生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

健全な慈愛と病的な慈愛:「私は誰?」シリーズ

2013年11月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
知人の宗教家が臨終の時に某女子がお見舞いに行き枕元でわあわあ泣きました。知人の姉が私に電話をしてきて、あの方と弟と、どんな関係だったのか教えて下さい、と電話がありました。この事例を分析するのは難しいのですが、世間の常識では臨終の枕元で泣き崩れる女性を、訪問された親戚は心配するのがあたりまえでしよう。後で聞いた話ですが、泣き崩れた本人は見舞いに行って本当に満足したそうですが、その友人はあきれ果てて説教したようです。さて、話は変わりますが、Aさんは慈愛深い方として有名です。しかし、或人に言わせれば、おせっかいだ、と解釈しています。慈愛だと解釈する人もいれば、おせっかいだと解釈する人もいて色々です。病的な慈愛、健全な慈愛、という研究課題は心理療法ではとても大切なので、この問題を考えていきます。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:103>


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(2)気楽に広く理論だけを学習したい方は、この私のブログの左記の「カテゴリー」欄をご覧下さい。
その第1章「愛の領域」から11章(カリタス カウンセラーの基本とは)を見ながら思索すると楽しみながら勉強することが出来ます。

(3)この記事は2005年12月10日から2012年4月6日までの約6年間にわたり私が全力投球して系統的に理論を分かりやすく解説した2275回分の記事です。第1章から11章までを日常の言葉を使用ながら書いたものです。貴重な資料ですので是非大事に読んで下さると有難いです。

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