生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年06月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
魂の生き甲斐を見つける方法について思索します。高齢者福祉施設での相談の多くは、自分が死んだ後、どうなるのでしょうか、との悩みが多いのです。この質問に宗教心理学は、どう答えるでしょうか?日本人の大半は幼少の頃から、あまり魂を学問として考察する習慣を持ちません。魂、と言うと何か迷信的な、非科学的な匂いを感じて、あまり真剣に考えない人が多いのが実状です。しかし、魂の存在を信じる、信じないに、かかわらず、人は死んでいきます。宗教心理学の基本は<信じて見えてくるもの、信じて見えなくなるもの>を学問として研究していますが、面白い現象は信じて見えてくるものが<平安感、友好的な感情、健康感、幸福感、統御感>のような明るい感情の領域が見えてくると、人は永遠の世界、神仏の世界が存在していることを何となく、五感や体感で感じ感じ始めます。高齢者施設で、ほぼ100パーセントの人々が自分の死後、魂がもし、あるならば、今からどうしたらいいか、と真剣に質問してくる現実を見ると、若い頃から学問としての魂論を生き甲斐探索の一つとして研究する必要と価値があるようです。











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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年06月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
生き甲斐探索のこつについて思索します。定年退職をした友人達が言うことには<今まで家族の為に生きてきたせいか、自分の生き甲斐を探索するのだが、何がこれからの自分の生き甲斐なのか、難しい>と嘆いています。世界中を飛び回り、ビジネスに生きてきた親友ですが、今、どうして生きて良いか分からずに微熱も出たりして苦しんでいます。さあ、こんな場合の生き甲斐探索のコツをお話いたします。先ず、探索を楽しむ余裕を持つこと、身体の生き甲斐、心の生き甲斐、魂の生き甲斐、この4つです。この4つに分類しないで考えると中々、結論が出ません。次回からこのコツを簡単に説明していきます。さて全体の勉強の流れの中で、今勉強しているのは<生き甲斐の心理学>の初期の初期の段階です。入門編のさらに入門編です。ロジャースの6つの条件に突入する前に考えておかねばならない諸概念についてわかりやすく導入していますので、皆様は気楽に読むだけにしておいて下さい。



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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年06月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
個性の美か、変人なのか、病理なのか、という問題です。、私は割りと礼儀正しいほうの日本男児だと考えていますが、古代宗教を専門とする哲学者の親友は私の事を変人だ、と笑います。どちらが変人か皆様が一度比較するチャンスがあると勉強になると思います。生き甲斐支援の仕事を長年していますと、自己概念(セルフイメージ)と他者概念(人が思う私へのイメージ)がこうも違うものかと驚きます。さて現代医学の診断基準も世界的に見れば大きな問題が山積しています。1960年代の話で恐縮ですがスイスのワークショップで世界の名医40人が同じ患者の病名をカルテに書いてもらいました時、病名が40種類つけられ若い学徒の私たちは驚きました。病気でもないのに病名をつける必要がある医療保険・機関にも問題がありますが、経営上、やむを得ない点もあります。個性の美なのに世間は病人扱いしたり奇人変人扱いする習慣があります。賢明な人程、人の美しさ、個性の美を見つける能力がありますが、一般の人は人間の美、良さを見つける前に何故か、変人、病人扱いにしてしまう恐ろしい習性があるようです。周囲が決めつけると殆どの人はそうかなあ、と嫌々信じこませられてしまいます。自分で自分の生き甲斐を探す場合、世間が何と言おうと自分の個性の美と病理と奇人変人の区別を識別して下さい。90パーセントは変人なのではなく個性の美なのです。80億の人類はそれぞれ個性の美を所持しています。もう一度、変な人とか、君はそういうが、それは違うと言われていても、もしあなたが本当に興味があり、そうしたい道なら、世間が何と言おうと、その道はあなたの独特な個性の美からの思想、欲求、道なのではないか、と、自信をもって考え直してみて下さい。





