生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月15日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
生き甲斐と幸せを日常生活で体感する最良の方法は、友人でも、誰でも、心から信頼し、瞬間でもいいから、見つめ合って、自分の信頼感と友情と愛情を伝達出来る相手を持つ事のようです。その理由は赤ちゃんの頃、母に抱かれてたっぷりとお乳を飲ませて貰い、満足して、じーっと母の顔を見る領域から、その人の<愛の原型>が創られていきます。成長するに従い、色々の厳しい現実を体験し、色々の環境で生きていきますが、赤ちゃんの頃の愛の原型と現在の大切な人との愛を本能的に人は比較していきます。不幸にして自分にはこの原型が無いのでは、と推察したとしても、現在、誰かの愛情を体感出来る、という事は、思い出せないけれども、それに類似した<愛の原型>があるので、現在、人の情けを知覚する事が出来るのです。愛の原型はだれにでも存在しています。目を見つめ合って愛を意識し、伝達する方法が人々を一番幸せにします。言葉の暴力や実際に暴力をふるう男女がいますが、一番恐ろしいことですので、日々、心の平安感を自分流で確保する修行は必要なようです。友情にしても愛情にしても、互いに慈眼で見つめあう相手を持つ人は幸せです。
コメント

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月14日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人間研究は心理学と医学の発達で一段と進歩しました。その成果もあり悪についての考え方も相当変化してきました。特にDNAの真実が理解されてくると細胞レベルでの生命力の逞しさに感動します、つまりどんなに厳しい環境でも細胞は生き残る為には何でもします。細胞が生き残る努力をしているのに自殺を考えるのは生き残る努力をしている自分の細胞に申し訳ないと考えて欲しいもの。どんな環境に追いやられても人は生き残る知恵を巡らせて堂々と生きていけるように創られています。さて人間には悪を楽しむ性質が創られていますがこの性質を知らない為に良心の呵責から心を病む人が居ます。悪を楽しむ自分を倫理道徳から異常なまでに厳しく咎めてしまうのです。悪とは何かを思索する必要もありますが<悪を楽しむ性格>は人々が美しく幸せになる為の知恵を促す為に神様がそのような人間に創造した神秘的な面がある事も考えておきましょう。愛そのものである全知全能の神様が悪を存在させているのは、より大きな善、真善美を創造させるために、その存在を許されているようです。
コメント

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月13日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
A子さんは<綺麗に生きたかった>と悔しがりながら30代の人生を閉じました。A子さんにとっての綺麗、汚い、とは何を基準に比較して、そう感じたのか。さて長い心理療法の関わりを通して沢山の人生を垣間見てきましたが、私の懺悔はA子さんに<それでも綺麗に生きてきた>と解釈して欲しかったのですが、どうもそうでなかったような気がします。なにが綺麗かは、人により違いますが、綺麗に生きたい、と願う人こそ<綺麗>の意味を知っている人なのでしょう。どんな人生も体験の解釈を変えると綺麗に思える方法があります。どんな人生も体験の解釈を変えると悔いは無くなります。若くして死に行くA子さんは、厳しい環境の中をよくここまで生き抜いた、なあ、と私は感動しています。 



コメント

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月12日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
愛し合った二人が、或る日、私の苦しみを、どうして理解してくれないのか、と諍いを始めます。微笑ましい争いは、まあまあ、ですが、離婚裁判で血で血を洗う争いを見るにつけ、私の心は痛みます。心と身体同士が争うのはやむを得ませんが、本来、魂同士は愛し合っている性質があるので、色々の理由で、心と身体が争っていても、せめて、魂同士は今でも、深く愛し合っている事実を知覚してもらいたいものです。宗教心理学の正当派と自称する欧米の大学では<魂は神の創造物であって、魂は愛そのもの、神の属性>という教えがあります。苦しむ理由は何だろう、と思索するのは当然ですが、最初から、その苦しみは変だとか、知識が足りないからだ、とか言えば、相手は去っていくのは、当然。愛の世界は、色々言う前に、いったん、そのまま頷く、その頷きが無い恋人は、もう恋人ではないようです。カール・ロジャースの6条件は、理論としても、具体的な愛の会話においても、素晴らしい思想だ、と思います。
コメント

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月11日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
あえて、どちらが、と比較しなくてもいいのに人間は何故か、二者選択をするのが大好きなようです。赤ちゃんの時も、子供の時も、兄弟で、どちらのお饅頭を選ぶか、おおいに争った記憶があります。どちらの恋人にするか、何を選ぶか、で争い、戦争も起きます。わざわざ、どちらを、と考えなくても良いのに、と思うようになれば、心も癒されます。今回は比較する人間の心理を考えていきます。嫌われても真実を語る人を善人と思うか、嫌われるのが怖くて何でも肯定的に答えるのを善人、と思うか、あなたはどちらのタイプ?
コメント

