生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

悔いのない人生って何だろう?

2009年02月28日 | 第6章:明るい感情の領域
職業柄、色々の死に立ち会いましたが残念なことに、不満を言いながら死んでいく人ほど、自分の悔いのない人生、という哲学を持たない人々でした。悔いがない、というイメージに統合性がなく、思索していないのです。すくなくとも40代を越えていたら、悔いがない人生とは何ですか?と後輩に真剣に質問されたら、こうだ、と断言しないと馬鹿にされます。断言してもその後輩は多分、賢明な人なら、断言した先輩の生きざまを密かに点検していることでしょう。悔いのない人生つて何でしょう?その答えは本人の成育史と現在の深層心理の中に必ず存在しています。その答えを探し出す方法が私達がNPOとして活動している<生き甲斐の心理学>なのですが、これは学問ですので、案外厳しい道です。厳しい道には諸先輩が生涯をかけて創り上げた諸理論が燦然と輝いています。だからこの本が静かなブームになっているのでしょう。アマゾンで毎月確実に売れているのがありがたいのですが、本当に楽しみながら自己分析して欲しいものです。深刻にならずに楽しみながらこの思索をする学びの同志が益々増え、身近な友人の心の支えとして活動して下さることを祈りつつ::<人は考えた通りの人間になる:229-2>:

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人は考えた通りの人間になる

2009年02月27日 | 第6章:明るい感情の領域
古来から<人は考えた通りの人間になる>と言われています。子供は遺伝のおかげで父母や祖父母に似ていますが、どんな遺伝でもお顔は美しく輝いたり、綺麗な男女であっても何となく輝かない表情となります。多分その原因は心の世界を反映しているからでしょう。表情ばかりでなく人生のありようも、心で考えて通りの人生になつていくようです。暗いことばかり考えていれば暗い人生を歩きますし、どんなに経済的に厳しい人生でも、心の中が希望に輝いていれば、それ相応の日々を人は送っていきます。終末治療の患者さんも明るい患者もいれば暗い患者もいます。人は考えた通りの人間になる、これはヒンドゥー教徒が数千年前に語った格言ですが、何故、考えた通りの人間になるのか、数回に分けて思索してみます。
:<人は考えた通りの人間になる:229-1>:

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心の病を経験した人生を、どう解釈するか?

2009年02月26日 | 第6章:明るい感情の領域
フロイドもユングも私も人類全ても心に咎や罪深さや歪んだ心を持っています。もし自分だけは心に<とが>が無いと断言した人がいたとすると、その人は本物の心の病人でしょう。古代から現代まで、文化、国、その地方に存在している色々の宗教、そのような諸条件で心の病の定義が違います。1960年代、スイスのジュネーブでオックスフォード大学主催で面白いWSがありました。一人の患者を世界的に有名な40人の病理学者が私達学生の前で診断するプロセスを公開する勉強会でした。病名、治療方法は40通り出てきました。このように自分の心の病とは何でしょう?医師への信頼は大切ですが、何といつても頼りになるのは自分です。どんな病名をつけられても、病気以外の生き甲斐を求めて生涯を明るく生き抜く決意をして元気になった人々は沢山います。その決意が最高の良薬となり、幻聴、幻覚は残ってはいますが、その幻聴幻覚を友として明るく元気に生きている人々も沢山います。:<人は何故狂うか:228-5>:

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癒しだけを求める人、求道心に生きようとする人

2009年02月25日 | 第6章:明るい感情の領域
A子さんは自分の傷ついた心を癒してくれる人としか付き合いません。さて私の辛い体験談の一つですが1970年代、アルゼンチンを業務で訪問し、偶然ですが、陸軍と市民の暴動に巻き込まれてしまい、私と歩いていた先輩が機関銃にやられ、遺体を放置して逃げた自分が許せずに神経症になった事があります。その時はひたすら自分の心の痛みに同情してくれる人としか付き合いませんでした。治療者のお陰で元気になりだすと、何故か癒しの言葉を投げかける人が嫌いになり、自分から或道を歩き出しました。求道への道を歩き出した時の回復率は目を見張るものがあり、自分も治療者も人間の潜在能力の物凄い力に感動した思い出があります。癒しだけを求める時期、それが嫌いになり自分で決めた或道を歩き出す必要を冷静に識別する訓練は貴重な人生を生き抜く為の最高の知恵の一つのようです。:
<人は何故狂うか:228-4>:

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親密な関係を嫌う美女の成育史に注目

2009年02月24日 | 第6章:明るい感情の領域
何とも言えない美しいA子さんの成育史を見抜き上手に付き合う人を見ていると、共通した認識を持っています。A子さんは親密な関係を極端に嫌い避けるのです。A子さんにとって危険でない人とは、親密さを求めない人です。その危険ではない人に対しては、感じたこと、考えていることを素直に正直に交流し気持ちの良い人間関係を結んでいます。A子さんと親密になりたい男性及び女性に対してはA子さんは恐ろしい攻撃的な魔女となります。さて、現在の世界の学会で共通認識されているメンタル・スケールと言う7つの測定法がありますが、その測定によればA子さんは6つは健全な領域ですが、一つだけが少々病的な領域に入ります。その一つとは<親密性を病的までに恐れる>点です。このように個性の美なのか、心の病理なのかを識別する7つの知識を持たないと、持たない人のほうが、おかしくなつていきます。何が病的で、何が個性の美かをきちんと学ぶ必要があります。
:<人は何故狂うか:228-3>:

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あの美人のA子さんは人格障害?、それとも個性の美?

