生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

どんなとき、自然体になれたか?

2006年06月30日 | 第2章:心理療法の基本
自然体の原型について考えてみましょう。これが私の自然体の原型だ、と言い切れるものを意識してみましょう。自分の人生の、あの場面、この場面こそが、最高の自然体であった、といいきれるものを<自然体の原型>と言います。この体験した原型と、自分が理想とする姿を比較しながら、追求する喜びは言葉では言えない快感です。想い出しても嬉しい、心は穏やかだし、人間が好きになるし、健康で幸福で、何か整然とした気分、これが自然体である証です。過去の事はもうどうでもよく、明日のことも気にならず、今、ここでの開放感を堪能し、自然に、自由に、宇宙を舞うような気分。こだわりが一つも無く、のびのびと心も体も魂も乱舞している、そんな体感。これが究極の自然体。:<自然体論:94-4>:

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武道の極意

2006年06月29日 | 第2章:心理療法の基本
どんなに厳しい人生の状況に置かれても、その答は必ずその人の心の中に存在している、と言われています。その答を知覚する為の条件が<自然体>なのですが、なかなか、どの感覚が自然体なのか、体が納得しません。昔の知恵者は、熟睡の後の体感、トイレの後の体感、砂漠を旅をするラクダの背中での体感がその体感だよ、と示唆してくれています。合気道の開祖、植芝盛平先生はいつも武道の極意は自然体にあり、と常に諭されておられました。心理学が教えてくれる知恵も武道と同じで、体から力を抜き、呼吸を静かに整える、答を知りたい、と意識すると必ず答が見えてくる、と教えています。最大、最良の自然体は自分の中に存在する愛そのものである魂を信じ委ねる信仰の力とも言われています。その人の魂はその人の為に働いてくれる最高の味方だそうです。<自然体論;94-3>;

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ミロのヴィーナス

2006年06月28日 | 第2章:心理療法の基本
世界各地にある美しい彫像、仏像、特にミロのヴィーナスが教えてくれる美と愛の姿は心理療法の学会では重要な愛の伝達手法です。口べたな人、愛を伝達する下手な人、愛を感じることの貧しい人々、愛と美がよく分からない人々に、このミロのヴィーナスは愛と平和、美しい感情、魂の存在を、今でも人々に豊かな知情意を示唆し続けてくれています。人間が自然体になる意味、人間の身体の美しさ、それを感じる人間の心の不思議さ、優れた彫刻は知恵の源。赤ちゃんの姿が自然体の本来の意味を教えてくれます。人それぞれ、いづれも赤ちゃん時代を経験しています。お母さんが適当なタイミングにお乳を飲ませてくれる事、適当な時に、おしめを替えてくれる事、この二つが一番重要な信頼感と希望力を基礎人間に与える最初の愛情教育なのですが、残念ながらこの愛情教育がなくても、再学習で、人は幸福の基礎条件を確立出来ます。愛の伝達となるエネルギーとはどんな感情か、をもう一度ミロのヴィーナス味わいながら再体験してみましょう。:<自然体論:94-2>:

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裸の王様

2006年06月27日 | 第2章:心理療法の基本
童話<はだかの王様>は子供時代の楽しい想い出です。大人になって思う事は<ああ、私は裸の王様だ>との反省です。信念、思いこみ等から、自己イメージはAなのですが、周囲は私をBだと考えているのです。滑稽な場面です。心理療法の世界では<自然体>を尊重しますが、まさにこれこそが<はだかの王様>の世界です。自然体になって犯罪を犯す人、自然体になってマザーテレサになる人。自然体とはどんなことなのでしょう?自然体と本能、自然体と理性、自然体と愛憎。心理療法が目指す<自然体>とは何でしょう?それぞれの個性を持つ人間は自然体になった時に起きるいろいろの現象を考えながら、自然体について5回にわたり考えていきます。結論は<本物の自然体は深い優しい愛>をもたらします。何の為に自然体になろうとするのか?それは<暖かく美しい愛の世界>に入る為です:<自然体論:94-1>:

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仲良しの犬と猿

2006年06月26日 | 第2章:心理療法の基本
私の友人で哲学者のA君は奇人変人として有名です。昔、何を考えたのか、突然、子犬と子猿を飼い始めたのですが、数年たって、その犬と猿がとても仲が良いので有名になり、週刊誌に掲載されました。食事の時、お皿は別なのに自分が最初に食べないで、相手の様子を見てから、食べるのです。まるで自分の子供かのように相手を見ているのです。対等の関係ではなく、互いを自分の子供かのように感じているようです。好き嫌いの感情もありますが、好き、という感情の方が、嫌い、という感情より強いようです。さて私の人生から嫌いな人間が居なくなったら人生、つまらないなあ、と思います。刺激もなく、退屈です。周囲が全部嫌いな人間ばかりなら、私は病気になりますが、50人中、1人程度の割合で嫌いな人間が居てくれるので、私は自分の幸福が認識できるのでしょう。私が今も元気にしていて、色々の困難を生き抜いてきた最大の知恵は、いい加減な所、全てを水に流す性格、都合の悪い事は聞こえないふりをする性格かなあ:<人嫌い論:93-5>:

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とことん嫌うとどうなるか?