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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年06月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
心の繋がりがないと人々は幸せをかんじません。何んとなく寂しくなります。今回、ここで学びたい事は、生き甲斐の心理学をスタートする心構えの一つである<心のつながり>を意識する必要性についてお話します。自分の生き甲斐を探す場合でも、愛する人の生き甲斐支援でも、いずれの場合でも、心のつながり、を意識した人でないと、成功しません。自問自答する場合でも、愛する人が悲しがっていて、何とかしたい、と願っても心のつながりの意識の無い人の場合は、うまくいきません。平素、心のつながり、とは何か、いつも思索していてください。私と私(自問自答:嫌な自分が心の奥底にヒョイと現れても否定することなく、自己嫌悪に陥ることなく、無条件の肯定的配慮、自己肯定的な気持ち、あるがままに受容する努力)、わたしとあなた、でも自問自答と同じこと。相手を受け入れる訓練の前に自問自答を自己肯定的にする訓練を心がけてください。自問自答を自己肯定的に出来るようになれば、他者肯定はスムーズにいくものです。心のつながり、という言葉を先ず覚えて下さい。他者否定に生きてきた人は中々悔いのない人生、自己実現への道は掴みにくいものです。生きている限り、時間がありますので、今から、自己肯定、他者肯定を意識しつつ、心のつながり、を楽しみながら思索しましょう。



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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年06月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
朝の気分は如何ですか?この朝の気分を意識化しませんと、人はセルフコントロールを上手に展開していくことは不可能、と言われています。深層心理は実に不思議で楽しい世界です。深層の奥の奥には、実に神聖な、楽しい世界が潜在しています。<人の身体は神の神殿>という聖パウロというの名言がありますが、冷静に深層心理を学習しだすと、その事が良く分かります。さて、簡単な自己分析の方法があります。何の為の分析かといいますと、自分の人生が良い方向に流れているのか、悪い方向に流れているのかを識別する為の分析です。その方法とは、一つ目は<朝、目が覚めた時の五感、体感を意識する事>。二つ目は<一日、人には色々の出来事があります。その一日の喜怒哀楽を意識する事。朝から夜寝るまでの一日の色々の種類の感情の姿を専門用語で<感情の曼荼羅図>と言います。この一日の曼荼羅図は心理療法を進める上での重要な指標となります。<悔いのない人生>とは<自己実現の道を歩んでいる人生>の事ですが、果たして自分は今、どんな方向に向かって歩んでいるかを検証する重要な指標がこの<一日の曼荼羅図>なのです。無理してでも、一度、どんな感情の曼荼羅図に自分が今日生きたか、をノートに書いてみて下さい。毎日は無理なので、適当に書いておいて下さい。そのノートの記録が蓄積してくると、自分の感情の曼荼羅図の傾向が判明してきます。そうすると自己実現への道がどの方向を向けば悔いがないかが、見えてきます。









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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年06月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
幸福な想い出。これからの生き甲斐追求作業で重要な概念が今回の思索対象の概念<幸福の思い出>です。赤ちゃん時代から20才前後までの生育史での<幸福な思い出>は私たちの人格形成に重要な役割を果たしています。また、人間の心の世界には明らかに意識、無意識の世界が存在していますので、現在の私たちの思索を左右する要素は意識だけでなく、無意識の世界からの投影が沢山ある事を知りましょう。赤ちゃんから20才前後の幸福の思い出は、これからの私たちの生き甲斐追求作業に大きな影響を与えている事を先ず知りましょう。赤ちゃんから20才前後の一番幸福な場面を一つか二つ、想い出しておいて下さい。その場面を心理学の専門用語では<幸福の原型>と呼び、これからの生き甲斐発見の重要な資料となります。この幸福の原型を再確認する事で、生き甲斐探索の作業が大変楽になります。







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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年06月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
生き甲斐探求の条件。心理療法の仕事をする内に、ふと、今までの経験を活かして、生き甲斐を必死で求めておられる人々と共に考えて、生きていきたいなあ、と思うようになりました。生き甲斐探求の条件は<答えは必ず求める人の深層心理の中に存在する>という確信です。答えを自分以外に求めると失望しかありません。現実は厳しいので普通の人間は、とかく自信喪失の状況に追いやられていきます。人という文字が二本で支え合っているように優しい愛情で支え合って生きていかない限り、その答えを見つけ出す作業が困難になってきます。日常生活では一人で答えを出して生きていきますが、人生の分かれ道、自己実現への道(悔いのない人生とは何か、その道筋を悟る事)は一人では、中々悟れないものです。深層心理学を応用をしながらこの講座を進めていこうと思います。








