威風堂々

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「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

自分と向き合う

2018年02月17日 | 第八章 魂と聖霊

フェイクニュース


あの高貴な方のご結婚かご婚約かが延期された件

ネットを探ってゆくと、こんなニュースに突き当たった

「NHKがスクープしたので宮内庁が後追いせざるを得なかった。悪いのはNHK」というもの。こういうのがフェイクニュースである。なぜかって?報道機関がスクープするのを悪く言ってしまっては「知る権利」を悪く言っているのと同じなんですが、それに気づいていない「Democracy」をただ同然に思っている平和惚けした人々をだます手法としては理に適っているんですよね。こんなニュースが大手を振ってまかり通ると、一党独裁の多様性を認めない社会になりますよ。どうしても当事者以外に責任を求めるとなると、悪いのはあくまでも宮内庁となります。また、これがハッキリ延期の理由を告げない人達の責任なのでは?これを報道機関に責任をふる感覚は分かります。それは皇族ファン。でも、事実は客観的に捉えましょう。

やはり、SNSでのニュースは駄目ですね。やはり新聞だと思いますよ。産経にしろ朝日にしろそれぞれがその社の責任の下に発信していますからね。で、政治的思想的フィルターが通っているわけで、SNSなんか、某コインチェックみたいなもので、責任の取りようがない。

で、「新聞とらないから」は別に勝手ですが、こういったフェイクニュースに引っかかる人達が増えていますよね。残念です。


いつも思いますが、「真実は1つです」何が正しくて、何が間違っているか。そういうことを知っている存在が「父と子と聖霊」であり、八百万の神であり、仏法なのかも知れないってか、でしょう。世の森羅万象を冷静に客観的に把握し理解しそして人に伝えるってことは大変難しい。しかしそれから逃げ出してはなりません。反対や批判されることを怖がって何も発信しないのは最もいけないことだと思います。







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白浜温泉は昔「牟婁の湯」と呼ばれていた

2018年02月12日 | 第八章 魂と聖霊

有間皇子自傷結松枝歌二首

「磐代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば また還り見む 」

古典の教科書にも載っている、
有間皇子の歌である。おそらくは中大兄皇子、藤原鎌足らの陰謀により謀反の罪を背負わされて和歌山県海南市付近の藤白というところで処刑されたらしい悲劇の皇子が詠んだとされる短歌である。たいへん秀逸な歌である。牟婁の湯、今の白浜温泉。ここは日本三古泉(道後・有間・牟婁)の1つ。斉明、持統、文武の天皇が訪れていた。有間皇子は奈良で罪を決められて、なぜまた和歌山の地へ護送されてきたのだろうか?それは、白浜温泉の良さを都で斉明天皇に報告したところ、天皇は行ってみようということになり中大兄皇子らは白浜温泉に行ったのでした。その留守中にクーデター謀議があり捕まった有間皇子は中大兄皇子らの尋問を受けるべく牟婁の湯へ護送されたらいいのです。で、途中でこの歌を詠んだとされています。おそらく十津川村を越えて海南市付近まで出て、沿岸部を通って白浜へ向かったと思われます。で、また都へ引き返す途中で処刑されたらしいのです。

白浜温泉はたいへん良い温泉です。ぬめりがあって僕は好きです。今はたくさんのパンダがいる場所として有名ですが、何度でも行きたい温泉の1つです。でも熊野大社へ抜ける熊野古道、新宮、高野山、奈良、と山の中を通ると歴史が見えてきます。沿岸部も悲劇の皇子の物語など古来日本の原風景に触れられる歴史的な所です。
有田みかん、南部の梅と名産物も豊富ですし、近頃は近畿大学の養殖マグロや養殖九絵(クエ)などもあるようですし、三段壁に千畳敷、風光明媚な観光地です。

「家にあらば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」

こんな人ならこんな歌を詠むだろうと後世の人が歌ったこともあるようですが、この二首は現代でも通じる名歌だと思います。有間皇子や中大兄皇子、藤原鎌足の霊が降り立つような気がしながら露天風呂から見る海や山の景観は、日本の国を感じるよい機会でした。