2006年06月25日 | 第2章:心理療法の基本
なにごともそうなのですが、中途半端な人生は味がありません。おすすめはしませんが、人をとことん嫌うと、どうなるか、危険な事ですが、ひそかなる冒険が必要です。私の国内外の体験、政界、経済界、宗教界、家族、恋愛、そんな私の密かな人生経験の中で、数回、徹底して人を嫌い続けた冒険談があります。結論は徹底して人を嫌うと、およそ平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感からは、ほど遠く、ひたすら不安、怒り、身体症状、躁鬱、錯乱の世界を漂いました。その人生体験はひょっとすると刑務所、犯罪、殺人への道を歩む危険があります。どんなに苦しくても、どんな環境の人生に追いやられても、人の魂は愛そのものなので、嫌な人、親の敵に遭遇しても、やはり人を愛する心を持つ努力を少ししたほうがよさそうです。さらには純粋に人を愛する事が出来なくても、死ぬまで、同じ努力をするならば、人を嫌う努力よりも、人を純粋に愛する努力をしたほうがよさそうです。倫理道徳哲学の立場からの話でなく、私の利害得失からのお話:<人嫌い論:93-4>:

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嫌うことも美徳のうち!

2006年06月24日 | 第2章:心理療法の基本
好き嫌いの感情は原初感情といわれ命を保持する為の感情。人類誕生から存在する大切な感情です。<或人を嫌う>と、健康な人は<自己嫌悪感>を少し持ちますが、固執障害を持つ傾向の人は益々感情の流れに支障が出てきます。感情の流れが自然に流れていかないと顔は能面のように固まり、自由に行動が出来なくなり、幸福感が激減し、不安感が増し、健康観、爽やかな感情が無くなります。人によっては身体症状まで出てきます。何かを嫌う感情は生命を維持する為の貴重な手法で、美徳の一つなのですが、何故か人は、嫌う感情が美徳の一つだとは思いたくないようです。嫌う感情が何故、美徳の一つなのかを真剣に考えてみて下さい。固執障害の精神現象が出るまで人を憎むと、本人が上記のような不幸な状態になることを意識しながら生きていきましょう。:<人嫌い論:93-3>:

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嫌いな人

2006年06月23日 | 第2章:心理療法の基本
どうでもよい関係の人を嫌う場合は利害関係もなく気楽なのですが、職場、家族、学校、隣近所となると、そうもいきません。人間の心の仕組みには<感情転移、投影>と呼ばれる作用があります。嫌いな人が出現すると、その人と関係の無い政治、経済、お金、勉強等でのあらゆる不満が、感情転移現象を起こさせます。更に恐ろしい事に人の心の深層には<いけにえの子羊>現象を求める傾向があるので、嫌いな人が出現すると、その人に関係の無い事柄を含めて全部、その人に向けて感情転移、投影される傾向があります。ですから本能的に人はその事を理解しているので、人から嫌われる事を恐れます。この人間の心の仕組みを認識する事すらプライド上、私にはそんな事は関係ありません、と、この心の仕組み<真実>を認めようともしません。この恐ろしい人間の心の仕組みを宗教では<原罪>とか<業>という領域で表現しています。愛と許しと信頼をあえて意識する必要があるのはこの仕組みを熟知した賢者の助言なのです。:<人嫌い論:93-2>:

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人間のおもしろさ

2006年06月22日 | 第2章:心理療法の基本
コーヒーが嫌いな人、好きな人、女嫌いな人、好きな人、人それぞれ好き嫌いがあります。人類誕生以来<原初感情>と言うものがあります。好き嫌い、怖い怖くない、この2種類は人類発生以来の感情といわれています。この好き、嫌いの感情のお陰で、毒性の食物を排除したり、愛の感情と言う高度の思想がめざめたりしながら、人類は発展してきました。さて日常生活で、あの人が嫌い、といって生きるのは自由なのですが、嫌いという領域でまとめてしまうと、その人は生涯、成長が止まります。成長が止まると生き甲斐は見つかりません。自分の幸せを増進させる為にも、今日から5回にわたり<人嫌い論>を考え、人間のおもしろさに目をむけてみましょう。人間は面白い、と思うようになると自然と激しい人嫌い現象が消滅していく傾向があります。:<人嫌い論:93-1>:

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愛と許しと信頼

2006年06月21日 | 第2章:心理療法の基本
せっかく愛の原型に触れあい神聖な愛の世界に生き始めた二人が破綻していく2つの原因があります。2つとは人間の弱さへの不理解から生まれる<許しと信頼>の問題です。全ての人間が人間であるゆえに持つ悪と弱さと業(罪科)の問題です。このどうしようもない人間性を理解出来ない男女はすぐ破綻していきます。愛の原型にせっかくたどり着き愛し合ったのに、この<許しと信頼>の修行が不足しているばかりに貴重な愛を失う二人が多すぎます。自律性の愛があれば二人の愛は永遠でしょう。:<愛は訓練:92-5>:

