生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年10月31日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
患者さんとお話してみて、何と良い人だろう、と感激します。自分の善さ、悪さ、不安、怒り、不満なところを正確に意識している所は健全ですし、好き嫌いと言う五感上の意識は明確です。人は互いに欠点だらけなので互いに許しあわねばならない、とも思っています。しかし何故か、眠れない食欲がない、という身体症状が出てくるので私を訪ねてきたわけです。宗教家に多い症状ですが、私は救世主病と名付けています。善人で立派な人格者ですが、人間と神を混濁した病気になりがちなタイプです。世のため、人のため、に働きたい情熱は立派ですが、少し勘違いするとこうなります。自己肯定、他者肯定の思想がありながら、心の病になる事例です。神仏への敬愛が強いために、神と自分を混濁している事例です。理想と現実の混濁、つまり、こうありたい理想と、なかなか理想通りいかない生身の現実の人間である自分が、混濁していて、小さな、かつ、矛盾だらけの自分という現実を素直に認めていない場合の事例です。

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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年10月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
何事も、一概には言えませんが、案外、本質に迫れる考え方として下記の考え方があり、経験上、私は大切にしています。さて、生命を殺戮する場合、他殺、自殺があります。その背景は色々ありますが、その遠因である<欲求不満>は3種類あります。一つは<自己肯定、他者肯定>という範囲での殺戮。二つは<自己肯定、他者否定>の関係でのもの。3つ目は<自己否定、他者肯定>での殺戮。暗い話で恐縮ですが、欲求不満という範囲でも事例を解決し、人々が幸せになるための分類を上記の考え方で整理していきますと、案外、簡単に、殺戮の遠因にたどり着けます。繰り返し同じ悲劇を起こさない為に(他者を傷つける、自分を傷つける悲劇、この3つの分類を大切にしてほしいなあ、と思います。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年10月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
心理療法では不安感を人間の本質として進めていきます。宇宙の成立と変化、万物流転の現象、人間の死、少し注意して観察すれば安定したものは一つも無い事に気付きます。不安神経症の患者さんがこの現実を素直に受容した時、快方に向かいます。厳しい現実を受け入れ、周囲を見渡し、恋人、友人、先輩、恩師などの小さな温かい愛情に感謝し、毎日の食事をいただけることに感謝し、愛と感謝を大切にすると不安だらけの人生が明るくなります。人生での人の好意を恵みとして捉えると生活が豊かになります。不満だらけの人には幸福は訪れません。相当無理してでも心から感謝する訓練をすると小さな幸せから大きな幸せを感じ取ることが出来ます.
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年10月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
高校二年生の時、母が死にました。昭和28年のころで、父は戦犯の公職追放から解除され、やっと戦後の苦しみから解放された47歳の母でした。それから3年は母の夢をしばしば見ます、夢の中で疎開先の隣の村に母が住んでいるという噂を聞いて三輪車でえっさこらさ、と訪問したのに、母は、またどこかへ移動しているという夢です。この成育史が母へのあこがれ、優しい女性への憧れの原型を私に与えました。聖母マリア、お地蔵様、弥勒菩薩、阿弥陀如来、美しい観音様、美しい心の女性への憧憬は男の本能でしょうが、今は本当に幸せな日々です.
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年10月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
子供のころの愛読書は思い出しても楽しいものですが、大人の心理療法をしていると、無意識の世界でこの時代の不安感が大きく支配しているのが分かります。終戦時、神奈川県葉山町の小学校から新潟県の山奥の村に疎開しました。相撲大会になると農作業で鍛えた友達が強くて、何回挑戦しても負けるのです。悔しくて、もう一度、もう一度と叫ぶので先生に注意されました。葉山ではガキ大将で桃太郎のように強いと勝手に思い込んでいた私は挫折感に打ちのめされていました。この原因は桃太郎への幻想でしたが、このような不安感、挫折感の原型は子供時代に創られています。その原型への治療が成功を早める場合が沢山あります.
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年10月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
大学1年生の頃、シェークスピアのロミオとジュリエットを愛読し、初めて少年の頃の片思いが恋だと知りました。少年の頃はこのもやもやは何だろうと少年ながら不可思議な気分でした。この片思いの感情はしっかりと大脳にインプットされていて、大人になり好意を感じる女性に対しても本当の感情を素直に表現できない自分を勇気のない男だ、と自嘲したものです。相手には無関心、もんもんとしているのさえ気づかない人、と思われていたようです。実らない初恋の不安感は誰にでもありますが、愛は素直でないと、友情、恋人、親子、夫婦、神仏の愛も分らなくなりますので、生涯努力して、愛は素直に表現しあいたいものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年10月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
竹取物語のお話。少年時代に愛読した物語です。お姫様になったり、婿候補になったり、色々楽しく興奮した思い出があります。お姫様になれば、この世から離れていかねばならない哀しみに涙したり、婿候補になれば、どうしたらあのお姫様をお嫁さんに出来るのか、と知恵を絞ったものでした。そんな少年時代の愛読書から感じた不安感を今でも鮮明に思い出しますが、私の知人のように急に交通事故で両親を亡くした事例を想うと胸が痛みます。少年時代感じた不安感が今を支配していることを明確に意識すると、その呪縛から解放されます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年10月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
いよいよ心理療法の一番重要な<不安感>について思索開始です。赤ちゃんは不安になると必ず泣きますし安心していると天使のような微笑みで周囲を幸福感で満たします。何となく物心つく3歳児の頃の家庭環境、生育史環境での<不安体験>を生き甲斐の心理学では<不安感の原型>と定義し大人になったときの心の病を治療するときの重要な参考資料にしていきます。この不安感とは<理想と現実のギャップ>を言いますが、分析は非常に難しく専門知識が必要ですので、このあたりを暫く考えてみましょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年10月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
今日のタイトルはイギリスの大学での心理療法の試験問題です。死に行く人々から、死んだら、どうなる?と言う真剣な問にたいしてケアをする人々は誠実に答える義務があります。比較宗教学の世界ばかりでなく、日常生活でも死んだらどうなるか、と平素考えておかないと、いざという時、見苦しい死に方を人々に見せることになります。五感という概念は生きているこの世の言葉ですが、あの世の魂はこの世以上の喜びがある、という思想から考えると香りなどの五感以上の喜びがあるのでしょう。自問自答では魂は香を感じるか、と思索しますが、不可知論でもありますが、五感以上のものがあの世にあるらしい、と思えば何となくこの疑問も解消していきます。永遠の課題ですが、思索する価値のある領域です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年10月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
心の病の原因は色々ありますが、共通していることがあります。その一つに、本人自身が何故か、好き嫌いを明確に意識出来ていない点です。好き嫌いを意識しないと人は病んでいく傾向があります。口にしたり、表情に出すと、とかく生きにくくなる事を子供のころから本能的に知っているからでしょう。嫌いなことばかりですと生きていくこと自体が苦痛になりますから、そんな自分を見たくない、それよりは明確にしない方が良い、と思うようになるのでしょう。好き嫌いを恐れずに明確に意識して生きていく事が本物の幸福感と生き甲斐を知覚する最低必要条件です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年10月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
だいぶ前のお話ですが、腰越での勉強会の帰路、同じ勉強仲間のkさんが経営する七里ケ浜駅前のイタリアレストランで6-7名の学友が美味な料理を楽しみました。もう一人の学友は姉と妹を招待し別のテーブルで楽しそうに会食しています。このように親しい人々との会食は味がまた一段とおいしく、何とも言えない幸福感に満たされます。魂と心と身体が、しかも、全員の嬉しさと幸福感が満ち満ちている光景はこの世の天国でした。思考、感情、行動が五感と体感からの幸福感で美しく響き合う会食に感謝しました。親しい友人や学友との会食は、何故、楽しく、かつ美味しくなるのでしょう?

