かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

聖徳太子が聖徳太子でなくなる日が来るのかも?

2017-03-12 21:44:09 | Weblog
 今朝の最低気温は0.1℃、最高気温は14.5℃でした。朝は相変わらず冷え込みますが、一日ちゃんと日が差せば、気温はそれなりに上がってきます。もう少し暖かくなってきたらサボテンも植え替えですね。多分次の週末あたりから少しずつ始める事になるでしょう。今週中に土やプランターを用意しておかないと。

 さて、歴史の教科書は、これまでにも色々改定されて、私が大昔に学んだ内容とは結構変わってきているというのは、報道などで見聞きしていましたが、今度は聖徳太子の表記が変更される、という話があり、国会でも取り上げられているのだそうです。そもそも聖徳太子というのは後世に追贈された尊称であり、ご本人のお名前は厩戸王が正しい、という歴史研究に基づく改定なのだそうですが、これを問題視する意見が参議院の文教科学委員会であり、松野博一文部科学相が、「聖徳太子の業績に否定的な見解を持っているということでは全くない。古代史への理解をしっかり進めるにあたり、こういう形になった」、「パブリックコメントで広く意見をいただき、しっかり判断したい」と答弁をされたとのことです。
 厩戸皇子の名前は以前から聞いていましたし、同時代では聖徳太子とは呼ばれておらず、推古天皇の皇太子として、遣隋使の派遣や冠位十二階の制定、十七条憲法などの政治課題を次々とこなした際の名前を教科書で教える、というのは、別に悪いことでもなかろうとは思います。ただあまり杓子定規に厳密な名前論を求めてしまうと、推古天皇始め、歴代天皇も、在位当時○○天皇と呼ばれていたわけではありませんし、年とともに名前が変わる人もいますし、そもそも本名の判らない人も居ます。できれば聖徳太子なら聖徳太子と呼ばれるようになった経緯も含めて子供たちに学ばせることができればなかなかに面白い歴史の授業になるだろうとは思いますが、歴史の主要人物たち全てにそういう内容の授業を求めるのはとても時間が足りないでしょうし、学ぶ方も大変でしょう。議論されている国会議員の方々とか文科省の人たちは、何のために歴史を学ぶのかという根幹をちゃんと押さえて議論しているのか、できれば報道にはそういうところを確かめる内容の話を期待したいものです。その上で、小中学校の子供が知っておくべき歴史の内容というのをどう考えるのか、という具体的な話になるのであろうと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする