9.11後のイラク戦争に出兵している陸軍軍曹である妻。その帰りを待つ夫スタンレージョンキューザックと2人の娘。長女ハイディシエランオキーフは12歳。思春期の入り口に立ってはいるが優等生のようだ。次女ドーングレイシーベドナルジクは8歳。おしゃまだがまだまだ小さい子どもといった印象。一日のうち決まった時間にアラームをセットし、イラクにいるお母さんと同じ時間にお互いのことを想い合うと決めていた。
ある日の早朝、陸軍のメッセンジャーが一家を訪ねてきた。玄関に立つ軍人を見た途端スタンレーには全てが分かった。妻は戦死したのだ。
学校から戻った娘2人を大切な話があるとソファに座らせるスタンレー。いつものようにふざけ合う2人。スタンレーはとっさにご飯食べに行きたい人!と言ってしまう。突然の外食の誘いに大喜びのドーンと複雑な表情のハイディ。夕食のあとスタンレーはまたもや、これから一番したいことをしよう。何がいい?と2人に訪ねる。「魔法の庭に行きたい!」と即答するドーン。どうやら、うちから数泊の移動距離にある遊園地らしい。「バカね。行けるわけないじゃない」と冷めた目で言うハイディに対して「どうして?行けるさ」と答えるスタンレー。
学校も休んで仕事も休んでそのまま車で遠くの遊園地まで行こうという父親に幼いドーンは無邪気に喜んでいるが、ハイディはいぶかしげだ。この12歳のハイディの複雑な心情が絶妙だ。学校をサボって遊園地に行きたい気持ちがないわけではない。でもやっぱり学校を黙ってサボることも気になるし、お父さんの仕事のことだって気になる。もしかして、お父さん会社クビになったの?何があったの?と色々考える。
一方でスタンレーは娘たちに母の死を伝えなければいけないと思いながら、なかなか言い出すことができない。何度も出先から家に電話をかける。当然誰もいない家の電話は留守番電話になる。妻がメッセージを録音している留守番電話。「いま留守にしておりますので、メッセージをどうぞ」その妻の声を聞きたいがために何度も自宅に電話をかける。そして、まるでそこに彼女がいるように話しかけるスタンレー。これがもう涙なしでは見られない。
娘に母親の死をなかなか伝えられないお父さん。そういう構図で物語は進行するのだけど、ワタクシには彼が“お母さんのいる子供たち”という状態をできるだけ続けてやりたいと考えているように思えてとても胸が痛みました。お父さんが娘たちに「お母さんは死んだんだ」ということを伝えない限り彼女たちの中でお母さんはイラクで生きているわけです。どちらにしてもお母さんはその場にいないわけですが、「お母さんはイラクで生きている」という状態と「お母さんは死んでしまった」という状態ではもうまるで事情が違うわけで、でもこのまま「お母さんはイラクで生きている」という状態を続けようと思えば続けることができる。自分さえ黙っていれば。そして、その状態のままできるだけ楽しい経験を、おそらく彼女たちの心の中で「不幸」というものが一点もない状態で楽しい時間をできるだけ長く過ごしてほしい。そういうお父さんの行動に涙が止まりません。このお父さんのしていることはもしかしたら正しくはないかもしれません。でもそんな理屈は抜きに気持ちが震えました。
そして、この作品で描かれる家族像、父と娘像というものがとても自然で良かったと思います。お父さんも喋り方とかどこかぶっきらぼうだし、娘も反抗期なこともあってお互いにべたべたし過ぎてないところや、姉妹も仲は良いけどしょっちゅう小競り合いをしているところなんかもとても自然でした。
ジョンキューザックは年齢的にはお父さんなんだけど、あんまりお父さんの役柄のイメージのない役者さんなので、最初はちょっと違和感があったのですが、その違和感が突如娘と自分だけという家族にされてしまった父親の違和感となったからなのか徐々にしっくりきました。タバコに興味を示す思春期の娘に一緒に吸おうと誘ってこっそり咳き込んでいるところなんか、とても愛おしい不器用な父親像で良かったと思います。
昔であれば銃後を守るのはもっぱら女性の役目とされていたけれど、今の時代妻やお母さんが出兵して戦死したという家族も珍しくはなくなっているのだろう。そういった意味でもなかなかスポットが当たらないこういった家族に目を向けた貴重な作品であると思います。
オマケ音楽を担当しているのがあのクリントイーストウッドです。彼が音楽も得意なことは有名かと思います。胸に染み入る音楽です。