電脳筆写『 心超臨界 』

忍耐は力だ! 忍耐の時が過ぎれば
桑の葉がやがてシルクのガウンになる
( 中国のことわざ )

人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える――森信三

2024-03-09 | 07-宇宙・遺伝子・潜在意識
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人生において起こる出来事に意味がないものはない。必ず意味があって起こる。したがってその出来事から天のメッセージを汲み取ったら、人生は豊かに開けていくのだが、多くは不運をかこち、人のせいにする。そして自ら好機を逸するのだ。残念ながら何度か痛い目に遭わなければ、それに気付かないのが人間かもしれない。


◆人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える

『「人生二度なし」森信三の世界』
( 神渡良平、佼成出版社 (2001/5/1)、p65 )

昭和6(1931)年3月、森は京都帝国大学大学院5ヵ年の過程を修了し、首席で卒業した。しかし森には京都帝国大学の研究室からも、系列の大学からも、母校の広島高等師範からも声がかからなかった。やむなく、大学院時代、アルバイトで通っていた天王寺師範に、専任教諭として就職することになった。

移り住んだのは大阪市の南郊外、田辺西之町7丁目である。一歩外に出ると、一面に畑が広がっており、道路のそこここに剥き出しの赤土が露呈していた。8年間慣れ親しんだ京都の、樹木の一本一本にも学問の香りが染み付いている雰囲気とはまるで違う。

(ああ、ついに学問の都を離れたのだ・・・・・・)

という寂寥(せきりょう)感が身を包み、「天地の間(かん)に唯一人立つ」感慨が身を貫いた。

(中略)

天は森の魂の成長のため、絶対必然即絶対最善と思い、京洛の地より隔絶したのに、当の本人は如是の真意を理解できず、いたずらに憶脳の底に沈んでいた。私はそこに、「ここでいじけてはならない。この坂を見事に越えてほしい」と祈るような思いで見詰めている天をよそに、一人悲哀を託(かこ)っている人間の常なる姿を見る思いがした。

その境遇が自分の目から見て不遇だったら、嘆き悲しむ人間――。
そこには天の深慮があるというのに、それが見えず、いたずらにはかなんでしまう人間――。
すべてのことを導いておられる天を信じて、受け入れることができたら、くよくよ悩まずにすむのに、どうしても近視眼的にしかものをみることができない人間――。

私は森の「自伝」を読みながら、天の慮(おもんばか)りと人間の視点の格差を思わざるを得なかった。この森の体験と内省が、次の言葉に結晶してゆくのである。

「絶対不可避なる事は即絶対必然にしてこれ『天意』と心得べし」

「人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に――」

人生において起こる出来事に意味がないものはない。必ず意味があって起こる。したがってその出来事から天のメッセージを汲み取ったら、人生は豊かに開けていくのだが、多くは不運をかこち、人のせいにする。そして自ら好機を逸するのだ。残念ながら何度か痛い目に遭わなければ、それに気付かないのが人間かもしれない。
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