生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

何と気分のいい朝だこと!

2008年12月31日 | 第6章:明るい感情の領域
面白い現象があります。朝気分よく目覚めた人の中には二通りのタイプがあるのです。全てが順調なので少々図に乗って傲慢になり夕方にはしょんぼりして帰宅するタイプ、気分が良いので心から感謝して周囲に恩返しするタイプ、この二つのタイプの行きつく人生は誰にも推測出来ます。有難うございます、と心から感謝する人は益々幸せになるタイプです。<目覚めの気分:217-3>:
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悪い気分の目覚めの対応策

2008年12月30日 | 第6章:明るい感情の領域
目が覚めて起き上がる前に何と悪い気分だろう、と感じた場合の心理療法的な対応策があります。この気分の意味は何だろう、と気楽に思うのです。そうするとふーっと何となくイメージが湧いてきます。この湧いてきたイメージを倫理道徳で裁くと、折角の知恵が恐れをなして消滅していきます。Aさんのケースは<あの上司が気に入らないからこの変な気分が目覚めとともに湧いてきた>のです。自己否定,他者否定ではなく自己肯定、他者肯定な解釈をしてみましょう。つまり全て相手が悪いとか、自分が悪いと考えるのではなく、この<感情の意味>は何を示唆しているのだろう、と考えるのです。この習慣をつけていくと、どんな悪い目覚めでも元気よくその日を生きていく力が湧いてきます。<目覚めの気分:217-2>:
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今朝、目覚めた時、どんな気分でしたか?

2008年12月29日 | 第6章:明るい感情の領域
大げさな言い方だと思われるでしょうが、今朝、目覚めた時の気分を1-2分でもいいから意識した場合と、意識しないでひたすらバタバタと飛び起きる人生は大きな違いを生んでいきます。例えば今朝の気分は不安だ、とか平安だと意識するだけで人生が激変していくのです。これは<無意識の意識化法則>と言われ人が不幸になるか幸福になるかの基礎意識だからです。朝の気分は大げさな言葉ではなくその人の人生の重要な指標なのです。しばらくこの問題について思索していきます。:<目覚めの気分:217-1>:
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太極拳、何と心地よい動作でしょう!

2008年12月28日 | 第6章:明るい感情の領域
太極拳を演舞した後の私の体感と五感についてお話してみます。その特徴をまとめてみますと:(1)綺麗な形からくる典礼の美学のような感動(一定の形を大切にしつつその流れを正確に覚え、そこから感じる喜び:茶道、能楽、武道の基本演技もその一つ)(2)日々のストレスが減少する(3)生きている喜びがじわじわと湧き出す。この3つの体感が忘れられず30年くらい愛好しています。仙人が長生きしたくて開発されたと言う太極拳、大学病院でも患者さんに好かれたこの太極拳は心の病気すらもどんどん治し回復させ愛されたものです。24式の動作を覚えるのに最短3ケ月はかかりますが、覚えた後の演舞から自分なりにこの喜びを体感として感じたら最後、生涯継続していくようです。:<生きる喜び:216-5>:
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心が暖かくなる思い出と将来の夢

2008年12月27日 | 第6章:明るい感情の領域
思い出には暗い思い出と明るい思い出があります。<心が温まる思い出>を意識的に思い出す習性をつけると、何故か<将来を明るくさせてくれる夢>が泉のように湧きだします。人の心の仕組がそうなっているからです。この仕組みを人は案外知りません。過去の暗い思い出に固執していると将来も暗い事を考えてしまう仕組みがあり、その仕組みも案外忘れられています。暗い過去に固執する事は人生の無駄です。人間は自由意思をもつ生物ですので成功するか、しないかよりも夢の実現に生き甲斐を感じるように心が仕組まれています。<人は考えた通りの人間になる>これは数千年の祖先が言い出して、今日にまで残っている貴重な格言です。実現可能か否を考える前に、まずは悔いのない人生計画を考え、その考えを楽しむ習性をつけると、いつの間にか、考えた通りの人生をおくっている自分に気がつきます。:<生きる喜び:216-4>:
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男女の祭典

