生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
ロンドンのクリストファー病院でのお話です。難病で回復の見込みの無い人々をお世話するスタッフは燃え尽き症候群になります。毎日毎日死に行く人々と接する中で、お世話する側の人の考え方に信念が無いと、かえって死に行く人々に激励される場面が多いのです。また死に行く人々にも大きく分類すると2種類あります。感謝して臨終を迎える人、恨み辛みを言い続ける人。どんな状況、環境でも、人は愛を感じる必要があり、また、喜びと感謝心が無いと発狂しやすくなります。一番感動したのが、毎朝自分が呼吸できる事を涙を流しながら感謝していたAさんの事です。心臓の鼓動、そして呼吸が出来る自分に感謝しておられたAさんを忘れる事が出来ません。一番厳しい人生の最後の場面で呼吸が出来る状況に感謝していたAさんは1ヶ月後、安らかに天国に旅立ちました。穏やかな表情で死んでいく人々がうらやましく、かつ、心からそうありたいなあ、と考えさせられます。


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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人間の五感と体感と呼吸は面白い関係にあります。五感(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚)を大事にする必要があります。大自然が与えた貴重な感覚です。体感(食欲、性欲、痛み等)もそうです。この五感と体感そのものを倫理・道徳で変な解釈をすると人は心を病んでいきます。不自然で無理な解釈をすると体は正直なので呼吸が乱れてきます。何故、呼吸が乱れるかといますと自律神経が刺激され、内分泌が変化し、免疫が弱る傾向があるからです。倫理・道徳も大切ですが、人間の五感と体感は生き残る為の知恵なので平素、大切にしましょう。生身の人間の一番重要な五感と体感と呼吸をもう一度見直して、その上で、理性的なセルフ・コントロールを無理なくすれば、自然で明るい日常生活を楽しめます。人間の本質を無視した理性優先主義は心の病を生みやすいので注意しましょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
不思議な現象があります。大学病院での話ですが、心を病んだ方々に太極拳の演武を覚えていただくと6ヶ月ほどたつと、人によっては極めて明らかに心が健康になります。理由は自律神経が統合され免疫と分泌の状況が改善されたからです。遺伝と老化は避けられませんが、心の環境が整えられるとこうも良くなるものか、と感動したことがあります。また私自身の体験ですが、入門の頃と師範になった頃では人に対する思いが大きく変化しました。色々の技がありますが24の技を連続して演武する修行があります。24の型の演武を覚え試験に合格すると初段を貰いますが以降所定の年月を経過して師範を取る10数年後、どこがどう変化したかと言いますと心が自然体となり、呼吸も普通なのに激しく演武も出来ます。相手の呼吸が良く見えるし、緊張と弛緩の微妙な動きが美しく調和してきます。人への礼儀作法が自然で愛情深く暖かい思いやりが生まれてきます。太極拳の世界も愛の世界も美しい呼吸から始まるようです。:



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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
愛の世界は人生そのものと言えます。人への愛、美しい花や可愛い動物達への想い、宇宙などの大自然への感動、愛の世界は全てを飲み込む広大な世界ですが、今回は人間同士の愛についてのワンポイントを考えます。嫌だなあ、と感じた時、直ぐ反撃するか、一呼吸置くかで、私は自分の運命が変わった経験を山ほど持っています。会議でカアーとして怒鳴りつけた為に左遷されたり、信用を無くしたり、チャンスを失ったり、まさに一呼吸(3秒沈黙して深呼吸する事)を置くか、置かないかで人生が激変しました。愛する人に対しだけは正常な呼吸を保持したいものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
