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生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2025年07月31日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
問い合わせが多数ありましたのでお答えいたします。
新しい記事は高齢のため、書きませんが、2005年以来の多数の記事はこのコーナーは保持されていますので、第1章から16章(最終章)まで、いつでも気楽に読めます。
多数の愛読者の皆様、暖かいお手紙やメール、ありがとうございました。
生き甲斐を生涯、喪失しない為にも、ここに書かれた万という文章を是非,繰り返し読んでいただけるとありがたいです。
ブログは残念ながらgooさんの諸事情でお休みとなりますが、長年、愛読してくださった皆様、これからは、ラジオ番組「心のともしび」で、是非、私の話を聴いて下さい。
劇団俳優座のメンバー 坪井木の実様が私の原稿を時々素敵なお声で朗読して下さいます。では、そこで色々人生を共に思索し、悔いのない生涯を送りあいたいものです。
長い間、本当に有難うございました。
植村 高雄

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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2025年07月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
問い合わせが多数ありましたのでお答えいたします。
新しい記事は高齢のため、書きませんが、2005年以来の多数の記事はこのコーナーは保持されていますので、第1章から最終章まで、いつでも気楽に読めます。
多数の愛読者の皆様、暖かいお手紙やメール、ありがとうございました。
生き甲斐を生涯、喪失しない為にも、ここに書かれた万という文章を是非,繰り返し読んでいただけるとありがたいです。
ブログは残念ながらgooさんの諸事情でお休みとなりますが、長年、愛読してくださった皆様、これからは、ラジオ番組「心のともしび」で、是非、私の話を聴いて下さい。
劇団俳優座のメンバー 坪井木の実様が私の原稿を時々素敵なお声で朗読して下さいます。では、そこで色々人生を共に思索し、悔いのない生涯を送りあいたいものです。
長い間、本当に有難うございました。
植村 高雄
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2025年07月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
2005年以来今年で20年間もgoo ブログさんにお世話になり、多数の読者の方々に読んでいただいたこと、心から感謝いたします。ブログは残念ながらgooさんの諸事情でお休みとなりますが、長年、愛読してくださった皆様、これからは、ラジオ番組「心のともしび」で、是非、私の話を聴いて下さい。

劇団俳優座のメンバー 坪井木の実様が私の原稿を時々素敵なお声で朗読して下さいます。では、そこで色々人生を共に思索し、悔いのない生涯を送りあいたいものです。

長い間、本当に有難うございました。

植村 高雄
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2025年07月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
2005年以来今年で20年間もgoo ブログさんにお世話になり、多数の読者の方々に読んでいただいたこと、心から感謝いたします。ブログは残念ながらgooさんの諸事情でお休みとなりますが、長年、愛読してくださった皆様、これからは、ラジオ番組「心のともしび」で、是非、私の話を聴いて下さい。

劇団俳優座のメンバー 坪井木の実様が私の原稿を時々素敵なお声で朗読して下さいます。では、そこで色々人生を共に思索し、悔いのない生涯を送りあいたいものです。

長い間、本当に有難うございました。

植村 高雄
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2025年07月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
2005年以来今年で20年間もgoo ブログさんにお世話になり、多数の読者の方々に読んでいただいたこと、心から感謝いたします。ブログは残念ながらgooさんの諸事情でお休みとなりますが、長年、愛読してくださった皆様、これからは、ラジオ番組「心のともしび」で、是非、私の話を聴いて下さい。