2009年02月23日 | 第6章:明るい感情の領域
初対面でA子さんにお会いした時は、あまりの美しさに目を見張ります。しかし数分、会話していくと、棘のある言葉の連発でぎょっとして、また、御顔を見直しますが、その次は美しい魔女に見えています。A子さんは実にはつらつと仕事をこなしその職場では既に5年、経過していますが、周囲はどんどん落ち込んでいきます。雑誌の記者ですが、その文章は過激ですが、読者は楽しんで読み、その雑誌の花形記事です。職場の上司と数名の人だけはA子さんの、その性格を個性の美、と解釈していますが、大半の人々は人格障害、変人扱いにしています。心理療法ではこのA子さんをどう分析しているのでしょうか?明日、書いてみます。:
<人は何故狂うか:228-2>:

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人は何故狂うか?

2009年02月22日 | 第6章:明るい感情の領域
どの時代でも人は苦しみながら生きています。苦しみ、と言う言葉を専門用語に変えると<ストレス曲線>という言葉になります。ストレス曲線とは5つの重要感情をさします。最初に発生する第一感情が不安感、その不安感を処理せず放置しておくと怒りの感情となり、そのうち身体症状が発症し、鬱となり、錯乱していきます。このストレスのありようは、それぞれの家系、環境、日々の状態の組み合わせで発病していきます。どんな環境でも考え方の整合性に病的な揺らめきがなければ発病しません。ですから整合性とは何かを勉強すると健康になつていきます。アイデンテイテイーの統合が正常ならば心は安定します。これから数回にわけて、この考え方の整合性について、分かりやすく説明していきます。狂う原因を明らかに意識した上で、どんな環境、病気になつても、それでも<幸福感>を感じる方法がありますので、その方法も同時に思索を進めます。:<人は何故、狂うか:228-1>:

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犬は人類の恩人!

2009年02月21日 | 第6章:明るい感情の領域
心理療法の学会のワインパーテイの話題で恐縮ですが、人類が安心して眠られるようになったのは1万数千年前、犬が人間に飼われるようになったからだろう、という話です。世界中で売れた話題の数冊の本にも類似談話が掲載されていましたが、敵から熟睡中に襲われ命を失う恐怖は相当のものです。犬の一番の特色は知らない人や怪しげなものが近付くと吠える習性ですが、この警戒音のお陰で人類は安心感を知りました。自分のねぐらで安心して寝ていられる、この貴重なひと時を大事にしたいものです。ねぐらを明日のエネルギーの源泉と意識出来た人と、意識出来ない人との身体医学上の違いは歴然としています。:<ねぐら:227-5>:


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ロミオとジュリエット

2009年02月20日 | 第6章:明るい感情の領域
大学生のころ恋人もなく下宿屋で日々学問に専念していました。愛読書の一つにシェークスピアのロミオとジュリエットがありました。芝居、映画では名場面になっているひとこま、ロミオが早とちりして先に死んでいる姿をジュリエットが先祖代代の墓場で見ます。ロミオの毒盃には一滴も残っていないのを哀しみながら、毒が唇にまだ残っているのを期待しつつ恋の最後のくちづけをしますが、死に切れません。しかし、ロミオの手に残っていた短剣に気付き歓喜してその剣を取り自殺していくジュリエットの愛に感動したことがあります。その頃の私の青春時代の心の安定剤の一つは、この場面を想うことでした。美しいと思う場面を回想するだけで十分人間の心の安定剤になりえた経験はその後の心理療法に大きな影響を与えています。:<ねぐら:227-4>:

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心が平安になれる<ねぐら>をイメージ出来る人は幸せ!

