生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年11月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
イギリスの研究室での若い女性達はアメリカの研究室のようなフランクさはなく貴族階級のせいもありましたが近づき難い雰囲気でしたが興味津々の私は色々とアプローチします。気楽に交際が始まりますが何とも気位の高い人々で困りました。それでも友情を感じだすころ、同じような事を言われるのです。私は聖母マリアのような女性ではありません、と。私が変だと気づいた最初の衝撃は25才くらいですが、それから30代まで、この変な自分をどう改善したらいいのか工夫したものです。末っ子である私の性格と母の死は私の女性観は相当、過激な女性崇拝かつ神聖視だったようです。しかし周囲の女性は私を軽蔑せず、何故か私を大事にしてくれました。何故かなあ?今でも不思議です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年11月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
欧米の女性達は苦手です。意見をばしばし主張し攻撃してくるからです。「やまとなでしこ」はバシバシ言っても欧米の女性ほどでなないので、とても安心です。なんとお馬鹿さんだなあ、この人は、とお考えの日本女性もおられるでしょうが、私の人生体験で、私が、そう思うのですからしょうがありません。それだけ恐ろしい女性を知らないのかもしれません。アメリカ女性で何ともおとなしく優雅で遠慮深い研究室の学徒でも、少し友達付き合いが始まると堂々と権利を主張して驚いた事があります。日本の文化の何とも言えない玉虫色のあいまいさ、このぬるま湯のような暖かさがとても好きです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年11月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
高校生の時に母が死にました。優しい母でしたので、その衝撃は大きく、今でも想い出すと辛くなります。その体験が良い影響と悪い影響を私に与えています。47才で死んだ母、17才の私。女性が全て優しく見えた20代から30代にかけては私とお付き合いする若い女性は本当に迷惑だったろうなあ、と今思うと申し訳ない気持ちです。さらりとお付き合いしている関係ですが私が女性を聖母マリアのように錯覚する傾向がありましたので、しばしば「私はあなたの思うような女性ではありませんよ」と言われたものです。あえて悪女振り、私をあえて離すような会話をされたのを思い出します。在るがままの姿で人はお付き合いしなしと偽りの交際になる危険があるようです。そこからは本当の幸福は生まれません。私のその傾向に気づくのは大変遅く30代の半ば、大学病院で沢山の患者さんを見ながら初めて本当の人間の姿に触れていきます。患者さんが私の恩人達です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年11月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
親子、恋人、家族、友人、夫婦、それぞれの人間関係の中で、互いに好意、友情、愛情を感じているのに、何故か、親密なものを危険なものとして避ける事例があります。これは大変、不幸な現象なのですが、生育史を調べていると、さもありなんという事情が見えてきます。どんな生育史かといいますと親密な状態の時に、突然、恐怖に襲われたという体験か、或いは、親密な日常生活の折に、突然、難しい病気が発病し、急速に死んでしまったような体験があると、人はその親密性と不幸感をダブらせて感じ取る習性があるからです。これを直していくには、その成り行きを明確に意識化する必要性と繰り返し人生体験の中で、そうでないと思えるよな訓練が必要です。愛の親密性は危険ではない、という確信が必要です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年11月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
対決する時は勝ちたいもので、負けるとわかっている戦いは無駄なエネルギーを払います。平治の乱での平清盛はやっと青年清盛から老獪な政治家へと変身していきますが、今の時代、私は正面から勝負をする必要がないので、とても幸せです。30-40代は正面衝突の日々が続きました。しかし、心と身体はエネルギーに満ちていてこの戦いが大きな喜びでした。今は暖かい愛に包まれた日々ですがこの日に到着するまでに大きな戦いをしてきたので、きっと神様が恩寵をくださったのでしょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年11月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
この大河ドラマはどこでエンディングになるのかなあ?不勉強なので調べていませんが、知る人ぞ知るで、結末が分からないところが私には却って楽しいようです。吉川さんの新平家物語16巻を読破、原本の翻訳ものをすでに、読みました。実に楽しく、感謝でした。自分の人生の結末が見えたら生きるのが嫌になるかもしれませんが、見えない喜びも生き甲斐の心理学の目指すところです。最後は天国に行けるつもりで今、生きてはいますが。死んでみないと分かりませんが、愛である神様を信じています。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年11月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
海賊の場面が出てくると何とも気分がよろしくなるのは何故だろう?めんどくさい規則や習慣を無視して好き嫌い、怖い怖くないという人間の原初感情で動き回る海賊達の描写を見ている私はすかっとして、少年のように手を叩いて喜びます。大河ドラマを見ていても、海賊が出ると気分が良いのです。少年時代、鞍馬天狗の映画を見ていて、彼が悪い人をタイミングよく白い馬に乗って現れ悪人を征伐すると手を叩いて喜ぶので隣の大人がウルサイ、と怒っていました。教育を受けたり複雑な学問をしたり社会生活をしている内に、原初感情が消滅し、人生のいきいきした感動と喜びが減少していくのは何故でしょう?ここで改めて人間の原初感情(4つある、と言われていて、好き嫌い、怖い怖くないの4つ)を再学習するといきいきしてくると言われています。好き嫌い、怖い怖くない、という感情を言葉にすると大人になりきっていない、と侮蔑する社会ですから、やむを得ないかもしれませんが、悔いのない人生をいきいきと送る為に、もう一度、原初感情を見直したいと思います。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年11月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
