂の解釈で人生がこんなにも明るく楽天的になれるものだ、と感動しました。自分は所持する魂が天国に直行すると信じている人の人生は幸福感に直結しているようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年08月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
幸福感を感じる仕組みは五感と体感で心理的適応が存在する場合です。その人の独特の成育史で培われた理想と、その人が解釈する現実が合致した瞬間とか、或いは、その人が解釈した現実をあるがままに完全に受け入れ、そこに何の不満も無い哲学、考え方を樹立出来た場合に、感謝が生まれ、そして幸福感が生まれます。成育史の中で感謝するという生活環境か、考え方が樹立されていませんと、中々、幸福感を育てるのが難しいかもしれません。幸福感を感じるか、感じないかは、案外、難しい領域なのです。幸福病というのもあります。幸福でないのに無理に幸福だ、と騒ぐ患者さんは沢山いました。幸福の条件と幸福感の違いも意識化しておく必要があります。このように日々を明るく元気に爽やかに生き抜く為にも、自分の幸福の条件ではなく、幸福感を感じる仕組みについて時々思索していただけると有難いと思います。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年08月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
カールロジャースと言う学者のパースナリティー理論は大勢の人の生き甲斐に大きく貢献しています。翻訳がどうこうと言わずに先輩が苦労して翻訳した「心理的適応:psycological adjustment」と言う言葉にまずはなじみましょう。この心理的適応という言葉を自分に置き換えてみますと、例えば職場で嫌な上司が4月に配属されてきます。この現実に遭遇した時、あなたは多分、心理的不適応現象を起こしますし、4月に配属されてきた新入社員の中に自分の好みの可愛いお嬢さんが配属されてきて気ごころが合いますと、あなたは多分心地よくて心理的適応現象を体験するでしょう。心理的適応、という言葉を心の中で大事にしていくと感覚的にも身体全体でも、好き嫌いの意識化が健康に働きだし、無意識の世界での抑圧から身体症状を出す、という病理現象も激減していくでしょう。心理的不適応、心理的適応、という意識化の訓練を意識して生活していきますと心の精神的衛生が正しく働いてくれます。正直な体感を倫理道徳で裁く成育史があると人は自律神経が疲労していきます。口に出す、出さないは別な問題ですので、心の奥深い領域ではいつもこの心理的適応、心理的不適応、という意識化を大事にしていただきたいと思います。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年08月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
カールロジャースと言う学者のパースナリティー理論は大勢の人の生き甲斐に大きく貢献しています。翻訳がどうこうと言わずに先輩が苦労して翻訳した「心理的適応:psycological adjustment」と言う言葉にまずはなじみましょう。この心理的適応という言葉を自分に置き換えてみますと、例えば職場で嫌な上司が4月に配属されてきます。この現実に遭遇した時、あなたは多分、心理的不適応現象を起こしますし、4月に配属されてきた新入社員の中に自分の好みの可愛いお嬢さんが配属されてきて気ごころが合いますと、あなたは多分心地よくて心理的適応現象を体験するでしょう。心理的適応、という言葉を心の中で大事にしていくと感覚的にも身体全体でも、好き嫌いの意識化が健康に働きだし、無意識の世界での抑圧から身体症状を出す、という病理現象も激減していくでしょう。心理的不適応、心理的適応、という意識化の訓練を意識して生活していきますと心の精神的衛生が正しく働いてくれます。正直な体感を倫理道徳で裁く成育史があると人は自律神経が疲労していきます。口に出す、出さないは別な問題ですので、心の奥深い領域ではいつもこの心理的適応、心理的不適応、という意識化を大事にしていただきたいと思います。

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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年08月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
同じ教会の仲間の死亡通知がメールで伝達されてきました。数十年も共に教会で働いた親しい方です。ご主人は数年前に帰天されていたのですが暫く見かけないなあ、と思っていたらこのメールです。元気で活躍されていた婦人ですが、何故、こんなに急に、と心が騒ぎだしました。自分が死ぬ時も周囲はこんな感じなのかなあ、とも思いました。若い頃から比較文化・比較宗教の勉強はしてきましたし、人間の死の問題については、色々と思索しているのに、何故にこんなにまで慌てふためくのでしょう?人は何故死ななければならないのでしょう?いつまでも生きていたい、と願いながら、そんな現実離れした願いは愚かなことだ、とか、メメントモリと若い頃から言い聞かせて今日まで生きてきたのに,何故にこんなに哀しいのだろう?兄弟はまだ元気ですし親友も元気だけれども、親しい人の突然の死は何故、こんなにも哀しいのだろう?数時間経過して心が落ち着きましたが、その原因はやはり信仰の力でした。知識は役にたったとはおもいますが私の心を本当に落ち着かせた力は、やはり愛である全知全能の神様を信じた自分を感謝しました。私の場合、死の問題は哲学では無理で、やはり信仰の力だなあ、としみじみ感謝しました。あの方らしい復活祭を前にした帰天でした。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年08月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
本当に苦しんでいる人に向かい「不安感は何故、あるのだろう?」とは中々言えません。その場、その時のお顔を見ながら切り出す必要があるのですが、もし、人類から不安感を除去したら、どんな事になるでしょう?「生き甲斐の心理学」を勉強していく内に、不安感の、すぐその裏側に平安感が併存している現実に気付きます。不安感を感じないで入院してくる事例が案外多いのですが、その原因は五感と体感で不安を感じているにもかかわらず心の自由を確保する為に、意識的にその不安感を抑圧する習慣が長い間にできてしまっているのです。短い期間ならば何とか逃げ伸びる事が出来ますが、数年間も現実から逃げる習慣が出来てしまうと、無意識の世界から段々と病理が始まっています。自分と他者の混濁、理想と現実の混濁から現実吟味力に病的なものが形成され、みわけがつかない錯乱が始まります。意識化していない病理が生まれてきます。不安感を感じる内は自分が健全なのだ、と思って欲しいものです。不安感は理想と現実のギャップから生まれますので、処理は簡単です。理想を一時的に諦めるか、現実をそのまま受け入れるか、その真ん中で妥協するか、です。現実をあるがままに一旦受け入れるには居直る事が条件ですので、訓練しながら現実を一旦受け入れる考え方に慣れてくると、不安感のすぐ裏側に平安感が存在していることが理解され、希望をもって、明るく元気に爽やかに生き抜く自信がついてきます。人間の本質が平安感だと教える人がいるようですが、人間の本質は宇宙と同様、不安が本質なのです。平安感は恩寵のようです。この原点を意識していないと生涯、感謝の心も生まれてきないでしょう。感謝の心が中心でないと人生は悲劇です。
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