シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

ヒロシマナガサキ

2007-09-19 | シネマ は行
スティーブンオカザキという日系アメリカ人のドキュメンタリー監督が25年もの歳月をかけて、500人以上の証言を取ったという作品。アメリカではこの夏テレビ放映されたという。ワタクシはいままで原爆被害者の話は何度も聞いたこともあったが、それでもワタクシの知らない事実もあった。

この映画にはナレーションはなく、原爆体験者14人と原爆投下にかかわったアメリカ人4人の証言、当時の映像、原爆体験者が書いた当時の絵などで構成されている。普段、テレビの再現ものの異常な盛り上げ方に慣れているワタクシたちにとっては、(これは不謹慎な言い方になってしまうけど)一見、ただただ淡々と進む作品に見える。それが、見始めて20分、30分と経つうちに、圧倒されるばかりの事実に目を耳を覆いたくなる。彼らがこの60年間背負ってきたものに息ができなくなる。それでもやはり見なければならない、聞かなければならない。彼らが感じた苦しみは観客が感じる苦しみの何万倍ものものであったのだから。

戦後何年かして「原爆乙女」と名付けられた生存者の女性たちがアメリカで無償で形成手術を受けられるということをアメリカのテレビのワイドショーで放映している番組が映る。その番組ではその運動を支援している日本人牧師をゲストに招き、原爆投下に関わった軍人がその団体に寄付をする。可哀想な被害者を助けるアメリカ。当時の認識としては仕方なかったのだろうし、その中の人たちに悪気は一切ないだろうけど、いまその番組を見せられると吐き気と寒気がするような恐怖を感じた。

日本政府も原爆被害者に十分な支援を行っていない。
「政府は原爆被害者が死ぬのを待っている」証言者の一人はそう言う。
政府だけではなく、原爆被害者はいわれのない差別をも受けてきた。外傷はなくても、その後のさまざまな後遺症に苦しみ、それが「伝染る」と差別された。結婚したくても相手の親類から差別され、結婚したらしたで、次の世代への影響を恐れなければならなかった。

長崎の被害者の男性が言う。
「先祖代々、カトリックでね、なんでこんな目に遭わなきゃならんのかと。自殺も考えましたけどね、カトリックでしょ、自殺は許されてないんですよ。」
戦争の被害者に何教っていうのは関係ないかもしれないけど、このセリフはアメリカの視聴者に大きな印象を残したのではないかと思う。

「妹は(原爆では生き残ったがその後)病気に苦しみ、貧乏に苦しみ、線路に飛び込みました」正確には把握されていないけれど、原爆の日を生き延びた人たちの中にはその後自殺していった人も多かったという。そして、その中には小さな子供たちもたくさんいたと。

「妹や弟はチョコレートも食べたこともなく死んでね。私が代わりに死ねば良かったと60年間一日たりとも思わない日はないんです
「体の傷と心の傷、両方の傷を背負いながら生きるのはもう私たちだけで十分です」こういう彼らの叫びをアメリカ人、日本人という枠など超えて、全世界の人が見聞きするべきだと思う。それ以前に、日本政府批判があるから日本のテレビでは放映できないなんていうイヤな話も聞いたが。。。

原爆投下に関わったアメリカの研究者が言う。
「私たちはパンドラの箱を開けたんだ。もう中身は元に戻せない。私たちは常に核の脅威と隣りあわせで生きなければならない」
本当にパンドラの箱の中身はもう戻せないのだろうか?もう開けたから戻せない。その方向でしか人類は進むことはできないのだろうか?ワタクシは根本的にそこを否定しながら生きていきたい。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