生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年07月31日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
現在の世界の人口は約80億。その一人一人の悩みは全部違いますが、共通している点が一つあります。心理療法での<悩み>の定義は、その人の<理想>と<現実>の<ギャップ>として捉えます。さてここで一般論で考えますと、訳が分からなくなりますので、いつものように<わたしとあなた>の関係に置き換えて勉強を進めていきます。職場でも、家庭、夫婦、恋人、修道会、学校、そこでは三角関係の場合でしたら、必ず<わたしとあなた>の2者関係に置き換えて、考察しないと解決しません。さて<わたしとあなた>の関係を<親の敵>のように生涯、鋭い対立のままで過ごしたいか、はたまた<美しい愛の関係>に修復したいか、ここでは<美しい愛の関係>を築き上げたい方の為にこのブログを捧げます。どんな事例にもただ一つ共通点が存在すると話ました。その悩みの共通点がそれぞれの<理想>と<現実>の<ギャップ>であるならば、この<3種類の内容>を、徹底して、条件を付けずに、共感的に、傾聴する方法しかありません。どちらかが先にこの努力をする以外に道はありません。恥を忍び、我慢して到達する世界は、美しい友情と愛の世界、神仏の世界、愛と許しの世界、地上の天国です。<天は二物を与えず>です。




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2018年07月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
悩みは人生の花かも。心理療法では<悩み>とは<理想>と<現実>の<ギャップ>と定義します。赤ちゃんは自分から好んで生まれ落ちたのではありません。男性と女性から誕生します。その生まれ落ちた環境から、20才くらいまでの<独特の生育史>の中で<こうありたい、こうあらねばならない>等の想いである<理想>が意識、無意識を問わずその人の大脳にインプットされていきます。どんな考え方(こうありたい、こうあらねばならない)を自分がしているか、その傾向を、人は意識しない限り、何故か冷静に把握する力がありません。その理想と現実の違いは、日常生活には沢山あります。<悩み>とは<理想>と<現実>の<ギャップ>という理論でこのシリーズを展開していきます。さて現実の生活には次から次へと、これでもか、これでもか、と<問題、事件、不幸な出来事>が続発してきます。その折々の悩み、苦しみを五感と体感で感じ取るのは、その人の優しさ、その人の愛のあり方が深く関わつています。優しく、愛が深い程に、苦しみます。日々の悩みを<いまわしい悪>ととらえるか、自分を人間として美しく成長させてくれる試練<人生の花>として捉えるかで、人生のありよう、そのものが大きく変わってきます。愛から苦しむのは優しい証拠ですが、身体症状に発展するまで悩むのは健康に良くありません。悩みを軽くする方法はただ一つ、その<理想>と<現実>の<ギャップ>を或方法で縮めていきます。





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2018年07月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
何故、私が天使なの?というお話。心理療法の数ある原理原則の中でも、重要なものの一つが<無意識の意識化>です。生き甲斐探索の旅で<何が悔いのない人生>か<何が生き甲斐か>の答えは必ずその人の心の中に必ず存在していますが、それを意識の上に上げてくる方法がこの<無意識の意識化>です。沢山の患者さんに接してきましたが、或る日、私が<あなたは天使のように綺麗な方ですね>と叫ぶと怪訝なお顔をなさり<何故、私が天使なの?>とお答えになりました。何故か、私は切なくなり、哀しくなり、涙が止まりませんでした。ご本人は<汚れきった人間>だと思っており、私は<その方の心は天使だ>と解釈していたのです。大脳の中での過去の記憶についての<体験の解釈>を変えようとしないと人は病んでいきます。<苦々しい過去の記憶>は<体験の解釈の仕方>いかんでは、素晴らしいダイヤモンドに変化する真理を人は案外知りません。苦々しい過去の体験を沢山持つ人は<体験の解釈>いかんで素晴らしい知恵と天使のような深く優しい愛を持つ事が出来ます。<体験の解釈>は<その人の心の世界を変える>。これは自分を幸福にしていく重要な哲学です。<何故、私が天使なの?>と本気で<自己否定>している方こそ、天使のように美しい人である事をお忘れなく。