2008年12月26日 | 第6章:明るい感情の領域
バイロン、ハイネ、藤村、その他大勢の詩人が男女の祭典を美しく描いていますが、世界最大のものが、旧約聖書の雅歌という詩でしょう。これは花嫁と花婿の心と身体の喜びを歌いあげた人類の宝です。この世界は夢の話ではなく、本当に愛し合った男女が到達出来る世界ですし、結婚していなくても修道女、修道士でも到達出来る精神の世界を含めた愛の極致の世界です(神と人類の愛の世界をも表現しています)。男女が本当に愛し合うと男はまず女性の体感を優先して愛していきます。女性は男性の優しい愛が最初にないとその極致には到達出来ません。心と身体の清潔が重要ですし本当の愛が無いとこの最良の世界を得ることは不可能ですが、現実には沢山存在しています。この世界では性はあと、愛が先、愛の結果、性の世界がつながります。この微妙な幸福を手に入れている男女は残念ながら大変少ないと言われているのは何故でしょう?:<生きる喜び:216-3>:
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メリークリスマス!

2008年12月25日 | 第6章:明るい感情の領域
今日はキリストが誕生した日、何故世界中のキリスト教徒がお祝いするのでしょう?一番の理由はキリスト誕生のお陰で人々が確実に天国に行ける資格をいただいたからです。仏教徒、特に浄土教が南無阿弥陀仏と唱えると浄土に行けると信じる姿です。人は必ず死にますがその魂は天国に行けると信じられたら自分の死も怖くありません。このキリスト教での魂の解釈は<魂は病むこともなく、老いることもなく、永遠不変の存在で、愛そのものの本質を有している、臨終と共に生物としての身体から離脱していく知的生命体>とジーンドージャという神学者は定義しています。この思想が正しいと人生に希望が生まれ、キリストの誕生に感謝したくなります。これがクリスマスのお祝いの内容です。:<生きる喜び:216-2>:
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生きる喜び

2008年12月24日 | 第6章:明るい感情の領域
生きる喜びは人、様々です。私の専門は宗教心理学に基づく心理療法で、大学病院等で、どんな仕事をしたかと言いますと、仏教、新興宗教、キリスト教、その他宗教のそれぞれの信仰生活に関連することから、人はその人独自の身体症状が出てきますが、その患者さんを内科医などと協力しながら対応していく仕事でした。その専門研究はイギリスが今でも世界をリードしています。この視点からの生きる喜びを3つに分類しています。魂の領域、心の領域、身体の領域の3つです。しばらくこの3つの生きる喜びについて楽しく皆さんと考えていこうと思います。:<生きる喜び:216-1>:
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人嫌いなお坊様

2008年12月23日 | 第6章:明るい感情の領域
祖先伝来のお寺を継続し僧侶を職業としている人の中には人間嫌いもいます。神主さんでもそうです。また医者、教師、宗教家の中にも人間好き、と人間嫌いが存在しています。まして世間はごちゃごちゃです。人間嫌いである事が悪いことでなないし、人間好きといっても善人ばかりではありません。大事なことは、恐れずに正直に、今の自分は人間嫌いになつている、とか、今は、人間好きになつているとか、その感情を正確に意識し知覚すると周囲の人々はあなたを信頼します。人は生涯、人間をすきになつたり、嫌いになつたりして死んでいくものです。但し本当の幸福感を味わいたい場合は友好的な感情が必要なので、折に触れてこの課題を考えて生きていきましょう。:<お寺と神社:215-5>:
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古代神道とユダヤ教の話をしてくれた神主さん

2008年12月22日 | 第6章:明るい感情の領域
近所に古くからある神社の神主さんと散歩の途中、雑談すると色々面白い話をしてくださいます。本屋さんに行けば古代神道とユダヤ教関連の本が山ほどありますが、この神主さんもその辺りには大いに関心があるらしく、誰も知らない古代の話に私と話を咲かせ、氏子さんに呼びにこられる程、熱弁をふるってくださったこともあります。縄文時代にすでに古代ユダヤ教が何らかの形で日本に伝達されているらしい事、奈良時代の景教との再会、そんな会話を横で立ち聞きしていた散歩の人々と顔見知りになり友好的な感情を楽しんでいます。近所の神社仏閣に関心を持つとあたりの風景にも古い歴史の由来もわかり、我が町が更に身近になりだして幸せを感じます。:<お寺と神社:215-4>:
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私は弥勒菩薩よ!

