電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『南京問題終結宣言がYouTubeより削除されました』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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◆子貢曰く、貧にして諂(へつら)うことなく、富みて驕るなきは何如(いかん)
『現代語訳 論語』
( 宮崎市定、岩波書店 (2000/5/16)、p17 )
学而第一(1~16)
15 子貢曰。貧而無諂。富而無驕。何如。子曰。可也。未若貧而楽道。富而好礼者也。子貢曰。詩云。如切如磋。如琢如磨。其斯之謂与。子曰。賜也。始可与言詩已矣。告諸往而知来者。
(訓) 子貢曰く、貧にして諂(へつら)うことなく、富みて驕るなきは何如(いかん)。子曰く、可なり。未だ貧にして道を楽しみ、富みて礼を好む者に若かざるなり。子貢曰く、詩に云う、切するが如く磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く磨するが如し、と。其れ斯れの謂いか。子曰く、賜(し)や、始めて与に詩を言うべきのみ。これに往くを告げて、来るを知る者なればなり。
(新) 子貢曰く、貧乏だからといって金持に諂うことなく、金持になったからといって貧乏人に驕ることがないならば如何でしょうか。子曰く、それはそれでよい。しかし貧乏人が貧乏を意識せずに人間の生き方を求めて満足し、金持が金のことを忘れて謙遜な暮しに心がける方が、もっと望ましい。子貢曰く、詩経の中に、(人生勉強は)玉や象牙をば切断したあと金剛砂でみがきだす如く、彫刻したあと砥草(とくさ)で滑かにするが如く、という句がありますが、いま仰ったことでこの詩の意味が分かりました。子曰く、賜(し)や、お前はどうやら詩経を勉強する資格があるらしいぞ。一度つれて往ってやっただけで、その道筋をすっかり覚えこんでしまう才能がある。
中国系の諸本には貧而楽、の下に道という字がないが、これは日本に伝わる写本によって道の字を補った方が宜しい。切磋と琢磨とはいずれも粗削りしたあと、美しく仕上げをする意味と思われる。子貢の言ったことは、いわば粗削りに類し、それが孔子の手によって磨きをかけられたわけで、勉強の道は奥深いものだと子貢が感心したのである。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『南京問題終結宣言がYouTubeより削除されました』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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◆子貢曰く、貧にして諂(へつら)うことなく、富みて驕るなきは何如(いかん)
『現代語訳 論語』
( 宮崎市定、岩波書店 (2000/5/16)、p17 )
学而第一(1~16)
15 子貢曰。貧而無諂。富而無驕。何如。子曰。可也。未若貧而楽道。富而好礼者也。子貢曰。詩云。如切如磋。如琢如磨。其斯之謂与。子曰。賜也。始可与言詩已矣。告諸往而知来者。
(訓) 子貢曰く、貧にして諂(へつら)うことなく、富みて驕るなきは何如(いかん)。子曰く、可なり。未だ貧にして道を楽しみ、富みて礼を好む者に若かざるなり。子貢曰く、詩に云う、切するが如く磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く磨するが如し、と。其れ斯れの謂いか。子曰く、賜(し)や、始めて与に詩を言うべきのみ。これに往くを告げて、来るを知る者なればなり。
(新) 子貢曰く、貧乏だからといって金持に諂うことなく、金持になったからといって貧乏人に驕ることがないならば如何でしょうか。子曰く、それはそれでよい。しかし貧乏人が貧乏を意識せずに人間の生き方を求めて満足し、金持が金のことを忘れて謙遜な暮しに心がける方が、もっと望ましい。子貢曰く、詩経の中に、(人生勉強は)玉や象牙をば切断したあと金剛砂でみがきだす如く、彫刻したあと砥草(とくさ)で滑かにするが如く、という句がありますが、いま仰ったことでこの詩の意味が分かりました。子曰く、賜(し)や、お前はどうやら詩経を勉強する資格があるらしいぞ。一度つれて往ってやっただけで、その道筋をすっかり覚えこんでしまう才能がある。
中国系の諸本には貧而楽、の下に道という字がないが、これは日本に伝わる写本によって道の字を補った方が宜しい。切磋と琢磨とはいずれも粗削りしたあと、美しく仕上げをする意味と思われる。子貢の言ったことは、いわば粗削りに類し、それが孔子の手によって磨きをかけられたわけで、勉強の道は奥深いものだと子貢が感心したのである。