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月10日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人生の難問への答えは、その本人の心の中に必ず存在しています。間違いありません。ただ疲労しているので選択肢を自分で選ぶ力がその時は無いだけの話。元気な人は人に相談する事なく、どんどん生き抜いていきます。たまたま元気の無い時に誰かに相談に行くのですが、この相手を選ぶコツは二つあります。良い相手とは<悩んでいる人の心の中の幾つかの選択肢を肯定しながら意識の上に上げる技術>を持っている人、悪い例は肯定しながら、自分の考えを押しつける人。悩んでいる人の心の中にある3つ4つの選択肢を選ぶ際に、その人の悔いのない人生とは、どんな人生なのか、その事までも一緒に考えてくれる人が最高ですが、こんな人はほとんど居ません。ではどうしたら良いのでしょう? 一番良い方法は、まずは自分から、その方法で人の悩みを聴いてみましょう。人の悩みをその方法で傾聴していくと、自分の答えが明確に見えてくるのが不思議。自分から他人に対してこの方法を実行するのです。そうすると自分の悩みを解決する方法が見えてくるのです。不思議です。この恵みを私は<愛の恩寵>と呼んでいます。
コメント

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月09日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
赤ちゃんの頃は適宜、お乳を飲ませてもらい、おむつを替えてもらえば、幸せそうです。成長するにつれて、それなりの夢や願いをもつようになり、上手くいけば機嫌がいいし、旨くいかないと機嫌が悪くなるのが人の常。努力と才能と環境によって成功率が相当違ってきます。劣等感、挫折感が蓄積し、その感情をコントロールするノウハウを勉強しないと、変な爆発の喜びを覚え出します。一番の快楽が人を拒否し罵倒する事で一度にその劣等感、挫折感が解消しますので、段々とその快楽を楽しむようになります。一番怖いのがこの心の仕組みを意識しないで相手を拒否する場合です。それだけに心理療法の世界で<無条件の肯定的配慮>をされた患者さんが、肯定されていく内に心の病理を癒されていく快感を知り出すと今までの相手を拒否する愚かさに気づき出します。魂はもともと愛し合う事を求めている事にも気づき出します。人は愛し合うように出来ています。
コメント

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月08日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
何も言わないで、ひたすら黙って聴いて欲しい時があります。静かに、暖かく、肯いて聴いてくださるのは、感謝なのですが、帰るまで一言も意見を言わない人の場合は、こちらが、ひたすら惨めで、哀しい気分で帰ります。何故でしょうか?どんな人でも、どんな人生の状況でも、答えは悩んでいる本人の胸の奥底に存在しています。悩める渦中では、それが見えないだけ。生き甲斐の心理学はその答えを学問の知識を駆使して意識の上に上げるお手伝いをするものなので、聴く方の本音を時々ぶつけないと、その答えは見えてきません。傾聴する側の<純粋と一致:あなたはそう言われたが、しかし<私はこう思う>を思いきってぶつけないと、この答えは意識の上に上がらないものです。微笑んで、ただひたすらに肯く人は、時として、凶器になる場合があります。心理療法家は洞察力の厳しい訓練が要求されます。


コメント

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月07日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
その人を見抜く方法の一つに<何を否定したがり、何を肯定したがっているか>を知る方法があります。仕事仲間を選ぶ時、親友を創る時、人生のパートナーを選択する時に便利です。生き甲斐は、それぞれ人によって違います。どんな人生を選ぶかはその人の自由。それだけに相性の良い人を選ばないと悲劇。良い、悪いの問題ではなく、生き様の選択だからです。悔いのない人生とはどんな生き様なのか、殆どの人はきちんと説明出来ません。それだけに大きな目標を既に掲げて<好き嫌い>を明確にしている人の場合の<否定、肯定>は深い味がありますが、未だ、目標も無いのに、<否定、肯定>をする人に振り回されないようにしましょう。不安定ゆえの<否定、肯定>と、大きな目標ゆえの<否定、肯定>を識別しましょう。
コメント

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月06日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
どんな人も<幸せだなあ>と思える人生を送る必要があります。当たり前の事です。さてAさんは意識していないようですが、楽しい談笑の時でも、真面目な会話の時でも、周囲の人の言葉を一旦否定する癖があります。Aさんに否定されると、楽しい会話も中断しますが、それにも気づきません。その種の言葉は本人と周囲を不幸にします。私はAさんのような人物を<要注意人物>と呼んでいます。本人には快感があるようですが、周囲の人は否定されるのですから、我慢して微笑んでごまかしてはいますが、内心は不愉快です。Aさんには親友は多分居ないと思います。相手の言葉を一旦否定する人は信頼と愛を得られない人生を歩み出します。これに気づいたAさんは<無条件の肯定的配慮>と言う厳しい訓練を開始しました。数回にわたりこのテーマを考えます。
コメント

