生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2022年02月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
今日のテーマ<自分は何の為に生きているのだろうか?>は人類永遠の課題ですが、不思議な事に、この自問自答には、これといった答えは見つからないものの、この自問自答をしていると、何となく元気が出てきます。この元気が出てくる理由を古代ギリシャ時代から今日に至るまで哲学者は不思議に想い何故、この自問自答が人を元気にするか、その理由について沢山の論文を書いています。答えの無い人は、とりあえず、生き甲斐を探すのが自分の生きている理由だ、と自問自答しておくとノイローゼになりません。この大きな課題の他に、自分の生き甲斐は何か、自分は自分の魂、成育史を大事にしているか、自分は自分の身体を大事にしているか、を自問自答します。この自問自答を生き甲斐の心理学では<自己実現への道>と定義しています。特に自分の成育史を否定すると大きな心理的な問題が出てきます。<自分の赤ちゃん時代から今日までの人生の記憶を肯定的に解釈出来るかどうか>の将来の幸福がかかつてきます。自分の成育史を否定していると、色々な精神的な歪みが生じてきて明るさを失いますので、出来るだけ自己肯定的に解釈する。例えばあの厭な記憶は自分の試練だった、あの困難のお陰で自分は人間の弱さ、人の痛みを知る人間になれた、あの事件が今の逞しい人間にさせた、などなとの解釈をしつつ明るく逞しく爽やかに人を愛しつつ生きていると何となく人生の意味が見えてくるようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2022年02月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
<知らないと損をする>が世の中には沢山あり改めて<知は力なり>を考えさせられます。努力しないからだ、と言うのも残酷な話で、人生には求めても満たされない環境が沢山ありますから、折に触れて良い知恵を気楽に楽しみながら生きていきたいものです。例えば<信じてみえてくるもの>という思想があります。欧米の比較文化、比較宗教学を教える大学では常識ですがA=B(X+Y)という方程式があります。キリスト教文化が背景ですが、どの文化にも共通する思想です。Aは現在、生きている自分、Bは臨終とともに身体から離脱していく知的生命体、つまり俗語でいう魂のこと、Xは自分独自の成育史、Yは医学生物学的な身体のことです。この方程式を生涯、咀嚼して思索してみると<今まで見えなかった真善美>が見えてくるのが不思議です.
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2022年02月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
毎日の気分が違うように、日々色々の事が周辺に起きてきます。寝る時、あー、今日はついていなかった、とか、素敵な日だった、と思いながら寝付きます。夢を色々見たり、爆睡したりして人生が流れていきます。自分の意思に関係なく、朝、目覚めた時の気分を意識しておくと、今日という貴重な人生を無駄にしなくてすむようです。気分が悪い時は、自分の言動に気をつけますが、その悪い気分を意識しないと周囲に自然に八つ当たりしてしまい、信用をなくしていきます。朝の気分を意識化しておくと、その貴重な一日を有効に活用出来、自己実現への道を無駄なく歩む事が出来ます。朝の気分は140億の大脳から送られてくる貴重なシグナルなので、その朝の気分の意味を神様からのメッセージとして大事に解釈してみましょう。朝の気分には貴重なメッセージが潜在しているようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2022年02月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分の感情は十分わかっているよと断言する人が入院してきます。本当の感情を正確に把握できれば人は心の病にはなりません。ギリシャ神話のカオスの世界のようにこの胸の中のもやもやは何だろう、この場合はどんな考え方をすれば解決できるのだろう、こんな場合にどの行動を優先させたら一番いいのだろう、この思考、感情、行動の3つは人類の永遠の課題なのです。そんな制限の中で、人は一生懸命生き抜く努力をしています。この努力を見ている神様が時々恩寵を与えて下さるのので人生のチャンスが生まれます。ですから複雑な人間の感情をいつも正直に倫理道徳を超えて把握する修行する必要があります。例えば両親は本来、愛すべき存在です。そのように愛すべき人を憎んだら、正直に、それを意識化しないと人は心を病んでしまいます。今、自分はこれこれこういう理由で両親を憎んでいると明確に感情を意識すれば人は心を病むこはありませんが私は両親を愛していると自分に嘘をつくと心は病んでいきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2022年02月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