2009年02月19日 | 第6章:明るい感情の領域
一日が終わり我が家に帰りつきます。家がほーつとするねぐらの人は幸せですが、苦労の一日が終わり、家についても居心地の悪い人は沢山います。その場合でも解釈次第では大きな安心のねぐらを持つことができます。家は地獄だ、と思う人は解釈に工夫が必要です。まして就寝する瞬間は死ぬ瞬間と同様で、人生で一番大切な瞬間の一つと言われています。熟睡する為の知恵を真剣に考えない人は早死にするそうです。ホツとする心のねぐらを信仰に求める人、自分を愛してくれている人を感謝と共に思い出し寝る人、深く大きな愛はなくても自分を大切にしてくれている人を一人でもいれば、その人を思い出し感謝すること。寝ぎわを良くすることが、死にぎわを良くする訓練だとも言われています。:<ねぐら:227-3>:

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寝床は五感と体感の世界の宝庫

2009年02月18日 | 第6章:明るい感情の領域
現代人は五感と体感を忘れかけ、色々の病気を起こしています。太古、森や砂漠を生き抜いて蓄積した<優れたインスピレーション>を失いつつあります。理性優先、知性優先にした為に、恐ろしい現代病を併発しています。特に人の心の病は、その人の成育史上での意識、無意識に育てられた<理想と現実のギャップ>から生まれます。直観を必要とする危機管理の欠落も、現実吟味力の不足からうまれます。人間の直観力の病理がその人の危機管理を大きく左右しています。その欠落を補う貴重な場所が寝床なのですが、寝床でも、またそこで思索しようとする人がいます。寝床に入ったら、のんびりと五感と体感のレベルで爆睡すべき場所なのです。自然に身体を横たえると心地よい五感が湧き出します。数分でもその快感を大切にして感謝と満足で寝る世界が自分の寝床の世界です。寝床を上手に利用すると健康的な知恵がどんどん湧いてでます。<ねぐら:227-2>:

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寝床が人生を決める!

2009年02月17日 | 第6章:明るい感情の領域
一日が終わり、ほっとしていつもの自分の寝床に入ります。心理療法での会話で一番重要な質問の一つがこの寝床に入った時の気分を確かめることですが、夜、寝た時<今日は良く生きたなあ>と言う体感です。この良く生きたなあ、という想いはアイデンテイテイーの統合が無いと生まれない感覚だからです。あれも、これもと支離滅裂な生き方をしていると、この感覚は寝床では生まれてきません。寝床は明日を生き抜くエネルギー創造の場所なので、いつも清潔で美しく保持し天国のようにしておくと人生のエネルギーを湧き出させる温泉となります。これから数回にわたり寝床の世界について心理療法の立場から語ります。:
<ねぐら:227-1>:

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美しい人に見えてくる理由

2009年02月16日 | 第6章:明るい感情の領域
人相、身体、いろいろの家系がありますが、それもこれも祖先様からの遺伝の結果です。しかし不思議なのは心の世界で或条件がそろうと、何故か周囲かから見ると、美しく輝いて見えるのです。その理由を研究していくと人間の表情の美は心の統合性にあるようです。統合がなく、乱れていれば、それなりのお顔になりますが、好きなことを探し出し、それに命をかけだすと人は段々と美しくなります。何故でしょう?黄金律という数式があるように、心の世界にも黄金律があるのです。心が平安で、友好的な感情を持ち、持病があっても解釈いかんで健康感を持てますから解釈後の健康感で心を満たし保持し、日々の幸福感を意識し、しかもひとつの目標に向かい楽しく生きていくと、人は全て美しく見えてきます。:
<健全な統御感:226-5>:


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ひらの教師として子供を愛し天に身をゆだねた我が友

2009年02月15日 | 第6章:明るい感情の領域
我が友A君は、一見すると、だらだらした感じで真剣勝負をしかけたり努力している感じもなく、のんきに生きているように見えます。しかし感心するのは、決して不満を言わず、堂々と生きているのです。のびのびしています。お金があろうと無かろうと鼻歌を歌いながら生きている感じなのです。人前ではこんな感じをいつも周囲に与えながら生きています。色々観察するとひとつの考え方、腹をくくった考え方(統御感)を持っていました。それは人生はケ・セラ・セラという歌のようなものでした。照れ屋で自分の意見を何故か言わないのですが、いつも明るく元気な知人です。小学校の先生ですが、生涯、ひらの先生で定年を迎えました。あのようにわが身を天にゆだねて定年を迎えたA君は今、自給自足の生活をしています。これも統御感のある人生です。::<健全な統御感:226-4>:

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天国へ一直線!

2009年02月14日 | 第6章:明るい感情の領域
信頼の出来るカトリツクの修道女から聞いた話ですが、某神父さんが臨終間際に、しばらく会っていない友達が電話をしてきた際、電話機をとり、今、自分は臨終間際なので、と話し会話して数時間後に亡くなられたそうです。本当の話だそうですが大往生とはこのことだなあ、と思いました。また私が直接体験した大学病院では、臨終間際に、さあ行くぞー、と天国への壮大な旅を本気で楽しみにして息を引き取った実業家がいました。このお二人に共通したところは、いずれも死後の世界を信じ、さあ、いくぞーと明るく元気に死んでいった姿です。人生様々です。
:<健全な統御感:226-3>:

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