「東京裁判史観(自虐史観)を廃して本来の日本を取り戻そう!」
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現します。
( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f )
( 東京裁判史観とは → http://tinyurl.com/kkdd29p )
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《 いま注目の論点 》
★フクシマ50が描く「総理」像――阿比留瑠比・論説委員兼政治部編集委員
【「阿比留瑠比の極言御免」産経新聞 R01(2019).10.31 】
★対中政策 日米に相違――古森義久・ワシントン駐在客員特派員
【「緯度 経度」産経新聞 R01(2019).10.29 】
★基本的人権と義務は表裏一体だ――福井義高・青山学院大学教授
【「正論」産経新聞 R01(2019).10.25 】
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●オレンジのゴムボートがきてくれた
『日本に自衛隊がいてよかった』https://tinyurl.com/y3bl33ft
【 桜林美佐、潮書房光人新社 (2019/2/22)、p66 】
これは夢なのか、それとも現実なのか……。震災発生から2週間以上が過ぎたが、まだ自問自答してしまう。
被災し、24人が救助された石巻市の幼稚園教諭の言葉からは、津波のすさまじさが伺える。
3月11日、卒園制作ができあがり、あとは5日後の卒園式を待つばかりだった。
午後3時を前にした、その時、突然、尋常ではない揺れに襲われた。
津波がくるまでの間に、迎えに駆け付けた親もいたが、多くが間に合わなかった。
下手に近付けば、家族もろとも危険にさらされる。
間もなくゴーッという音をたてて大津波が来た。
「早く、上へ!」
幼稚園の屋根に上り、子供たちにしっかりつかまるように言い聞かせているうちに、あたり一面が真っ黒な海になった。
「だめ、流される!」
われ知らず、叫んでいた。頭の中が真っ白になり、体中が震えたが、「子供たちを守らなければ」という思いだけが力になった。
寒さと恐怖と不安の中、みんなで体を寄せ合い、声を出したり、笛を吹いたり、携帯電話のライトをかざして救助を待った。
無情にも気温は下がるばかり。耐えかねて屋内に移動するが、波の音が聞こえてくると、即座に屋根に上る。
「きっと助かるからね」
お迎えをじっと待って子供たちを前に、涙など見せられない。
幸運を信じるしかなかった。
朝を迎え、ヘリコプターの音が聞こえてきた。
「ここです! 気付いてください!」
必死に手を振っても、通り過ぎていってしまう。
「早く気付いて」
気持ちが焦るが、救助を待つのは自分たちだけじゃないのだと、ひたすら待った。
しばらくして、彼方からオレンジ色の小さな船が近付いてきた。
海上自衛隊護衛艦「たかなみ」の隊員らが乗ったゴムボートだった。
「今、救助に行きます!」
全身の力が抜け、ずっと堪えていた涙があふれてきた。
「よく頑張ったね。もう大丈夫だよ」
隊員たちが子供たちに次々に声をかけ、頭をなでる。
こわばった子供たちの顔に、みるみる笑顔が戻った。
護衛艦内での温かい食事と入浴。1人ひとりへの気遣いを受け、自分自身の体温が戻るのが分かった。
●もう「ありがとう」しか出てこない
( 同、p69 )
大震災後に津波に遭い、園児たちとともに護衛艦「たかなみ」に救出された宮崎県石巻市の幼稚園教諭。睡眠をとり、食事や入浴のできることに感謝するとともに、他の被災者に申し訳ない気持ちにもなった。
それに、「たかなみ」の乗組員たちは、捜索活動や救助された人々のケアで働きづめのようだ。
ちゃんと休んでいるのだろうか? という思いもよぎる。
乗組員にも家族がいて、聞けば、連絡もてとれていないのだという。
震災が発生した直後、休暇をとっていた者も皆、自分の艦に急行し、取るものも取りあえず出港したため、実際、彼らは家族の安否も確認できていなかった。
それなのに、そんな事情は一切、口に出さず、あの恐ろしい海の中で助けてくれた。
子供たちが不安にならないように、ずっと励ましてくれた。
