生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

無心と心の自由は正比例

2007年01月31日 | 第1章:愛の領域
天は二物を与えず、とは良く表現されています。誰が、いつ頃、言い出したのか私は知りませんが実に言い得て妙です。しかし世間では二物どころか、同時に3つも4つも求める強欲な人間が増えました。心は明るく自然にのびのびとしたい、この想いは良いのですが、親から褒められたい一念で勉強する子、上司から褒められたくて仕事をする人、この人情はわかりますが、この想いが在ると、将来、必ず心を病んでいきます。本音、五感と体感がだんだんと分からなくなる遠因が、この人から褒められたいという本能です。褒められたい、これは本能ですから、扱いが難しいのです。健全な褒められたい本能、病的な褒められたい本能の二つに注目しましょう。生涯、無心で事を行う、自己実現への道として、本気でやりたい道を歩むと心の自由が得られます。:<NPD5:礼譲論:42-4>:

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自分の魂を自由にしてあげる方法

2007年01月30日 | 第1章:愛の領域
いまだ現代のように科学になじんでいなかった古代の人々でも、日々の体験から自分に魂があると信じるようになりました。現代人は存在を証明出来るものを優先して信じる習慣を持ちましたが、不可知論もあるのです。死んでみなければ誰も証明出来ない世界もあるのですが、まさに魂論はその範疇に入ります。魂論は危険な哲学の範疇なので、オックスフォード大学あたりで学ぶ宗教学、比較宗教学、心理療法程度の視野でこの魂論を考えたいものです。オカルト的ではいけません。さて自分の魂を自由にさせる方法は結論としては、自分と人を大切にする哲学が前提です。魂は愛そのもの、永遠不変なもので病むこともなく、死ぬこともない魂。その魂は人々が大切にしあう環境で初めて自由に振る舞うと言われています。魂が自由に動き出すと、厳しい現実の生活で生き抜ける知恵をどんどん示唆するそうです。本当かなあ、と疑い研究を始めましょう。:<NPD5:礼譲論:42-3>:

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人は何故、心を自由に出来ないのか?

2007年01月29日 | 第1章:愛の領域
お世辞を言うのは論外ですが、患者さんを褒める、激励する内容で、病状が良くなったり悪くなったりする理由を研究すると人間の傾向を把握出来ます。人間の悩みの原因は3つあります。魂の領域、心の領域、身体の領域の3つです。人は自然に明るくのびのびと生きていると心の病気にはなりません。この一番良い姿をAと呼びます。このAに生きるノウハウ・方法は環境により、性格により違います。どちらにしても心をのびのびと明るく自然にしている必要があります。これが出来ないから心を病みます。心は本当に自由なはずです。どんな環境でも、心の世界だけは自由なのに、人は何故、その心を自由にしないのでしょうか?自分は何故、自由になれないのか、心理療法では、その人が何故、自由になれないのか、その原因の分析作業を開始します。そうすると、その人が自由になれない領域が、魂なのか、心なのか、身体なのかが、第一段階で見えてきます。次の段階では、魂か、心か、身体かに絞り込んで治療をしていきます。:<NPD5:礼譲論:42-2>:

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意欲をささえるもの

2007年01月28日 | 第1章:愛の領域
色々努力して、やっと見つけた我が道を、粛々として歩んでいても、誰かが激励してくれたり、さりげなく褒めてくれないと人間は大きく前進できません。私も大組織から離れて、一人我が道を歩み出した30代後半、数年間は、あの人は勝手に自分の道を歩き出したのだから、ほうっておけ、と言われていました。数年間は同志を得られませんでしたが、その内に一人、二人と私の道を密かに激励してくれる人間が現れました。不思議な事にものすごく元気が出るのです。あからさまに褒められると嫌になり、密かに、上手に褒められると元気になる、どの程度が<礼譲>なのか、心理療法的に5回にわたり思索していきます。患者さんを下手に褒めると病状が悪化し上手に褒めると回復していく事例を考えていきます。微妙な問題です。
:<NPD5:礼譲論:42-1>:

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<お返し>は誰に?

2007年01月27日 | 第1章:愛の領域
恋をしている相手から<あなたを信用していない>と言われたら絶望します。人間が人間を信用する、信用しないと発言する場面は人生では、とても重要ですが、本来人間同士が信用しあえない所に宗教が生まれました。キリストやお釈迦様、マホメット、色々の神々はそれぞれの地域・文化・気候風土に住む人々の心を平安にしてきました。それほど人間は信用できない生物です。ここで必要な事は信用出来ない人類をいちいち言葉にして<あなたは信用できない>と言う必要はありません。信用出来ない哀しい人類である事を許し、愛する意味がここに生まれました。愛が価値があるのは、そのせいです。さて<どの程度信じるか>、<信じるに値する場合>もあります。友の為に生命を捧げる事例も沢山あります。それはその人の自由でもあります。<信じる事がその恩人へのお返し>が人間の一番美しい営みです:<NPD5:お返し:41-5>:

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世界の中心は私の意識の中にある!