素敵な人、と思い恋人関係になった後、これは大変な変人だった、と気づく人がいます。さっさとお別れしたら、いいのに、と私は思うのですが、魅力もあるので、交際したいとも願った人にこのワンポイントレッスンを捧げます。どちらが変人だ、などと考えてはいけません。変だなあ、と感じたらそれを素直にそう思う必要があります。自分を信じる事が重要。さて変人には生育史に同情すべき事柄が沢山あり、特に<深層心理での不安感>は相当根深いものが存在しています。本人は気づいていません。気づく過程で変に触れると怒りとして爆発します。その不安感を愛情深く気づかせるのが恋人の役割。結婚した後では悲劇になります。不安感の根深い人は怒りっぽいのが特徴です。正義感に衣を替えて怒る人は始末が悪く、好き嫌いの感情に偽善の香りが漂います。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人類の誕生と同時に生まれた<魂への畏怖>は現代まで続いているといわれています。心理療法家で魂の存在を信じている人と信じていない人の場合、結果はどうなるかは歴然としています。人間の心の奥深い領域に魂が存在していると信じている心理療法家は人々を心から信じ、その神秘性を敬意をもって対応しています。魂を信じている医師やセラピストはどちらかと言うと謙遜で、人を大切にする治療をしています。欧米の伝統的な魂論は<魂は永遠で普遍的で愛そのもの、病むこともなく、死ぬこともない知的生命体>と定義されています。魂を肯定するか、しないかは人の自由なのですが心の治療に当たる職業は<学問を背景にした魂論>を肯定した人である事が必要です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
持てるものは益々持つ、と言う諺がありますが、正しい肯定は美しい愛を生み、愛は益々純粋な愛を生み続けます。日常生活でも、心理療法の世界でも、相性の良い人と出会うと全てが順調に流れます。相性が良いと、好き、嫌いを遠慮無く明確に表現しあえますし、考え方も自由に自然に語り合えます。類は友を呼ぶ、というように、平素、大変な努力をして自分の心を美しく自然に明るく整えていると、本当に良い友人達に恵まれます。互いの<個性の美>を尊重し、親しき仲にも礼儀あり、の水魚の交わりは、人生を益々よいものにしてくれます。安易に流れる時代の中で、たんたんとしながら、沢山の良き友人に恵まれた日々に感謝。



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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
賢者の肯定、愚者の肯定のお話です。大学病院での話ですが博士号を持つ先輩にも2種類います。賢者と愚者です。賢者の下で働くと、私の才能はどんどんのびますが、愚者の先輩の下で働くと、私は萎縮し、日々憂鬱で意欲が減退します。面白い事に私に賢者として映る先輩も、同輩のA君には愚者に見える現象です。生き甲斐相談の相手は、自分と相性の良い賢者に見える先輩を選定する事。私にとっての賢者は私の個性の美をのびのびと育ててくれる先輩の事。私にとっての愚かな先輩は私の個性の美を認識せず、ひたすら威張り散らす人の事です。人間には一人一人、天から与えられた使命があります。その命の存在には深い意味があります。悔いのない人生とはどんな日々なのかを悟るのは本人の責任ですが一人では無理ですから、自分の美しさ、良さを自然に明るくのびのびと育む友達、先輩を探しましょう。否定からは教育は出来ません。賢い愛の肯定から美しいもが誕生します。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