年の頃も若い自衛官ばかり、年下なのかもしれないが、どれだけ心強かったか分からない。
避難所の人々のために、彼らが懸命におにぎりを握っているのが見えた。
「私たちも手伝います!」
疲労もあったが、何かをしたいという思いがこみ上げてきたのだ。
陸に戻ったら、園児たちを家族の元に、無事に戻さなければならない。
家族と再会できるのかどうか分からず、それまでは、まだまだ気が抜けない。
これからのこと、そして自分の家族のこと、艦を降りたら辛い現実と向き合わなければならないだろう。
そして、乗組員たちにとっても救援活動は、まだまだ始まったばかり。これから、長い活動が続くのだ。
あらゆる思いが去来するが、こうして生きていて、一緒に、誰かのためにおにぎりを握っている自分が、無性に幸せだと感じた。
「先生、どうして、朝から『おはよう』とか『こんにちは』じゃなくて、『ありがとう』ばかり言っているの?」
園児があどけない顔で言う。
「だって……『ありがとう』しか出てこないよ」
海上自衛隊という名前は知ってはいたものの、どんな人たちなのか、ほとんど知らなかった。
しかし、今は違う。子供たちが帽子をかぶったり、敬礼をしている姿を見て、将来は、海上自衛隊のような、優しくて強い大人になってほしいとひそかに思っている。
艦を降りるとき、隊員たちに、心の底からの感謝の言葉とメッセージを残した。
「私たちは絶対に負けません! 強く生きていきます。1人じゃない。助け合って、支え合って生きていきます」
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◆お勧め情報【 拡散希望 】
日本が東京裁判史観の呪縛から解き放たれるために
★「東京裁判史観」
★「WGIPの洗脳にかかったままの日本」
★「今も生きているプレス・コード」
★「GHQ焚書図書」
★「公職追放が『敗戦利得者』を生み出した」
★「『進歩的文化人』という名の国賊12人」
★「真珠湾攻撃の真実」
★「南京大虐殺というプロパガンダ」
★「歴史教科書問題から生まれた近隣諸国条項」
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そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現します。
( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f )
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★フクシマ50が描く「総理」像――阿比留瑠比・論説委員兼政治部編集委員
【「阿比留瑠比の極言御免」産経新聞 R01(2019).10.31 】
★対中政策 日米に相違――古森義久・ワシントン駐在客員特派員
【「緯度 経度」産経新聞 R01(2019).10.29 】
★基本的人権と義務は表裏一体だ――福井義高・青山学院大学教授
【「正論」産経新聞 R01(2019).10.25 】
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『日本に自衛隊がいてよかった』https://tinyurl.com/y3bl33ft
【 桜林美佐、潮書房光人新社 (2019/2/22)、p66 】
これは夢なのか、それとも現実なのか……。震災発生から2週間以上が過ぎたが、まだ自問自答してしまう。
被災し、24人が救助された石巻市の幼稚園教諭の言葉からは、津波のすさまじさが伺える。
3月11日、卒園制作ができあがり、あとは5日後の卒園式を待つばかりだった。
午後3時を前にした、その時、突然、尋常ではない揺れに襲われた。
津波がくるまでの間に、迎えに駆け付けた親もいたが、多くが間に合わなかった。
下手に近付けば、家族もろとも危険にさらされる。
間もなくゴーッという音をたてて大津波が来た。
「早く、上へ!」
幼稚園の屋根に上り、子供たちにしっかりつかまるように言い聞かせているうちに、あたり一面が真っ黒な海になった。
「だめ、流される!」
われ知らず、叫んでいた。頭の中が真っ白になり、体中が震えたが、「子供たちを守らなければ」という思いだけが力になった。
寒さと恐怖と不安の中、みんなで体を寄せ合い、声を出したり、笛を吹いたり、携帯電話のライトをかざして救助を待った。