劇団俳優座のメンバー 坪井木の実様が私の原稿を時々素敵なお声で朗読して下さいます。では、そこで色々人生を共に思索し、悔いのない生涯を送りあいたいものです。

長い間、本当に有難うございました。

植村 高雄









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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2025年07月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
厳しい現実を生き抜いていく場合、自分はどうしてこんなに知恵がないのだろう?と悩む事があります。色々分析してみると、沢山理由はありますが、何らかの事情で、その目的志向性に欠落があったり、夢を描くシュミレーションが不足しているようです。事が上手く流れた事例を分析してみると、いつも楽しく空想しているようです。夢を楽しんでいると、気づくと、そのようになっていた、という感じなのです。目的が明確で、問題意識がある場合は、大脳が何らかの知恵を与えてくれているようです。私の場合ですが、この問題意識とその答えに気付かない時の私は、何らかのストレスの蓄積がたまっているので、心が自由に流れていないようです。こんな停滞感の時、好きな所に小さな旅をすると、びっくりするような気づきが生まれます。昨年、私達が主宰するNPO法人が飛鳥、吉野の旅を企画して仲間と出かけました。その旅での思い出が今でも、明るく元気に日々を過ごすエネルギーになつているのが不思議です。旅はどうしてあのような強い生きる喜びと感動を与えてくれるのでしょう!
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2025年07月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
厳しい現実を生き抜いていく場合、自分はどうしてこんなに知恵がないのだろう?と悩む事があります。色々分析してみると、沢山理由はありますが、何らかの事情で、その目的志向性に欠落があったり、夢を描くシュミレーションが不足しているようです。事が上手く流れた事例を分析してみると、いつも楽しく空想しているようです。夢を楽しんでいると、気づくと、そのようになっていた、という感じなのです。目的が明確で、問題意識がある場合は、大脳が何らかの知恵を与えてくれているようです。私の場合ですが、この問題意識とその答えに気付かない時の私は、何らかのストレスの蓄積がたまっているので、心が自由に流れていないようです。こんな停滞感の時、好きな所に小さな旅をすると、びっくりするような気づきが生まれます。昨年、私達が主宰するNPO法人が飛鳥、吉野の旅を企画して仲間と出かけました。その旅での思い出が今でも、明るく元気に日々を過ごすエネルギーになつているのが不思議です。旅はどうしてあのような強い生きる喜びと感動を与えてくれるのでしょう!
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2025年07月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
疑い深い人は多分幸せというか、心の安らぎというか、そんな幸福曲線を歩む事は難しいかもしれません。もともと信頼の対象が神仏ならば、とことん神の愛を信頼する事と、その成り行きからの悩みの結果から色々思索しつつ人間は成長する、とも言われています。そんな日常生活での生身の人間の生活をする内に、それぞれの知恵が深まります。宗教を持つ人の場合は、摂理の解釈という哲学領域、宗教問題、信仰問題の領域で学問が成立していますので、その勉強も必要です。しかし、信頼の相手が人間の場合は、信頼する程度の問題なので、100パーセント人間を信頼すると言う考え方はもともと危険な事のようです。どの程度、信頼するかの問題なのですが、生育史がその人の考え方に大きな影響を与えますので、中々難しい問題です。人間不信に陥いる事が必要な場合もあるからです。エリクソンの基本的信頼とは、どういう事なのでしょう?希望があればこそ、人生は楽しいものですし、自分の希望をかなえてくれるもの、それは友人、知人、仕事上で出会えた人々から場合もあります。はなから人は信頼出来ないと断言する人々の言動は、周囲の人々を悲しませるだけです。この信頼心の程度を意識化しない人、この信頼という自分の考え方を変えようとしない人の程度の度合いをカールロジャースはプロセススケールで重要視しているわけです。変えようとしないのを底辺と位置付け、変えようとする事を怖がる人を中辺、問題のある側面の中で堂々と生き抜く人を高辺、と洞察しています。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2025年07月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「ソクラテスは、なぜ裁かれたか」:保坂幸博著:は中々の名作です。かのソクラテスが何故、ギリシャ世界で処刑されたのか、改めてソクラテスの偉大さを思索する際、この保坂先生の著作はとても勉強になります。この厳しい社会で生き抜く場合、堂々と自分を主張し明るく元気に爽やかに生きたい場合は、責任を取る覚悟が必要で、その代償として「悔いのない人生」が手に入ります。