生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年02月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
エリクソンという学者は人間の罪悪感の原型は5-7才のころ形成されると説いています。私の場合、1941-1943年、昭和16-18年、という事になります。この頃私は神奈川県葉山町に住んでいましたが、戦争開始の年なので小学生なりに非常に緊張していました。男子なら全て兵隊さんになりたい、と考えないと、なんとなく気がひけたものです。しかし、私は兵隊さんにはなりたくありませんでしたので、心の片隅では恥ずかし想いもあつたようです。人生の目的として自発的に兵隊さんになりたいと思わない自分に罪悪感を感じていたようです。環境と歴史は、その人の人格形成に大きな影響を与えます。この罪悪感は変だよ、と教えてくれる大人が周囲に居ないので、この湧いてくる不安感を子供なので解釈できなかったわけです。湧き出す感情の意味を自分できちんと解釈出来ない子供時代は今から想うととても可哀想です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年02月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「肯定と否定」という問題は大変難しく、どこから開始したらいいか迷います。先ずは自分のストレスを貯めない為の思索から開始します。「不安感」が人生の分かれ道なので、この不安感をどう自分の中で処理するか、を考える場合、この不安感を肯定する人が助かり、不安感を否定する人が自分をダメにしていきます。この自分の不安感を肯定し否定する意味を思索していきます。不安感を否定すると自分の人生が破壊していきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年02月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「肯定と否定」という問題は大変難しく、どこから開始したらいいか迷います。先ずは自分のストレスを貯めない為の思索から開始します。「不安感」が人生の分かれ道なので、この不安感をどう自分の中で処理するか、を考える場合、この不安感を肯定する人が助かり、不安感を否定する人が自分をダメにしていきます。この自分の不安感を肯定し否定する意味を思索していきます。不安感を否定すると自分の人生が破壊していきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年02月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
源氏と平家の戦の歴史は胸が痛みます。特に義仲が京都に攻めいる前のこの倶利伽羅峠の戦いは兵士の遺体で谷を埋めた、といわれ、この辺りの妖怪は大変なものらしいです。今でも民話、伝説を調べると大自然とは申せ、悲劇的な歴史があると、その風景は一変してしまいます。欧米の大自然の中でもやはり人間が生み出した悲劇が絡む風景には、それを知らずに訪問しても、何となく不気味なものを自然から感じます。何故でしょう?このような場所へ知らずに迷いこまないように、訪問する際は、きちんと歴史を調べていかないと変な現象もありますガ」お地蔵さま一つでもある所は何となく気分が違うのが不思議です。京都の歴史のように色々ありましても祈り清められた名刹は素晴らしいです。気分の問題でしょうが人々の祈りは大事なようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年02月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
琵琶湖に浮かぶ竹生島、この島に対して、お能の御陰で大変な興味を持ちだしました。最初は新平家物語第6巻で鞍馬山を降りた源義経が奥州に行く前に、ふとした機会でこの島を訪れます。その後また私の大好きな崇徳天皇の柳の水守の麻鳥が医者となり家族を連れてこの島に居る時、源義仲征伐に訪れた平家の貴公子で琵琶の名手・経正と、この笛の名手・麻鳥が琵琶湖に映る月影を称えながら見事に合奏する名場面、吉川英治得意の名場面があります。なんとも言えないこの味わい深い竹生島に興味が湧きだしています。音楽、芸能を通した大自然の凄まじいまでの魅力は、人を幸せにするものです。神仏合体したというこの島は面白いです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年02月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
普通は大自然は人の心を平安感に満たしますが考え過ぎの哲学者などは大自然を思索する内に入院してくる事例がたまにあります。変な人、と簡単に考えるこは心理療法を勉強する人は少々、勿体ない感じがします。その傾向があるからだ、と簡単に診断したりすると、折角の勉強の機会を逃します。DNAの仕組みを少し学ぶと直ぐその神秘に気づき驚きの連続が始まります。道端の野草の美しさとその原因を思索すれば、何故、或種の人が不安神経症になるかが分かります。つまり思索するのはいいのですが、自分の身体症状(眠れない、食欲不振、神経の高ぶり)が出るまで没入するセルフコントロールの問題なのです。現実吟味力をこの身体症状にまで気配りする生活設計に意識化できない事が原因です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年02月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人間の心を豊かにしてくれる最高、最大のものが「大自然」かもしれません。人を癒すものに、哲学、心理学、宗教、沢山の学問がありますが、何といいましても森、宇宙、海、優しい草花、小さな小鳥達等の自然は難しい言葉や、ややこしい思索段階抜きに人の心を癒やし豊かにし幸福曲線(平安感、友好的感情、健康感、幸福感、当御感の5つ)に導きます。暫くこの幸福曲線と大自然の微妙な関連について思索を楽しみます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年02月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
しばしば政治の世界で「三位一体」という言葉が使用されていますが、この思想はローマン・カトリツクで重要な神の概念として使用されている言葉です。宇宙の創造者である父、その子であるイエズス・キリスト、その二つのものの愛からほとばしりでる聖霊、この三位一体を言います。この聖霊はどんな人々にも注がれている愛そのものの息吹ですが、私はこの聖霊を信じていないと生きていけない人間です。飛行機事故の時も、海外での色々の暴動や危険な事件に遭遇した時も、この聖霊の働きを信じて生き抜いてきたので本当に有難い存在です。この聖霊の働きについてはきちんと神学を学んでみて下さい。とても勇気の出る思想です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年02月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