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2018年07月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
心理療法の世界に現れる天才達、フロイド、ユング、ロジャースは私の愛する学者です。昔、若い頃、ロジャース先生のワークショップに参加したかったのですが、高額なので、その旨を伝えたら、出世払いで良いよ、と言うことになり、参加出来ました。恥ずかしい思い出ですが、素晴らしい会でした。そのロジャース先生の理論を応用しつつ生き甲斐探索の旅に出ます。悔いのない人生のありようは必ず人の深層心理の中に答えとして存在しています。どんなに嫌な事に遭遇しても、切り抜ける答えはその人の心に在る事を信じましょう。その探索の旅がこのブログです。深層心理の中の答えを無意識の世界から意識の世界に螺旋状に上昇させ、これが答えだ、と確信する為の条件が6つあります。(1)自分の心の中の気持ちの良い部分(自己肯定的になれる部分:自分の良い部分)を想い出す事(2)今日の自分はどの程度疲れているのかなあ、と静かに優しく考えてあげること(3)自分の魂は病むこともなく、永遠不変の存在で世界中で一番自分を愛してくれているのが自分の魂だと信じること(4)自己分析する時にどんな嫌な考え方が湧いてきても、無条件に肯定的に、あるがままを受け入れる事(5)どんな嫌な感情がわいてきても共感的に受容すること(6)どんな嫌な自分の性格でも、どんな忌まわしい過去でも神様のように自分を愛していているのが自分の魂だと信じる事。以上が答えを意識の上に上げさせる為の重要な6つの条件です。さて<自分の魂の優しさを信じる事で見えてくる世界>が在る事を信じてみましょう。あすかからはこの6つの条件を少しずつ説明していきます。

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2018年07月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
魂があるか、ないか、世界には万という名作があります。是非、学問的な名作を愛読して下さい。さて、生き甲斐探索の旅での最終的な問題が今日のテーマ<魂>です。高齢者福祉施設で、病床で死後の自分におののく方、自分が死んだら、どうなるのですか、輪廻転生は本当ですか、私の魂は死後、どうなるのですか、生き甲斐支援を真剣に取り組むカウンセラーはこの大きな問題でいつも悩みます。私の父親は海軍の職業軍人でしたので戦場では沢山の死に直面していました。戦犯にもかかりましたが戦後まで生き延びて87才で人生を終わります。<死んだら無になる>のが<安心>と言っていましたが、それでも息子の私がカトリツクの洗礼を受けると気になるらしく、時々<魂はあるのかねえー>と照れながら話していました。臨終と誤解した私が勝手に自分の手で洗礼を授け、後で、意識が回復した際に、その話をしますと、涙を流しながら私に感謝していました。軍人のプライドもあり、死に対する私の哲学を聞きだそうとはしませんでしたが、数ヶ月後に、息を引き取る5分前にも、ビールを飲ませろ、と言うのでダシメンにビールを含ませて口に当てると、美味しい、美味しい、と言いながら息を引き取りました。<私は魂はある>と信じています。私が学んだ宗教心理学での定義:<魂とは死後、身体から離れていく知的生命体の事>。さて臨終に立ち会う病院付きカウンセラーが<死に行く人>から<魂があるのか>と問われて、<ありません>と断言するようなカウンセリングをしてはいけません。そんな冷たい対応のカウンセリングだけはしないように、しましょう。

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2018年07月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
都会は猛暑ですが、高原に行きますと、今でもきれいなお花と蜜蜂に出会います。さて、花と蜜蜂のお話です。元気な姿で蜜蜂が羽音を立てながら綺麗な花の密を吸い始めます。美しい花に<こんにちは、よろしく>と挨拶しながら、蜜蜂は甘い蜜を吸い始めます。その蜜が可愛い蜂の子供達を育てると同時に、花の子供を作る営みを同時にしています。この神秘的で、永遠の命をはぐくむ場面は、沢山の人々に明るい希望を与え続けてきました。朝、目が覚めて、夜、寝ていくまでの貴重な一日、この時の流れの中での<五感と体感>を5分でもいいですから意識して<綺麗な花と蜜蜂>の姿を想い出しながら生活するのは楽しいものです。ファーブルの話は人々を比喩的ですが明るく爽やかにしてくれます。生き甲斐探索の旅では毎日の五感と体感を楽しむ短い時間を創れるか、どうかが勝負です。過去の悪い感情に支配されている限り、明日の明るい希望は逃げていきます。日々、美しい、心地よい五感と体感を、意識して生活していると、人々の方から、何となく挨拶をして下さいます。気持ちの良い音楽、美しい絵画、道ばたの野草を楽しみましょう。私の書斎から見える地平線から登り始める太陽の位置ですが、冬至に登り始める位置から、四季折々に登り始める位置へと、毎日少しずつ、確実に移動しています。その登る位置の変化から、近くの森の木々の芽吹きの色もまた四季に応じて変化しています。大自然の変化は神秘的で、生き甲斐を与えてくれます。