ソクラテスの知恵は人類の宝物なので、相手が偉大すぎるからと遠慮せずに、大いに庶民の私でもソクラテスの知恵を素直に学習しながら、幸福への道を歩みたいと思います。今日の朝日新聞にもソクラテスの記事がありました。私が一番吸収したいソクラテスの教えは「健全な責任の取り方」です。二千数百年まえのソクラテスの責任論が現代に通用する理由は、カールロジャースという精神病理学者が「プロセススケール」の中で述べた「責任論」とほぼ同じなのです。生育史が違い、置かれた立場も違いますが、それぞれの環境の中で、分相応な責任の取り方を意識すると、とても本人も周囲も精神的に安定してきます。責任の覚悟の無い社会が不幸の始まり。自分の役割を意識化して、その上での責任への覚悟を定めると人はどんどん幸せになり、責任あるポジションに押しやられていきます。期待されればその分、充実感を感じだし、幸福曲線(平安感、友好的な感情、健康感、幸福感、統御感)を味わいだします。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2025年07月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
星空やお月さま、壮大な宇宙を楽しむ人は多いと思います。私の書斎からは武蔵野の林が見えますが夏至になると、その林から太陽が毎年同じ場所と時間に登ってきます。春分、冬至、それぞれ毎年、同じ場所から登ります。私の愛読書の天文歴の本を見ますと、2020年までの太陽や月、木星、金星を始め、おひつじ座、おうし座、ふたご座、おとめ座等の天体での位置、時間が秒単位までキチンと時間、秒単位で書いてあります。つまり天文学の計算でこの本には2020年までの天体の動きが書かれてあります。宇宙の仕組み、特に私達の銀河系の星達の動きが計算通り、毎年、同じ場所と時間に私の書斎から観察出来る喜びと感動を楽しみながら私は生きています。宇宙の正確な仕組み、春夏秋冬の森羅万象の神秘性、その中に感じる神仏の愛、私は本当に幸せ者です。世界の歴史に垣間見る人類の喜怒哀楽、それを学ぶことも楽しいですが、宇宙から感じる壮大な喜びは私を更に幸せにしてくれています。宇宙から体感する生き甲斐も実に大事な領域です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2025年07月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「ああ、忙しい」と感じる危険性について思索してみます。朝、目が覚める、ばたばたして、夜布団に入る夜は疲労困憊。こうして貴重な人生が流れていきます。さあ、お金を貯めて親しい人々と好きな場所に旅をしましょう。この旅にはお金と時間が必要ですが、この旅立つ勇気が無いと、多分、マンネリズムの生活に陥り、幸福感が激減していくでしょう。親しい人々との旅は愛の孤独感を癒し、美しい森や花、可愛い鹿や林の中の雉との出会い、その他の沢山の小鳥たちとの出会い、野天風呂で見上げる宇宙の星達、旅は総合的な生きる喜びを与えてくれます。えいやあ、と旅にでますと、素晴らしい知恵と勇気と生き甲斐を感じます。旅は総合的幸福感を与え続けます。私達の長い人生の旅は、果して何処に流れていくか不明な点がありますが、親しい友人との短い旅は私達に長い人生の流れゆく先すらも教えてくれるようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2025年07月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
星空やお月さま、壮大な宇宙を楽しむ人は多いと思います。私の書斎からは武蔵野の林が見えますが夏至になると、その林から太陽が毎年同じ場所と時間に登ってきます。春分、冬至、それぞれ毎年、同じ場所から登ります。私の愛読書の天文歴の本を見ますと、2020年までの太陽や月、木星、金星を始め、おひつじ座、おうし座、ふたご座、おとめ座等の天体での位置、時間が秒単位までキチンと時間、秒単位で書いてあります。つまり天文学の計算でこの本には2020年までの天体の動きが書かれてあります。宇宙の仕組み、特に私達の銀河系の星達の動きが計算通り、毎年、同じ場所と時間に私の書斎から観察出来る喜びと感動を楽しみながら私は生きています。宇宙の正確な仕組み、春夏秋冬の森羅万象の神秘性、その中に感じる神仏の愛、私は本当に幸せ者です。世界の歴史に垣間見る人類の喜怒哀楽、それを学ぶことも楽しいですが、宇宙から感じる壮大な喜びは私を更に幸せにしてくれています。宇宙から体感する生き甲斐も実に大事な領域です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2025年07月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
