生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年05月31日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
イギリスの大学研究室に居た頃、美人は何故薄命なのかを真剣に研究している遺伝子専攻の学者がいました。難しい論文を沢山書いておられましたが、その先生を中心にワインを飲んでいた時の雑談がとても印象的でした。あまりにも綺麗な女性は男性との関係の中で、我々の想像もつかない呼吸の乱れがあるからだ、と断言していました。心が乱れると呼吸が乱れます。呼吸が乱れると心臓の鼓動数も激増します。生涯の鼓動数はほぼ一定のようですから、何となく、その先生の意味するところが理解できましたが私の心が怪しく乱れたのを思い出します。呼吸について思索していきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年05月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
厳しい現実を生き抜き最後を迎えつつある愛しい家族を誠実に看取らなかったAさんは悔いを残しながら死んでいきました。Aさんの父親は戦争の時代で青春らしい青春も知らず結婚して家族を養い、そして家族に見捨てられたような最後。それなりの理由があって家族に嫌われたようですが、それでも父親を看取らなかったAさんは生涯苦しんでいたようです。Aさんもまた家族に見捨てられた状態で息を引き取りましたが、親子二代にわたるこの哀しい話は色々の示唆、教訓を与えてくれます。さて人間の臨終の最後の希望力は天国への希望しかないようです。<死ねば全てがゼロになる>思想は人類の敵かもしれません。<全ての人々が真剣に生き抜いた先には温かい天国が存在する>この思想を真剣に生きている間に考えつつ、この世を明るく楽しく生きていきたいものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年05月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
古代から世界の色々の歴史と文化の中で<天国のイメージ>が語られてきました。紀元前3000年前のシュメール文化でも語られています。現代も天国のイメージが気になるので、哲学者から占い師まで熱弁をふるいます。世間の人々は専門的にその思想史を勉強しているわけではないのですが、やはり気になるので無視はできないようです。比較宗教学はそれぞれの考え方を大切にしていますが、私はキリスト教、特にローマンカトリツク(バチカン)の思想に共鳴しています。現代の解釈は欧米の古い教会や修道院で見る名画とは違います。<魂は老いることもなく病むこともなく、永遠不変のもの、愛そのもので自由意思を持ち、記憶もある、言語を越えて相互に瞬間に理解しあえ、暖かい愛の世界に生きている世界>と言う魂の定義を前提に天国のイメージを考えていくと、あとは各自がどんなイメージが自然に心に浮かんでくるでしょう?今、地球で生きている成育史の違う66億の人間が描く願望的なイメージは、とても重要なもので、そのイメージの集積が案外、本当の天国を示唆しているかもしれません。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年05月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
家族の死は本当に辛いものです。しかし実に驚く場面に遭遇します。父や母の死を錯乱の中で直面して感じたことですが、死にゆく本人が、もう死ぬな、と感じるや見事にアイデンテイテイーの統合が、健康で生きている時には出来ないようなスピードで死に向かって考え方が整理統合され、堂々と自分の死を迎えられるようになつていくのです。覚悟と言うか居直りというのではなく大自然からの恩寵というのか、神仏の神秘的な働きかけというのか、よくわかりませんが、自然にそうなつていく姿を見ると、今から哲学や難しい勉強をしなくても、その場になれば神様がキチンと指導してくださるようです。介護の専門知識も必要でしょうが、天地に身を委ねようと言う考え方の方が美しく楽に死ねるようです。昨年の大腸の憩室が食べ過ぎで爆発し血便が出て大騒ぎをして周囲の人々に迷惑をおかけしたのですが、一時血圧が40にまで下がっていた際、臨死体験をしました。その時、天国の扉をたたいたのですが開けてもらえず、しぶしぶと帰路につき意識が戻りました。その貴重な体験から死後の世界をほぼ信じたようです。不思議な体験でした。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年05月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
プラトンやソクラテスは素晴らしいのですが、ある時期、変な哲学者も現れました。確かに人間の死は辛いものですが、だからと言って天国を意味なく強調した為に愚かな人々は先を争って自殺していつたのです。時の政府は慌てふためいて自殺を禁止し、その哲学者を逮捕しました。現代でもその類の自殺妄想が流布していて、時々集団自殺という悲劇が生まれています。人間は理性を大切にして、現実吟味力を知的に発露していかないと想像もつかないような愚かな事件を生みだす危険な生物です。末期患者を家族に持つ私たちはこの人類の愚かさを繰り返さないように本当の愛とは何かを思索していきましょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年05月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人類の歴史での大問題を一言で表現するのは無理ですが、病院での末期療法の経験から考えると二通りの患者さんがいます。同じ臨終を希望を持って死んでいく人、苦しみと疑問の中で死んでいく人です。見守る人々はあの世の存在を信じて死んでいく人を見ると安心感をかんじているようです。そんな体験から推察するに、自分が死んだら必ず天国へ行けると確信すると人は自分の死を恐れなくなるという事実です。末期療法についてしばらく考えていきます.
