かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

仕事が立て込んで手が動かなくなってくると、少々雑念も沸き上がってくるようです。

2010-02-10 22:34:34 | Weblog
 今、ちょうど今年度の報告と来年度の予算申請のための資料作りで、毎日10時間くらいパソコンの前でキーボードを叩き続けています。終り頃など手が思うように動かなくなって、メール一つ打つにも苦労するような塩梅なのですが、特に昔から弱点だった左手の小指の疲労は激しく、ほとんどキーを押せない状態になってしまいます。まあ確かに随分手を酷使しているな、という自覚はあるのですが、それでも以前はもう少し頑張れたように感じます。例えば全力で麗夢同人小説を作っていた頃などは徹夜でひたすら文章を打ち続けた時もありましたし、仕事でも今と左程変わらないか、かえって多いくらいのテキストを打ちまくっていた事もありました。それでも、左手小指はしびれて難儀することはあったものの、手、全体がこわばって動かなくなる、なんてことはありませんでした。そういえば、この間の健康診断で握力を測ったのですが、明らかに数値は低下していました。少しずつではありますが、やっぱり確実に身体は年を取って弱っていっているみたいで、こういう修羅場を迎えると、そのことを如実に意識させられます。
 こうなると、そろそろキーボードに変わる入力デバイスが欲しくなりますが、まだまだ口述筆記は難しいみたいですし、残念ながら、今のところテキスト入力にはキーボード以外の選択肢はなさそうです。ならば、昔は日本語キー入力に特化したような特殊なキーボードもありましたが、PC用に同じようなコンセプトのキーボードが出たら、試しに買ってしまうかもしれません。もっとも、あの手の特殊配列のキーは覚えるまでが一苦労で、今の自分が果たして覚えられるかどうか、それ自体が微妙だったりもします。
 また、仮に口述筆記が実用レベルに達したとしても、それ自体に慣れるまで結構な時間が必要でしょうね。キーボードで字を打つ、というのは、単に頭に浮かんだ言葉をテキストにして行くという単純な作業ではなく、結構短時間に頭の中とキーボードと画面とで文字や文章をやり取りして、その都度微妙に調整をとりつつ、文章化しているようです。口述筆記になると、そんな過程がなくなる分、とりとめのない言葉が溢れて文章が無茶苦茶になる気がするのです。これは昔、手書きからキーボードに文章制作を移したときにも感じたことですが、文章制作はその時に慣れている方法でテキスト構成する頭の中のプログラムも最適化されているらしく、中々思うように文章に出来ないでいて、結局手で下書きしてから打ち込む、という二度手間をしばらくやっておりました。そのうちキーボードで直接文章を打ち込むことに違和感を覚えなくなりましたが、今後素晴らしい技術発展で新しいデバイスが生まれたとしても、その種の慣熟期間はどうしてもさけられないことでしょう。
 ・・・なんて、動かない手をだましだましキーボード上で動かしながら、そんなとりとめもないことを考えておりました。早くこの仕事片付かないものでしょうか(苦笑)。

コメント
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