「東京裁判史観(自虐史観)を廃して本来の日本を取り戻そう!」
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現します。
( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f )
( 東京裁判史観とは → http://tinyurl.com/kkdd29p )
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《 いま注目の論点 》
★しらじらしい桜を見る会騒ぎ――阿比留瑠比・論説委員兼政治部編集委員
【「阿比留瑠比の極言御免」産経新聞 R01(2019).11.14 】
★台風19号被害は「人災」である――藤井聡・京都大学大学院教授
【「正論」産経新聞 R01(2019).11.12 】
★共産主義を批判する欧州の動き――江崎道朗・拓殖大学大学院客員教授/評論家
【「正論」産経新聞 R01(2019).11.08 】
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精神を浄化するパヴァーヌ――湯浅博・東京特派員
【「東京特派員」産経新聞 R01(2019).11.12 】
本社14階にある論説委員室で、会議のさなかに消音中のテレビに目を向けた。ピアニストが弾く音のない画面に「透ける王女のためのパヴァーヌ」のテロップが流れた。とたんに、頭の中を優雅な旋律がゆるゆると駆け巡った。
その夜、帰宅すると、室内を暗くしてラヴェル作曲のパヴァーヌを聴いた。わずか7分ほどの小品だが、虚心平然として聴き入ると、宮廷舞曲にのって貴婦人が現われるようだ。と、一転して場面は、ヒマラヤに連なる山々や、中央アジアの砂漠地帯に変る。
かつて、シンガポールを取材基地に移動特派員をしていた頃、旅の友はそのラヴェルやブルックナーなど10枚ほどのCDだった。ザックには寝袋に、原稿用のパソコン、衛星電話、小型のスピーカーを放り込んでいた。
雪のダラムサラの古ぼけたホテルや、砂塵(さじん)のカブールで借りた民家でも、原稿を送り終わったあとの楽しみは音楽だった。パソコンにスピーカーをつなげて手持ちのCDラックから、場違いなラヴェルを取り出してみる。
剣豪作家の五味康祐は、ト長調の繊細なパヴァーヌを聴くたびに、人生の移ろいを人一倍感じていた、と何かで読んだことがある。彼らにとっては終戦後の自堕落な生活を覚醒させた1曲なのかもしれず、筆者には荒々しい辺境取材後の浄化のようなものであった。
五味が生れた大正10年に父が死に、母方の実家で育てられた。祖父は大阪南地の劇場経営者で、当時としては珍しい蓄音機やSPレコードに囲まれていた。早稲田第二高等学院では、日本浪漫派の保田与重郎に傾倒して師と仰ぐ。明治大学に進むと、学徒出陣で中国大陸に渡り、戦地で3年を過ごす。が、復員すると、実家はすべて焼失していた。
五味の精神は驚くほど繊細であった。流浪のうちに麻薬中毒になり、妻、千鶴子と始めたお汁粉屋の商売にも失敗した。妻は実家に帰り、五味はガード下の生活を余儀なくされた。
ある雪の日、神保町の「レコード社」の前を通りかかると、慣れ親しんだ音楽が、雪と一緒に天から降りてきた。あれはフォーレの「バルカローレ集」か、ラヴェルの「透ける王女のためのパヴァーヌ」であったか。
店先で涙を流す青年に店主が気づいて、「寒いから中でお聴きなさい」と声をかけた。店主は五味の身の上を聞き、後日、部類のオーディオファンである「新潮」の編集長、斎藤十一に紹介してくれた。これが五味にとり運命の出会いになる。
この時の店主が、SP,LPを扱うレコード社の伊東正章さん(47)の祖父、譲さんである。譲さんの世話で、五味は鎌倉の斎藤邸でベートーベンの「交響曲第7番」を聴く。かの美しい曲が、たちまち五味を覚醒させ、「レコードを聴く生活にかえってみよう」(『五味康祐・オーディオ巡礼』)と奮い立たされた。
この出会いから、レコードを聴くために売れる小説を書く決心をする。必死に書いた小説「喪神」が、たった一度の挑戦で昭和28年に芥川賞を受賞してしまう。作家の誕生である。
彼は「五味の柳生か、柳生の五味か」と評されるほどの剣豪作家になった。深夜テレビでは、麻雀の達人というイメージばかりが先行した。それが練馬区文化振興協会の学芸員、山城千恵子さんとの遭遇で覆された。実像は文学への懊悩(おうのう)の日々であり、聖なるオーディアの巡礼者であった。
以前、山城さんに案内された時は、練馬区役所4階の会議室に、遺族から寄贈された巨大なスピーカーがデンと構えていた。人の高さに、幅1メートルもある巨漢だ。オーディオ史上屈指の名品「タンノイ・オートグラフ」である。
五味が慈しんできた名器たちは、いま、練馬区立石神井公園ふるさと文化館の分室2階に終(つい)の棲家(すみか)を得て、多くのファンに語りかけている。
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◆お勧め情報【 拡散希望 】
日本が東京裁判史観の呪縛から解き放たれるために
★「東京裁判史観」
★「WGIPの洗脳にかかったままの日本」
★「今も生きているプレス・コード」
★「GHQ焚書図書」
★「公職追放が『敗戦利得者』を生み出した」
★「『進歩的文化人』という名の国賊12人」
★「真珠湾攻撃の真実」
★「南京大虐殺というプロパガンダ」
★「歴史教科書問題から生まれた近隣諸国条項」
