所属:孫策→孫権
年齢:約43歳(200年の時)
演義では張昭と共に「江東の二張」と言われる賢人です。故郷の徐州広陵がサク融によって太守が殺され街が略奪されると、故郷を去りざるを得なくなります。そして江東の地で孫策に会い孫策に何度もお願いをされ張昭と共に幕下に加わることとなります。
その後、孫策は袁術の命令で揚州刺史 劉ヨウを打つことになります。劉ヨウ配下にはサク融がおり、張紘にとっては太守の敵討ちになったのかもしれません。張紘は政治面だけでなく、軍略にも通じており、孫策は参謀として戦争に張紘・張昭のどちらかを同行させ、もう一方を本拠地に残らせ守らせたとあります。江東の小覇王とまで言われ揚州各地を電撃的に支配下に治めていった孫策の影の立役者だったのかもしれません。
張紘が最もその能力を発揮したのは外交です。劉ヨウ討伐後、孫策は大きな政策変換を迫られます。袁術との離別です。支配の大義名分を持たない孫策にとって後漢の名門 袁術による任命は大義となりえました。しかし、その袁術が皇帝を僭称し後漢王朝に反逆すると、孫策は献帝を擁する曹操との関係を改善し、曹操=後漢による大義を得ようとします。
その為に、曹操のところに張紘を派遣します。張紘は中央政府の名士 孔融など多くの知り合いがおり、また彼らに劣らない才能を持っていた為、この外交交渉は成功し孫策は騎都尉・鳥程侯・会稽太守に任じさせることに成功します。そして自身は侍御史の位を与えられ曹操の元に留め置かれました。
しばらくして、孫策が亡くなると曹操はその隙をついて攻めようとしますが、張紘はそんなことをすれば信義に外れると曹操を諌めております。そして跡を継いだ孫権に曹操に帰順するように説得しに呉に戻ります。
戻った後は孫権の元でも重鎮として計略や外交のみならず、孫権の日常的な振る舞い対しても諌めることを行っています。そして、赤壁の戦いのあと秣陵の地に呉の首都を建設するように進言し、その遷都の途中で病没します。
この呉の新たな都 建業は、今の南京で以後の中国の南朝の首都として栄えることになります。
張紘を考える上で最も悩むのは朝廷(曹操)との関係です。赤壁の戦いの前後、呉では親朝廷派(曹操帰順派)と、後漢からの独立派とで大きく分かれています。前者は、張昭・張紘であり、後者は周兪・魯粛です。結局、後者の意見が採用され赤壁の戦いが行われ、赤壁後は張昭も路線を呉の独立に切り替えるのですが、張紘のみは合肥への出陣を諌めたりと一環して対曹操戦には(やんわりと)反対の立場を示しています。
もしかしたら、中華全体を見た場合に、帝を曹操が擁立してようともその朝廷に従って一刻も早い統一を行うのが良いと言う考えだったのかもしれません。
その能力は張昭が徐州で陳登と戦ったりしているのですが、張紘の方は軍の指揮が見つかりませんでしたので、統率と武力は1としました。悩んでいるのがマークと政治力です。遷都をどこまで評価するかで悩みます。某ゲームでは90台中盤とかなり高い政治力が付けられているので、上から数えると政治5でも良いのですが…。マークもストレートなら○○ですが、曹操(朝廷)との関係=パイプ役を加味して、×○でもいいのかと思っています。
1/1/5/4で○○か、 1/1/4/4で×○ でしょうか。
年齢:約43歳(200年の時)
演義では張昭と共に「江東の二張」と言われる賢人です。故郷の徐州広陵がサク融によって太守が殺され街が略奪されると、故郷を去りざるを得なくなります。そして江東の地で孫策に会い孫策に何度もお願いをされ張昭と共に幕下に加わることとなります。
その後、孫策は袁術の命令で揚州刺史 劉ヨウを打つことになります。劉ヨウ配下にはサク融がおり、張紘にとっては太守の敵討ちになったのかもしれません。張紘は政治面だけでなく、軍略にも通じており、孫策は参謀として戦争に張紘・張昭のどちらかを同行させ、もう一方を本拠地に残らせ守らせたとあります。江東の小覇王とまで言われ揚州各地を電撃的に支配下に治めていった孫策の影の立役者だったのかもしれません。
張紘が最もその能力を発揮したのは外交です。劉ヨウ討伐後、孫策は大きな政策変換を迫られます。袁術との離別です。支配の大義名分を持たない孫策にとって後漢の名門 袁術による任命は大義となりえました。しかし、その袁術が皇帝を僭称し後漢王朝に反逆すると、孫策は献帝を擁する曹操との関係を改善し、曹操=後漢による大義を得ようとします。
その為に、曹操のところに張紘を派遣します。張紘は中央政府の名士 孔融など多くの知り合いがおり、また彼らに劣らない才能を持っていた為、この外交交渉は成功し孫策は騎都尉・鳥程侯・会稽太守に任じさせることに成功します。そして自身は侍御史の位を与えられ曹操の元に留め置かれました。
しばらくして、孫策が亡くなると曹操はその隙をついて攻めようとしますが、張紘はそんなことをすれば信義に外れると曹操を諌めております。そして跡を継いだ孫権に曹操に帰順するように説得しに呉に戻ります。
戻った後は孫権の元でも重鎮として計略や外交のみならず、孫権の日常的な振る舞い対しても諌めることを行っています。そして、赤壁の戦いのあと秣陵の地に呉の首都を建設するように進言し、その遷都の途中で病没します。
この呉の新たな都 建業は、今の南京で以後の中国の南朝の首都として栄えることになります。
張紘を考える上で最も悩むのは朝廷(曹操)との関係です。赤壁の戦いの前後、呉では親朝廷派(曹操帰順派)と、後漢からの独立派とで大きく分かれています。前者は、張昭・張紘であり、後者は周兪・魯粛です。結局、後者の意見が採用され赤壁の戦いが行われ、赤壁後は張昭も路線を呉の独立に切り替えるのですが、張紘のみは合肥への出陣を諌めたりと一環して対曹操戦には(やんわりと)反対の立場を示しています。
もしかしたら、中華全体を見た場合に、帝を曹操が擁立してようともその朝廷に従って一刻も早い統一を行うのが良いと言う考えだったのかもしれません。
その能力は張昭が徐州で陳登と戦ったりしているのですが、張紘の方は軍の指揮が見つかりませんでしたので、統率と武力は1としました。悩んでいるのがマークと政治力です。遷都をどこまで評価するかで悩みます。某ゲームでは90台中盤とかなり高い政治力が付けられているので、上から数えると政治5でも良いのですが…。マークもストレートなら○○ですが、曹操(朝廷)との関係=パイプ役を加味して、×○でもいいのかと思っています。
1/1/5/4で○○か、 1/1/4/4で×○ でしょうか。