電脳筆写『 心超臨界 』

人生は良いカードを手にすることではない
手持ちのカードで良いプレーをすることにあるのだ
ジョッシュ・ビリングス

太宰治は書家としても第一級の存在であった――長部日出雄さん

2008-12-08 | 03-自己・信念・努力
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書家 太宰治――作家・長部日出雄
【「あすへの話題」08.12.04日経新聞(夕刊)】

三鷹駅前の三鷹市美術ギャラリーで没後60年記念展として開催中の「太宰治 三鷹からのメッセージ」で、随一の目玉とぼくが考えるのは、第2回の芥川賞を何とか自分に与えてくれと、選考委員の川端康成に泣訴哀願した当人の手紙である。

縮小された写真版は、すでに83年発行の「新潮日本文学アルバム 太宰治」で目にしていたが、今回の展示は神奈川近代文学館蔵の真筆の複製だから、つまり実物大で、巻紙に毛筆で認(したた)められた長文の手紙に、ただの一箇所も書き損じた形跡がないのに驚かされる。記されたのは昭和11年6月29日で、太宰の麻薬中毒がピークに達していた時期であったのに、誤字脱字が一字もなく、筆跡が実に美しい文面は「私に希望を早く、早く」「私を見殺しにしないで下さい」と、まことにあられもない錯乱の体であるけれども、手跡に乱れはなく、読みようによっては書き手の心情を真率に表した一種の名文で、字配りのバランスもよく取れており、全体を同じ視野に入れてみると、これはこれで一つの美術品と感じられないこともない。麻薬中毒のさなかにあっても、いったん筆を執って紙に向かったときの太宰の集中力が、いかに尋常でないものであったかがよく解り、かれにとって文章を書くことは、常に全身全霊を賭した必死の作業であったに違いないことが実感される。

他にも書の展示が何点もあって、その筆跡には、世間的に決して認められない生き方をした作家の内心に秘められた矜持(きょうじ)と志の高さがまざまざと示されており、ぼくには太宰治が書家としても第一級の存在であったことを、あらためてはっきりと知らせた展覧会(12月21日まで)であった。

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