2007年01月26日 | 第1章:愛の領域
生き甲斐の心理学で重要なテーマは<パースナリテイ理論:人の性格はどのように形成されるか>です。色々の学説がありますが、カール・ロジャースの19個の命題の中の第1命題が極めて重要です。五感と体感で意識する世界の森羅万象はその人にしか映りません。それをどう解釈するかも、その人の目、耳、皮膚を通して経験していく世界です。この生物としての人間の原則が第1命題:<個人はすべて、自分が中心であるところの、絶え間なく変化している経験の世界に存在する>:これはエゴイズムを推奨している意味ではありません。真実を述べただけの話です。詳細は第8章か9章で述べていきます:この解釈で一番重要な事は人間一人一人自由意志を持ち権利と義務を世界的なレベルで思索しなさい、という点です。:<NPD5:お返し:41-4>:

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モンテ・クリスト伯

2007年01月25日 | 第1章:愛の領域
私は沢山の患者さんを見てきました。人は、あのようになってはならない、何て惨めなんだろう?何故?あのようになってしまったのだろう?と随分悩みました。大半が泣き寝入りの人生です。何故、堂々と嫌なものは、嫌、と言えないのだろう。モンテ・クリスト伯は小説とはいえ、決して泣き寝入りはしません。忍耐はしますが、意志を通します。復讐はしますが、それを超える愛に生きます。実に爽快、暖かく、偽善的ではない。五感と体感は理性の範疇にあるべきですが、心を病むまでに自分を押さえて生活してはいけません。:<NPD5:お返し:41-3>:

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巌窟王

2007年01月24日 | 第1章:愛の領域
デューマの名作<モンテ・クリスト伯>(巌窟王として有名)の主人公・エドモン・ダンテスは敵の陰謀の為にイフの城塞に幽閉された。同じ牢にいた司祭ファリアの弟子となりその死の際にモンテ・クリスト島に埋められていた膨大な財産を入手、故郷に帰り敵に報復し恩人に手厚く酬いる話は少年時代の私に熱い感動を与えました。このモンテ・クリスト伯の<復讐>と<お返し>の話に世界の人々は深い魅力を感じます。何故でしょう?愛と憎しみ、復讐とお返し、玉虫色の人生、おおらかに森羅万象を見守り、解釈して、明るく生き抜きたい。狭い倫理観は人を不幸にします。:<NPD5:お返し:41-2>:

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鶴の恩返し

2007年01月23日 | 第1章:愛の領域
私の職業上、今日の話題は何となく恥ずかしく書きにくいテーマです。医者、先生、お世話する立場の人にとって、胸が痛む領域でもあります。<他者からの好意は当然であって恩返しはあまり考えない、自分が偉く相手が低く見えてしまう>この定義は自己愛パースナリテイ障害の第5分類についての定義です。私の太極拳の師匠が<弟子が馬鹿に見えたら、すぐ師範を返上しなさい>といつもお話されていました。ちょっと油断すると人間は謙遜を失います。大学病院でも、その他の仕事上でも、いつも<鶴の恩返し>のお話を意識して仕事をしてきましたが、ああ、私は何とお返しをする行為の少なかった事か!これから5回にわたって<お返し>と自己愛パースナリテイ障害の関係を思索していきます。これは私の反省談義になるかも:<NPD5:お返し:41-1>:

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愛と出会う

2007年01月22日 | 第1章:愛の領域
古代の神話、色々の古い宗教の歴史、文化、身近な祖母の話、先祖からの家に伝わる話を総合すると、どの時代でも身辺から<魂の存在>を肯定せざるを得ません。生涯かかっても魂が存在するかどうかの科学的研究は所詮は不可知論なので、欧米の先進比較宗教学では<信じて見えてくるもの、信じて見えなくなるもの>と言う立場で魂を考え始めました。魂は愛そのもの、老いる事もなく、死ぬこともない、そんな定義で収まって100年経ちました。自分を一番、愛してくれる永遠不変な存在物・魂、この魂を信じて見えてくるものは、日々の厳しい生活の中でも、常に平安感、幸福感、信頼感、統合感だと言われています。この自分が持つ魂への思索がいかに人生を安定させたかを述べた文学、小説、哲学は山ほどあります。いつも本気で自分を愛してくれる自分の魂を、味気ないこのざらざらした現代生活で思索しつつ、生きていきたい。:<NPD4:疎外論:40-5>:

