電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく次世代へつなぎたいと願っております。
その願いを実現するために有効と思われる記事を書きためてきました。
本ブログは19年に及ぶ私の記憶データを収納した貯蔵庫(ラヤ)です。
あなたの気になるキーワードをブログ内検索してみてください。
ユングが唱えた「集合的無意識」を顕在化できるかもしれません。
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東京裁判史観の虚妄を粉砕し本当の日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する。
( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f )
( 東京裁判史観とは → https://tinyurl.com/ugz9qah )
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《 拡散希望 》
★『三浦春馬さんと渡辺裕之さんの最終作品監督が同一人物の不思議◇靖国神社「みたま祭り」の献灯は良識派日本人の爆発的意思表示になる』
★『三浦春馬さん以降、また渡辺裕之さんの死因を誘導するように「命の電話」を表記するテレビ局は闇を知っているのですか⁉️』
★『アドミラル東郷ビールに継いで「ジェネラル樋口季一郎ビール」の製造を小樽ビールに要請してください』
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《 注目の論点 》
★野口英世・偽りの偉人伝象――福岡伸一
★いまこそ「満洲放棄論」に学べ――宮崎正弘
★世紀の愚将・山本五十六――倉山満
★戦後の「野蛮な」芸術――田中英道
★人はなぜ若いときにリベラルに惹かれるのか――竹内久美子
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歴史における李方子妃の存在は、韓国ウオッチャーにとってはいつも気になってきた。日本人として日韓関係における“歴史的苦労”を彼女に背負わせてきたという申し訳ない感じがあり、あるいは彼女には日本女性としてのすごいガンバリの印象もまたあって、その存在は長く記憶されるべきだと思ってきた。
◆今なぜ李方子(イパンジャ)妃なのか――黒田勝弘・ソウル駐在客員論説委員
(「から(韓)くに便り」産経新聞 R02(2020).01.26 )
日本の雑誌『文芸春秋』に今年1月号から人気作家、林真理子さんの小説『李王家の縁談』が連載されている。今からちょうど100年前、日本の統治下にあった韓国の李王家に日本の皇族から嫁がれた李方子(イパンジャ)妃(1901~89年)の物語で、佐賀県の旧鍋島藩主の流れをくむ母・梨本宮伊都子(なしもとのみやいつこ)妃のことから始まっている。
梨本宮家の娘・方子(まさこ)妃は昭和天皇の皇太子時代にお妃(きさき)候補のひとりだったことでも知られるが、結局、韓国の李王家最後の皇太子・李垠(イウン)殿下と結婚する。歴史的には日韓融和のためのいわゆる“政略結婚”だったといわれるが、小説では、方子妃が後の昭和天皇の皇太子妃としての可能性がなくなったことが李王家への縁談につながったという、興味深い設定になっている。
今なぜ李方子妃なのか、林真理子さんの執筆動機は分からない。しかしひょっとして今年がその“日韓婚姻”から100年ということで思い立ったのかもしれない。ちなみに結婚は大正9(1920)年4月28日である。
激動の日韓史を生き抜いた方子妃は戦後、夫・李垠殿下に先立たれた後も韓国に住み、障害者福祉に献身され韓国国民から尊敬された。亡くなられたのが平成元(1989)年4月30日、昭和天皇と同じ年の生まれだったが、くしくも同じ年に亡くなられた。
昨年はその30年忌だったのに、日韓双方でさしたる行事もなく、ことさらその記憶をあらたにする機会はなかった。
歴史における李方子妃の存在は、韓国ウオッチャーにとってはいつも気になってきた。日本人として日韓関係における“歴史的苦労”を彼女に背負わせてきたという申し訳ない感じがあり、あるいは彼女には日本女性としてのすごいガンバリの印象もまたあって、その存在は長く記憶されるべきだと思ってきた。
そこで韓国ウオッチャーとしてこれまでささやかに書き残してもきた(『韓国への足跡』角川書店)が、本紙の外信コラム『ソウルからヨボセヨ』(昨年9月14日付)で「李方子女史作品展」を通じ記憶と追慕の努力を続けている篤志家、鄭夏根(チョンハグン)氏(68)を紹介したのもその一環だった。
鄭氏は古美術商だが商売抜きで李方子妃の遺品や遺作を集め、彼女を記憶にとどめるためまったくの自費で展示会を開催してきた。彼女には障害者福祉の資金集めで制作された書画や焼き物などが多く残されている。展示会には日本からの参観者もあった。
そこで彼の願いは「ご成婚100年」の今年、日本で作品展を開催することだが、これがなかなかうまくいかない。
筆者もお手伝いさせてもらっているが、このところの日韓関係の悪化でみんな腰が重い。協力を打診しても「政治的リスク」などを理由に腰が引ける。「今年の日本はオリンピックで忙しい。オリンピック後には何とかなるでしょう…」と慰めているのだが。
それにしても「韓国の土となった方子妃」を顕彰し語り継ぐ組織が、いまだ日本にまったくないというのは実に寂しい。