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そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現します。
( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f )
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《 いま注目の論点 》
★しらじらしい桜を見る会騒ぎ――阿比留瑠比・論説委員兼政治部編集委員
【「阿比留瑠比の極言御免」産経新聞 R01(2019).11.14 】
★台風19号被害は「人災」である――藤井聡・京都大学大学院教授
【「正論」産経新聞 R01(2019).11.12 】
★共産主義を批判する欧州の動き――江崎道朗・拓殖大学大学院客員教授/評論家
【「正論」産経新聞 R01(2019).11.08 】
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精神を浄化するパヴァーヌ――湯浅博・東京特派員
【「東京特派員」産経新聞 R01(2019).11.12 】
本社14階にある論説委員室で、会議のさなかに消音中のテレビに目を向けた。ピアニストが弾く音のない画面に「透ける王女のためのパヴァーヌ」のテロップが流れた。とたんに、頭の中を優雅な旋律がゆるゆると駆け巡った。
その夜、帰宅すると、室内を暗くしてラヴェル作曲のパヴァーヌを聴いた。わずか7分ほどの小品だが、虚心平然として聴き入ると、宮廷舞曲にのって貴婦人が現われるようだ。と、一転して場面は、ヒマラヤに連なる山々や、中央アジアの砂漠地帯に変る。
かつて、シンガポールを取材基地に移動特派員をしていた頃、旅の友はそのラヴェルやブルックナーなど10枚ほどのCDだった。ザックには寝袋に、原稿用のパソコン、衛星電話、小型のスピーカーを放り込んでいた。
雪のダラムサラの古ぼけたホテルや、砂塵(さじん)のカブールで借りた民家でも、原稿を送り終わったあとの楽しみは音楽だった。パソコンにスピーカーをつなげて手持ちのCDラックから、場違いなラヴェルを取り出してみる。
剣豪作家の五味康祐は、ト長調の繊細なパヴァーヌを聴くたびに、人生の移ろいを人一倍感じていた、と何かで読んだことがある。彼らにとっては終戦後の自堕落な生活を覚醒させた1曲なのかもしれず、筆者には荒々しい辺境取材後の浄化のようなものであった。
五味が生れた大正10年に父が死に、母方の実家で育てられた。祖父は大阪南地の劇場経営者で、当時としては珍しい蓄音機やSPレコードに囲まれていた。早稲田第二高等学院では、日本浪漫派の保田与重郎に傾倒して師と仰ぐ。明治大学に進むと、学徒出陣で中国大陸に渡り、戦地で3年を過ごす。が、復員すると、実家はすべて焼失していた。
五味の精神は驚くほど繊細であった。流浪のうちに麻薬中毒になり、妻、千鶴子と始めたお汁粉屋の商売にも失敗した。妻は実家に帰り、五味はガード下の生活を余儀なくされた。
ある雪の日、神保町の「レコード社」の前を通りかかると、慣れ親しんだ音楽が、雪と一緒に天から降りてきた。あれはフォーレの「バルカローレ集」か、ラヴェルの「透ける王女のためのパヴァーヌ」であったか。
店先で涙を流す青年に店主が気づいて、「寒いから中でお聴きなさい」と声をかけた。店主は五味の身の上を聞き、後日、部類のオーディオファンである「新潮」の編集長、斎藤十一に紹介してくれた。これが五味にとり運命の出会いになる。
この時の店主が、SP,LPを扱うレコード社の伊東正章さん(47)の祖父、譲さんである。譲さんの世話で、五味は鎌倉の斎藤邸でベートーベンの「交響曲第7番」を聴く。かの美しい曲が、たちまち五味を覚醒させ、「レコードを聴く生活にかえってみよう」(『五味康祐・オーディオ巡礼』)と奮い立たされた。
この出会いから、レコードを聴くために売れる小説を書く決心をする。必死に書いた小説「喪神」が、たった一度の挑戦で昭和28年に芥川賞を受賞してしまう。作家の誕生である。
彼は「五味の柳生か、柳生の五味か」と評されるほどの剣豪作家になった。深夜テレビでは、麻雀の達人というイメージばかりが先行した。それが練馬区文化振興協会の学芸員、山城千恵子さんとの遭遇で覆された。実像は文学への懊悩(おうのう)の日々であり、聖なるオーディアの巡礼者であった。
以前、山城さんに案内された時は、練馬区役所4階の会議室に、遺族から寄贈された巨大なスピーカーがデンと構えていた。人の高さに、幅1メートルもある巨漢だ。オーディオ史上屈指の名品「タンノイ・オートグラフ」である。
五味が慈しんできた名器たちは、いま、練馬区立石神井公園ふるさと文化館の分室2階に終(つい)の棲家(すみか)を得て、多くのファンに語りかけている。
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◆お勧め情報【 拡散希望 】
日本が東京裁判史観の呪縛から解き放たれるために
★「東京裁判史観」
★「WGIPの洗脳にかかったままの日本」
★「今も生きているプレス・コード」
★「GHQ焚書図書」
★「公職追放が『敗戦利得者』を生み出した」
★「『進歩的文化人』という名の国賊12人」
★「真珠湾攻撃の真実」
★「南京大虐殺というプロパガンダ」
★「歴史教科書問題から生まれた近隣諸国条項」
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