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2018年07月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
恋の病のお話。恋のやまい。ここではシェークスピアの<ロミオとジュリエット>、旧約聖書の<雅歌>を想定し、病棟の<やまい>は想定していません。今、恋をしている人、遠い昔、昔の恋を涙と共に、懐かしく想定している人に捧げます。この恋のやまい、は辛いものですが、生き甲斐探索の旅をしている人、生き甲斐支援に貢献している心の温かい人には重要な<幸福感>の<基準>となるものです。愛する人との貴重な時間は人生の宝物の中でも一番重要なものです。命を捧げる程の情熱、人生を大きく左右するもの、恋の五感と体感をどう扱うかで人生が決まります。恋は赤ちゃんを誕生させます。つまり<命>の<源>が<恋>です。<恋を大切にしない>人は<命を大切にしない>人。恋は異性を対象にしますが、中には神仏に恋をする人もいます。マザーテレサは神様を美しく綺麗に愛し、恋しています。恋する人には自分の全てのものを捧げます。美しい恋は<自己肯定、他者肯定>、恐ろしい恋は<自己否定、他者肯定>、忌むべき恋は<自己否定、他者否定>。皆さんの恋はどちら? 明日は五感の中の聴覚を楽しみながら、美しく爽やかな感情を磨く方法を一緒に考え、生き甲斐ある日々を創造しましょう。

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2018年07月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人は何故、病むか、というお話。生き甲斐の無い日々を送ると、人は何となく憂鬱になってきます。<生き甲斐>は本人が自分の心の中から探し出して<これが生き甲斐だ>と言い切らない限り、生き甲斐とはなりません。朝、目が覚めて、さあ、やるぞ、と言う日々と、さあ、今日は何をやろうかなあ、では大分違います。人は魂、心、身体の3つで成り立っています。魂は宗教心理学では病むこともなく、愛そのもので、永遠普遍なもの、と言われていますから後日話します。今日は身体と心の病が何故起きるかをお話します。<身体>は<遺伝、環境、老化>と<自律神経、内分泌、免疫>、この6個の要素の組み合わせで発病します。<心>は現実の生活に<不適応>になると発病します。つまりその人の<思考><感情><行動>の心理療法上の重要な問題です。<思考>とは、その厳しい現実の生活での問題をどう考えたら上手くいくか、<感情>とは、自然に湧いてきてしまう感情(嫌悪感、憎悪、挫折、失望感)をどう処理したら良いのか、<行動>とは、こんな場合どう行動すれば、この忌まわしい日々から、明るい、爽やかな、自然体で元気に生き抜く事が出来るのか、この3つの対応如何で人生の勝負が決まります。その中でも<感情>の処理が一番難しいのですが明日から考えましょう。ヒントは美しい感情を掘り起こす事です。

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2018年07月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
気付いたら、自分のほうが気鬱になっていた、という悲劇です。<あーあ、私は何の為に生きているのかなあ>と嘆く私の親友は、今までは元気に世界を飛び歩いた商社マンでした。病院に行くと、色々の病名(不安神経症、躁鬱病、生き甲斐喪失症候群などなど)をつけられて、更に落ち込んで行きます。飲む必要のない薬まで飲まされていました。私がよくよく聞いていくと、それは病気ではなく、単なる<人生哲学上の気鬱>にすぎません。友人は定年退職後、やることがないので女房の買い物について回るので<何とか落ち葉>と言われ、嫌われています。微熱が出始め、焦ります。この心境は定年退職者だけの心理ではなく人間共通の(命の目覚め)の素晴らしい兆候でもあります。<ミネルバの神(知識の神様)は黄昏(暗く不明な心境)と共に旅立つ>と言う格言はギリシャの哲人の言葉ですが<ああ、生き甲斐が欲しい>と叫ぶ現象は一種の自分の心の病に気づいた素晴らしい現象なのです。<病識>が誕生すると<全快への道>を歩み出すのと同じ状況。この意識、気づきは極めて重要な幸福への条件。自分の心の気鬱病に気づかずに暗く生きる人々があまりにも多すぎます。<気づいたら心の気鬱病になっていた>と言う状況は素晴らし幸福へのステップです。

