フリーダサルマハエックという人のことは「クレイドルウィルロック」っていう映画の中だったかなー、ロックフェラーセンターの絵を描くことになった彼女の夫ディエゴルベラに会いに現れたのは。それだけの記憶と知識しかなかった。それから、あのつながった眉毛とね。(それもこの作品の写真で知ったのだけど)つまりは何も知らないに等しかった。この作品の公開に合わせて開かれていた絵画展の宣伝ポスターで彼女の絵がどんなか知ったくらいだったから。そして、その絵はあんまりワタクシの好みではなかった。
ケーブルTVで放映していたのを見ました。フリーダの作品とか、彼女の夫の作品とかについてはよく分からないけど、この作品自体は映画としてよくできていたと思う。
冒頭にベッドのままどこかに移動するフリーダ。始め、彼女の葬式かと思っていたら、死体が喋った!!!と思いきや葬式じゃなかった。本当にベッドのままどこかに移動していたのだった。ここから、一気に彼女の学生時代にさかのぼり、ここに至る経緯が語られる。
いやー、学生時代のサルマハエックの制服にはちょっとキッツイもんがあったな。いくら彼女が小柄でもねぇ…それに、その当時の恋人をディエゴルナくんが演じていてほんっとに無理があった…ま、それは仕方ないとして…
ワタクシはフリーダという人がこんなに過酷な人生を送った人だとはまったく知らなかった。超女ったらしで画家で共産主義者の夫アルフレッドモリナを持ち、自らも画家であり、おそらく奔放な人生を歩んだであろうことは予想していた。だから、彼女が女と寝ようが、夫が亡命を支援しているロシア人トロツキージェフリーラッシュと寝ようがびっくりするこたぁないって感じだけど、学生時代のバスの事故で一生涯、後遺症に悩まされていたとはまったく知らなかった。
この芸術家たちの奔放さって色んな映画で描かれているけどほんと理解不能。フリーダも妹のことは信用してたんだろうけど、妹が独りで寂しかったことや夫の女ったらしっぷりを考えれば予想できなかったか、あの展開?夫の元妻と仲良くなっちゃったりするところもなかなか面白いシーンだった。元妻役のヴァレリアゴリノは久しぶりに見たなぁ。他にもアシュリージャドが友人の魅力的な女性を演じてたり、アントニオバンデラスがひょっこり登場したりするんだよね。
自身を障害者と呼びながらも活動的に精力的に人生を謳歌した彼女の根性ってすごい。すごく骨太のメキシコ女性というものを彼女の中に感じた。この作品が一人の障害者の半生を綴ったものに見えないのは、実際に彼女の人生がそういうものではなかったからなのだろう。彼女のパワーが乗り移ったような作品だったのかもしれない。そして、サルマハエックの演技力が素晴らしかったからこそ、そのパワーを表現しきれたのだろう。
それにしても、あの眉毛は…剃る気はまったくなかったのかなー。神から与えられた体をいじりたくなかったのかなー?
TBありがとうございました。
その通りですね。
見ている途中、何度も彼女が障害者であることを忘れてしまいました。彼女自身がそういう生き方をしたからなのだろうなと思います。
僕にとって生まれて初めてのTBでした。嬉しいなぁ。
サルマ・ハエックはこの作品にそうとう入れ込んでいたようです。
確か、製作にも関わっていたと読んだような読まないような・・・。
眉毛も気になるところですね。
脚本家の意図って散文的な理由があるから解り易かったりする気がしますが、
画家などの芸術家の意図って、量りがたいものがありますね。難しい。
>サルマ・ハエックはこの作品にそうとう入れ込んでいたようです
みたいですね。やはり、メキシコ人としてのアイデンティティがそうさせたのかなと思います。
>画家などの芸術家の意図って、量りがたいものがありますね
ワタクシはそういう高尚なことは分かりません。ただ、直感的に好きとか嫌いとかは感じます。