無情にも気温は下がるばかり。耐えかねて屋内に移動するが、波の音が聞こえてくると、即座に屋根に上る。
「きっと助かるからね」
お迎えをじっと待って子供たちを前に、涙など見せられない。
幸運を信じるしかなかった。
朝を迎え、ヘリコプターの音が聞こえてきた。
「ここです! 気付いてください!」
必死に手を振っても、通り過ぎていってしまう。
「早く気付いて」
気持ちが焦るが、救助を待つのは自分たちだけじゃないのだと、ひたすら待った。
しばらくして、彼方からオレンジ色の小さな船が近付いてきた。
海上自衛隊護衛艦「たかなみ」の隊員らが乗ったゴムボートだった。
「今、救助に行きます!」
全身の力が抜け、ずっと堪えていた涙があふれてきた。
「よく頑張ったね。もう大丈夫だよ」
隊員たちが子供たちに次々に声をかけ、頭をなでる。
こわばった子供たちの顔に、みるみる笑顔が戻った。
護衛艦内での温かい食事と入浴。1人ひとりへの気遣いを受け、自分自身の体温が戻るのが分かった。
●もう「ありがとう」しか出てこない
( 同、p69 )
大震災後に津波に遭い、園児たちとともに護衛艦「たかなみ」に救出された宮崎県石巻市の幼稚園教諭。睡眠をとり、食事や入浴のできることに感謝するとともに、他の被災者に申し訳ない気持ちにもなった。
それに、「たかなみ」の乗組員たちは、捜索活動や救助された人々のケアで働きづめのようだ。
ちゃんと休んでいるのだろうか? という思いもよぎる。
乗組員にも家族がいて、聞けば、連絡もてとれていないのだという。
震災が発生した直後、休暇をとっていた者も皆、自分の艦に急行し、取るものも取りあえず出港したため、実際、彼らは家族の安否も確認できていなかった。
それなのに、そんな事情は一切、口に出さず、あの恐ろしい海の中で助けてくれた。
子供たちが不安にならないように、ずっと励ましてくれた。
年の頃も若い自衛官ばかり、年下なのかもしれないが、どれだけ心強かったか分からない。
避難所の人々のために、彼らが懸命におにぎりを握っているのが見えた。
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疲労もあったが、何かをしたいという思いがこみ上げてきたのだ。
陸に戻ったら、園児たちを家族の元に、無事に戻さなければならない。
家族と再会できるのかどうか分からず、それまでは、まだまだ気が抜けない。
これからのこと、そして自分の家族のこと、艦を降りたら辛い現実と向き合わなければならないだろう。
そして、乗組員たちにとっても救援活動は、まだまだ始まったばかり。これから、長い活動が続くのだ。
あらゆる思いが去来するが、こうして生きていて、一緒に、誰かのためにおにぎりを握っている自分が、無性に幸せだと感じた。
「先生、どうして、朝から『おはよう』とか『こんにちは』じゃなくて、『ありがとう』ばかり言っているの?」
園児があどけない顔で言う。
「だって……『ありがとう』しか出てこないよ」
海上自衛隊という名前は知ってはいたものの、どんな人たちなのか、ほとんど知らなかった。
しかし、今は違う。子供たちが帽子をかぶったり、敬礼をしている姿を見て、将来は、海上自衛隊のような、優しくて強い大人になってほしいとひそかに思っている。
艦を降りるとき、隊員たちに、心の底からの感謝の言葉とメッセージを残した。
「私たちは絶対に負けません! 強く生きていきます。1人じゃない。助け合って、支え合って生きていきます」
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日本が東京裁判史観の呪縛から解き放たれるために
★「東京裁判史観」
★「WGIPの洗脳にかかったままの日本」
★「今も生きているプレス・コード」
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★「公職追放が『敗戦利得者』を生み出した」
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★「真珠湾攻撃の真実」
★「南京大虐殺というプロパガンダ」
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