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「こころの玉手箱」――大創産業社長・矢野博丈
【 09.11.19日経新聞(夕刊)】
[4] 移動販売を支えたダジャレ――笑いの効果で仕事も円滑に
私はダジャレが好きで、あちこちで評判になるほど連発している。初めて会って気が合うと、主席でその人のネクタイと自分のネクタイを結び「これで二人はネクタイ(肉体)関係」と言って、失笑させる。
ゴルフコンペのスタート前「(芝生のボールの移動)6インチまでオーケー」と幹事が宣言すると、すかさず「6インチまでならキャディーさんにタッチしてもいいんですか? え、それはノータッチでしたか。すいません」と発言して場を盛り上げる。
若いころも冗談を言わないわけではなかったが、今ほどではなかった。きっかけは1970年代後半、私が30代前半のころだ。当時は百円ショップは今のような建物内に店を構えるのではなく、トラックに商品を積んであちこち渡り歩く移動販売だった。
スーパーや生協の軒先を借り、りんご箱の上にベニヤ板を敷いてその上に商品を並べる。当初、夫婦で始めた百均(百円均一)商売も少しずつ軌道に乗り、4人の男性従業員を雇うことができた。でも長雨や寒風、かんかん照りの暑い日が何日も続くと外で働く移動販売は楽ではない。人手不足時代で、従業員が条件の良い職場に移ることはよくあった。
給料を上げる余力はなく、といって手間のかかる商売で、1人ではとてもやっていけない。いつ「辞めます」と言われるか、いつもビクビクしていた。
ある長雨が続いた日、事務所を兼ねた自宅脇の商品倉庫に3人が入って行った。なかなか出てこない。「ああ、あの3人、一緒に辞めようと相談しているのではなかろうか」
心配だ。意を決して中に入った。薄暗いのでとっさに「おい、おれも仲間に加えろ。その方が……」と下ネタでジョークを言った。ワッと爆笑の輪が広がった。別に辞める相談ではなかった。私のひと言でパッと雰囲気が明るくなり、その後の仕事も円滑に進んだ。
笑いの効果って、こんなに大きいのか。それからダジャレやジョークを頻繁に使うようになった。最近はそれが習い性になって行きすぎ、「食傷気味だ」と言われるほど周囲の皆さんに迷惑をかけているが。
【 これらの記事を発想の起点にしてメルマガを発行しています 】
「こころの玉手箱」――大創産業社長・矢野博丈
【 09.11.19日経新聞(夕刊)】
[4] 移動販売を支えたダジャレ――笑いの効果で仕事も円滑に
私はダジャレが好きで、あちこちで評判になるほど連発している。初めて会って気が合うと、主席でその人のネクタイと自分のネクタイを結び「これで二人はネクタイ(肉体)関係」と言って、失笑させる。
ゴルフコンペのスタート前「(芝生のボールの移動)6インチまでオーケー」と幹事が宣言すると、すかさず「6インチまでならキャディーさんにタッチしてもいいんですか? え、それはノータッチでしたか。すいません」と発言して場を盛り上げる。
若いころも冗談を言わないわけではなかったが、今ほどではなかった。きっかけは1970年代後半、私が30代前半のころだ。当時は百円ショップは今のような建物内に店を構えるのではなく、トラックに商品を積んであちこち渡り歩く移動販売だった。
スーパーや生協の軒先を借り、りんご箱の上にベニヤ板を敷いてその上に商品を並べる。当初、夫婦で始めた百均(百円均一)商売も少しずつ軌道に乗り、4人の男性従業員を雇うことができた。でも長雨や寒風、かんかん照りの暑い日が何日も続くと外で働く移動販売は楽ではない。人手不足時代で、従業員が条件の良い職場に移ることはよくあった。
給料を上げる余力はなく、といって手間のかかる商売で、1人ではとてもやっていけない。いつ「辞めます」と言われるか、いつもビクビクしていた。
ある長雨が続いた日、事務所を兼ねた自宅脇の商品倉庫に3人が入って行った。なかなか出てこない。「ああ、あの3人、一緒に辞めようと相談しているのではなかろうか」
心配だ。意を決して中に入った。薄暗いのでとっさに「おい、おれも仲間に加えろ。その方が……」と下ネタでジョークを言った。ワッと爆笑の輪が広がった。別に辞める相談ではなかった。私のひと言でパッと雰囲気が明るくなり、その後の仕事も円滑に進んだ。
笑いの効果って、こんなに大きいのか。それからダジャレやジョークを頻繁に使うようになった。最近はそれが習い性になって行きすぎ、「食傷気味だ」と言われるほど周囲の皆さんに迷惑をかけているが。
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