享禄4年(1531年)夏、移転がなったばかりの和泉国の岸和田城の広間に一門・重臣が集っていた。
「元就、調略は順調に進んでいるようだな。」
「はい。しかし、ここまで細川殿の家中が腐りきっているとは思いもよりませんでした。」
島津家当主である島津忠良の問いに、毛利元就が苦笑いをしながら伊集院忠朗を見た。
「誠にござりまする。毛利殿とそれがしで調略をほどこしましたが、これほどあっさりと寝返りが相次ぐとは驚いておりまする。」
「こちらから声をかけずとも相手から傘下に加えて欲しいとの願いをしてくる始末、家中でどういった仕置きをされているのか他家のことながら心配になりまする。」
元就がさも心配げな表情で笑いを誘った。
「それもこれも毛利殿と忠朗殿の流言飛語で細川殿の家中が浮き足立っている証左でござろう。」
元就と同様に忠良の娘を室に迎えた長宗我部国親が笑いながら言った。
「若い者は単純でよいの。事はそう簡単な話でもあるまい。」
筆頭家老であり、忠朗の父である伊集院忠公が渋顔をしながら言った。
「細川殿の家中が浮き足立っているのは調略によってだけではあるまい。」
「他に何があるのでござるか。」
忠朗がむきになった口調で忠公に聞いた。
「細川殿は管領職、中納言の位階を失い無位無冠となっておる。そのことで家中の求心力が失われていることに気づかぬのか。」
「そう言えば一族の澄元殿も、大井貞隆殿の謀反に荷担して信濃の長窪城で自立したよしにござりまする。」
二番家老の新納忠武が続けた。
「和泉上守護家の元常殿も当家に降りましたし、阿波守護家の持隆殿も当家に使いを寄越しておりまする。」
三番家老の樺山長久も続けた。
「当家は細川殿に代わって管領となり、また朝廷より内大臣を授かっておる。幕府や朝廷への工作がどれだけ効果的に細川殿の家中に影響を与えているかを考えて見るがよい。」
だめを押すかのような忠公の言葉に、忠朗は悔しそうな表情でうつむいた。
「若い者をいじめるのもほどほどにされよ。」
相州家当主の運久が笑いながら言った。
「しかし最近の忠朗らの言動は目に余りまする。これ以上つけあがらせることは本人のためによくありませぬ。」
「忠公は忠朗に厳しすぎる。我が子を甘やかせぬことはよいが、とばっちりを食う元就や国親も迷惑であろう。」
忠公の真顔の反論に、今度は忠良がなだめるような表情で言った。
「傍目から見ていると、忠朗殿の功績はたいしたものですぞ。それに比べて忠興の頼りないことよ。」
「全くもってその通りでござる。忠広に忠朗殿の爪の垢でも煎じて飲ませたいところですな。」
「親父殿、老害という言葉をご存じか。」
「久逸様からの重臣が幅を利かせているようでは、家中の風通しはいつまで経っても悪いままでござりますな。」
薩州家の成久と忠興、豊州家の忠朝と忠広の親子漫才のようなやりとりに、居並ぶ家臣たちから笑いが漏れた。
「まあよい。若い者の先走りは家老が抑えればよし、家老の腰の重さは若い者が引っ張ればよい。」
忠良の言葉に、表情を引き締めた家臣たちが平伏した。
「当家は大丈夫でござろうか。」
心配げな表情で新納忠祐がつぶやいた。
「当家とて他家の者を傘下に加えた以上は謀反の恐れはありまする。一度背いた者はまた背きまする。」
「兄上、当家は細川殿と違って鉢植えはしておりませぬ。一所懸命の地を与えているので不満はござりますまい。」
新納忠澄の言葉に忠祐はうなずきながらも、さらに続けた。
「そうは言っても今は食うか食われるかの戦国乱世、今の所領に満足していない者もいよう。」
「これだけ当家の支配が広がれば目が行き届かなくなり、不穏な企てがされる可能性も出てくるかもしれませぬ。」
肝付兼固も続けた。
「我らも三州より離れてから久しく、また中国や四国の者の気風も知りませぬ。このままでは各地でよからぬ動きがでてくるやもしれませぬ。」
「政務にも軍団制を採用してみるか。」
忠良が独り言のように言った。
「軍務では6軍団制にして多方面で攻略を進めておる。同様に政務でも地方毎に区分けして治めてみるのはどうか。」
「よいお考えだと思いまする。しかしその人選は難しゅうござりまするな。」
忠公が腕組みをしながら答えた。
「九州の忠昌様は穏やかなご性分にて問題はござりませぬが、中国や四国で人選を誤りますると力を得たその者が謀反する懸念がござりまする。」
「譜代から選べば土地の者が納得しませぬし、かと言って土地の者を選べば忠誠心が心許ないですな。」
忠武も難しい顔をして続けた。
「毛利殿、長宗我部殿の家中から選んではいかがか。お二方は殿のお側に居ていただかなければなりませぬが、心を置ける者はおりましょう。」