私の大事な散歩地「深大寺」に「なんじゃもんじゃ」という美しい白い花を咲かせる木があります。色々の説があるようですが、この面白い名前の木「なんじゃもんじゃ」は、誰かが「この木はなんじゃ?」と質問したら、聴かれた人が「なんじゃもんじゃ」と聞き返したら、質問した人が「なんじゃもんじゃ」という名前だと勘違いして、以来、そう呼ばれた、とか言われています。深大寺では「水戸のご老公様」と書かれていますが、散歩の度にこの「なんじゃもんじゃ」の木に向かい私は「おはようございます、こんにちは、今年もよろしく、また会いましょう」等と言葉をかけますと、この木もまた、色々と語りかけてくれます(こちらの空想です)。しかし、私の心はとても暖かくなり幸せです。近所の神社にも大木があり、散歩の折には必ず語りかけますと、私の心に何かヒントが生まれ、気付きがあります。また、ベランダのサボテンは時々、美しい花を咲かせます。このサボテンに今年も綺麗な花を咲かせてね、というと、私の心がまた幸せになります。森の木、散歩先で出会うお花、野川の野草、これら植物は何となく優しい集団です。愛を感じる木や花にいつも感謝しています。愛の感受性訓練には大自然の植物は恩人のような、先生のような存在です。植物は私の心の慰め、友達のようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2025年07月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
色々観察してみると「動物と仲が良い人、犬、猫、小鳥、馬などの動物と友情を保持出来る人」は幸せなようです。人間は嫌いだけれど、動物は好き、という人と、人間も動物も嫌い、という人の間には相当の幸福度の違いが存在しているようです。好き嫌いはとても重要な問題ですが、ここではとにかく周囲の人間、または、遠くても親友が存在していれば、人は幸福になれますので、まずは相手が動物であっても愛する気持ちを育てる必用があります.この動物との友情について思索していきます。一度飼った動物を遺棄する問題があります。この問題はとても大きな問題で人間愛にも深くかかわっています。自己愛パースナリティ障害の問題でもあり、自己愛が変形していて病的な場合、この動物との関係にも色々の精神病理学の病理現象が投影されています。被災地での飼育の問題は除外しますが、別荘地で遺棄されたわんちゃんと遭遇したことがありますが、とても辛い状況に立たされた経験があります。遺棄した背景は不明ですが、じっとご主人を待つそのワンちゃんの姿が新聞にも掲載されていました。責任問題がありますので今の自分の置かれた立場で、動物との友情、愛情が交える環境を創造するのも「愛の感受性を育てる訓練」に通じていきます。私は15年間、愛犬と生活していましたが、その死に立ちあった切なさ以来、飼う気持ちがなくなりましたが、那須の修道院の愛犬と二年まえに友情を結びました。そのお陰で、益々、私は幸せな体験をしています。1泊2日の勉強会ですが、時間がありますと、そのワンちゃんを散歩に連れ出します。月に一度のデートですが、私の声を聞くと身体中で友情を表現してくれます。動物との友情は本当に私を元気にしてくれ、生き甲斐を感じます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2025年07月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「人の愛を感じない人々」について思索していきます。どんな人でも本来、赤ちゃん時代のように、或いは、動物のように、自分を好いてくれる相手は敏感に感じるように出来ています。しかるに、生育史の何かが、素直に他者の好意を歪めて解釈するようにしてしまったようです。今更、この原因を分析することに時間をかけるよりは、「愛の原型」を思い出させる対処をしたほうが早道です。心に問題があるときは、この愛の原型を思い出せません。ですから原因を時間をかけて分析するよりは、「愛の原型」を思い出させる対応から始めたほうがよいのです。さて、愛の原型を思い出したら、そこが回復のキーワードです。自分は愛されたことがないという自己概念が崩壊し、人間並みの愛の原型が自分にも存在したんだ、という自信と安心感が将来の幸福を確保してくれます。愛を感じさせない一番大きな原因は、この愛の原型の存在を意識化出来るかどうかが再スタートの原点です。人を邪眼で観る内は、愛は感じられません。人を慈眼で観られるようになると、愛を感じます。人間はもともと愛をビンビン感じられるように設計されています。70億の人間はそれぞれ好きこのんで生まれてきたわけでなく、事情があってこの地球に生まれてきました。親のせいにして、何故、産んだかなどと言う人は往生際が悪い人間ですが、生まれた以上は自分の自由意思で幸福を掴む義務があります。この決意がないと、幸福は生涯、身につかないでしょう。いかなる環境であれ、人間の尊厳と言われている自由意思を駆使し、必ず自分の幸福を獲得する決意があれば、人は必ず周囲の人の切ない喜怒哀楽に感動し、共に手をたずさえて、生き抜こうという共存共栄の思想に到達するはづです。人の愛を感じれば愛の孤独感も激減し、幸福曲線(平安感、友好的な感情、健康感、幸福感、統御感の5つ)は得られます。そうすると益々良き友人に恵まれ、ゆがんだ解釈をしなくなり、幸福感を感じられるような解釈が出来るようになり、その解釈を楽しみだします。暗い解釈をする人のところには暗い人が集まり、明るい解釈をする人のところには明るい人が集まり出します。いわゆる、類は類を呼ぶです。良い解釈とは明るく元気に爽やかに生き抜けるような解釈をする事を言います。
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