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月05日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
文明の進歩と<恥の思想>は深い関係があります。難しい本を大げさに読まなくても、身近な人間を観察する方法を知っておき、それを楽しむ方法を意識していれば、心理学と歴史の勉強の一番良い方法です。恥を感じた後の思想や行動が暗くなる人、戦争を起こす人、反省して聖人のようになる人、様々です。恥を感じて、不安になり、その不安をどう処理するかで、方向が決まります。権力者の場合、庶民の場合、それぞれの立場があっても処理方法は同じです。心の処理方法を5つに分類出来ます。どんな方向でそれぞれの立場の人が処理するかと言えば、不安から平安へ、怒りから平和へ、身体のダメージを避ける為の健康な方向へ、憂鬱感から幸福へ、錯乱から統合へと、この5つ。光を陰に処理する人が悪い人、陰を光りに処理する人が良い人、と一般に言われています。良い、悪いの解釈も時代と共に変化しています。ただ、この処理する方法は人類発生から現代までいつも同じ。物質文明は格段の違いがありますが、深層心理と大脳の生物としての働きは古代も現代も同じようです。
コメント

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月04日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
頬を染めた少女。何かの会話の折、その少女は頬を染めました。何と可憐な少女、と感激した事があります。素直な、美しいお嫁さんになるだろうな、と思いました。人生は色々の事が起きます。この少女はその後、航空会社に勤務したものの、何かを考えたのでしょう、明るく元気に希望に燃えて、マザーテレサの創立した修道会に入りました。お嫁に行かず、神様を選び、マザーテレサの人生を歩みたいと決意したようです。人は考えた通りの人生を歩む、と古来から言われています。強い決意の裏には、こんな人生は嫌、こんな人生を歩きたい、との願望があります。恥ずかしい人生、誇り高い人生、と考える場合もありますが、恥ずかしいという感情の原型は魂から生まれます。恥ずかしいという感情は神聖なもの。
コメント

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月03日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
恥は雅(みやび)の始まり。恥ずかしいなあ、と感じるのは天の恵み。問題はそれをどう解釈するかで、人生が変化していきます。嘘の上塗りをする人(或政治家の悲劇)、謙遜に反省し勉強を深める人、様々です。自然に湧き出す感情を倫理・道徳で否定すると、心を病む傾向があるので、一旦、全ての湧き出した感情を受け止める訓練が必要。その上で、どう対処していくかはその人の自己責任。湧き出した感情を否定する怖さを知らない人々が多すぎます。本来、恥は人を謙遜にし、向上させ、優雅に導く為の感情。その意味を知らないと、恥を感じるホモサピエンスは、どんどん卑屈な人間になりがち、と言われています。解釈を変えると世界が変わります。
コメント

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月02日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
恥と喜び、というお話です。日常生活で時々<ああ、恥ずかしい>と思う事があります。そしてふと、考えます。もし、この場面で、恥ずかしいと感じなかったら、私はどんな人間になっていくのだろう、と。日本文化は恥の文化とも言われていますが恥は或意味で美徳でもあります。微妙な領域ですが、恥ずかしいと感じる裏側に<喜び>を匂わせる心理が働くのは何故でしょう?恥ずかしいと思いながら密かな喜びを何故、人間は感じるのでしょう?表と裏、光と陰、建前と本音、このような心の動きが真実の世界なので、一つの感情に囚われて暗い人生を送るのは止めましょう。一つの感情には必ず光と陰が存在しているので、陰の気分の時はすぐその裏に素晴らしい陽の気分がもうそこに迫って来ている真実を意識し、いつも希望ある人生を歩みたいもの。
コメント

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月01日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
そんなことも知らないの?心理療法の仕事をしていると<え、そんな事も知らないのですか>と、患者さんから言われます。大きな大学病院での話ですが、患者さんの職業も色々で、哲学者、宗教家、教師、主婦、会社員等、沢山の職業と出会います。私、と言う事ではなく、心理療法家と言われる人の中にも、色々の年齢層の方が居ます。20代はカーッとし、30代ではウーン、とうなり、40代では、そうかなあ、と思い、50代では、成る程、と思い、60代では患者さんの言葉に感動する傾向があります。中には年代に関係なく、最初から、どんな辱めを患者さんから受けても、暖かく見守れる力を持つ心理療法家もいます。頭が下がります。分からない事は分からない、と明言出来る人は幸せ。恥をどう受け止めて生きるかが人生の分かれ道。
コメント