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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年06月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
幸福だなあ、という場面を思い出すと、幸福への道がわかるそうです。当分、心理療法の必要にして十分な6つの条件をカール・ロジャースと云う学者の理論を応用しながら勉強してみます。この6つの条件というのは、どんな心の病気でも、この6つの条件を大切にした方が、治りが良い、という意味です。この6つの条件を学ぶ前に、今までの人生で、一番幸福だなあ、と思った場面(心理学用語で幸福の原型と言います)は、心理学の勉強で一番重要な物の一つです。悪の原型、悲しみの原型、愛の原型、不安の原型、など感情の曼荼羅と呼ばれる大切な原型論ですが、これから、ゆっくり、楽しみながら、一緒に楽しく進めていきましょう。まずはあなたの幸福の原型を想い出しておいて下さい。これが自己実現への道を模索する最初の問いかけにします。悔いのない人生を生きる為の最初の投げかけを誠実に考えておいて下さい。









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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年06月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
まずは「美しい自問自答」から始めてみましょう。朝、目が覚めて、どんな自問自答をするかで、その日が決まります。暗い自問自答をすれば、その日は暗くなりますし、明るい自問自答をすれば、その日は明るく爽やかな日となります。人生はその繰り返しなので、運命を呪うことなく、朝の寝床の中での自問自答のあり方に注目してみませんか?私のラジオの放送<心のともしび>を楽しんで下さい。ラジオもテレビも、直ぐ検索で分かります。いづれも、この明るい自問自答の仕方を教えてくれます。今日も悔いのない人生を一緒におくりましょう。生き甲斐とは何でしょうか、という自問自答を楽しく爽やかに日々繰り返す事で、自分流の悔いのない人生哲学が確立されてきます。人は考えた通りの人生になります。考えない内容の人生には絶対になりません。美しい事を考えれば美しい人になり、汚いことを考えれば汚い人になるものです。何が美しく、何が汚いか、それをこの講座で一緒に考えならら生きていきましょうう。



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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年06月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
初心に帰り「自己実現への道」を人はどうして探しているのか、考えてみましょう。最近の質問を散見するに、案外、そこが難しいようです。心理療法は人により理論の展開を変えていきます。その方の生育史を尊重しつつ、詳細に他者分析をしながら、深い思索と尊敬を感じつつ心理療法を進めていく必要があります。他者分析を上手に展開する為には、先ず自分の生育史を自己肯定的に受け入れる訓練から開始する必要があります。最低3年の勉強は必要でしょう。中々厳しい修行の道です。それほど、人の心は微妙で神秘的ですが、私は50年の勉強を通じて益々<人の身体は神の神殿>という聖パウロの言葉に納得する年齢になりました。どんな環境に生まれ落ちても人の身体は正に神の神殿だなあ、と思う瞬間があります。どんなに厳しい現実に遭遇しても心を或る自然の法則に従いセルフコントロールしていくと、その答えは人間の身体の中に存在している事が分かります。セラピスト側にあるのではなくて、クライエントの身体の中にこそ、確実に存在している事を経験で納得しています。悔いのない人生の有り様(自己実現への道)中々把握出来ませんが、謙遜に誠実に祈りの中で答えを祈り求めますと必ずその悟りの方法に気づきます。自己実現の方法は現代の学問を尊重しつつ、最終的には自分の身体の中にある答えを見出す為の方法を、このブログで学んでください。








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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年06月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
旅は人に多くの気づきを与えてくれます。何故でしょう?生き甲斐喪失の時、何気なくふと旅に出たばかりに、思わぬ気づきに恵まれ仕事に成功したことがあります。39才で某企業から独立し動き出したのですが、期待通りの成果が出ませんでした。台湾に駐在していた頃、第一次石油ショックがあり、その折、独立したのですが、物事が思い通りに運ばず、あてにしていた事も駄目になります。なんとなくチャンスを狙い香港に1ヶ月ぶらぶら滞在したことがあります。その折、台湾の中国の方(生涯の恩人となった方です)が私のホテルをぶらりと訪問してきて、次から次へと香港の企業経営者を紹介してくれました。海運関係者なのですが、それから思わぬビジネスチャンスが訪れます。このような仕事上の旅もあれば、奈良京都の由緒ある神社仏閣に立つた時、平素悩んでいた問題が突然、答えや気付きが、ひらめいたり、感動したりする経験もあります。旅は何故、人に生き甲斐と気付きを与えるのか、それを生き甲斐の心理学で考えていきます。






