かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

ついに人工透析を一掃出来るかもしれない画期的技術が誕生したかもしれません。

2017-11-24 22:00:35 | Weblog
 今朝の奈良市アメダスの最低気温は3.8℃、最高気温は11.6℃、五條市アメダスの最低気温は1.2℃、最高気温は10.8℃でした。今日は朝から寒い一日でしたが、昼間のほうが余程空気が冷たく、底冷えする寒さになったように感じました。朝のうちはまだ日差しもありましたが、全体に曇りがちで日はほとんど届かなかったのも、余計寒く感じたのかもしれません。

 さて、ラットとマウスという異なる生物において、胎児の臓器形成過程を活用した腎臓再生に東京慈恵会医大などの研究チームが初めて成功し、ネイチャーに発表されました。再生された腎臓は尿を生成するなどその機能を完全に備えており、これを応用すれば、患者32万人、医療費1兆円にのぼる腎臓疾患を完治出来る可能性が見えてきます。
 今回は、ラットとマウスですが、ヒトiPS細胞から腎臓の前駆細胞を形成する技術が完成しており、これを使ってブタで同じような事を試みれば、完全体のヒト腎臓をブタに作らせることも可能になると見込まれます。それを患者に移植すれば、腎臓が復活し、もはや透析に頼らなくても済む生活が実現する、というわけです。
 同チームの横尾隆・慈恵医大教授によると、「再生した後は免疫抑制剤も要らなくなる。異種移植を利用した腎臓の再生医療実現に向け、ヒトでの研究を進めたい」とコメントされており、その完成は患者やその家族にはかつて無い福音となることでしょう。ただ、ヒトへの臨床応用には当然ながらより一層の安全性の確保が必要となります。また、私は正直別に大したことはない、と思うのですが、ヒトの臓器の再生に動物を利用することへの抵抗感も根強いのだそうで、世間一般にはこの技術における倫理面の議論も必要とされるそうです。日本再生医療学会の八代嘉美幹事は「研究内容を公開し、国民との対話を深める必要がある」と指摘されていますし、大いに議論をなせばよかろうと思うのですが、動物を肉にして食うのと、臓器作成に利用するのとで一体何が違うのか、私にはどうもよく判りません。どちらもヒトが生きるために相手の生命を犠牲にする行為ですし、食べるのはOKで移植用臓器の培養器に使うのは駄目というのは、単なる感情的な拒絶にすぎないのではなかろうか、と思わずにはいられません。まあこう書きながら、実はそこはかとない抵抗感は自分にも感じられるのですが、その抵抗感の源を突き詰めて顕在化させ、議論を重ねて納得が得られるのであれば、堂々と進めることも出来るでしょう。その日が来るのを願いつつ、技術の完成を楽しみに待ちたいと思います。

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