正確にいえばフロイドの14の防衛機制のことですが、この心を抑圧したり、逃避したり、感情転移をしたりする現象は専門的な勉強をしていかないと対応は無理なようです。専門的な勉強といいましても博士号とか修士号を取得する必要はありません。生き甲斐の心理学を楽しく勉強していけば十分です。人間の心は何故か、いつも緊張したり、心の防衛をしていないと生きていけないように創造されているようです。この心の防衛の仕組みさえきちんと意識化しておけば、義務教育程度の教育を受けていれば防衛機制の仕組みは十分理解出来ます。人間は不安が本質といわれていて不安であることが人間なので、その本質を持つ人間が平安感を取得するには少し知識と訓練が必要なのです。今自分は抑圧しているな、とか、自分は感情転移をしていてお母さんにやつあたりしているな、という心の動きを意識化出来ると、大きな哀しみ、心の傷をつくることを避ける事が出来ます。防衛機制とはどんな作用なのか生き甲斐の心理学を勉強して下さい。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2022年02月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
あれ、この人は?と思う事がある。今、流行の言葉を使えば空気が読めない人、という事になるのだろうが、この現実吟味力という識別行為は心理療法上の学識が必要なのです。気にすべき心理療法上の大分類は、精神病系か神経症系の二つですが、自分とあなたの関係の中で、相手の感情を察知できる場合の現実吟味力の異常性は、どちらかというと神経症系です。相手の問題なのか自分の問題なのか識別出来ない人の場合は精神病系(統合失調系)といえます。理想と現実の混濁、自分なのか相手の問題なのか混濁する場合は、自分と周囲を混乱させます。現実吟味力が非常に欠落している場合は生き甲斐の心理学をきちんと勉強していきましょう。老人の知恵、専門家の知恵、人生経験の不足により知恵の欠落は病気ではありません。ここでいう現実吟味力とはその年代における平均的な比較論ですからあまり心配しないと読んで下さい。

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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2022年02月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
青春時代には沢山の夢があり、その揺らめきは病的なものではありません。自分にはどんな才能があるのかは、ある程度、社会に出てみないと分かりません。しかし進路は折々の人生場面、学校の選定、理科系か文科系か、など大人同様、沢山の選択肢を選ぶ毎日です。ですから、子供のころから、何が好きか、嫌いか、五感と体感での好き嫌いを倫理道徳を超えて、正直に意識化する訓練が必要です。大人になつてしまうと何が好きか、嫌いかを明確に言えない人生事情がありますので益々人は混乱していきます。この好きか嫌いかは人類が発生した頃からの原初感情と言われていて、怖い怖くないという感情とともに人生を生き抜いていく上でとても重要な感情と言われています。自分の本音を正直に意識化していれば、あの恐ろしい<アイデンティティの統合に病的な乱れがある>と言われるような大人にはなりません。特に不安感、何が不安なのかを子供のころから正直に意識化すると非常に健全な人間に成長していきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2022年02月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
大学病院でも色々の考え方で動いていますが、世界共通の常識的な3要素は:(1)アイデンティティーの統合に病的な揺らめきがないか(2)14の防衛機制に病的なものがないか(3)現実吟味力に病的な揺らめきがないか:この3要素を患者さんの事情により判断しつつ事にあたります。少々難しいですが、分かりやすく解説していきます。この背景には6つの要素を当然配慮しています。遺伝、環境、老化、自律神経、免疫、分泌の6つです。段々分かってきますが、心の環境づくりなら、誰にでも出来ますので、おもに心の環境について思索していきましょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2022年02月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分の成育史の中の中学時代を、今、思うと複雑な心境になりますが、中学生時代の経験が今でも大きな影響を与えている事に気付きます。エリクソンの発達論に照らせば13-22歳の人格形成論となるのですが、この時代に<忠誠心、アイデンティティーの形成、自己混乱感>の原型が形成されるようです。大人になり厳しい現実に生き抜いていこうとする時、この中学、高校時代で経験した錯乱、自己混乱感が、どうしても思い出され、自信喪失、挫折感の思い出が、今の問題を乗り越える際の過剰反応の遠因となり、折角の成功を邪魔していきます。中学時代の挫折感が大人になっている今の自分を駄目にしているという事実を意識化すると、その問題を解決出来ます。過去の挫折感は人の器を大きくしてくれますが、五感と体感で大脳に記憶されている挫折感が、今の自分を駄目にする、自信を与えていないという事実を意識化しないかぎり過去に固執した生き方を繰り返してしまいます。過去の思い出を超える大きな情熱、人生の希望への情熱しか、過去の思い出を消す方法はありません。:<解釈で人生が変わる.
