電脳筆写『 心超臨界 』

人間の行動はその人の考えを表す最高の解説者
( ジョン・ロック )

オレンジのゴムボートがきてくれた――桜林美佐さん

2019-11-02 | 03-自己・信念・努力
 「東京裁判史観(自虐史観)を廃して本来の日本を取り戻そう!」
    そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現します。
   ( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f
     ( 東京裁判史観とは → http://tinyurl.com/kkdd29p
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《 いま注目の論点 》
フクシマ50が描く「総理」像――阿比留瑠比・論説委員兼政治部編集委員
【「阿比留瑠比の極言御免」産経新聞 R01(2019).10.31 】
対中政策 日米に相違――古森義久・ワシントン駐在客員特派員
【「緯度 経度」産経新聞 R01(2019).10.29 】
基本的人権と義務は表裏一体だ――福井義高・青山学院大学教授
【「正論」産経新聞 R01(2019).10.25 】
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●オレンジのゴムボートがきてくれた

『日本に自衛隊がいてよかった』https://tinyurl.com/y3bl33ft
【 桜林美佐、潮書房光人新社 (2019/2/22)、p66 】

これは夢なのか、それとも現実なのか……。震災発生から2週間以上が過ぎたが、まだ自問自答してしまう。

被災し、24人が救助された石巻市の幼稚園教諭の言葉からは、津波のすさまじさが伺える。

3月11日、卒園制作ができあがり、あとは5日後の卒園式を待つばかりだった。

午後3時を前にした、その時、突然、尋常ではない揺れに襲われた。

津波がくるまでの間に、迎えに駆け付けた親もいたが、多くが間に合わなかった。

下手に近付けば、家族もろとも危険にさらされる。

間もなくゴーッという音をたてて大津波が来た。

「早く、上へ!」

幼稚園の屋根に上り、子供たちにしっかりつかまるように言い聞かせているうちに、あたり一面が真っ黒な海になった。

「だめ、流される!」

われ知らず、叫んでいた。頭の中が真っ白になり、体中が震えたが、「子供たちを守らなければ」という思いだけが力になった。

寒さと恐怖と不安の中、みんなで体を寄せ合い、声を出したり、笛を吹いたり、携帯電話のライトをかざして救助を待った。

無情にも気温は下がるばかり。耐えかねて屋内に移動するが、波の音が聞こえてくると、即座に屋根に上る。

「きっと助かるからね」

お迎えをじっと待って子供たちを前に、涙など見せられない。

幸運を信じるしかなかった。

朝を迎え、ヘリコプターの音が聞こえてきた。

「ここです! 気付いてください!」

必死に手を振っても、通り過ぎていってしまう。

「早く気付いて」

気持ちが焦るが、救助を待つのは自分たちだけじゃないのだと、ひたすら待った。

しばらくして、彼方からオレンジ色の小さな船が近付いてきた。

海上自衛隊護衛艦「たかなみ」の隊員らが乗ったゴムボートだった。

「今、救助に行きます!」

全身の力が抜け、ずっと堪えていた涙があふれてきた。

「よく頑張ったね。もう大丈夫だよ」

隊員たちが子供たちに次々に声をかけ、頭をなでる。

こわばった子供たちの顔に、みるみる笑顔が戻った。

護衛艦内での温かい食事と入浴。1人ひとりへの気遣いを受け、自分自身の体温が戻るのが分かった。


●もう「ありがとう」しか出てこない

( 同、p69 )

大震災後に津波に遭い、園児たちとともに護衛艦「たかなみ」に救出された宮崎県石巻市の幼稚園教諭。睡眠をとり、食事や入浴のできることに感謝するとともに、他の被災者に申し訳ない気持ちにもなった。

それに、「たかなみ」の乗組員たちは、捜索活動や救助された人々のケアで働きづめのようだ。

ちゃんと休んでいるのだろうか? という思いもよぎる。

乗組員にも家族がいて、聞けば、連絡もてとれていないのだという。

震災が発生した直後、休暇をとっていた者も皆、自分の艦に急行し、取るものも取りあえず出港したため、実際、彼らは家族の安否も確認できていなかった。

それなのに、そんな事情は一切、口に出さず、あの恐ろしい海の中で助けてくれた。

子供たちが不安にならないように、ずっと励ましてくれた。

年の頃も若い自衛官ばかり、年下なのかもしれないが、どれだけ心強かったか分からない。
避難所の人々のために、彼らが懸命におにぎりを握っているのが見えた。

「私たちも手伝います!」

疲労もあったが、何かをしたいという思いがこみ上げてきたのだ。

陸に戻ったら、園児たちを家族の元に、無事に戻さなければならない。

家族と再会できるのかどうか分からず、それまでは、まだまだ気が抜けない。

これからのこと、そして自分の家族のこと、艦を降りたら辛い現実と向き合わなければならないだろう。

そして、乗組員たちにとっても救援活動は、まだまだ始まったばかり。これから、長い活動が続くのだ。

あらゆる思いが去来するが、こうして生きていて、一緒に、誰かのためにおにぎりを握っている自分が、無性に幸せだと感じた。

「先生、どうして、朝から『おはよう』とか『こんにちは』じゃなくて、『ありがとう』ばかり言っているの?」

園児があどけない顔で言う。

「だって……『ありがとう』しか出てこないよ」

海上自衛隊という名前は知ってはいたものの、どんな人たちなのか、ほとんど知らなかった。

しかし、今は違う。子供たちが帽子をかぶったり、敬礼をしている姿を見て、将来は、海上自衛隊のような、優しくて強い大人になってほしいとひそかに思っている。

艦を降りるとき、隊員たちに、心の底からの感謝の言葉とメッセージを残した。

「私たちは絶対に負けません! 強く生きていきます。1人じゃない。助け合って、支え合って生きていきます」

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