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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年06月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「自己混乱感」を思索します。「あ、今、自分は心を取り乱しているな」と気付けば幸いですが、大体の人はこの自己混乱感に気付かぬまま錯乱しているものです。電車でも可愛い子供に向かい酷い言葉を浴びせかけ、見ている私は切なくなり、席を変える時があります。あんなに厭らしく母親から怒られたら、多分、その内、復讐をしたくなるだろうなあ、とも思います。淑女のような女性が勉強会の時などに幼児時代にピアノのレッスンの折、あまりにも厳しく数年間母親に鍛えられたり、受験勉強時代に厳しく言われた事が老いた母親のお世話の折に、その頃の憎たらしい母親を思い出し、おむつの交換の折に、思わず老いて寝ているボケた母の足をつねる、そんな恐ろしい自分に驚きました、と泣いて語る場面に遭遇した事があります。この生育史上の自己混乱感は、その人生を左右しますので、暫く考えていきます。自分も周囲も幸せになる為に、人間の、この混乱感について思索する事はとても大事なことです。何が自分を混乱させるのでしょう?








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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年06月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「感情の明確化」が出来た後の「嫌いなもの」を、どう乗り越えるか?80億の人類が、それぞれ嫌いなものを乗り越えて生きているわけですが、赤ちゃんから高齢者まで、それぞれが、それぞれの生きざまをしています。人は全員が天に向かって唾を吐きながら生きていますので、それ相応の結末で人生が終わります。神秘的な領域もありますから、全てが自己責任とは言えない切ない場面もあります。私の場合はモスクワの飛行機事故、南米の政変による暴動巻き込まれ事件等色々です。まさに運命に翻弄され、自由意思とは無関係な所で生き死にに遭遇していくわけです。国際関連の時は、平和構築という使命感が私を救い、支えていますが、価値観の違う人から見れば、ふん、と馬鹿にされるような使命感でしょう。したがって、私の場合は、何の為に自分は生きているか、自分の生き甲斐は何か、自分を大事にしているか、という3視点からいつもチェックしながら生きてきたわけです。アイデンティティの統合、現実吟味力が揺らめけば、それなりの苦しみを味わいます。身辺の森羅万象の解釈が病的なほど暗い解釈をすれば、たちまちにして自分が破壊していくのを感じました。日々の夢、人生の夢、理想を追求する喜びが亡くなれば途端に生き甲斐を感じなくなります。私の場合は、いつも何かの夢を追い求めるのが生き甲斐なので、いつも希望と情熱が私を支えていました。この精神状態がありますと、嫌いなものが生きる刺激剤となり、ぬるま湯的な生活を脱却させる起爆剤となりましたし、生き甲斐を喪失させるマンネリズムも防げました。。嫌いなものが本物の場合、人間の大脳は、その嫌いなものを乗り越えていく答えを自然に示唆してくれますので、自分を信じると、その答えが見えてきます。自分を信じないと答えが見えてきません。何故でしょうね?「天は自ら助けるものを助ける」。自分を信じないと答えは見えてこないようです。「信じると見えてくる世界」が存在している事を大学の研究室ではしばしば教えられました。生きる事は大変ですが、楽しいものです。私の場合、全知全能で愛そのものである神様を信じたいというローマンカトリツクの信仰心が私が生き抜く上での最大のエネルギーでしたし、大きな事故や暴動のような事件の最中では、全てを神様に委ねてしまう安心感がありましたので、その安心感が私の錯乱を防いだようです。私の最大の興味は、気障なようですが「神とは何者か」という課題です。欧米を旅し美術館を楽しむ時も、或いは、万葉集や日本書紀、ギリシャ神話やインド神話を読む時も、宇宙創造の偉大なものを研究する時も、神とは何者か、という研究課題は我を忘れさせる楽しいテーマです。人生は本当に楽しいです。特に現代日本人の性格形成の研究と思索は私の生き甲斐の一つです。古代飛鳥奈良時代の政治、特に天皇の歴史は、毒殺、暗殺、策略が物凄く、その歴史の中での好き嫌いの感情にもてあそばれて破壊していく人々も居れば、嫌いな感情を上手に処理して明るく逞しく生き抜く持統天皇のような巨大な女性にも遭遇します。嫌いな感情は、どうも人を幸福に誘うシグナルのようです。嫌いという感情は、その人の生育史での理想と現実のギャップから生まれてきますので、その理想の内容と現実の解釈と、そのギャップの分析をすると、自分の幸福への道がみえてくるようです。

