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同志との出合い

2007年01月21日 | 第1章:愛の領域
<一人我が道を行く>決意をして数年、愛の孤独感にさいなまれて自己実現への道を歩む過程の中で、これだ、と言う同志に遭遇した時の喜びと感動は、人生での最高の生き甲斐です。数十年して現れる場合もあります。同志は命を賭けた相棒ですが、この機会は真剣であればあるほど、深いものがあります。いい加減な<一人我が道を行く>ではいい加減な同志にしか遇いません。こんな話をしますと、自分には関係が無いと思うでしょうが、少年少女時代、青春時代、壮年時代、高齢者時代、いづれの時代でも、どんな小さな世界での同志でも、同じ事です。趣味の世界、近所付き合い、PTAの世界、団地の自治会、地雷撤去のNGOの世界、どんな年齢、どんな環境、にも応用出来る思想です。同志はまさに生き甲斐の世界です。:<NPD4:疎外論:40-4>:

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一人我が道を行く!

2007年01月20日 | 第1章:愛の領域
周囲から疎外され、色々と悩み、思索した結果、勇気を振るい起こして<一人我が道を行こう>と決意すると必ず数名は付いてきてくれます。数名の方々を裏切れば、もう完全な孤独が訪れます。こんな人生はいかがですか?何か事業を興す時、結婚の相手を選ぶ時、職業選択の時、その他色々の独り立ちの時の話です。この決意をすると苦労が始まりますが、精神的な貴族にもなれます。堂々と、悠々と、我が道を歩き出す快感は生涯の思い出となります。独り立ちした後の成功と失敗は、またその折々の能力の問題なので、ここでは書けませんが、独り立ちする決意と覚悟はとても大切な生き甲斐の一つです。:<NPD4:疎外論:40-3>:

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疎外された時、魂はどう動くか?

2007年01月19日 | 第1章:愛の領域
人生は不思議な事ばかりです。どう考えても、こちらに非はありませんが、周囲が自分を疎外しだす事があります。讒言、ありもしない噂に周囲が乗せられる事もあるでしょうが、神秘的な現象もあります。人生の達人はその現象を<試練>として解釈し、ひたすら人が成長するよう促します。さてそれでも知っておきたい知恵があります。疎外されれば、どんなに強い人でも最悪の孤独感にさいなまれます。その時、自分の心と身体は錯乱していますが、魂だけは安定している真実を意識し知覚しておく必要があります。疎外する人と疎外される人の魂は互いにしっかりと愛し合っている真実を意識し知覚しておく必要があります。心と身体が憎みあっていても互いの魂同志はしっかりと愛し合っている真実を知れば、愛と平和への道はどんな場合でも開けてきます。:<NPD4:疎外論:40-2>:

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魂は人を疎外しない!

2007年01月18日 | 第1章:愛の領域
優れた神話を持つ人種は滅びない、何故でしょうか?その原因を調査する学者達の結論は<愛>を優先する神話を持つ人種は生き抜けるが、憎しみを増長させる神話を持つ人種は滅びる、という結論でした。<人を愛する><大切にする>、この人種が生き延びていく話は更に続きます。<人には永遠に存在する魂を持つ>、この魂が地獄に行く神話よりも、何をしても反省さえすれば天国に行く神話の方が人々に大切にされています。極めつけは、最後は<ごめんね>と言って死ねば、必ず天国に行ける神話が一番人気があります。これから5回にわたり、疎外された人々の孤独感について神話から思索していきます。:<NPD4:疎外論:40-1>:

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居直りに成功した人

2007年01月17日 | 第1章:愛の領域
人生で一番怖い現象はマンネリズムです。多忙で、リズムに乗っているようで、全てが順調なようですが心の中は案外だらだらしていて、イキイキとした感動と喜びと幸福感が無い、そんな生活をマンネリズムと言います。人はどんなに幸福でも、その幸福を深く味わい、感謝していないと、どこかに精神的なぶれ、ゆがみ、疲労が出てきます。週に1度は3分でもいいですから一人静かに部屋で、何も考えずに姿勢を正して沈黙していると精神衛生を健全に保持する事が出来ます。いつも反省する必要がある課題は<幸福の条件>と<幸福感>の違いを思索する事だ、とも言われています。幸福の条件は経済的な願望とか社会的な地位とかを念願する事ですが、それは中々難しい願望でストレスの原因となります。<幸福感>とは心臓が鼓動していて幸せとか、息が出来て幸せとか、ふと散歩で見かけた野の花に最高の美を感じて何と生命とは素晴らしい、と感動し幸福な自分を改めて認識する事です。先ずはこの<幸福感>を探求する方向へ居直ると生きる意欲が湧き出し、結果として<幸福の条件>の方向へと、無理なく自然に人生が動きだすようです。
:<NPD4:修正論:39-5>:

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