2012年の大河ドラマの話ですが、不思議な人物・源頼政が登場しだしています。この不思議な生き方は何とも魅力があります。保元の乱では後白河天皇につき、平治の乱では源義朝とはたもとをわかち、清盛について伊豆の知行国主、殿上人となります。意識してこうしたのか、不明ですが、後日、1180年には出家しますが、平家打倒に出ます。宇治川で戦死、この人物の生き方は面白い。和歌を嗜み「頼政集」を残しています。この人物にご注目。
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2023年11月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
2012年7月5日の大河ドラマの話ですが、不思議な人物・源頼政が登場しだしています。この不思議な生き方は何とも魅力があります。保元の乱では後白河天皇につき、平治の乱では源義朝とはたもとをわかち、清盛について伊豆の知行国主、殿上人となります。意識してこうしたのか、不明ですが、後日、1180年には出家しますが、平家打倒に出ます。宇治川で戦死、この人物の生き方は面白い。和歌を嗜み「頼政集」を残しています。この人物にご注目。
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2023年11月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
2012年7月1日の大河ドラマの一場面で、逞しく生き伸びていく人々の集団・藤原忠通(俳優は堀部さん)と美福門院得子(松雪さん)が、滅びゆく軽薄者・藤原信頼を垣間見て、ああ、なんと愚かなことを、と嘆かせる場面が印象的でした。この大河ドラマは歴史の深刻な場面を、さりげなく、さらりと上手に描いていきます。歴史の登場人物の関連図が頭にないと、本当の楽しさ、面白さは多分、理解出来なでしょう。系図は関連図を片手において楽しむのは難しいとは思いますが、生き甲斐の心理学の教科書にしたいくらい面白い平家物語に感謝です。
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2023年11月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
現実吟味力が欠落すると人生が大きく変動していきます。2012年7月1日の大河ドラマ・平治の乱での源義朝を見ながら、その後の源頼朝への影響を思索していました。現実吟味力を冴え渡らせる条件は、その人の生きる目的が明確であることが必要ですが、このドラマは中々、その辺りをきちんと意識しているのが面白い。このドラマは本当に優れたものだ、と感心しています。それぞれの人の生きる目的を巧みに表現しているし、時代考証、心理描写も、なかなかのものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年11月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
本音で生きている人々は悔いが無いと思いますが、建前で生きると、相当のストレスが蓄積されると推察されます。DVD大河ドラマ「平清盛」平治の乱の信西を見ながらそう思いました。どの時代も信じる道を必死で生き抜こうとする人は、それがどんなものでも、美しく見えてきます。信西の生き方から沢山のものを感じます。偽りの自分を生きようとすると変なストレスが蓄積していきますが本当の自分を生きる覚悟さえあれば、その人の心の奥深い部分は案外、幸福曲線(平安感、幸福感、統御感)があり悔いのない人生を十分生きたなあ、と思いながら死ねるかもしれません。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年11月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分は何の為に生きていくのか、その辺りが明確でない人々の行動は多分、困難に巻き込まれた時、悔いを残すような奇妙な行動をしてしまうようです。大河ドラマでの事例を見て「行動の病理学」を思い出しています。本人が悪いわけでなないのですが、たまたま生きる目的が明確化される前に歴史の事件に巻き込まれていかざるを得ない立場なので批判は出来ません。悔いを残さない為には、自分の身辺に不可解な事件が起きた場合、逃げ出したほうが良さそうです。その次点で自分の生きる目的が明確で無い場合、不利な事件に巻き込まれてしまうのは馬鹿馬鹿しいからです。生きる目的が明確化していない次点では、自分の人生を不利にするような事には関わらないとのが正常な判断です。一見、自分は卑怯かなあとか、だらしがないと自己否定しないで、まずは生きる目的を明確にした上で、結果がどうなろうと、自分の信じる行動を堂々として生き抜けば悔いのない人生を生きる事となります。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年11月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
感情が乱れた時、その沸き立つ激しい感情の取り扱いを過つと自分の人生がどんどん変な方向へ流れ出します。厳しい現実は歴史に翻弄されますので、せめて沸き立つ感情の処理、つまりセルフコントロールの訓練だけは平素から修行したいものです。讃岐で憤死したと言われる崇徳天皇はその後、中世紀の天変地異、戦乱の遠因として伝説化されていきますが、この歴史はとても哀しいけれども現代に生き抜く智恵に大きな示唆を与えてくれています。有名な一句「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思う」
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年11月16日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
清和源氏だと自慢する現代の誇り高き末裔の皆様、怒らないで下さいね。私が独断と偏見で楽しんでいる大河ドラマの話です。「思考の病理学」と言う視点で何となく気になるのが源頼朝のお父さん・義朝です。青年期の或時点では平清盛の上を行く思考がありましたが、沢山の試練を味わう内に、僻み、恨み、劣等感の上で、少々病的な思考(自己否定他者否定という破壊的な思考のこと)の陥り出します。現代でも困難を乗り越えて明るく逞しく生き抜く人は他者、社会のせいにしないで、自分の問題として正面から取り組み解決していきます。思考の病理学では、どんな思考をすると病理になり破滅していくかを勉強していきます。
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