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年05月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
私のブログの右側のオックスフォード大学のホームページを時時、楽しんでみてください。下記のような話題も時々現在でも掲載されています。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツの一流の大学研究室、特に比較宗教学の世界では常識の話です、その常識とは<心と身体は病むことがあっても魂は病むこともなく、老いることもなく、永遠不変の存在で臨終とともに身体から離脱していく知的生命体>という概念です。魂については数万年、人類の間で色々語られています。どれが真実かはそのうち学者が何か言うでしょうが、比較宗教学では<信じて見えてくるもの、見えなくなるもの>を検証していきます。魂は病むことがない、と信じた場合、例え心と体を病んでいる持病があったとしても自分の魂は健康そのものだ、と信じると勇気と愛と知恵が見えてきます。信じると見えてくるものは確かに存在しますし、信じていないと見えないものもあり、実に面白い学問の世界です。正常と異常の識別の勉強課題でもあります。新型コロナウイールス問題に悩まされている現在、何を信じると元気になるのでしょう?
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年05月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
DNAに関する最新の先端技術と知識に関する本が沢山出ています。素人ながら読みといていくと人生の色々の困難に立ち向かう勇気が出てきます。DNAは環境に適応して生き抜く働きをしているのは当然としても、人間の場合は人生での希望や理想に対しても、その夢が叶うように働いているようです。面白い話がありました、それは女性が男性に愛されたいと願うと肌も白く美しくなる、というのです。このように男性も自分の生涯をかけた仕事上の理想も、段々と実現しやすいように意思力だけでなく、それを感じとった大脳がDNAに指示をして自然と協力しながらその願いを現実化しているような学説を知ると<意思ある所に道あり>と我々を勇気づけてくれた古代の人々はDNAを知らなくても、そのあたりの人間の可能性について何かを感じていたのでしょうか?持病についてもあまり悩むことなく希望を燃やした方がいいようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年05月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
医学的には二十歳を過ぎると老化現象が始まると言われていて、それは真実なようですが、人はその類の情報をどう処理したらいいのか分かりません。心理療法の立場からは医学知識は大切にしますが、心の環境として理解させます。つまり事実は事実として大切ですが、森羅万象の解釈を病的にするか、健全にするかで人生が決まっていくので明るく前向きに(希望を持てる解釈の事)解釈する訓練をしていくと、体感として変だなあと感じてもこれは老化現象の一つだろう、と軽く考えるようになります。老化であろうとなかろうと、どうしようもない生理現象だからです。臨終のときですら(ターミナルケア)自分の死を明るく迎える人もいるくらいですから老化現象は恐れるに足りない問題です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年05月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人間の知恵、しかも数千年維持してきた基本技は、それなりに大きな意味があります。人間の大脳も数学の問題をルールにのっとりキチンと回答ができると心がすっきりするように一定の形を演武する太極拳も人間の心を実にすっきりさせる不思議な力があります。この練りに練られた24の形を覚え演武していくうちに体が大きな喜びに動かされるのを感じだします。形式美と自律神経の関係は深い繋がりがあり、平素の疲れ、不安感すらも明るい感情に変化していきます。持病に固執し、その事から想いが解放されないと、どんどん不快感が蓄積され悪循環に陥ります。心は何者にも支配されない世界です。身体に病気があってもこの太極拳の自由な大きな喜びを体感すると益々心の自由と体の不自由さの違いが分かり、セルフコントロールが上手に幸せ感を感じるようになります。