2008年12月21日 | 第6章:明るい感情の領域
人々を救済したい一念から自他混合、人格倒錯になる事例がたまにあります。そのような極端な事例ではなく、日常生活でも人々に明るく親切にふるまうのは良いことですが、あたかも、何々かのような振る舞う人物に遭遇した場合、多分それは<自己愛パースナリテイ障害>の事例かもしれず、その方の怒りにふれると大変な事態になります。<as if personn>と言われる人々です。理想と現実の混濁が散見され、ちやほやされている内は親切なのですが、何かの怒りに触れるやいな、手に負えない怖さがあります。自分が支配出来るうちは可愛いがりますが、そうでなくなると大きな敵に変身する心の病には気をつけましょう。:<お寺と神社:215-3>:
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お寺のお化けと神社の精霊

2008年12月20日 | 第6章:明るい感情の領域
私の近所に当時の豪族の古墳ではと伝承されている丘の上の神社とその隣には室町時代以来のお寺があります。馴染みの床屋さんと、その神社とお寺に関する床屋談義を楽しんでいますが、何故か大半の話はお墓に出るお化け談義と神社の森に出る精霊の話です。病院でもお化けに苦しむ患者さんと沢山出会いました。心理療法では患者さんのお化けは否定せず肯定して治療を進めます。大脳生理現象としては現実にお化けは出ているからです。幻聴、幻覚、お化け現象は大脳の生理現象ですので、その方にとつては必要な現象なのです。治療する側には貴重な現象で、なぜ、その現象が出るかを分析し治療すると最後には見なくなり終結を迎えます。お化け現象は貴重な現象です。:<お寺と神社:215-2>:
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神社とお寺、どちらがお好き?

2008年12月19日 | 第6章:明るい感情の領域
日本人の生き甲斐探索の旅で、しばしば遭遇する質問です。概して日本人は両方とも好きなのですが、口角泡を飛ばして議論する人もいます。自分の住んでいる辺りに江戸時代や明治時代の初期から存在している古い神社やお寺がある町には犯罪が少ないと言われているように、関心のある人はどちらかと言うと自分の周囲に人々を友好的な感情で眺めている人が多いようです。神社の好きなタイプ、お寺の好きなタイプ、面白い統計がありますが、どちらも善人が多いようです。日々の生活で幸せを感じる為には条件が一つあります、その代表的な感情が<友好的な感情>で、この感情が無いと人は幸せ感を持つ事は不可能です。周囲の人々を親の敵かのような感情を持つ人は益々不幸になりやすいタイプです。散歩の途中に古い神社やお寺を訪ねる習慣をつけると心が何となく友好的になります。:<お寺と神社:215-1>:

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自分の欠点を見たがり、長所に気づかない人

2008年12月18日 | 第6章:明るい感情の領域
世界の人口は66億となりました。その一人一人は全く別な人生を歩み、それぞれ個性の美をもっています。自分の欠点に苦しみ長所や個性の美に気づくことなく日々を送っている人々が沢山います。病院を訪ねてくる患者さんの中には美しい個性の美を沢山持っておられるのに全然気づいていないのは何故でしょう?その患者さんがハタと気づく時がありますが、どんな場合だと思いますか?それは自分独自の人生をどう悔いなく生きていこうか、その方針が明確になると、その方針の中での長所と短所に気づき、他人の評価を無視しだします。そして自分の道を堂々と明るく爽やかに生きだすと周囲の人々に短所と見えていたもが長所となり、更にその暗かった人が逆に輝いて見えだします。:<砂漠の民、森の民:214-5>:
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森の民、砂漠の民、どちらがお好き?

2008年12月17日 | 第6章:明るい感情の領域
実はそうではないのに、自分の性格は荒らぶれていて駄目な人間だ、と悩んでいる日本女性が非常に多いのです。海外に5年も住めば、どんな日本女性でも砂漠の民族に比べれば実は穏やかな性格である真実に目覚めてきます。今回の話は日本で生活する日本女性の心理療法の話です。日本の中でこの事実に比較民族学として目覚めさせる問いかけの言葉として、簡単で有効な言葉があります。その問いかけの代表的な言葉が<あなたは森の民がお好きですか、砂漠の民が好きですか?>です。最初はけげんな顔をしますが、段々説明していくうちに、日本人である自分は森の民の原則である穏やかな解決を望んでいるのであって、離婚法廷の泥沼戦争や底なしの財産争い、親権剥奪奪戦ではなく、円満な平和な解決を望んでいる自分にハタと気づきます。現代の日本人は一見権利と義務を混濁し、闘争的に見えますが、やまとの国の千年の精神史を勉強すると理性(頭)では闘争的ですが、深層心理の世界(心)では<和をもつて貴しとする>を何よりも大切にしている自分に気づきます。この古来からの根本精神から離脱すると人は益々不幸になっていきます。:<砂漠の民、森の民:214-4>:
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