日本の歴史、伝統、文化を正しく次世代へつなぎたいと願っております。
その願いを実現するために有効と思われる記事を書きためてきました。
本ブログは19年に及ぶ私の記憶データを収納した貯蔵庫(ラヤ)です。
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ユングが唱えた「集合的無意識」を顕在化できるかもしれません。
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東京裁判史観の虚妄を粉砕し本当の日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する。
( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f )
( 東京裁判史観とは → https://tinyurl.com/ugz9qah )
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《 拡散希望 》
★『三浦春馬さんと渡辺裕之さんの最終作品監督が同一人物の不思議◇靖国神社「みたま祭り」の献灯は良識派日本人の爆発的意思表示になる』
★『三浦春馬さん以降、また渡辺裕之さんの死因を誘導するように「命の電話」を表記するテレビ局は闇を知っているのですか⁉️』
★『アドミラル東郷ビールに継いで「ジェネラル樋口季一郎ビール」の製造を小樽ビールに要請してください』
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《 注目の論点 》
★野口英世・偽りの偉人伝象――福岡伸一
★いまこそ「満洲放棄論」に学べ――宮崎正弘
★世紀の愚将・山本五十六――倉山満
★戦後の「野蛮な」芸術――田中英道
★人はなぜ若いときにリベラルに惹かれるのか――竹内久美子
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歴史における李方子妃の存在は、韓国ウオッチャーにとってはいつも気になってきた。日本人として日韓関係における“歴史的苦労”を彼女に背負わせてきたという申し訳ない感じがあり、あるいは彼女には日本女性としてのすごいガンバリの印象もまたあって、その存在は長く記憶されるべきだと思ってきた。
◆今なぜ李方子(イパンジャ)妃なのか――黒田勝弘・ソウル駐在客員論説委員
(「から(韓)くに便り」産経新聞 R02(2020).01.26 )
日本の雑誌『文芸春秋』に今年1月号から人気作家、林真理子さんの小説『李王家の縁談』が連載されている。今からちょうど100年前、日本の統治下にあった韓国の李王家に日本の皇族から嫁がれた李方子(イパンジャ)妃(1901~89年)の物語で、佐賀県の旧鍋島藩主の流れをくむ母・梨本宮伊都子(なしもとのみやいつこ)妃のことから始まっている。
梨本宮家の娘・方子(まさこ)妃は昭和天皇の皇太子時代にお妃(きさき)候補のひとりだったことでも知られるが、結局、韓国の李王家最後の皇太子・李垠(イウン)殿下と結婚する。歴史的には日韓融和のためのいわゆる“政略結婚”だったといわれるが、小説では、方子妃が後の昭和天皇の皇太子妃としての可能性がなくなったことが李王家への縁談につながったという、興味深い設定になっている。
今なぜ李方子妃なのか、林真理子さんの執筆動機は分からない。しかしひょっとして今年がその“日韓婚姻”から100年ということで思い立ったのかもしれない。ちなみに結婚は大正9(1920)年4月28日である。
激動の日韓史を生き抜いた方子妃は戦後、夫・李垠殿下に先立たれた後も韓国に住み、障害者福祉に献身され韓国国民から尊敬された。亡くなられたのが平成元(1989)年4月30日、昭和天皇と同じ年の生まれだったが、くしくも同じ年に亡くなられた。
昨年はその30年忌だったのに、日韓双方でさしたる行事もなく、ことさらその記憶をあらたにする機会はなかった。
歴史における李方子妃の存在は、韓国ウオッチャーにとってはいつも気になってきた。日本人として日韓関係における“歴史的苦労”を彼女に背負わせてきたという申し訳ない感じがあり、あるいは彼女には日本女性としてのすごいガンバリの印象もまたあって、その存在は長く記憶されるべきだと思ってきた。
そこで韓国ウオッチャーとしてこれまでささやかに書き残してもきた(『韓国への足跡』角川書店)が、本紙の外信コラム『ソウルからヨボセヨ』(昨年9月14日付)で「李方子女史作品展」を通じ記憶と追慕の努力を続けている篤志家、鄭夏根(チョンハグン)氏(68)を紹介したのもその一環だった。
鄭氏は古美術商だが商売抜きで李方子妃の遺品や遺作を集め、彼女を記憶にとどめるためまったくの自費で展示会を開催してきた。彼女には障害者福祉の資金集めで制作された書画や焼き物などが多く残されている。展示会には日本からの参観者もあった。
そこで彼の願いは「ご成婚100年」の今年、日本で作品展を開催することだが、これがなかなかうまくいかない。
筆者もお手伝いさせてもらっているが、このところの日韓関係の悪化でみんな腰が重い。協力を打診しても「政治的リスク」などを理由に腰が引ける。「今年の日本はオリンピックで忙しい。オリンピック後には何とかなるでしょう…」と慰めているのだが。
それにしても「韓国の土となった方子妃」を顕彰し語り継ぐ組織が、いまだ日本にまったくないというのは実に寂しい。