どんなに生きる目的が明確化しても、生き甲斐の趣味が沢山あっても身近に愛情のような暖かいものが無いと人生は虚しいようです。自分を大事にしていても愛し愛される人間関係がないと何となく充実感がありません。これが普通の人間の日常のようです。人間嫌いな人でも犬や猫を愛していると、それだけで何となく心がみたされるようです。過日見たテレビで、アメリカの少年刑務所で犬を訓練させる教育カリキュラムがありました。殺人等を犯して心が荒れている少年達が犬との触れ合いで、どんどん心が癒されていく場面がありました。愛されるよりも愛するほうが心が豊かになるようです。しかし少々、犬のほうが参っているような場面があり考えさせられました。愛し愛される人間関係が理想的ですがこの関係が何故少ないのでしょう。「人間が所持している魂は愛そのもの」という思想がありますがこの思想を信じると暖かいものを自分の中に感じる事が出来ます。人の心の作用に「信じて見えてくるものの世界」があります。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年02月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
私の仕事はいつごろから感謝しだしたかを思索してみたが、どうもはっきりしません。20代の頃も何となくこれでいいのだと確信していたむきもありますが、辛い事、上手くいかない場合など、感謝というようなものではなく、これでいいのかなあ、と悩んだ記憶があります。この十年は明らかに満足し感謝しているので悔いのない人生にしみじみ有難いなあ、と感じています。さてこのように案外、人は何の為にいきていくのか、とか、自分は何の為に生きているのか、と勉強会の度に参加者の方々と思索しているわけですが、考えてみれば迷いのない人生は面白くないようです。あれこれ悩み、迷い、思索を重ねていく内に知識の度合いも深まり人間も豊かに成長しているのを観察すると、こんな日々の中に緩やかな神様の恩寵をしみじみと味わう事が可能のようです。光と陰、表と裏が混沌としている人生こそ味わいが深いようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年02月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
学問では解決しませんが信仰の力があると、いとも簡単に解決してしまう事例は案外、沢山あります。例えば不安感はその人の生育史上から生まれた理想の領域と現実のギャップから生まれますが、大事な理想を少しも削れないし、諦めるくらいなら死んでもいい、という人生もあります。その場合はどんな厳しい現実でもそのまま受け入れて生きていかなければなりません。嫌だ、嫌だ、辛い、辛いと想うと身体症状が出てきて、直ぐ病気になりますので、何とか楽しく現実を受け入れる必要が出てきます。そんな時、喜んで現実を素直に受け入れる思想は、その厳しい現実を「神様からの楽しい試練」と解釈出来る信仰の力です。この気分のよい晴れやかな解釈が出来ると身体症状が出る事もなく、かえってその苦しみに生き甲斐を感じます。それが信仰の力と定義されているものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年02月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年02月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
心理療法の勉強にこのような思想は不要だ、と考える人もいるかもしれません。例えば入院して医師に世話になるとき、あなたの身体は神様からいただいた貴重な神聖な身体だと信じている医師と身体は単なる物質だ、と信じている医師と、どちらに自分の大事な手術を任せますか?どちらも名医である条件は変わりませんが、普通の人は人の身体は神の神殿だ、と信じた医師に任せるとおもいます。しばらくこの思想について心理療法の立場から思索していきますが、人類に大きな生きる希望を与えている有名な思想です。この思想を解釈するコツは規律とか道徳とかを厳しくする為ではなく厳しい人生を勇気と希望と神様の愛を信頼しどんな苦しい状況になっても明るく元気に生き抜いていけるエネルギーを貰う為の思想であることをお忘れなく。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年02月16日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
言葉では言い尽くせない感動や喜びを感じると世界の人々はほぼ共通な表現をします。それが「魂が震えた」です。ギルガメッシュ叙事詩にもギリシャ神話、万葉集にも、それに類似した表現があるところをみると古代人は魂をみじかに感じていたのでしょう。魂の定義は沢山ありますが、私が大好きな言葉「魂は永遠普遍のもの、愛そのもであつて、病むこともない。臨終と共に身体から離脱する知的生命体」という言葉です。この魂を信じると戦争をしたり喧嘩をしている人は心と身体は戦争をしているけれども魂は愛しあつている、と信じると、何となく戦争も喧嘩も早く終結しそうです。愛である魂を信じたい。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2023年02月15日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
喜びは理屈ではなく五感と体感で感じてしまうものです。何と気持ちのよいことか、とか、あー嬉しいなあ、と手放しで感動するのが、この生きる喜びです。この生きる喜びを五感と体感で感じとれる人は本当に幸せ者です。この生きる喜びを感じ取るには案外厳しい修行が必要で動物のような生きる喜びなら誰でも教えてもらわなくても感じます。少々人間らしい品性と優雅な感動は多少、知識がないと生まれません。同じ音楽、絵画、文学でも少し知識が増えると見る視点がどんどん変化していくものです。知は力なり、とも言いますが、深い生きる喜びを感じる為にも、自分は何の為に生きるか、生き甲斐は何か、自分は自分の魂、心(自分の生育史)、身体を大事にしているか、を時々点検する必要があります。この3つの大きな課題を思索すればするほど、人は深く大きな生きる喜びを感じるように出来ています。
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