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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年06月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
嫌いな「人、職場、民族、文化、親等など」をどう乗り越えて生きていくか?「人類の原初感情は二つあると、と言われています。一つが「好き嫌いの感情」、もう一つが「怖い怖くない」です。私達現代の人類が、誕生した頃のお話です。アフリカで猿か、人間か、未だ明確でない頃、長い長い時間の流れの中から「ホモサピエンス」が生まれてきます。ネアンデルタールかホモサピエンスか、はっきりしない時代を経て、今の人類が誕生した話は専門書を楽しんで下さい。さて心理療法の学問としての理論で、とても大事な対処方法があります。入院患者さんが退院していく時の、共通の精神現象は入院前の混沌とした感情、特に「好きか、嫌いか」という感情の領域において、倫理道徳を離れて、非常に正直に「好きなものは好き、嫌いなものは嫌い」と何の恐れも無く言い切る態度が入院前と退院する時の相違点です。優しい人、何らかの厳しい人生観を所持している人、宗教的な教え、それぞれの考え方の何かが、好きになつてはいけないものを好きになった自分が許せない、嫌うべきでないものを嫌いになる自分を咎める事例等、五感と体感に正直になれない人生上の色々の事情を冷静に眺められない事例の場合に、感情生活は実に混沌としてきます。倫理道徳も大事ですが、精神病棟に入院するくらい自分を虐める思想は危険です。全知全能で愛である神様は宇宙の創造者でもあります。何が起きようとびくともしない方、それが神様ですので、堂々と、好き嫌いの感情だけは、意識化しておかないと、人はどんどんおかしくなります。嫌いなもの、それが人、職場、職業、民族、文化、親、夫婦、友人、知人、何であろうと、乗り越える前提は先ずは、好きか、嫌いかを明確にする勇気かもしれません。暫く、この大問題について思索していきます。嫌いなものを好き、なんて意識していると人は必ず心を病んでいくか、生き甲斐を喪失していきますので、口にする必要もないので、心の奥深い領域では、正直に、好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、と明確に意識化しる日々を送る修行が必要なようです。この感情の明確化、という理論を知らないと、何をしても駄目です。









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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年06月16日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
勤勉性について思索します。「べき論」:何々すべきだ、という視点は昔より嫌いでした。頭では理解出来るのですが、先輩、宗教家、教師、親、親友からの「べき論」にはうんざりでした。子供の頃は大事な視点として身につけるべく努力していましたが、社会に入り生きるか死ぬか、食うか食われるかというような仕事をしていると「べき論」はあまり役立ちませんでした。そんな私を元気にしてくれるのが嫌な事、仕事でも、避けて通れない場合は、勤勉性、という義務感的な概念を一旦、忘れ去る技能を身につけさせてくれた職場の大先輩が一人いたことです。無理にその「嫌な仕事」を「楽しみ事」に「居直らせる技能」をその先輩が教えてくれました。「嫌なもの」を「楽しませる手法」がこの世の中に存在していた事を知った事です。勤勉性だの義務感だのの「べき論の世界」は「生き甲斐」を喪失せしめ、喜びを半減させる事例が案外多いようですが「その意味」と「楽しむ方法」を悟ると勤勉になろう、という疲労感はなくなり、いきいきと嫌いな仕事がこなせました。以来、このノウハウのお陰で、色々の難しい仕事、国際関係での複雑な業務もこなす事ができました。勤勉性、その最大のノウハウは嫌な事を好きで楽しいものに変身させる知恵と努力しかないようです。








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