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豊かな愛、貧しい愛

2006年06月20日 | 第2章:心理療法の基本
Aさんに愛されると何となく心が平安になる、Bさんに愛されるとやたらと不安になる。この違いは何でしょうか?Aさんは賢い人なので愛の原型に触れるからでしょうし、Bさんはそれに触れないからでしょう。心理学ではAさんを自律性の愛に生きている人と言います。Bさんを自律性の愛に欠落した人と表現します。自律性の愛は愛の原型を意識して愛する事を言います。愛は人類の宝ですが、愛する、愛するといってばかりいては駄目、愛の原型を知覚し、そこに触れていく訓練が一番重要で愛の原型にふれない愛はうっとおしいものとなります。:<愛は訓練:92-4>:

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愛は誰から習うのか?

2006年06月19日 | 第2章:心理療法の基本
今日と言う日を悔いなく生きる、昨日はもう過去の出来事、明日はどうなるか分からないのが人生。さて目が覚めて夜、寝るまでの一日に、沢山の人々に会います。いろいろの方とお会いした時に、人はそれぞれから暖かい心、冷たい心、その中間の心を感じますが、すべて感じるほうの<愛の原型>に意識は支配されています。愛の原型は、赤ちゃんの頃から自分以外の人々から学習していきますが<愛は誰から学習するか>という問題意識を持った後は、<自問自答>が教師です。AさんがBさんを愛してもBさんの愛の原型に触れない愛し方は無駄です。Bさんが愛を感じる領域を学習していかない限り、どんなにAさんがBさんを愛しても、伝わりません。AさんBさんは互いに時々愛の原型について確認し合う事、それが愛の誠実な有り様:<愛は訓練:92-3>:

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愛の訓練?何をするの?

2006年06月18日 | 第2章:心理療法の基本
世の中には、いろいろのカップルがいます。暗く希望のない喧嘩をする二人、時々は喧嘩はするが明るい喧嘩で、それものんびりとしたもので、相手への配慮から生まれてくる喧嘩です。この二つを観察すると<Aという訓練>をしているか、していないか、が分かります。Aという訓練の意味は、相手の生き甲斐を考えて、その方向へ互いが支援しあっている姿です。心理学的に言えば<自律性の愛>の事です。純粋に愛すれば愛するほど、相手の自己実現への道(悔いのない人生)をいつも考えています。相手の自己実現への道の為なら命を与えてもいいなあ、とも思います。相手の魂、心、身体への配慮を楽しみます。相手をおもんばかる<愛の訓練>は人生での最高の生き甲斐です。:<愛の訓練:92-2>:

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愛って、何?

2006年06月17日 | 第2章:心理療法の基本
この世から男女の愛を取ったら、何が残るでしょう?今回は男女の愛について、考えていきます。特に心理療法の世界での殆どの問題は男女の愛についての相談です。さて、人はもともと<愛とは何か?>を思索していかないと、非常に愚かな人生を送らざるを得なくなります。愛とは何?、答えは沢山ありますが、心理療法では<愛の原型>を掴むこと。自分の愛の原型、愛する人の愛の原型、この原型を相互に確認した上で、愛し合わないと、悲劇が生まれます。愛の原型とは、<愛を感じる領域>を言います。倫理道徳も大切ですが、その人が、しみじみ、自分は愛されている、と思う、その領域を言います。今回はこの事を考えていきます。:<愛は訓練:92-1>:

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愛の伝達

2006年06月16日 | 第2章:心理療法の基本
<愛を伝える>努力は必要ではない、と考えている所に<愛の悲劇>があります。愛し合っていれば黙っていても当然、分かっていると考えるのは大きな間違いです。赤ちゃんと母親の関係を見ていると<良い関係>の母子、<悪い関係>の母子がよくわかります。お腹がすけば、ふさわしく満たしてくれる母、おしめがよごれれば、タイミング良く交換してくれる母、この理想的な母子関係から人間信頼の基礎が生まれます。愛されているなあ、と感じるのは赤ちゃんの頃からの経験から学習していきます。心理学でこの愛を感じるパターンを<愛の原型>と言います。大人になり、それぞれの育ちが違う環境の中で、はぐくまれた、この<愛の原型>は人により相当違いますので、愛を感じるか、感じないかのパターン<愛の原型>を、愛し合っている二人は時々確認する必要があるようです。どんなに愛しても相手の愛の原型に触れないと、努力は水の泡、愛の原型を意識し、知覚して、そこに優しく触れてあげないと相手は愛を感じません。愛の原型を知らないで、私の愛を理解してもらえないと嘆くのは無知の領域に入ります:<伝達論:91-5>:

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