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2018年07月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
愛する人は、その相手の異常性までも飲み込む危険があります。愛は美しく、かつ、恐ろしい世界でもあります。さて、<私とあなた>の関係の中で不幸にして<あなた>が<自己愛パースナリテイ障害>の人の場合は悲劇です。<私>の方が真綿で首を絞められていくように、自然自然に、心を病んでいかせられるからです。<私>が精神病理学的に正常、<あなた>が<自己愛パースナリテイ障害>の場合の話です。上司と部下、夫婦、恋人、友人(同姓でも異性でも)、つまり、親しい関係での<私>と<あなた>の話です。自己愛パースナリテイ障害の<あなた>は自分は常に正しい、と病識が無く、自己肯定、他者否定の堂々たる自信家です。この場合の悲劇は心優しい<私>の方は、どんどんと憂鬱になり、自信を失い、自己否定的になり、勇気と明るさと元気とやる気を、少しづつ失い、見るも無惨な状態になつていきます。丁度、優しい子供が異常な親を悪いと思わないで、自分が悪い、自分が悪い、と自分を責めながら、生きていく、あの哀れな姿です。深く<あなた>を愛している<私>は<あなた>の異常性まで飲み続けているそんな哀れな姿すら気づかずに愛し続けているのです。神様、こんな二人は身近に沢山存在しています、どうか悲劇に終わらないように手をさしのべてください。

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2018年07月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
<私は何故、あなたを心の病にしたのだろう>。このテーマを思索する度に私は涙が流れます。私は沢山の人を傷つけて生きてきました。神様に跪いて許しを乞います。さてこの文章を読んで、あなたは<まあ、なんて酷い悪い方>と考えたら精神科医、セラピスト、カウンセラーになつてはいけません。自己分析を上手に出来るようになると、人は全て、そう思うようになります。しかも、明るく、爽やかに、そう考えても病気になったりはしません。真実の人間の姿が分かっただけの話だからです。<人は相手を追い込んでいき、ついにはその人を心の病気にしてしまう生物>でもあります。その理由が分かった時、私たちは相当修行を積んでいます。つまり自己分析が学問として相当上手になり、人間の<業>、<原罪>を学問として把握し、悩み苦しんでいる仲間を暮らしの中のカウンセラーとして支援しつつ、地の塩として、生き甲斐として、価値ある人生を生きていく事が出来ます。日々幸福に生きたいのは全ての人の願いですが、友を選ぶ条件、つまり<幸福の条件>の対象として<自己肯定、他者肯定の思想>を持ちながらもこの<業>と<原罪>の思想を所持している友を選ぶと、私たちは日々<幸福感>を共有出来ます。明日、もう少し詳しくお話していきます。

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2018年07月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
幸福感と幸福の条件の違いを意識化しておきませんと、折角の日々の幸せ感がわかりません。どういう事でしょうか?さて、今朝のお目覚めの気分はいかがでしたか?新聞を見ますと、何となく世間が動き出した感じです。そんな朝、寝床の中でどんなお気持ちでお目覚めになりましたか?さあ、やるぞ、という気分の方、あーあ、また朝が来てしまった、何をやるかなあ、という方。さて<生き甲斐探索の旅>で<意識>していると、とても便利な考え方があります。それは<幸福感>と<幸福の条件>は似ていますが、心理療法の世界では、全く別な世界です。高齢者福祉施設、ターミナルケアの病床でも<幸福感>を豊かに感じている方もおられますし、豪邸に日々を送るお金持ちでも幸福感ゼロという方もいます。五感や体感で<幸福感>を感じる方法は沢山あります。<幸福の条件>は例えば資産は5000万円なければ、とか、お嫁にいくなら外交官の、とか、いろいろです。幸福の条件と幸福感を区別してこれから生き甲斐探索の旅に出ましょう。

