かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

03.南麻布学園初等部 その1

2010-04-17 12:00:00 | 麗夢小説『夢の匣』
「……せい、……うじせんせい!、……起きなさい!」
「ふぇ?」
 突然の衝撃に揺さぶられ、一瞬遅れて額を襲った衝撃に、私は、やられた! と気を許した自分の不覚をなじった。なんとなく遠くで、「この馬鹿者が!」と舌打ちしている声が聞こえてきたような気がする。
 …… …… …… 。 
 あれ? ここどこ?
 奴は……?
 ……、……奴って
 ……誰だっけ……?
「先生、早く起きなさい。午後の授業が始まりますよ」
 おぼろに霞む目を開き、がっくり落ちた首をもたげて見上げた視線の先に、さっきまで争っていた敵の魁偉な顔が浮かぶ。ロマンスグレイと呼ぶにふさわしい豊かな銀髪の下に、血色のあまり良くない痩せた顔つき。その割にやたらと鋭い目と、まるで突き出されたように聳える見事な鷲鼻。
「……ア、シニガミハカセ……」
「くっ! 貴女までくだらないあだ名を……ま、まだ寝ぼけているんですか? 綾小路先生!」
 アヤノコウジセンセイ……。
 その名前が耳に入った瞬間、私は一気に覚醒した。思わず視線が教頭先生の顔から職員室中央の柱にかかる時計に走って、一瞬だけほっと胸をなで下ろす。午後1時10分前。まだ、充分に間に合う!
「す、すみません! 昨日あまり寝てなくて……」
 慌てて取り繕う私に、シニガミ、じゃない、教頭先生の盛大なため息が襲ってきた。
「まだ1年ちょっとの貴女が初めてクラス担任になって、慣れない仕事で多忙を極めているのは判っています。故に、昼休み机の上でいぎたなく昼寝をすることはまだ容認しているのです。ですが、仮にも教師が授業に遅れるなど、貴女を指導する副担任として許すわけには行きません。何時までも新米気分でいてもらっては困るのですよ」
「……すみません」
「それとも、何かお悩みでも? ならば私が、専門家としてカウンセリングして差し上げますよ」
 言葉は丁寧で口調は柔らかそうだが、その端々に有無を言わさぬ圧力を覚える。なにせ相手はこの南麻布学園初等部教頭にして、副担任と言う名前の、初めて6年生のクラス担任を受け持つ私のお目付け係。そして、T大文学部心理学科を首席卒業し、れっきとした学位を持つ優秀な研究者。しかし、その物腰柔らかな仮面の裏に、怜悧で傲岸不遜な本性を隠し持ち、なかなか言う事を聞かない生徒を心理的に追い詰めて矯正する徹底した指導ぶりは、一部生徒たちに「死神博士」の令名を轟かせている南麻布きっての辣腕教育者だ。本当に文字通り新米だった去年はまだ判らなかった私も、今やその言葉の鎌で命を刈り取られ続ける毎日を送っているんだから、寝ぼけ眼で思わずポロッとその二つ名をこぼれてもしょうがないというもの。でも、今も口元をひくひくさせながらお説教モードを続ける様子からも、ご本人がそのあだ名を相当気にしているのが分かる。
「あ、あの、本当に、大丈夫ですから。教頭先生」
「そうですか? 何やらうなされていましたよ。何か嫌な夢でも見たのではないのですか?」
 自分の顔が急に発熱したのを自覚する。教頭先生の指摘は、当に図星だった。確かにこの数日、私は奇妙な夢に悩まされている。けれど、だからといって、死神博士のカウンセリングなんて、死んでも受けたいとは思わない。いくら優秀な心理学者だからといって、わざわざその噂に聞く『実験台』に上がるなんて、御免被りたい。
「いえ、本当に大丈夫ですから」
「先生、夢を甘く見てはいけませんよ。夢は無意識の窓。貴女が意識しない貴女の本質や悩みを知る絶好の手がかりになるのです。さあ、話してみなさい。夢分析は少々専門外ですが、充分にお役に立てると思いますよ」
 しまった、食いつかれた! 私は狼狽してとにかくこの場をごまかすことにした。
「い、いえ! ご相談したいのはやまやまなんですけど、実はどんな夢を見たのか覚えていないんです」
 すると教頭先生は疑わしそうな目で一瞥し、なおも執拗に迫ってきた。正直、その目と態度が怖い。
「ふむ……。では、催眠療法など試してみましょうか。一時的に失われた記憶を呼び覚まし、貴女の深層心理に眠る問題点を切り出して、解決に導きましょう」
 もう! あー言えばこう言う! このままじゃ死神博士の格好の餌食だわ! 私は大慌てで職員室を見回すと、ようやく一点の光明を見つけて、目の前の鷲鼻に笑顔を向けた。
「教頭先生、あの、時間がもう……」
 私は、さっき目覚めた時に見た時計が後2分で午後1時を告げようとしているを遠慮がちに指差した。
「え? こ、これはいけない! 私としたことが……! 綾小路先生はすぐ教室に行きなさい! お話は放課後伺いましょう! ……なんです? その顔は」
「な、なんでもないです! 行ってきます!」
 え?放課後も? とあからさまに嫌な顔をしてしまったのを、きっとシニガミは放課後までしっかり覚えていることだろう。あーぁ、これはちょっと取り返しのつかない失敗だ。放課後は相当みっちり絞られるに違いない。これも、またヘンな夢を見てしまったからだろうか……。
 私は、実はまだ忘れていなかった、というよりすっかりおなじみになって忘れようにも忘れられなくなっているさっき昼寝の最中に見た夢を思い出しながら、担当の教室に急いだ。
 でも所詮は夢だ。
 無意識からの警告だとか暗示だとか、専門家の教頭先生にいわれなくても、私も人並みにその程度の知識ならかじっている。昔からその手の話は好きだったし、教育者への道を選んだのも、それがきっかけでもある。だから、その夢には人一倍興味と関心と、そして不安があった。でも、それで仕事や生活が左右されているわけでもない。実害も、こうして危うくシニガミハカセの毒牙にかかりそうになったり、授業に遅れそうになって廊下を駆け足で走らされたりするくらいのものだ。
 ……ただ……。
 そう、ただなんとなく、まるでその夢が自分を眠りに誘い込んでいるような気はしていた。昼休み、教頭先生いわく「いぎたなく」眠りこけてしまうのも、単に疲れだけとは言えない気がする。何の根拠もない、ただの印象だけれども。
 でも、そんな思考は自分の受け持ちクラスが見えてきたところで封印した。
 今はとにかく授業に集中しないと!
コメント
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