電脳筆写『 心超臨界 』

人生は良いカードを手にすることではない
手持ちのカードで良いプレーをすることにあるのだ
ジョッシュ・ビリングス

「鏡獅子」の完成は、その制作活動の大きな転換点でもあった――平櫛田中

2008-10-14 | 03-自己・信念・努力
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 彼らの第4コーナー「平櫛田中」
  [1] 百歳超え なお創作意欲燃やす
  [2] 大きな転換点になった「鏡獅子」
  [3] 絶大な影響を与えた2人の師
  [4] 拙を守り真を求めた生涯


平櫛田中 [2]――大きな転換点になった「鏡獅子」
【「彼らの第4コーナー」08.10.12日経新聞(朝刊)】

東京・三宅坂の国立劇場。1階ロビーに入ると、あでやかな彫像「鏡獅子」が迎えてくれる。「田中の思い入れがあり、深い愛着を持つ、まさに人生をかけて制作した作品。彼の集大成だったと思います」。小平市平櫛田中彫刻美術館の藤井明学芸員はこう語る。

「わしがもしものことがあって、鏡獅子を仕上げられなかったら、あの世で六代目菊五郎に合わせる顔がない」。田中がこうした思いで自らを奮い立たせたほど、鏡獅子はモデルの尾上菊五郎との“共同作品”でもあった。

名優菊五郎の舞台を見て制作を思い立ったのは、1936年のこと。翌年には、その構想を練るため25日間も歌舞伎座に通い詰め、菊五郎の舞台をさまざまな角度から観察した。

舞台をじっとみていたある日、一瞬の姿をとらえ、「これだ」と作品の構想を固めた。「このポーズを彫りたい」という田中の願いに菊五郎は快く応じた。それからは何回となくアトリエに通う菊五郎の姿が見られた。菊五郎はこの時の田中の見つめる目を「まるで踊りの名人の目だ」と語ったという。

こうして始まった「鏡獅子」の制作。大きな木に張り付くように、ひとノミ、ひとノミ、全身全霊を打ち込んで制作に挑む。途中、第二次世界大戦による中断などもあったが、この力作は58年についに完成した。ときに田中、86歳だった。

約20年の歳月を費やして完成した「鏡獅子」。「六代目さん、ようやっとできましたよ」と田中が思わず語りかけたこの像は、木彫彩色で華麗雄大、高さは2メートルあまりという大作。58年の第43回院展にも出品された。また、66年には、新しくつくられた国立劇場のロビーに据えられた。

ときには、「あの人は人形師の出だから」などといった評も受けながら、伝統木彫の近代化のために苦闘してきた田中。それだけに、「鏡獅子」への思いは熱く、こう語ったものだ。そう『転生』の方がいいかも知れません。でもとにかく『鏡獅子』には骨が折れていますもの(略)何が代表作かと問われればやっぱり『鏡獅子』をあげるでしょう。いいか悪いかより、私にはあれが一番かわいいですよ」(「現代の眼」68年1月号、東京国立近代美術館)

全霊を傾けてきた「鏡獅子」の完成は、その制作活動の大きな転換点でもあった。

「やり遂げたという達成感、充実感からか、それ以後の田中さんの作品は、より形が単純化する傾向になりました。また芭蕉や良寛など史上の人物を題材にした作品が増えましたが、彼らに理想の境地を見いだしたのかも知れません」(藤井学芸員)

(特別編集委員・栩木誠)

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