シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

プルートで朝食を

2009-12-15 | シネマ は行
アイルランドを舞台にしたニールジョーダン監督の作品。ニールジョーダンと言えばやはりアイルランド。そして、ニールジョーダンと言えば、ワタクシは何と言っても「クライングゲーム」なのだけど、奇しくもこの作品もアイルランドとゲイが絡んだ作品だった。

赤ちゃんのときに母親に捨てられたパトリック“キトゥン”ブレイデンキリアンマーフィーは男の子として生まれながらも、心は女の子だった。そんな彼女は青年に成長し、本当の母親を探しにロンドンへ出発する。

キトゥンの半生がずっと語られるお話なんだけど、なぜか彼女はどこに行っても、周囲の人に恵まれる。と言っていいのかな。悲惨な目にも合いつつも、なぜか彼女は人に面倒をみてあげなくちゃという気にさせるというか、見知らぬ人に「自分を大切にね」と言われたり、知り合ったばかりの人に仕事をもらえたり、そういう不思議な魅力があるようだ。物語の中のキトゥンがそうであるように、実際の映画を見ているこちら側もなぜか分からないけど、妙にキトゥンに惹かれてしまう。どこか守ってあげたいというか、なんだか可愛いというか、行く末がとても気になるというか…

やはり、60年代末期から70年代にかけてのアイルランドが舞台とあって、当然IRAも物語に絡んでくる。もちろんキトゥンが直接IRAに関係しているわけではないけれど、周囲の人や時代背景からキトゥンも避けては通れない。先にも書いたようにキトゥンはなぜか人から大切にされるのだけど、一度ロンドンでのディスコ爆破事件に遭遇してしまい、アイルランド出身であることからIRAの一味だと間違われて警察に捕まりこっぴどく拷問を受けることがあるのだけど、そのときの刑事たちでさえ、最後にはなぜかキトゥンのことが気がかりになって、最終的には仕事まで紹介してしまうくだりには、ウケたな。それも、より暴力的にキトゥンに接していたほうの刑事イアンハートが面倒を見てしまうのだから。変に男心をくすぐるというのかな。彼らは決してゲイではないんだけど、キトゥンのことは気になるんだよね。まぁ、でもワタクシもそれはすごくよく分かったな。それが、ただいわゆる“オカマ”の悲哀だけではないような、キトゥンのたよりないながらも、自分の思ったことを突き進めて行く人間的な魅力がそう思わせるのだと感じた。

そんなふうにキトゥンを見ているものだから、彼女が母親エヴァバーシッスルに会いに行くシーンは泣けてしまった。「ママ!」と胸に飛び込みたい思いを抑えて、電話会社の社員といつわって会いに行ったキトゥン。結局、母親に打ち明けることはできなかったけど、キトゥン自身が「母親を探しに行って父親を“見つけた”」と話したとおり、そのおかげで父親リーアムニースンとは和解することができて、本当に良かった。

物語の中の人物同様に観客にもキトゥンに想いを寄せさせたというところにこの作品の成功があったと思うが、それはもちろんキトゥンの人物像というものは原作に書かかれてあるというのもあるんだろうけど、キトゥンを演じたキリアンマーフィーの魅力が大いに関係していると思う。彼のことは「バットマンビギンズ」などで見ているはずなんだけど、知らなければ「この人は本当にニューハーフの人?」と勘違いしてしまいそうなほどの演じっぷりだった。(これがまた最初はあんまりなんやけど、どんどんキレイになっていくのです)

60~70年代で、アイルランドで、IRAで、オカマでっていうシチュエーションが揃いながらこう言うのも少し変かもしれないけど、なんだかおとぎ話を見ているような気分になる作品でした。


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