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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年10月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
鎌倉腰越の勉強会は富士山と江の島が天気さえ良ければ潮風と共に楽しめます。腰越と言えば源義経が兄頼朝を慕い会いに来たのに、なかなか許しが出ずに萬福寺で悶々と兄の返事を待ち続けた歴史の香も漂う場所です。先入観があると海の潮騒も義経の泣き声に聞こえてきます。さて子供の頃の幸せな香や不幸な香はしっかりと記憶に蓄積されています。不幸な香を思い出し原因を分析しておき、体験の解釈を美しいものに変えておくとこれからの人生を豊かにしてくれます。嫌いな香が沢山あると人生が貧しく狭くなりますので好きな香を意識して増やしていくと楽しい出来事に遭遇してきます。

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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年10月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
薔薇の香りと生きる喜びのお話。香りの喜びも人により相当違います。私に大きな幸福感を与えてくれるものの一つに薔薇の香りがありますが、その嗅覚による喜びの世界は言語で表現できませんし、あえて言語に表現する必要はありません。私の幸福感の代表のようなものです。この香りの世界に漂うときは思考、感情は神の世界と同様ですし、この世の不安、怒り、鬱は、もうとう無く、平安感、友好的な感情、健康感、幸福感で統合されています。さて、五感の中の嗅覚と生き甲斐について5回ほど思索していきます。嗅覚の美しい思い出、哀しい思い出は人生を左右します。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年10月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
味覚と幸福感と大脳のお話。幸せだなあ、としみじみ感じる大脳の場所があります。さて、或る人は、どんな状況に立っても森羅万象の解釈の仕方が暗いので、感謝と有難うと幸福感を感じない傾向の人がいます。五感を感じる大脳の場所は同じですから、これを利用して心理療法を進めます。思考と感情と行動を司る大脳の場所は微妙に違います。しかし<幸せ感>を味覚で感じる訓練をしていくと、聴覚、触覚、嗅覚での幸せ感も同時に発達していきます。それに伴い思考、感情、行動も統合されてきます。毎日食べる味覚と幸せ感と大脳の関連を意識することは大切で、まして手を合わせて食事を感謝する習慣は極めて重要です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年10月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
森の民と成人病のお話。現代の欧米の肉食系の食事を森の民である日本人がその影響を受けたばかりに、成人病が欧米にくれべ数倍多い学説は納得されだしています。成人病は恐ろしい弊害があり、寿命を短くしています。日本人の遺伝子は明らかに森の民。もう一度、食生活を森の民らしい原型を意識したいものです。森の民は穏やかで、自然の摂理を大切に生活します。自然の前にこうべを垂れつつ、平和を愛し、いきものを大切にし、和を尊ぶ、そんな懐かしい日本人を想うと、何となく心が落ち着きます。

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