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年05月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人生には色々の事が起きますが遺伝的な持病とか生活習慣からの糖尿病とか何故か理由が分からずに病気となり、持病を持つ日々が生まれることもあります。そんな時にこの避けられない持病をどう解釈するかで日々の幸福感が激変します。遺伝、環境、老化、自律神経、免疫、分泌の6要素で病気が出てきますので、せめて心の環境を整えて明るい人生にする事は可能です。心は自由ですので持病に固執せずに何とか明るい人生を感じ取るにはどうしたらいいのでしょうか?この持病の解釈を巡り考えていきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年05月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
箱根の温泉でのお話。何の音か、多分山からの風の音と枯れ木が触れ合う音かもしれません。芦ノ湖が見える外に出ると突然、或イメージが湧いてきました。このイメージは密かに大事にしたい、口に出したらこの価値は半減するなあ、と思いました。誰にも言えない宝物、神様にしか見せたくない感じの貴重なイメージでした。しかも確実に実現するだろうなあ、というものでした。長い人生の途上で感じる数々のイメージで、これは間違いなく実現するなあ、とおもったものはほぼ100パーセント実現しています。そんな気づきは、このような自然の中でしか湧いてこないようです。どんなに多忙でも、大自然と温泉は元気の源のようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年05月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
昔の話ですが、生まれて初めて年末から新春にかけて箱根の旅館で正月を迎えました。仕事や勉学での海外での新春、クリスマス等は非常に寂しく、孤独に苛まれましたが、こうしてのんびりと箱根の湯にひたっての正月は寿命が延びるのを感じます。心と身体は実に爽やかで明るく、大いにやるそ、という気概が生まれてきます。大脳も活発に動き、イマジネーションも豊かになり、幾つかの人生の夢が確実に実現しそうだなあ、と思います。もう手にしたような錯覚にもなりました。大脳の作用は不思議なもので実現してもいないのに、実現したかのような喜びと感動が湧き出したのです。大脳は不思議な作用をするもので実現してもいない夢があたかも実現したかのような大きな喜びを与える不思議な組織だと改めて<3Vの法則>に驚いています。
人は考えた通りの人間になる、と古代の人々は言い切りましたが、経験値なのでしょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年05月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
職業上、霞が関で働く高級官僚や色々の政治家、大企業の役員さんの悩みを聴く機会がありました。そこに面白い現象を観察して楽しんでいました。大分昔のお話で気が引けますが面白い現象があります。例えば、全てが順調なトップの場合、少々図に乗って周囲の人々に威張り乍ら傲慢な物言いをして一日を満足げに暮らすタイプ、もう一つは同じ各種責任者でも周囲の人々を大切にしながら自然体で暮らすタイプ、一概には言えませんが、想い出すまでもなく傲慢な人は大きな挫折に直面しています。何故でしょうね?結論はすでにここでの読者は了解済。傲慢は恐ろしい。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年05月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
目が覚めて起き上がる前に何と悪い気分だろう、と感じた場合の心理療法的な対応策があります。この気分の意味は何だろう、と気楽に思うのです。そうするとふーっと何となくイメージが湧いてきます。この湧いてきたイメージを倫理道徳で裁くと、折角の知恵が恐れをなして消滅していきます。Aさんのケースは<あの上司が気に入らないからこの変な気分が目覚めとともに湧いてきた>のです。自己否定,他者否定ではなく自己肯定、他者肯定な解釈をしてみましょう。つまり全て相手が悪いとか、自分が悪いと考えるのではなく、この<感情の意味>は何を示唆しているのだろう、と考えるのです。この習慣をつけていくと、どんな悪い目覚めでも元気よくその日を生きていく力が湧いてきます。
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