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2018年07月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
昔の恋、今の愛のお話。昔の恋、と言いましても、ここでは初恋(片想いを含む)、青春の恋、私の友人のように20代後半での自覚性初恋を含めて、昔の恋を総称して語ります。自覚性暗い恋、自覚性明るい恋、色々ですが、生き甲斐探索中の人にとって昔の恋は大きな影響を与えています。問題は昔の恋の経験をどう解釈しているかが、今後の生き甲斐探索の成否です。恋人が自殺した経験を持つ人、人妻になってしまった人、現在有名人になっている昔の恋人を泣きながらテレビを見ている人、固執障害的な回想はこれからの人生をねじ曲げていきます。昔の恋にしても、苦々しい人生の思い出にしても、全てこれは神様からの試練だと考えましょう。問題は残されたこれからの人生を明るく、元気に、逞しく、爽やかに生きていけるか、どうかの問題です。人の心は自由です。過去にとらわれるのは本当に馬鹿馬鹿しい事です。どんな人生体験でも<体験の解釈>をする時は自己肯定的に解釈しましょう。<暗い暗いと言うよりは、進んで明かりをつけましょう>という心のともしび、というラジオ番組がありますが、是非、聞いてください。私の書いた原稿も月に一度は素敵な女優さんが朗読してくれています。現在の愛は全て昔の恋の体験のもとづいており、愛し、愛されている今の愛は神様からの最高のプレゼントです。現在の愛は、人に向けられたものばかりではありません。神仏に向けられた愛もあります。神様の愛を五感と体感と理性で意識し、カトリツクの修道院で日々、神様の愛と向き合いながら生きている沢山の修道女、人里離れた修道院で日々、観想と黙想に明け暮れる男子の修道者にも共通の<生き甲斐の心理学>です。



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2018年07月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
幼い頃の幸福感が現在の自分を不幸にしていく事例もあるようです。どういう事かと言いますと、幼い頃の幸せな思い出の数々は人の心を豊かにしてくれますが、状況によってはそれが凶器となります。安定していたはずの企業が倒産したり定年退職を余儀なくされた私の友人の一人が今、生き甲斐を見つけられずに微熱を出しています。色々聞いてみますと、何が生き甲斐か、全く分からないと言います。これからの人生を悔いなく生きる為に、40年間、専門としてきた金融関係の仕事は、もう飽き飽きしたので、昔から考え、望んでいた全く違う分野での新しい人生を見つけ出し、思い残す事の無いように、その生活を捜し出したいと言っています。幼い頃はイギリスの豪邸で生活し沢山の人々に仕えられていた友人が現在、掴もうとしている道は、少し無理があるようです。大脳の世界は殆どが無意識の世界ですので、その無意識の世界から要求してくる現実離れした夢を大脳は時々要求してきます。いくら自分の大脳でも、そのような仕組みがある事を私たちはしっかりと意識しましょう。セルフコントロールを上手に働かせる為に、この大脳の誘惑を意識しつつ、身の丈に合った現実吟味力を駆使して、現実的な結論を出しましょう。幼い頃の豊かな思い出が時により、現実の判断力を錯乱させる大脳を私たち人間は認識しておく必要があります。







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2018年07月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
さて、色々の映像をテレビを見ている内に、心が乱れます。沢山の方々が借金を抱え込み新築の家から出ていくテレビでした。人々が泣き泣き出て行く姿を見たからです。その他の映像も病床に伏している方、海外の暴動からの難民の場面。様々な映像で私の心は乱れに乱れました。しかし不思議な現象も私の心に起きました。朝方、近所のお寺は鐘をお祈りで静かに響かせてくれます。私はローマン・カトリツク(ローマのバチカンが本山)の信徒ですが、日本人のDNAをしっかりと持っている自分を感じます。鐘を聴いている内に、心の中に一つの映像が浮かんできたのです。若い頃、煩悩を流し去りたい一念から、友人の神主に頼んで那智の滝は大きくて恐ろしいので、千葉県の某所に連れていってもらい、小さな滝で修行した風景を想い出しました。以前、千葉の某所で修行したのですが、紹介先の、その人は、どうも怪しい人でしたので、途中で逃げかえりました。さて、神主さんの友達も有難くおもいましたが、お寺の鐘の音もまた素晴らしい。鐘の音一つ一つで、私の心が整理統合されていくのを感じます。私の心がお寺の鐘の音で統合されていくこともあるのです。日本人である自分を改めて嬉しく思いました。心の癒し錯乱から統合へ、錯乱があったお陰で、爽やかな統合の世界へと誘う心の神秘に感動しました。比較宗教学や比較文化論に基づく心理療法は、私のような人間をつくるのかもしれません。

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