セラピストの選び方のお話です。本格的に選ぶ基準は下記の条件が必要です。修士号か博士号を所持している事。自己愛パースナリテイ障害の医師も多いので気をつける事。何でも肯定し、自然体でいいよと安易な慰めをしたり、人生は努力以外の何物でも無い事を言えない気の弱い人は避ける事。患者さんのアイテンテイテイーの統合にゆらめきあれば毅然と正直に時期を見て対応する力がある事、防衛機制を上手に説明してくれる人、現実吟味力のあり方を正直に解説しながら親切に対応してくれる人。一流の大学病院で最低10年の経験を持つセラピストである事。学会で自分の論文を発表している人。このような条件を持つ人は身近にあまりいませんので、あとは上記の選定基準を全く無視して、自分の第一印象を信頼し相性の良い人を選ぶ方が賢明です。犬、猫、小鳥達と散歩の途上遭遇します、動物は最初に私の眼差しをじーっと見つめます。私が慈眼の時は逃げませんが、私が邪眼の時はおびえて逃げていきます。私の恩師で有名なT教授は人間の大脳は3秒で相性を見抜いているから安心して自分の第1印象を信じなさい、と指導されましたが、40年の経験を経ると改めて先生の言葉にしみじみと重みを感じ感謝しています。キチンと世界的な心理療法の理論を学び、そして資格云々ではなく、身近な人々にさりげなく、ともに悩みを乗り越えていく友達のようなセラピスト、つまり、暮らしの中のカウンセラーを日本では必要としています。このブログは、もっと気楽に理論に触れる為のもの。2005年から書き始めましたが、13年があっという間にすぎてしまいました。ではまた。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
(わたしとあなた)の会話で、肯定してもらって幸福な感じになる場合と惨めで哀しい気分になる場合があります。この原因はどこからくるのでしょうか?否定されていないから嬉しいはずです。ここからが人生の分かれ道が始まります。相手が先輩、知恵者、先生の立場ですと深刻です。さてその原因は(話す人が自己肯定、他者肯定の人間信頼派の場合は幸せ感を与えますが、自己否定、他者否定の人間不信派の場合は哀しい惨めな気分にさせられます)。人間不信の人の話を聞いていると、聴いている自分がどこかおかしいのでは、と思わせられてしまうのです。人間不信派には相談してはいけません。有名人でも表面は謙遜でも、心の中では自分も相手も人間そのものを信頼していない、否定的な傲慢な人は沢山います。つまり身辺に生起する森羅万象の解釈が非常に暗いのです。どんな悲劇的な現象でも、襲来に希望がもてるような解釈をする人でないと、相談にいくのは危険なのです。考え方、解釈の仕方が明るく爽やかな、希望を将来にもてるような人に、相談に行かれますように祈りつつーーー。


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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
有名な小説は或場合に凶器となります。自分はジーギル氏とハイド氏だ、と悩んで沢山の人々が苦しんでいます。聖書にしても、教典にしても、全ては人々を気楽にする為のもので、その中の言葉は誤訳の言葉もあるという次第です。極端な話、誤訳された言葉で苦しむのは馬鹿馬鹿しい事です。二面性はどんな人間にもあるのに、何故苦しむのでしょうか?理想(こんな人間でいたい)と現実(現実の受け止め方、解釈の仕方にも問題あり)のギャップからストレス(不安、怒り、鬱、乱れた考え方)が生まれます。死ぬまでストレスはありますが、私達が気楽に安心して生きる方法は二つの方向しかありません。あるがままの現実を恐れる事なく受け入れる事、一時的に、理想を捨てて、元気になるまで、断念する事。この二つの極端な選択の中間のどこで妥協するかは、その人の責任です。




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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
映画、テレビ、すれ違った人で瞬間に<何と綺麗な人>と思う時と<何と美しい人>と感じる場合があります。同時に両方の場合は最高の幸せを感じます。当たり前なのでしょうが男である私は宇宙、大自然、花、動物も感動しますがやはり女性がこの世で一番素晴らしく魅力的な存在です。神様がそうさせたのでしょう。人は考えた通りの人生を送る、とも言われていますが、心をいつも綺麗に美しくしていると、実に美しく綺麗なものが見えてきます。絵画、音楽、文学の中の自分の大好きな美しく綺麗なものを愛読、鑑賞していると心がいつも緩やかで、暖かく、幸せです。嫌な事件、哀しい出来事の絶えないこの世でも自分が感じる美しく綺麗なものを楽しんでいる私は本当に幸せです。若くても年月を経ても、心の中が邪念に満ちていますと、美しいものも見えませんが、心の中が慈愛にみちていると、周囲に実に美しいものが見えだすのは何故でしょう?