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2022年02月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自殺寸前とか自殺を決意してしまった場合は対処のしようがありませんが、心の病の妙薬は何といいましても<生き甲斐>を思索してもらう事でしょう。病棟に数年居る患者さんが窓の外の四季の変化を楽しみだしたら急に京都の秋を見たいと熱烈に思うようになり、どんどん回復していきました。生きる希望を見出すと、どんな薬よりも効果が高まります。生き甲斐は人生の最良の薬です。:<解釈で人生が変わる>.
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2022年02月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
古代からの人類の歴史を学んでいくと、そこには必ず神話が出てきます。ギリシャ神話のような雄大な神話を信じる民族は案外長く生き延びています。今は科学が神話のようになつていますので、あまりギリシャ神話などは生きていくエネルギーにはなつていないようではありますが、一部の人々はとても神話を大事にして生きています。魂の解釈は万とありますが、私がとても大切にしているジーン・ドージャという神学者の魂論はとても面白く生き抜いていく上で勇気を与えてくれます。簡単に言いますと、魂は永遠不変のもの、老いることもなく、病むこともない、愛そのもので、臨終とともに身体から離脱していく知的生命体である、という解釈です。この魂の解釈がオカルト的であったり、怪しげな解釈をすると人生が狂いだします。数千年の間、それぞれの時代に激しい論戦を積み学問の対象として激論をたたかわせ、その結果、生き残っている魂論を学ばないと現代人は相手にされなくなります。魂論は学問の対象なので大学で学ぶ程度の内容で思索していきましょう。解釈いかんで人生が狂うからです。要注意の問題です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2022年02月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
コップに水が半分あります。<半分>をどう解釈するか、という話ですが、もう半分だと嘆く人、まだ半分ある、と楽天的な人、この話は大変便利な例です。もう駄目だ、という解釈の人、まだまだ十分だと解釈する人、この違いはただ一つです。自己実現への道が明確かどうかの問題なのです。自分は何のために生きるのか、自分の生き甲斐は何か、自分は自分の魂、心(成育史)、身体を大事にしているか、この3点が明確な人はいつもぎりぎりのところまでチャンスを狙い努力し苦労し、楽しんで生きています。まだまだチャンスはある、ぎりぎりまであきらめずに生きていきましょう。

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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2022年02月16日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
昔、モスクワで飛行機事故に遭遇しました。胴体着陸として滑走路に突入する時、あー、駄目だ、と観念しましたが、草むらに止まった時、おや、まだ大丈夫だ、と思った瞬間は生涯、忘れられません。おや、まだ大丈夫、と思った瞬間から、死を覚悟していた冷静な自分が急に慌てだし人々と外に飛び出しました。ひたすら飛行機から離れ爆発を恐れ遠くに、遠くにと全力で走った時は、冷静さを失い気が狂ったような自分を感じていました。それからが大変で全身は、がたがた震え避難所では顔面蒼白、茫然自失でした。何故、自分はこんな酷い事故に遭遇しなければならないのか、現実の解釈をめぐり頭は大混乱でした。暫くこの現実の解釈について思索していきます。

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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2022年02月15日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
医学的な事情が身体にあるとしても、心は自由なので、これからどう生き抜くかは本人次第です。この本人次第という事をどうして人々は気付かないのだろうか?心の世界は本当に不思議で神秘的な世界です。人は考えた通りの人間になる、という諺は数千年前から人々に咀嚼されていて、この真理に気付いた人は幸せです。かたくなな心というものは、どうしてかたくななまま生涯を終わるのでしょうか?患者さんを長年みていて哀しくなります。心は自由なもの、何らとらわれる必要のない世界なのです。悩みは生涯無くなりませんが、悩みの意味とか悩みの実体を冷静に意識化して欲しい。悩みの扱い方をこの生き甲斐の心理学できちんと勉強して欲しいものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2022年02月14日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
悩みの深い人を見ていると<愛>という思索が非常に欠落しているにに気付きます。愛という概念を侮蔑さえしているのです。愛という概念がキザであれば<大事にしあう事が愛>と定義しておけば大きな間違いはありません。心理学の教科書には幼児時代、愛の体験が不足している成育史を持つ人は、生涯、愛が分からない、とうような記事が氾濫していますのでますます自信喪失になります。人が大事にしあえばそこには暖かい雰囲気が必ず流れ出します。<これが愛です>と親切に丁寧に教えてくれる人は世間にあまり居ません。人間社会には少し意識すれば暖かいものは沢山身近に存在しています。これが愛だ、と意識化する努力さえすればいつでも愛は意識化出来ます。<何となく心が温まった>、そこには大きな愛が必ず存在しています。
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