長久の言葉に忠良が頷いた。
「うむ。元就と国親は今や島津一門、よもやその家中から二股者は出まい。元就、国親、よい者はおるか。」
「中国を治めるにあたり、志道広良の右に出る者はおらぬと考えまする。」
「四国は吉田重俊に任せれば問題ないと存じまする。」
「志道と吉田か。両人とも毛利、長宗我部の重臣ゆえ名前負けもなかろう。志道を浜田から吉田郡山に移し、吉田は引き続き岡豊で政務を執るように伝えよ。」
忠良の決断で、島津家は軍制面の6軍団制、行政面の4軍団制を敷くことが決まった。
大永8年(1528年)春 島津忠朝を大将とした軍を勝瑞城の攻略に向かわせる。
大永8年(1528年)夏 朝廷より正四位下・参議に叙任される。吉田郡山城の大内義興が臣従する。島津忠朝が勝瑞城を下す。
享禄1年(1528年)秋 伊集院忠公を大将とした軍を小倉山城の攻略に向かわせる。
享禄1年(1528年)冬 朝廷より従三位・弾正尹に叙任される。島津成久を大将とした軍を山吹城の攻略に向かわせる。
享禄2年(1529年)春 島津貴久が元服する。次女・瑛が髪結いを終える。島津成久が山吹城を救援にきた吉川家・椋梨盛平を撃退する。
享禄2年(1529年)夏 島津成久が山吹城を下し、吉川家が従属する
享禄2年(1529年)秋 朝廷より正三位下・権大納言に叙任される。幕府より管領に任ぜられる。山吹城の吉川国経が臣従する。
享禄2年(1529年)冬 伊集院忠公を大将とした軍を瀬戸山城の攻略に向かわせる。島津忠朝を大将とした軍を岸和田城の攻略に向かわせる。
享禄3年(1530年)夏 島津成久を大将とした軍を月山富田城の攻略に向かわせる。
享禄3年(1530年)冬 高田城の朝倉教景が従属する。島津忠朝が岸和田城を救援にきた紀伊国・一向宗門徒の粉河寺蓮教を撃退する。
享禄4年(1531年)春 朝廷より従二位・内大臣に叙任される。伊集院忠公が瀬戸山城を下す。島津成久が月山富田城を下す。島津忠朝が岸和田城を下す。
享禄4年(1531年)夏 次女・瑛が家臣・長宗我部国親に輿入れする。
さて。先日、初めて歴史シミュレーションゲーム「信長の野望 蒼天録(PS2版)」を購入しました。その後こちらの日記の過去の部分を読んでみたら、偶然にもオリオンさんもプレイしていることがわかりました。
初心者なので、なにをどうしていいのかわからず、今日、ここに書き込みした次第です。ネットの攻略ページなども読みましたが、上級者用の攻略なのか、よくわかりません。質問がふたつあります。まず、初心者はなにでやったらいいでしょう。城主、軍団長、大名? それから、隣接する諸勢力や他大名とは、訪問や贈り物で仲良くなっていたほうがいいのか、合戦して力で自分の下の置くほうがいいのか、どっちなのでしょう? どっちでやってもうまくいかず、まずどうしたらいいのか困っています。少しアドバイスをいただけるとうれしいです。長くなりました。よろしくお願いします。
さすがにシーズン中になるとゲームに時間を割くことができなくなり、すっかりとプレイは止まってしまっています。
いつも信長の野望はこの展開で挫折してしまうのですが、今回はプレイ日記をつけていることで最後までいけそうな気がします。
私なりの見解ですが、初心者はやはり大名から始めるのがよいと思います。
城主や軍団長ですとコマンドに制限がありますし、思ったようなプレイはできません。
また背後に敵がいない大名、常に一方だけに敵がいる展開に持ち込める島津家などがお奨めです。
外交については、さほど重要視していません。
こちらの勢力が大きければ友好度が低くても攻め込まれませんし、逆に相手の勢力が大きければ友好度が高くても攻め込まれるか、従属を要求してきます。
そんなところに無駄なコマンドと金を浪費するぐらいであれば、せっせと人集めをした方がよいです。
とにかく信長の野望は「人は城なり」で、いかにいい人材を集めるかにかかってきますし、多くの武将を集めるかが鍵です。
仮に10ヶ国を領していても武将が15人ぐらいしかいなければこれ以上の拡張はできず、comの成長も止まります。
いかに敵から武将を削ぎ落とすか、自らの陣営に迎え入れるか、そこにかかっていると思います。
暫くはせっせと人集めをして、堅実に勢力拡張をしていけば、ある程度の規模になれば雪崩的に拡張スピードが上がってきます。
そこが信長の野望を最後までやり遂げられない、機械的なプレイになってしまう弱点でもあるのですが(笑)
序盤はじっくりと焦らずに国力を蓄えること、これが肝要かと思います。
頑張ってください。