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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
<あなたとわたし>の関係の中でいつも緊張して生きる程、辛いことはありません。愛し合いたいと願いながら、なかなか思い通りの安心感が得られない二人は沢山います。何故か日本の男女は互いに正面を向き合うよりも、床の間の美しい掛け軸を並んで見ながら語り合う愛のあり方の方を好みます。正面から互いの目を見つめ合う愛のあり方は苦手のようです。共通の信仰や同じ目的を持ちながら、互いの顔を見つめ合うのではなく、太い柱の周りをぐるぐる回るような、螺旋状に上昇するするような、そんな感じの愛しかたをすると、飽きることもなく、ゆったりと上昇します。正面から見つめ合って生きると息苦しいので、平行に並んで愛し合った方が気楽に生きられるようです。日本人の愛し方を一概には語れませんが、どうも経験的に上記の文化を大事にした方が気楽に愛し合えるようです。友情にしても恋愛にしても無数の種類の人間関係にしても、日本の文化は底流に、この在り方があるようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
身近に、にがてな人がいると、生活が面白くありません。しかし逃げ出す事も出来ないし、相手はあいかわらず、からんできます。さて<にがて>は死ぬまで存在する人生の課題です。心理学を応用しつつ努力する方向はただ一つしかありません。楽天的になり、あるがままの真実を受け入れる事。<にがて>と感じる心の作用は自分の思い通りにいかないものへの投影、感情転移現象です。自分が苦手、と思う相手も、それ以上にあなたを<にがて>と感じています。<にがて>がこの世に存在している理由は互いの人格成長の為ですから、この際、思い切って一番困難ですが幸福になる為の最後の手法<無条件の肯定的配慮>を発動してみましょう。心理療法で言う<無条件の肯定的配慮>とは<相手を賛成して受け入れる>のではなく<嫌な相手だと自分が感じている自分を受け入れる事>です。そうするとこの<気楽>が投影して相手も気楽になり、道がひらけます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年11月16日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
結婚してもいいかなあ、と思うけれども、話しにくい恋人がいます。この想いは不思議で微妙な感情なので、慎重に扱いましょう。この領域は<人間業>の難しい領域。この心理は宗教心理学の一番興味のある領域で、神仏の慈悲を感じない、と嘆く患者さんの事例でもあります。知は力なり、と言いますが、この領域は人間の成長を大きくするか、変人にしていくかの、分かれ道。今回はこの領域を考えていきます。防衛機制の知識がある人ならば、感情転移、投影と言う心の働きが人間に存在している事に気づくでしょう。相思相愛を互いに感じ、意識しながらも、何故か、話しにくい、と感じてしまう点。話しにくいと感じる事自体は素晴らしい五感なのですが、感情転移と投影ゆえに、話しにくいと感じる場合は、その人は永遠に愛を理解出来ないかもしれません。この問題点を意識すれば解決していきます。話しにくい恋人が居たら、相手を非難する前に、この感情転移と投影を落ち着いて思索してみましょう。話しにくい原因は私側に存在しているのですが、何故か、人は相手のせいにするケールが多いようです。どんな場合に話しにくくなるのか、その原因は相手の何かが自分を不安にさせます。相手の言葉、まなざし、行動が自分の不信感、罪悪感、劣等感等を刺激するのです。相手がいくら良い人でも、自分側の解釈に問題がありますと、いつまでも解決しません。相手側を批判する前に、自分の解釈方法を思索していきますと、自分の解釈に問題があるなあ、と気づくケースは案外多いようです。愛している人を批判する前に、自己分析の方法を勉強していきますと、共存共栄の方法に気づきます。結論は、何故、相手の愛を感じないか?その理由は、こちら側の成育史にあります。どんな成育史かといいますと、愛を感じない原因があり、その原因は、こちら側の防衛機制上の問題がある、ということ。これ以上は個別に分析していかないと、どの防衛機制に問題があるか、一概に云えません。
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