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予期できるo(^-^) 芸

2018年02月03日 | 趣味・好きなもの


落語について

僕は落語が好きである。ラジオから入った。幼少の頃、テレビ視聴が制限されたことがあり(病気理由で:これは後に医者の誤診だったのだが)、自然とラジオを聞くことが多くなっていた。僕らの世代はそうでなくても深夜ラジオはよく聞いていた世代ではあったが。ラジオでは落語をはじめとした演芸番組があったし、わざわざ寄席に行かなくても触れられた。勿論テレビでも、桂三枝・文珍といった今では重鎮となる若手落語家たちが出演した「ヤング・オー・オー」とかいうテレビもあったし、笑福亭仁鶴、もうちょっと前の世代だと、志ん朝、圓生、志ん生、文楽とか、、、。小さんや米朝とか「はなのあなあな」円歌、円鏡、三平 もうあげたらキリがない。

これも今は、差別的表現などの問題でテレビ放送が難しい演目もある。が、与太郎話などそりゃ、発達障害とかいろんな差別を助長するとは言えなくもない。視覚障害者に関する話は「めあき」、目が見えるようになるって縁起の良い話としてある。
ライ病も同じで、顔は目立つところなので、古典芸能は全般的に取りようによっては差別、いや、昔は差別していたわけだが、、、。「ツブれ」とか「めくら」とかいろんな表現がある。
どの言語も同じだろう。
英語だって中国語だって。
こういう関門を何とかクリアして伝統芸能は継承して行かなければならないと思う。伝統芸能の楽器でも何でもそうだが、差別問題とは現代社会に生きる私達は向き合う必要がある。こういうことを知った上で、みんなで楽しみたいものである。







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最近の読書

2018年01月27日 | 文学・評論(現代・近代)

最近読んでいる本

《おもかげ》浅田次郎
《魂の探求》ジョン・ヒック
《DNAに魂はあるか》F・クリック
《職業は武装解除》瀬谷ルミ子

など。

いずれも頭に記憶されてこない。だめだ。

岩波の「君はどう生きるか」は昔買って読んだんだが、再読しようと思ったら活字のちっさっさに愕然とした。昔は活字のサイズが小さかった。今このサイズに出会うとそれだけで「読む気が」すーっと消えて行くのですぅ。

《生き物をめぐる4つのなぜ》長谷川眞里子ってのも途中。

新書では、「バッタを倒しにアフリカへ」は面白い。作者の前野博士はスゴーく頭のいい人であり情熱家でいらっしゃる。ノンフィクションで久しぶりに抱腹絶倒であった。

《かがみの孤城》辻村深月 は中高生には最適なのではなかろうか。

で、やはりガンジーとかに代表される、自己中心にならずに「真理は1つ」なので色んな言説や生命の仕組みはあるがそれは真理に到達するべき方法論が沢山あるだけで、真理には優劣などなく、唯単に真理なのだと、「暴力」に頼らず(多少使うときはあろうが)自らがその生き方を実践する人の登場を期待してしまう。今の時代だからこそ。






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理想より常識

2018年01月25日 | 「今、ここで」

理想より常識

最近思うのだが、戦後が遠くなるに付けもう「理想」を語るのは面倒くさくなってきた。
そこで「常識」を語ろうと思う。コモンセンスは同じ集団内の秩序めいたものだから、地域によって異なるということだ。それを承知しておいて下さいね。企業風土や東北とか、アフリカやバリ島とかで当然食文化や礼儀作法が違いますよね。そういうことを踏まえて下さい。

我が企業では「挨拶励行」という常識があるんですが、《当たり前》だろう って思われるかも知れませんが、これがなかなかできない人がいます。なぜ自分から先に「こんにちわ」って言えないのでしょうか?不思議です。机の上にメモを置いてくれるのは良いのですが、記名をしないから誰が置いたか分かりません。皆さんの会社ではあり得ないでしょう?

常識。

友人の高校教師が言ってました。今の生徒達は、遅刻したとき、授業時間の終わりかけに平気で入室してくるらしいのです。これって常識外れでしょ。授業時間は知ってるわけだし、先生が熱弁ふるっている所へ平気ではいれる神経。僕が高校生なら休憩時間に合わせて入室しますがね。

非常識な人はいつの時代でも存在しますが、これもまた「個性の美」なんでしょうか?みんな自分を信じる結果は「常識」なんて糞食らえ!なのでしょうか?これは違いますよね。だって、盗みや殺人が駄目なように、非常識なこともしちゃいけない。いくら「自分は自分」であっても、わがまま勝手をして良いと言うことにはなりません。





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